血と暴力、男と女。 DVDで「殺し屋1」という映画を見た。 陰惨な殺戮シーンのある漫画を原作にしたこの映画はあらゆる意味で「痛い」映画だった。原作ではそれでもなお「精神を鍛えよう」とかどうしようもない悲しみであるとかが描かれているが、それすらも排除して徹底的に暴力と血と内臓で描いた凄まじいものだった。 監督は今世界で一番注目されている日本人だと言う。それもうなずける。 観てる方のモラルとか、暴力もいいじゃんみたいなこっち側の余裕をかました態度に、頭から冷や水をぶっ掛けるような映画だった。気の弱い人にはすすめられない。 その映画の中で,顔が変形するくらいボコボコに殴られるホステスというのが出てきた。結局は彼女は自分も殴られるのを求めていたということなのだが。 それを見ていて、嫌な思い出がよみがえった。 もう随分昔の話だ。 高校時代。 僕は家から自転車で何十分かかけて通っていたころ。 いつもダラダラと友人と帰る道すがら、国道に面した廃屋のような家があった。 田舎とはいえ周囲はぺかぺかした建売住宅や団地が立ち並ぶ中で、その家屋だけはまるで何かの記念にでも残してあるようにそこにあって、異様な雰囲気を放っていた。 大きな家だ。 屋根はかわらぶきで道路に面したほうに小さな庭があり、いつも雨戸を締め切っている。 外壁の木はすでにぼ黒としかいえない色になっていて、なおかつ腰の位の高さにちょうどその家の地面がある。ちょっと道路より高いわけだ。それが一層、なにかの記念物のように見せていたのかもしれない。 ある日、多分その日はどんよりと曇った日だったと記憶している。それはその事件の記憶のせいかもしれない。 友人と二人で自転車でゆるゆるとその前を通り過ぎようとしたとき、いきなりその家の雨戸が開く音がした。 中から真っ赤なワンピースの女性が飛び出してきたのだ。 僕ははじめてその家の雨戸が開くのを見た。 中は気持ち悪いほど真っ暗で、女性が飛び出したあとから薄気味の悪い白髪頭の親父が這うように顔をのぞかせた。 全身に鳥肌が立つくらい、それはぞっとする光景に思えた。 親父は立ち止まってぽかんと見ている僕らに気づいて、ゆるゆると暗闇の中へ逃げ込んでいく 突然のことに僕らがあっけに取られていると、やがて僕らの前、数メートル先のその家の正面に続いていると思しき小さな道から、真っ赤なワンピースの女性が飛び出してきた。 彼女は僕らを一瞬見てから道路を横切って右手のほうに走っていったのだった。 血。 彼女の顔は覆われて伺えなかったが、その手の隙間から血が流れている。 「夫婦喧嘩かなあ」 と友人がつぶやくまでに何分もの時間がかかったように思う。 僕は正直言って怖かった。 あまりお行儀のいい学校ではなかったので血などにビビっていたわけじゃない。 今まで人が住んでいると思わなかったボロ家に人が住んでいて、その雨戸の向こうが暗闇だったことが怖かった。 はっきりした理由なんかない。 漠然と、生理的に怖くてしょうがなかった。 「いってみよか」 と、彼が言い出したときにはもうホントおしっこちびりそうだった。 彼が行ってみるというのは、彼女の後を追ってみようかということだ。なぜなら、彼女の去った僕らの右手は行き止まりでそこには、ほぼ無人に等しいJRの駅しかないからだ。 正義感(と好奇心)の強い彼に引きずられるように僕も駅へ向かうしかなさそうだ。 その駅もまた、なにかの記念に残されているに違いない。 木造の小さな駅だ。 一応、登山の休憩所程度の待合室があって、奥には切符の窓口がある。しかしそこにいつ駅員がいるのか一度も僕はみたことがない。 恐る恐る覗き込むとその女性はうなだれるようにして座っていた。 ノースリーブのワンピースから、あまりにか細い二の腕がのびてその先は彼女の顔を覆っている。 「大丈夫すか」 と友人は、彼にしては珍しく相手を気遣った声をかけた。 女性はしばらく返事をしなかった。 僕らからは彼女のあまり手入れの行き届いていない長い髪と、その下で顔を覆っている左手のおかげで表情は伺えなかった。 友人は僕の顔を見た。 どうしろというのだ。 「何ね」 と、彼女はようやく答えて僕らの顔を見た。 今度は友人が恐怖に襲われたらしい。ざっと一瞬後ろに下がった。 どうやら女の人が殴られた顔をはじめてみたらしい。 もっとも僕だってそうそう見るものではないけど。 彼女は左手で隠しているつもりらしいが、その半分隠した目の周りはすでに腫れ上がって随分つぶれている。 腫れていない部分の顔を見る限り彼女は、30代くらいの女性だった。暴力のショックではなくもともと顔色が悪いような、そういう感じの女性だった。 「大丈夫ですか?」 と今度は僕が言った。 彼女は被害を受けていない半分の目を少しゆがめて、 「大丈夫。大丈夫やから」 と、その地域に特有のキツいイントネーションでつぶやくように言った。 ここまで。と思った。 彼を見るとショックから立ち直ったようだが、同意を示した。 すると、彼女が誰に言うでもなくしゃべり始めた。 「いっつもね。殴るとよ、あの人は。すぐ殴る」 「暴力亭主なん?」 と、友人。 彼女はまだ純朴さが残る僕たちには理解できないほど、乾いた息だけの笑いを聞かせながら、 「亭主なわけなかろうが。あんなのが」と言った。 ああ。と僕ら二人は妄想をめぐらせた。 「警察呼びましょうか」 と僕。 「もう良いとって。あんたらはよ帰らんね」 というと立ち上がった。 毅然と駅を出て行く彼女を、僕らも自転車を押してついていく。 もとの国道にでると、道向こうにさっきの男が立っていた。 ちょっと高くなったコンクリートに軽く寄りかかってまるでうなだれるように。 不気味でもなんでもなかった。 白髪頭だが、よれよれのカッターシャツとポリエステル独特のぺらぺらしたグレーのパンツをはいたやせた男は職にあぶれた冴えないサラリーマンといった風情だった。。 彼女は男を見るとちょっと僕らの後ろにあとずさった。 「おまえ何しようとやコラ」 と男は、彼女を見るといきなり生気を取り戻し、道越しに叫んだ。 「早よ、来んやボケがっ!」 「お前が殴るけん行けんめえが」 と、叫んだのは僕の友人だ。 正義感が強いと言ったが、彼は実はいわゆる不良だ。 どうやら独特の勘で男がヤクザではなく、喧嘩にも勝てると踏んだようだった。確かに背丈も彼のほうが少し大きいようだ。 「ちょっとやめろや。なあ」と僕は小声で止めたが、向こうもこっちは相手にならないと踏んだようで、道を渡ってきた。 「なんや貴様ら」と少し目を細めて僕らを眺めると「関係なかろうが。なんやコラぁ」 というが早いが、友人の襟をグッとつかんだ。近づくとあまりマトモな人ではないことがわかった。 だが友人はさすがだった。 グッとつかまれると同時に、自転車の籠に入っていた薄っぺらい皮のかばんを握ると角の金具で男のこめかみあたりを殴りつけた。 これは痛い。 さすがに不良なので、凶器を使わないなどというスポーツマンシップはぜんぜんないのだ。 あっというまに男と彼はつかみ合いになり、しばらく揉めあった後、割合早く男に馬乗りになり意外にすばやくボコ殴りの体勢になった。彼が誘うので仕方なく僕もちょっぴり参加した。 「やめんねっ!」 と、女は彼を引き離しにかかる。 彼は一旦男から離れたが、ここでやめると仕返しがあってはならじというわけで、ひたすら男の太ももを踏みつけ、飛び上がるように同じところを蹴りつづけた。 なるほど。喧嘩というのはこういう風にやるのだなと僕は感心した。 「警察を呼ぶよっ!」 気が狂ったように彼女は叫び、やっとその喧嘩は終わった。 男はひどいありさまだったが、「貴様ら殺すけん覚えとけ」と映画のようなせりふを吐き、彼女に抱えられるようにして帰っていった。 友人は随分爽快感があったらしく笑っていたが、前の差し歯が取れていた。どうやら彼もそれなりに殴られたらしい。 結局、彼女はあの家に帰ったのだ。 当然だけど、好んで暗闇に戻っていく彼女を見ながら多分僕らは二人とも同じ思いを抱いた。 この世の不条理。 あるいは理解できない敗北感。 それから数度、彼女を見かけた。いつもその国道沿いをスーパーの袋を抱えて歩いてところだった。さすがに赤いワンピースではなかったが、僕らを見つけるとものすごい顔でにらみつけられた。 もしかしたら、僕らのせいでまた殴られたのかもしれない。 いつも彼女の顔のどこかしらにはアザがあって、ひどい時には腕に包帯がぐるぐるまきだったことも1度ある。 友人とは、なぜそんな男と別れないでいるのかという話題をしていた。 それは彼の不良活動が本格的になって、僕とは違う世界の住人になるまでずっと続いた話題だった。 男には不思議と一度も会っていなかったのだが、その後、1回だけ学校の近くのパチンコ屋から出てくるところを見たことがある。 そのとき僕は一人だったので、大いにビビッた。 男も僕に気づいた。 逃げようとしたのだが、男は僕をにらみつけるとそのままボロボロの自転車で去った。 そうやって、ちょっとなにかに怯えながら僕の高校生活は過去になった。 あの頃はさっぱりわからなかった。 今でもわかる訳ではないが、なんとなくそういうのもある。と思える。 世間はちっとも綺麗じゃないし、複雑な事情が絡み合っている。 想像もつかない恐ろしい世界もあって実は道一本向こうの話だったりする。 けれども、ちっともわからないのは男と女だ。 こればっかりは一生わからないことなのかもしれない。 大人になったらわかるってその時は思ったんだけど。