ブルームの日本人墓地
 ブルームに滞在したときに受けた衝撃の一つが、この日本人墓地(Japanese Cemetery)である。

 日本からは、パースを経由し一日がかりでやっと到着する、「果ての地」のような印象を受けるが、今のように観光客が訪れるようになる前から、この地は日本と深いかかわりを持っている。

 ブルームでは1880年代より真珠養殖が始まり、潜水に弱い白人に代わり、中国などのアジア人の混ざり、日本からも何人もの潜水夫がこの地に渡り、真珠採りに従事し、過酷な労働のために、命を落とした。
この墓地では、そんな日本の人たちが眠っているのだ。

 …と以上は、現地で周囲のオージーたちに聞いたことの受け売りになるのだが、僕は、何よりも、日本から遥か彼方の地にこのような場所があることに衝撃を受けた。きっと、「日本に帰りたい」と願っていただろうことを思うと、この地で眠ることに対し、無念の気持ちでいっぱいにり、ジリジリと焼きつく日差しの中、ただただ、立ち尽くした。

 21世紀に入り、悲しい出来事が起きる。
 2009年、ブルームと姉妹都市を結ぶ和歌山県太地町が反捕鯨を旗印に掲げる団体による様々なバッシングにさらされる中、ブルームにも姉妹都市関係を解消する圧力がかかり、あろうことか、時期を同じくして、この日本人墓地の多くが何者かの手によって壊されてしまった。

 その後の選挙で、姉妹都市解消に賛成を表明した市会議員は落選、ブルームは太地町との姉妹関係の道を続けることを改めて表明する形となり、壊された日本人墓地について今後どうするのか、市側と現地の日本人との間で検討しているところまでは、TVのドキュメンタリーで確認している。壊された日本人墓地が今後どうなるのか、その後の動静が聞こえこなく、大変気になるところである。

 日本人墓地を後にするとき、遠い地で眠る日本の人たちに対し、僕は頭を下げた。
 次に訪れる機会が訪れるときに、この墓地がどうなっていようとも、ここに来たら僕は頭を下げるつもりだ。
 しかしながら、願わくば、この墓地に眠る人たちが心無い暴力から解放されるよう、修復されたい。