2/28 春の訪れ


何を突然、とおっしゃるかもしれませんが。

いままでCDでウェルテルを聞いていたので。

このオペラは聞くにつけ、日本ではピアの伴奏以外不可能に近いな、と痛感させられるオ
ペラです。

やっぱり最大の原因はアゴーギグにあると思うんですよね。

日本語に直すと「揺らし」、という概念なんですけど、フランスやドイツやイタリアのよ
うに、日本人のアゴーギグが統一されているかというと、むしろそのうちどれかを自分の
道と選択している人達が多いので。無論、非常にレベルが高い人達だと、その点ははっき
り区別がつくんですけど、まあ、そんな人はこっちにも少ないというのが実状なので、ど
うしようもないと言えます。

まあ、特徴のあるリズムが多いので、一回動いてしまえばもうそういう風に弾くしかない、
という点において、大変プッチーニとも似ているんですが、やはり音符の並びはプッチー
ニの突所の変化とくらべると、なぜここでフラット???と一瞬思わせる所がたくさんあ
ったりして、知らないとまあ大変です。かといって直前にCDを聞いて練習してもらうと、
伝説の歌手と自分を比べられてしまうという悲劇が待っているので、いただけません。

いや、本来はオケをやる人なら学生の時に全曲さらっとくべきなんですよ、こんな有名な
オペラ。

でもまあ、日本では、クラシックの中でオペラはどうしても色物扱いなのが実状なので、
おかげで皆わけもわからずブラームスのシンフォニーとか弾いて、ああいうおおざっぱな
曲を弾いてるとソリストとしての腕が落ちるとかの給うわけで。

かといって、ウェルテルのように、普段自分がソロのパートとして弾いているような旋律
がガンガン出てくるオペラだと、「これはオペラだから勉強する必要ない」という強烈な
発言を残し、序曲しか知らない、という状況に陥るわけ。

ああ、いい忘れたけど、ウェルテルの序曲は、たとえその題を知らなくても、25歳まで
適当にテレビを見ていたら、5、6回は耳にしているはずです。それぐらい有名な曲なん
です。

何でオペラとしてやらないかって、どう考えても練習に必要な時間が長すぎるんですよね
え。歌手との掛け合いは、それなりにバランスを考えないとぶち壊しだけど、現状のスケ
ジュールを見ると、まともな物を創るのに、比較的簡単なモーツァルトでも少なすぎるぐ
らいなのに、ましてやプッチーニやマスネーのオペラでこの時間ですか、これじゃソルフ
ェージュで終わりですよ、という時間してか与えられてないんです。

結論としては、フランス音楽が好きなピアニストに頼んでやる、ぐらいしか方法が無いん
だろうな、という感じ。でなけりゃこっちの伴奏者を釣れてくるとか。(下手すると、精
神的負担その他を含めると、こちらの方が楽なぐらいかも。)

ええ、なにが春の訪れかというと。

ウェルテルのアリアに、「何故ぼくを呼び覚ますのか、春の優しき風よ」というアリアが
あって、ちょうど今春が来そうな季節だな、という事で。ちなみに題が自分が知っている
のと違う、という抗議は却下。「そよ風」なんて言葉は使われ過ぎていて、歌の言葉とし
てはもう不可能です。

まあ、イタリアオペラはともかく、フランスオペラを日本でやるのは、面倒が多すぎて駄
目ですね。ぼくは好きでドビュッシーとかも遊びで見たりするんですけど。

いつか頃合いを見てやろうとは思ってます。

今日はこんな所で。