立花さんのはなたば 立花さんと再会したのは半年前。だからちょうど自由人になったばかりの頃ってことになる。 福岡へ戻ってきた僕を、友人数名が焼鳥屋で小さな歓迎会をやってくれてた時の事だった。 立花さんは残念ながら男性で、僕より10歳ほど上だった。僕が新入社員の頃の大先輩だった。 チェーンの焼鳥屋の隅っこのテーブルで、まあ、うれしかなしの歓迎会もそろそろお開きって時にトイレから戻ってくる立花さんを発見した。両手をだらんとして、ちょっと顔を突き出すように歩く仕草も、彼の風貌も、昔と何一つ変わってなかったのに思い出すのにはたっぷり1分はかかった。 こちらを向いた立花さんの顔は、妙にぴんぴんはねたユルいくせに固そうな七三頭には白いモノが目立ち、3m先に瞳が見える分厚い銀縁めがねは黒縁に変わっていたが、水分に欠けた痩せ衰えた顔も、気弱そうな垂れた眉も変わりなかった。 やあやあ。お久しぶりでーす。てなかんじだ。 その場にいた仲間の中で彼を知っているのは僕だけ。 だって、彼は入社して5年目で会社を辞めた。もとより都心のスーパーマーケットを業態転換したファッションビルで、元のスーパーからそのまま移籍した彼は浮きまくっていた。同じような人間は何人もいたが、皆なんとかがんばってブランドと格闘していた。いや、そういう時代だったのだ。見栄と軽さの80年代。そんな中で立花さんは2着35000円のペアペアスーツで、いつもネクタイを裏側にねじらせて所在なさげに立っていた。 10数年ぶりに会った立花さんも僕を思い出すのに苦労していたが、やがて「あー問題児の」と、嬉しくない覚え方で思い出してくれた。 どうやらご機嫌のようで、ついでに一人だったらしい。 僕らの中になだれ込むように突っ込んできて、どもうどもうと笑った。 息が大変くさい。 彼は結局追い出されるようにして会社を辞めた。 その頃はこう思った。「冴えない立花さん」が辞めるのはしょうがないって。 ファッションビルで入社した僕らは、彼を少し疎んじていたのは否定できない。誰だって若いときは生意気。ある方向でしか人を判断できないし、いずれはどこかで冴えない自分になるなんて思いもしない。その後の消息はそれきり聞かなかった。 僕はちょっと挨拶するだけのつもりだったんだ。だから僕らの席になだれ込んだ立花さんを見て、僕らは目配せをしあった。 彼には悪いけど、僕らはもうお開きなんだからと解散することにしたのだ。 立花さんすみません。僕らもう帰る所なんですよ。って。 そして気がつくと僕は立花さんと屋台にいた。 離してくれなかった。 そして僕もちょっとだけ人間が丸くなったってこと。まあ、そういうことだ。 懐かしくて喜んでくれてるのだし。 「いやあなんだか立派になっちゃってえ」 と失業した僕に、ご機嫌な様子でちょっと調子っぱずれに言う。笑うとめがねがずれるらしくて横山やすしのように直す。 煙越しにたっぷりあごひげを蓄えた、屋台の大将が僕に向けて不可解な笑顔を向ける。ちょっとハズかしいじゃないか。 彼は会社を辞めた後、やっぱりスーパーに戻ったようだ。 名前を聞いたけど知らない。僕の住んでる場所とは市内地図の端と端だ。元々寂れた市場が集まり、大地主が社長になって会社組織のスーパーを作ったらしい。良くある話だけれど、それではそれはさすがに知らない。でも社員だそうだ。 そこで何をやってるんですか?って僕が聞くと、 「いやあ総菜屋。時々書き物したり」って答えた。 ふうん。 総菜コーナーの担当なんだ。 なんて事を考えていたら、立花さんは僕の顔を見てうふふと笑いながら空白の期間を語りはじめた。 これが一大叙事詩の始まりだとは思わなかった。 時折、思い出すように屋台の向こうに見える公園の方を見つめたり。 おでんの皿を見下ろして、かげりのある笑みをみせたり。 10年前の求人広告発見から、急に去年の息子の大学卒業に飛んだり。 8年前のつり大会の優勝から、5年前のハワイ旅行の思い出に切り替わったり。 行きつ戻りつ空白の10年ちょっとを、埋めるかのように。 僕はといえば焼酎のグラスをあげっぱなしで。 要はつまらないのだった。もっといえばなによりその季節は、屋台には寒かった。もう冬が近づいているのだ。 背中と足に冷たさが染みた。 寒くてつまらないから相づちのように「他には?」って話題を打ち切って次の話題に移ってもらったりしていた。 まとめるとこうだ。 彼はファッションビルを辞めて、地元のスーパーに勤めた。最初は日用雑貨の担当だったけど、途中で総菜コーナーに移った。 奥さんはキツイが、心根が優しくて、1歳違いの息子と娘はそれぞれさしてグレるでもなく社会人となった。以上。 しかし、本人はろれつが怪しい口調で、プロジェクトXのように語った。 確かに家族の話なんか、所々ぐっと来たり、ほんわかと暖かかったりはするのだけど。 それにしても、悪いけどあまりにも平凡で、普通なら誰にでもある大きな波も深い葛藤もないのだった。 だけどその話を彼はいつまでも、僕に語りたがった。永遠に続くのではないかと思えるくらい。 「他には?」「他には?」「他には?」 周りの席が立ったり座ったり、忙しく入れ替わる中で僕は繰り返す。 だって、そういうと彼は相好をクズして(必ずめがねがずれる)喜ぶんだもの。 多分、立花さんは面白いところを無意識に飛ばしているのだ。 あるいは本当に平坦な道のりだったのだろうか。どうも、彼にはそれが自分の人生のヤマ場だと、気付いていないように思えた。 でも、それは普通なのかも。 つまらない人生。なんて決して言えない。平穏であるって思えることはすばらしいことなんだから。 そんな時、突然ふっと糸が切れたように表情を失って僕を見た。 「僕の人生はつまらないね」 冷や水をかけられたようだった。 彼はまた、ずれためがねを直して、気弱に笑った。 これはまずい。僕の対応があんまりにも気持ちが入ってなかったかも。入ってなかったんだけど。 なんだかホントに申し訳ない気持ちになった。 原稿書きってやっぱり大変ですか。 僕のさび付いたコンピューターをフル稼働させた挙げ句、やっとひねり出した話題がそれだ。 僕も平凡な男だ。 原稿っていうのは僕のいた会社の用語で、チラシのネタ書きのことだ。話を聞いていると彼の仕事はどうも「かきもの」が良く出てきた。店で天ぷらあげては夜は「かきもの」、休みの日は「かきもの」だ。まあ、チラシの原稿は担当の腕の見せ所ではあるんだけど。 彼はキョトンと僕をみて、 「原稿はネエ、大変かなあ。いっつもコロッケとバイキングばっかりだから」 自嘲気味に笑う。 ? これが違ったのだ。 面白かったのだ。 僕の勘違いで、立花さんはチラシの片隅に歳時記というかコラムというか、そういったモノを実際に書いていたのだ。 これがどれほど奇妙なことか、多分その世界にいなければ分からないかも知れない。 チラシっていうのは、あと写真1ミリ増やしてって世界なのだ。本来コラムなんて。 まず、いるのかそんなものが。 驚いていると、彼は無造作に折りたたまれたそれを恥ずかしそうにポケットから出した。 そのチラシはB4の目が痛くなるような黄色の紙に墨一色、つまりモノクロだ。 マジックで書いたような文字(そういうフォントがある)で一筆書きのようなビンのイラストの横に、「シャンプーリンス300円均一」みたいな。田舎のスーパーや薬局でよく見かけるチラシだ。 その片隅に確かにそれはあった。 マジックで囲んだようなふにゃふにゃの小さな四角の間に「はなたば」というコーナー名が書かれ、松ぼっくりがどうしたこうしたと60字くらいの素朴な単文。しかも「ひろし」と名前まで書き添えてある。 立花さんは、驚愕の目で食い入るように見入る僕の手を、時折ぽんぽんと叩いては「カッターシャツ」の襟を直したり、めがねをかけ直したりして時間をつぶしていた。 「もとは社長がお客さん向けに書いてたんだよお。これが。社長が引退しちゃってさあ」 で。立花さんが引き継ぐことになったらしい。 10年書き続けたという。週一本でざっと520本だ。 中身はいつも商品とは関係ない季節や地域の話題。らしい。 なぜ立花さんが? 「最初は各売り場の担当が、持ち回りで書いてたんだけどね。知らないウチに俺ばっかが書くことになってねえ」 当の本人は意外に大したことでもないように思ってるようだった。 すごいじゃないですか。10年間書き続けるってすごいですよ。 「そうかねえ。そうだねえ。でも、代わって欲しくてしょうがなくてねえ。書くことない時の方が多いじゃないですか。趣味も釣りくらいでさあ。でも辞められないの。先代が生きてる間はやめられないんじゃないかなあ」 しばらく、ぼぅっと黙り込んで、それでも、少しは誇らしく思ったらしい。 彼は両手を口にかぶせてちょっとオカマっぽく笑って横目で見た。 「でも、とてもつまらない人生だよなあ。ホントそう思うよ」 僕が再会するまでのこの10数年の間、彼はずっとこのぺらぺらのチラシの片隅に毎週毎週書き続けたのだ。 僕があちこち転々として、死にかかったり恋したり結婚したり別れたりしている間も。こつこつと、これといった感慨もなく。地域の人に向けて。 彼は、ちょっと感慨深げに焼酎をくーっとのんだ。「そうかな」と僕に笑顔を向けたが、めがねはズれていた。 つまらない人生なんて。ない。そう思った。 でも、面白いことに気付かない人生はちょっと寂しい。 この屋台みたいに顔はとっても暖かいのに、背中はちょっと寒い。 僕と立花さんはそれからもしばらく飲んだ。ちょっと楽しく。 そんな味わい深い夜から半年経った。 当初、僕はあのチラシを見たかったのだけど、当然、僕の家に折り込まれることはなくってやがて忘れた。 そして、今日、唐突に立花さんから電話があった。僕は電話番号を教えたことさえ忘れてた。 スーパーをやめたらしい。 また、追われるようにやめたのかと思ったら、体力がもたなくなって続けられなくなったらしい。先代社長の紹介でマンションの管理人になるとか。僕よかずっと順調だ。 立花さんは実直に僕に報告してくれたのだった。ありがたい。 あの「はなたば」は。 僕はそれが気になったのだが、彼からその話題を切り出してくれた。 この機会にということで、なくなったのだという。 「それでね。」と彼は言った。 「無くなったら抗議の投書とかがいくつもあったんだってさ」 電話口で彼の声はちょっと誇らしげだった。 空気のような10年間は決してムダではなくって。それは立花さんへのなによりのはなむけになったんじゃないだろうか。 どんな内容だったんだろう、最後は。 「はなたば」っていい名前だな。と、思った。 2003.5.1TIN