2005年3月7日
ただいまヴァチカンの食堂にいます。相変わらず信じられないまずさです。今日は前回の反省が多少生きていました。セコンドピアットは決してとらずパスタのみ。ラザニアをコンキーリェという貝殻の形をしたパスタで作るという、信じられない暴挙のパスタ・・・いえ、本当はアイデアとしては決して悪くないのですが、むしろぼくも時々近いことをやったりするわけでして。
つまり手間を削減したのはわかるんですけど、塩分控えめ、というより塩が少なすぎ。何を食べているかよくわからなかったです。パスタを食べていると言うより、紙を食べている、と言う感じ。これをコカコーラでどうにか流し込む、という作業はいくらおなかが減っていてもなかなかつらい作業。尤も作っている人は3週間そこらでは決して変わっているわけがないのでこれは予想範囲内の出来事でしたが。
そう、前からたったの3週間しかたっていませんが、なんと、そのときに空いていなかったエジプト美術館が空いていました。
これはまったく予想していなかったので非常にうれしかった。音声ガイドを片手に早速中に入り、いきなり紀元前30世紀のヒエログリフの世界にタイムスリップ。子供のころには5000年前なんてのことはあまりにも昔過ぎて想像できないと思っていましたが、30も目の前になった今、それほど遠い昔にも思えません。いや、間違いなく遠い昔です。しかしまあ、一人の人が100歳生きたとすればたった50人で伝わる時間じゃないですか。いやそれもずいぶん乱暴か。しかしいずれにせよ、時間としてはもはや比較的想像のつく範囲内ですね。
そして紀元前30世紀という昔に精神文化レベルとして現代と遜色のない生活を送っていた人たちは、現在の僕にとって非常に興味のある対象となって写りました。
特に造形に関するセンスの高さは目を見張るものがあります。
サルの神様はどうとして、僕は犬の神様が大好き。なんと言うんでしょう、こういう人っているよなあ、という雰囲気を漂わせているのに顔が犬なのでとても不思議な感じ。
おそらく人間の出しているオーラの中に、その澄ました犬の仮面のようなオーラを持っている人が実際に存在するからこのようなことを感じるのでしょうか。なんと言うか、そこに人が並んでいっしょに写真をとっても、なんとなく親しい友達がそこに並んでいるかのような錯覚を覚えてしまう。これを高度に昇華された造形の芸術と言わずして何といおう。思わず挨拶をしてしまいたくなるような親しみ安さもかもし出していてぼくとしては非常にお勧め。
ミイラは衝撃を受けました。しかし何故写真を撮っていないか。写真を撮っている人があまりに少なかったので雰囲気に飲まれてしまったらしい。
そのミイラを作るためにまず左眼を取り出したそうです。おそらく右目ではなく左眼であることに何か呪術的な意味があるのでしょうね。そしてその左眼をくりぬいた穴から脳を取り出し、内臓もすべて取り出して別にそれもミイラ化しカノプスというつぼにいれ保管。このへんのくだり悪趣味ですよね。何の意味があるんでしょう。残った体を化学薬品で中の体液を置き換えて腐食防止をした後にはじめて包帯でぐるぐる巻きにする。
そう、体液がすでに化学薬品で置き換えられているので、見てもあまり人間、と言う印象がないんですよね。なんというか、鉱物で作った人間の死体の彫刻みたいな感じ。で、なぜかそれが包帯でぐるぐる巻き。あれは印象に残るなあ・・・あれ見て映画を作る気になった人がたくさんいるのはわかるような気がする。
どうもミイラというと仏教の生きたままミイラになる方法のことしか知らなかったので、エジプトにおけるその化学実験のようなミイラの生成法はショッキングでした。何故そこまでして死体の形を残すことにこだわったのか。
尤も、よく考えると思考能力を残したままである人間がすべての感覚を乗り越え理性を乗り越えて自らの体をミイラ化することのほうがよほど驚異的ではないかとも思うのですが、それでも今までエジプトにおけるミイラの製造法がまったく想像もしなかった高度な化学実験のごとき方法であったことは非常に新鮮でした。
霊魂と肉体がなかなかこのことではその縁が切れるものではない、という思想に基づいたネクロポリス、つまり死者の家、という概念はこのエジプト、そしてエトルリア、またカトリックにおいて共通する概念ですが、特にエジプトにおいてはその考え方がほとんど願望にも似たものであり、死の世界に旅立った人間が生前と同じように生活をしてほしい、という気持ちを強烈に感じました。でなければあんなにがんばって死体の形を維持使用などとは思わないはず。それにしてもそうでもしなければ腐って形がなくなってしまう、と言うことまで知っていたのに肉体と霊魂が離れないと考えていたのは何故か。
まあ、こういうのを宗教的概念と言うんでしょうね。あまり理屈で考えても分かることじゃあない。まあ、気持ちだけで考えると分からないこともないし。
さて、そのエジプト美術館を出ると今度は古代ギリシャの作品群およびその模倣の部屋に行きました。
ラオコーン、という作品があります。トロイ戦役において木馬の贈り物を街に迎えることに頑強に反対したラオコーンとその息子二人が神の怒りに触れて海蛇にかみ殺される、という話を基に作られた彫像です。海蛇に絡みつかれ苦悶の表情で死を迎えるその姿は極めて闊達に描かれており、正しいことを言っていたものが聞き入られることなく罰せられるという理不尽は何か古今東西を感じます。なんと言うか、それが正しいとか間違っているとかを超えていて、まあそういうものだよね、と言う感じ。芸術家はどうしてもこうした事実を一歩引いてみるものなのか。それゆえにミケランジェロの彫刻は苦悩によじれていったのかもしれない。ああ、これはまた後の話ですね。
3週間前きたときにはほとんど気にかけてなかったのですが、この古代ギリシャの模倣がずらりと並ぶベルヴェデーレの中庭から再びシスティナ側にもどる時にすぐある動物の間がなかなかお茶目です。
この部屋で 最も有名なのはメレアグロスの像ですが、どうしてどうして、ケンタウロスとネイレーア、また二人の天使たちの像もなかなかに味のある作品。
ケンタウロスにさらわれるネイレーアに対して一人の天使は人差し指を口に当てて物を言わないことを彼女に進め、下の方の天使は彼らの様子に聞き耳を立てている。手を上げて助けを呼ぶさまのネイレーアはしかしこのまま連れ去られてもよさそうな、しかしそれではまずいような、どっちつかずの態度を取っている、もしくは思案中なのか。非常に突っ込み甲斐のある豊かな作品で、そのダイナミックの動きの中にそれぞれのキャラクターの思惑がよくあらわれていて、微笑みすら誘います。
うん、今思い出してみても笑えた。
あと、この部屋にある巨大ならくだの頭はなんとなく和みます。しかしあの頭がよる自分の部屋の窓際にあったりして、あるとき風が吹いて窓が開いて、カーテンの隙間から稲光がした瞬間にあのニタリとした顔があったりしたら心臓にホントに悪そうです。もう、ブヒヒーン、とか言ってそう。いや、ラクダってどう鳴くんだ???
さらに戻っていくと7人の詩神の間。この神様たちの名前はいくら言われてもなかなか覚えられない。テルプシコレという名前は昔推理小説で出てきたのでよく覚えている。しかし誰がどのような特徴を持っているか、ということがなかなか映像と結びつかないですね。あの部屋はもう5度は訪れている(なぜなら往復する羽目に2度もあっているから)のだから、本気で覚えようとすれば覚えられるはずなのですが。
・・・どう考えても神話自体を読んだほうが早そうです。いつになることやら。
この部屋の中心にあるトルソ、昔の神々の内の一人の残骸なのですが、この筋肉の動きはミケランジェロが何度も模倣した、という話が個人的にとても納得できます。
その外に飛び出していく放出のエネルギー、ひとつのオーラを発しつづけるエネルギーの固まり、と言う彼の作品全般に通じる力強さはこうしたギリシャ時代の彫刻からもらっていたものだと思うのです。彼は大理石にひとつの個性を見出し、そこから出てくるエネルギーを作品に転換することに意識を集中させるのが好きだったのだと思う。だからなんでしょう、彼の作品は創りかけの大きな石が多い。それは飽きてしまったのか、完成させることが出来なかったのか。そこからすばらしいものが生まれる、と言うイメージが潰えてしまったのでしょうね。意思自体にオーラを感じることが出来なくなったのかもしれない。
彼の作品の特徴として、ともかく切り出す石の大きさが最初から半端じゃない。後世の人がまねしにくかった理由のひとつかもしれません。
ヘラクレスの像。雷を打たれて神聖化したと告げられ、その神託に基づき埋められたといういわくつきの作品。棍棒を持っていてトラからイオンかよく分からないけど動物の皮を持っていればヘラクレス。それだけは分かるようになった。しかし、彼が立てた12の功業はアンタイオスとの決闘以外まったく知らない。血の女神ヘラの息子アンタイオスは地面に足がついている以上不死身であった。それゆえにヘラクレスは彼を地上より持ち上げて羽交い絞めにして息の根を止める。いろんな画家が扱っている作品。
またさらに行ってコンスタンティヌス帝の娘へレナの棺。赤大理石、という非常に硬い素材に刻まれた精巧かつ磨かれたその作品にため息が思わず漏れます。しかし、その石が固い、と言う事実を知らないと、ただ磨きのかかった保存状態のいい棺、で終わってしまいそうだ。1650年は経っている、と言うことを考えるとその美しさは何か途方もないもののように感じると思う。
しかし実はこの部屋でおかしいのは床にモザイクで書かれた男の顔かもしれません。
驚いたようなその表情は真中の美青年の絵とあいまってなんとも心を和ませる・・・真ん中の青年の顔を取っていませんね。ローマのセンスは大阪になんとなく似ている、ということはよく言われることですが、こういうものを見るとまあそういうことを言う人の気持ちもわからなくはない。
このあとエトルリアの間に。ここの赤の彩色のつぼは何度見てもよい。その上にかかれた吹き出しでもつきそうなえの数々は、漫画文化で育った僕らとしてはなんとなく同じようなセンスを感じてしまい、あまり進歩していない事実にも愕然とさせられるもののやはりその豊かな表現力に感嘆せざるを得ない。
古代エトルリアにおいては女性は男性と同等に社会に参加していたようです。同じ東方民族として親しみを感じるとともに、社会生活における革新的な考え方など考えさせられることが多い民族であると思います。しかし詳しくはここにはかけません。単なる勉強不足です。
説明が冗長になった訳でもないのにこの長さ。ちょっと急ぎたいですね。
地図の間、タペストリーの間はこれら一連で体力を使い果たしてしまっていたためか結構おざなりに過ぎていきました。10分ほど椅子に座ってひたすらガイドを聞いて見たり。この後にくるラファエロの間に対しての精神的にも体力的にも準備の必要を感じていたんでしょうね。
そしてラファエロの間。実はもうこの時点で結構足ががくがくしていました。コンスタンティヌスの間。子の間に関して僕が特にいい、と思うのはマクセンティウス帝に対するコンスタンティヌス帝の勝利の絵の構図。この構図はラファエロ本人が切っただけあって非常にセンスを感じます。後は時代を追ってラファエロから遠ざかるごとに作品自体の質が落ちていく。やはり彼の37歳、という短い生涯を思い起こさせずにはおれない。
やはり彼の作品群でのクライマックスは署名の間でしょう。この部屋にくるとやはり画家本人外貨に自分の作風を知り尽くしていたか、ということがよくわかる。また,この間は古代の人物,神々とその当時の著名人が別の人たちの役柄を演じて登場させる,という当時はやっていた演出法を遺憾なく発揮しており,そのことだけでも十分に面白い。
ぼくがこの部屋で一番ああ、と思うのはホメロス。盲目になって天を仰ぎ指差すさまは、目が見えなくなってからこそ彼に見えたであろう世界をぼくらの中に掻き立てる。ラファエロと言う一人の画家が彼に憧れる矛盾を思うと、彼の人生が短かったことと重なり、何か真摯な気持ちになってしまいます。
ここまで書いて思うんですけど,このような5時間コースは結構ぼろぼろになるので,体力がない,と感じた人はやらないほうがいいと思うのです。ちなみにぼくら一行は明らかにこの時点でガタガタ。
お勧めとしてはまずラファエロの間に入った時点で全部飛ばして喫茶店まで行って存分に休憩した後に戻ってくる。どうして地球の歩き方にそれが書いていないのかが不思議。いやむしろ3回目でそのことが頭に浮かばなかったぼくの頭のほうが不思議。
とにもかくにもシスティーナ礼拝堂。これはもう見てもらうしかないですね。よくやった,というのが一番正しいかもしれない。
天井画はミケランジェロが30代後半の作品。4年間誰一人として中に入れさせずに完成させたひとつの魂の結晶。アダムの創造が特に有名ですよね。この作品を彼に委託したユリウス2世(白ひげのおじいさん。この時代の画家が何人も描いています。)ですら中に入れさせなかった、と言う話は凄みを感じます。ミケランジェロがこの作業において背中の病気になってしまったのは有名なエピソードですよね。
La schiena si e' fatta la curva come un arco とかそれに近いコメントをしていたようなしてなかったような。日本語の「わが背中のそり曲がること蒼穹の如し」と言うコメントのほうがなじみが深いかもしれません。
最後の審判は60歳のときの作品。ひとつの集大成といった趣がありとてもいいと思います。ミケランジェロ,という一人の人間の世界がそこに溢れ出している。
彼の芸術家としての最大の特徴のひとつとして、異常に芸術家生命が長いんですよね。20台の前半でダヴィデとかピエタとか超有名作品がたくさんあるのに、60になったらなったで最後の審判って。どうなっていたんでしょう。しかも年を取れば取ったでまた新しい世界観が広がっている。一人の人間がそこに生きて死んだ、と言うことがすばらしい作品の数々から物語られるさまは、すさまじいの一言。
9時には言って現在3時近く。このあとサン・ピエトロを「上る」予定。本当に上るのか。もうかなり疲れているんですけど。まあ,機会というものは逃すとなかなかその後にないものですから,この際行ってしまうのでしょう。
さて,現在ホテルにいます。こうやって打ち直してみても膨大な量の情報量です。
けっきょくあのあとサン・ピエトロ大寺院の中にあるミケランジェロのピエタ,また豪華絢爛な彫刻群を見た後にクーポラの上に。
ぼくは正直この寺院はピエタ以外特に惹かれない。いや、多分この寺院だけを見に来れば違うのだと思う。しかしヴァティカンで体力を消耗しきっているといくら面白そうなものがおいてあっても「ああ、もうご馳走様、おなかいっぱーい」となってしまう。
なお、一日前にサンタンジェロの上から見ていたこともあって,また疲れていたため寒いなあ,という感じで終わってしまった感もなくはない。そう、高いところに上って寒い、と言うことぐらい寒いことはないのかもしれない。いや、物理的、と言うより精神的ダメージにおいて。
一応一言。サン・ピエトロに上る場合、あまり夕方すぎると上に居られる時間が極端に少なくなってしまいます。そして、これはやはり上っておきたい場所なんです。なんといっても広場を写真のように見られる場所ってここしかないのですから。たいていの人はここだけ上るわけですから間違い無く旅のハイライトになるはずです。ここに上っておいてフィレンツェに行くと、街の色がまったく違う、と言うことが実感できるはず。写真で見ると両方とも赤く見えるんですけどね。
で,トラットリーア・ジッジでまた例によって食べきれないほど食べて帰ってきたところなわけです。どう考えても量が間違っている店。でもぼくは好き。店の人が好きだといろいろ問題があっても来てしまいますね。
・・・前回も思いましたがホント盛りだくさんですよねローマって。一日一日刻むように記憶を整理しないと何がなんだかよくわからなくなってくる。いや、結局整理したところですべて感じているわけではないので行く度に発見があるわけだ。
今日はこんなところで。