2005年3月8日

今日はトラステヴェレ地区にあるよくあるバールで休憩している最中に書いています。トラステヴェレ地区はローマの旧ユダヤ人地区で,そのイタリアに似つかわしくない入り組んだ構造と独特の風景は,その地区が現在のように普通に開放された後も残っており,そのどこか御伽噺に出てきそうな雰囲気を利用してひとつの通りがレストラン外になっている地区として有名です。

なお,ここでおいしく食べたい場合逆にかなり奮発した店で食べないといけません。いえ、本当は安くて美味しい店がたくさんあってしかるべき場所なんですけど。中央からちょっと外れているし、入り組んでいるし・・・でもね、どうもガイドブックで長い間レストランの街、として紹介されていたくさい・・・分かりますか。良くある、本ではよく紹介されているのに行ってみたら「ナニこれ!!!」と言いたくなるようなところ。

ここがそういうところだと思うんですよね。

レストランが密集しているからといってその地区がおいしく食べられるわけではないのです。前回この地域でいろんなレストランの前をいろいろ歩いたあげく、結局ぴんと来るものがまったく無かったので仕方なくなんとなく人が入っているところに行ったのですが、値段は結構した割には「これは???」と言いたくなるような料理もいくつか出てきてちょっとうんざり。フライといって、小麦粉で野菜を全部くるんだものを出してきて誰が喜ぶかと。

うん。観光ガイド片手に簡単に見つかるような地域のほうが味は怪しい。まあ、これは世界共通のことなのでそれに従ってしまった僕が悪いだけ。

ちなみにこの地区に行くのは絶対バスがいいです。もしくはトラムでも。絶対にしてはいけないのは真実の口方面から橋を渡っていくこと。あの橋は危ないです。信号ないし、車はまず止まらない。大体、地元民がほとんど通行に使わない、ということが10分ぐらい眺めていたら分かる場所・・・なんかいやな感じですよね。そこまで分かっていて行政がまったく手付かず、ということはその地域が差別されている、ということに相違ないわけだから。日本ではここまであからさまな手落ちってあまり無いので、ちょっとビックリします。

一度した失敗をしないようにすることは大事だとよく言いますが。ぼくは今回もこの橋を渡ってしまってひどい目にあいました。

信号がないのに交通量が半端ではなく,また誰もこないことを想定してみんな運転しているのでなかなか止まってくれません。歩いてわたる場合もうひとつ下流の橋を使ってください。下流、じゃ分からないですね。もうひとつ北西方面にある橋。トラムやバスの多いところです。間違えないように。

散々ひどいこと書いていますけど、散歩するには悪くないんですよ???旧ユダヤ人地区は、隠し通路とか秘密の扉とかやけに狭い小路とか、彼らの生き方に沿った独特の建築概念を生み出したのも事実。ここローマ・トラステヴェレだけでなく、ヨーロッパ中に、ある意味僕らが宮崎駿の作品で見慣れている建物の概念のもとになったものが見られて、非常に興味深い。

僕は彼の作品以外のことはぜんぜん知らないんであれなんですけど、彼はヨーロッパの建築概念を自分の世界観に取り入れて消化して、まったく別なものにするのが巧いですね。少なくとも彼の映画を見る限り、宗教観は彼独自のものであり、もともと作品や建物自体などにあったそれについては出来る限り排除している。ファンタジーを作るには非常にお手軽でいい方法だと思います。

話が大きくそれましたね。ちょっと昔の脱線が懐かしくなってしまって。大体、脱線の無い僕の文章ってあまり面白くないと思うんです。気のせい???




さて、話は前に戻ります。この日はどうしたんでしょうか。写真をまったく撮っていません。多分、美術館に行くのがぎりぎりだったのとすでに結構体力がなくなっていたのが原因ではないかと。

朝はボルゲーゼ美術館に行ってきました。しっかり予約していったのですがどうも規定人数に達していなかったようです。ちょっと遅れていって予約番号すら言わないままにチケットを買いました。おそらく団体のキャンセルが出たんでしょう。大変不機嫌な様子でした。でもね、美術館でチケットの予約をしている人間以外原則的に入れない、という排他的な手順を踏んでいる以上、そういうことは起こるんですよ。それで不機嫌になっていることがお客に伝わるのはどうかと。そりゃこっちも見せてもらっているわけですから文句も言いたくないですけど、もうちょっとにこやかになれないものかな。

寝ぼけていたんでしょう。写真がまったくありませんね・・・正直、行くのは結構手間取ります。最寄の駅は地下鉄のスペイン広場駅なのですけど、ここから遠い。歩いて確実に15分ぐらいかかる。だから朝予約した人はかなり余裕を持っていかないと、予約した時間に間に合わない。僕らは迷ってしまったために20分以上かかってしまった。まっすぐ行けば15分もあれば着くかと。地図はやっぱり欲しい。地球の歩き方だとかなり分かりづらい。

今回は音声ガイド無しで見ることにしました。

前回兄と来たときには音声ガイド付きっ切り。まあ、歴史とかが分かっていいのはいいのですが、いかんせんまじめに全部聞いていると2時間がほんとにきつくなってしまう。まあ、充実した美術館である、ということはよく分かりますけどね。歴史をまったく知らないで作品だけ見ると、時として伝わってこないときがある。

しかしなんと言ってもたったの2時間しかないのにガイドは英語もしくはイタリア語しかなく,再度ストーリーを面白おかしく語ってくれるのはいいのですが作品を見ることにまったく集中している時間がなくなっていくのは非常につらい。制限時間がある美術館ってやっぱりどうかと思う。

ともかくで手ぶらでまずエントランスに。今回非常に面白いと感じたのは床のモザイク。一つ一つのえはモザイクならではの不均等なさまが目立つのですが,この作品の場合はその不均等なさまが逆に心地よい。
後ろから刺されて何とも情けなく振り向く兵士,アザラシのような豹が槍に串刺しにされているさま,猛獣に襲い掛かられているのに驚いているでもまた勇ましくもなく妙に普段どおりの顔をしている兵士。一つ一つの表情が予想を越えたところにありこちらの想像力を掻き立ててくれて非常に面白い。ヴェネツィアのモザイクと違い、古い時代のモザイクは、技術が精巧でないからこそ出てくる偶然の妙が良い。作っている本人も、そのデフォルメ感を楽しんでいるのを感じます。

その横はパオラ・ボルゲーゼ・ボナパルトの部屋。カノーヴァの作品が中心の部屋ですが,カノーヴァの他の作品と比べてダイナミックさにかけるような気がするのは僕だけではないと思う。当時としては言ってみれば一国の姫が裸体を一彫刻家にさらして作品を彫らせるようなことはスキャンダラス極まりないことだった,ということは非常に興味深い話ですが,どうも微にいり細に入りすぎている感じがする。もっとこう,想像力で膨らませることができるところはすべきではなかったか。

まあ、難しいよね。想像力を駆使して作るはずの彫刻が、すでに美に入り際に入り形が分かっているというのは、絵においては悪いことではないと思うのだけど、彫刻、という刻む作業においてはいろんな意味で想像力がしぼむよね。カノーヴァの作品に関しては、僕の住んでいる地方のバッサーノにあるものの方がインパクトは強い。

そしてダヴィデの部屋。このベルニーニの作品のいいところは彼の初々しさでは無いかと思う。まだ円熟期に達していないその技法はしかし内側から沸き出でんばかりの力にあふれている。額に寄せられた深い溝は彼の震撼そのものではないか。時代的にはミケランジェロから発したマニエリズムから向こう側に行きかけているのだけど、行ききっていない、という感じ。それでも、ベルニーニの天才の片鱗はすでに見えている。21歳でしたっけ、これを作ったのが。

アポロとダフネの部屋。右後方から見るべし。まるで木が生えているがごときその様子から突如現れる男女の顔。一人は必死に逃げ,一人は驚嘆に目を見張る。さらに時計回りに回っていくと,ダフネのどこか勝ち誇ったような様子,そしてアポロの嘆きよりもむしろ怒りに近いその感情が見て取れる。その崩壊する世界の危うさをあらわすがごとく二人の間を割って入っているクリスタルのような葉陰は、体よりも多い空間の間に生えつくさんばかりの勢い。

ここまで来るともうただマニエリズムじゃないんですよね。渦巻きのようになって行くだけでなく、いや、始めたミケランジェロはミケランジェロで渦巻きだけじゃないんですけど、その竜巻から生まれて来るものの繊細さが溜息を呼ばずして何を呼ぼうか。ミケランジェロにおける生みの苦しみとでも言うべき内側からほとばしるエネルギー、というイメージとは違い、むしろその渦巻きに翻弄されるキャラクター、という印象がぼくの中にはあります。

プロセルピナとプルトン。必死に泣き叫びプルトンから離れようとするプロセルピナ。しかしプルトンはそのことを一向に解さない。彼の忠実な番犬ケルベロスは悠然とその横に鎮座する。このケルベロス、あんまりにも普段どおり、という感じでかなりにくい。この彫刻でも、ベルニーニ、という人の繊細さが伺われる。

しかし、やはりこの美術館最高の彫刻作品といえば、アポロとダフネですね。

カラヴァッジョの部屋。裸足でイエスとともに蛇を踏むマリア。庶民とまったく変わらないその姿は当時のカトリックのマリア観を完璧に覆すもの。またサン・ジローラモは一人真剣に考える。一人の死すべき存在である人間というものを,常にその身を大気にさらし,常にその手元に人の形の成れの果てを携えて。

神聖なテーマを描くにはやりすぎとも思える写実主義が、彼においてはちゃんと理由があってその手法を取ったと感じるのは、その天才的な構図でしょうか。彼の絵に関しては一人の人間を書いているものよりも、たくさんの人を描き分けていることへ驚きを感じる。一人一人の人間にしっかりと歴史が感じられるんですよね。それぞれの年になるまでにどのような人生を送ってきたかを想像させる。

二階に上がりボルゲーゼの寝室。クラナッハのマリア。どこか少女のような面影を残すその姿はしかし蜂の巣から蜂蜜を救う嬰児の姿もあいまって美しいとただ感じさせる。このクラナッハについてはフィレンツェのウッフィーツィにも似たような縦長の絵があります。この人はタッチが恐ろしく繊細。構図が非常に大胆なのですが、そのあまりに芸術的なタッチのせいで、その構図がかえって生きている、というのが面白い。

ダナエ。金の雲に隠れ天使の姿で現れるゼウスを部屋に入れてしまう彼女。あどけない面影を残すその姿は、ボルゲーゼが追い求め尽くした姿。ひとつの絵を自分の寝室に飾るためにローマ教皇である自分の甥を利用しつくしたぐらいですから、これぐらいは当然なんでしょうが。これで漸く安心して眠れる、でしたっけ、これを部屋に飾ったときのセリフ。

このダナエの姿はとても愛らしく、抱きしめたくなるような気分を起こさせる。美術ガイドではこのような表現は使わないけど、僕が思った素直な感想。まあ、ボルゲーゼのおじさんの気持ちもわからなくは無い。


ティツィアーノ、聖なる愛とと俗の愛。人間のひとつ普遍のテーマ。ボルゲーゼ宮の象徴は幾度となく法外な値段で買い取られようとしたのが阻止された。それは国の宝だから。それは人間の遺産だから。それは金では買えないものだから。

聖なる愛の向こうには堅固なお城、俗の愛の向こうには教会。パトスが守るのが社会の秩序、アモールが守るのが家族の愛。この時代だからあれですか、新プラトン主義に沿ったものなんですよね???あんまり知らないのに書くのは恐縮なんですけど、ガイドに書いていることがいまいち腑に落ちないんで適当に解釈つけました。

ただ、ティツィアーノの真骨頂はやっぱりなんといってもウッフィーツィにあるウルビーノのヴィーナスなんですよ。まあ,この作品はこの時代の道徳観念を絵できわめて壮麗に描きあげているところがすごくいいのは分かるんですけどね。

それにしても、きわめて印象に残るものだけをあげていってもこれほどなのですから,この美術館がいかにすごいかということなのでしょうね。

しかし、こんな調子でウッフィーツィを書いたら3日はかかりそうだ。ちょっと書き方考えます。

ボルゲーゼはこれで終了。もう、朝からがんばって歩きすぎて疲れてます。

このあとまずかったのが地図でろくに確かめもせずに真実の口まで歩いていったことでしょうか。公園で軽くサンドウィッチを食べたまではよかったのですが。距離長すぎ。大反省です。皆さん、バスと言う交通機関はすばらしいです。ちゃんと使いましょう。



このあとローマ・テルミニまで戻って本屋とスピッツィコというファーストフードで時間をつぶした後、ダ・ベニートというサンピエトロの近くのオステリーアに。



魚介の店。進められた通りブルスケッタとうずら豆のパスタを食べました。ともかくすべて絶品。味に関しては文句はつけられない。ぜひ試してほしいですね。via del falco 27 だったかと。しかし、日本人のかたは刺身に関しての評価はきびしいですよね。後で考えたら、ぼくはこっちで刺身をほとんど食べない分、余計にすごいと思ったのかもしれない。

後、要予約。無いと、僕らのように追われるようにして食べないといけなくなっちゃいます。それでも美味しかったけどね。

明日はオルヴィエート。備えて寝るとしましょう。