セビリャの理髪師
(Rossini:Melodramma buffa in due atti)







とにかく、あらすじです。





舞台背景としては、フランス革命の前の、貴族の洒脱の香り残る時代のスペイン、もっと
ありていに言えば、ベル薔薇よりちょっとだけ前の時代のスペイ
ンといえば一部の人にはものすごくわかりやすいでしょうか。そんな時代のスペインは
セビリャで起こった話、という事だけを想像していただけると、とてもこの世界に入りや
すくなります。





この設定を頭に持たない事には、貴族って???という話から説明しなければならず、更
にこのオペラの成立の裏話や、原作の事まで言及していると、真剣に30ページかかって
おわらない、という事態になってしまうので、このまま一気にあらすじに
行かせていただきます。





しかし、毎回細かい話は後にする、と書いてるけど、ほんとにするの
か?ぼくは。(爆)







後、この話が一日という極端に短い時間に終わるのは、コンメディア・フラン
セース(あってますよね?ぼくのフランス語の知識は、発音にいたるまでひじょうに自
己流で怪しいので、何なら辞書で調べてください。多分日本語の辞書にも、
近い形の言葉がのってます。)の原則の一つとして、物語は24時
間の間に終わらないといけない。という意味不明の制約があって、その
原則にのっとった作品を原作にしたからです。この原作を逆手に取った作品は非常に多い
(愛の妙薬はまさにそう。一日で決まるわけの無い事が一日で決まってしまう事への、ア
ンチテーゼといえるでしょう。)ですが、この作品に関しては、とにかくこの制約に縛ら
れています。あらすじに逐次時間を書いておきますので、バカミテー、と思ってもいいで
すし、すばらしい、と取られても構いませんので、そのスピーディーな話の進み具合を見
て見てください。




第一幕


朝靄の中


プラド(美術館で有名な所です。確かゴヤの作品がすごくたくさんある所)で見かけた女の
子にふらふらと後を着いていき、はるばるセビリャまでやってきた伯爵アルマヴ
ィーヴァ(今で言うと完全ニストーカー入ってます。役をやる自分から言ってるので、
そういう突っ込みはこの際却下。)



従者のフィオレッロに手配してもらった楽団をバックに、太陽も出てきた事だし、君もベ
ランダから顔を出して欲しい(くさいですねー。ホントこんなのばっかりです。
え、ぼく?結構こういうの好きです。と言うか嫌いだったらや
ってません。)、と歌うも、厳しい監視の中一瞬だけ顔を出しただけで、すぐすが
ったを消してしまう愛しのロジーナ。(笑)





意気消沈している所に、誰かがやってきます。隠れて様子を見る伯爵。




ここら辺が妙に気が弱くて笑っちゃいますよね。






そしてやってきましたは、この物語の実質の主人公、フィガロ。



ここで混乱させないように、簡単に、事の次第をいったんここに書いちゃいます。言って
しまえばネタばらし。いいんです。なぜならフィガロの役はバリトン。ぼく
がやるのは伯爵。ここでネタばらしをしないで書き続けると、結局ストーリーのキワが何
なのかが全く分からなくなってしまう。そうすると、フィガロだけが目立っ
て、良く分からなくなるのが眼にみえているので、大事な事を書いてしまいます。








結局、このロジーナと伯爵が結ばれるんですけど、このロジーナの後見人(足長おじさん
一人版みたいなものとでも思ってください。ぼくは個人的にはあの話は非常に胡散臭くて
嫌いです。別に募金の事を言ってるんじゃないですよ。)のバルトロという奴がいて、
こいつからロジーナを救い出して、自分の妻にする、というのがこの物語の本筋です。






そうなんです。






ストーリーとしてフィガロは、完全に脇役なんです。ただ、めちゃ
くちゃ目立ってしょうがない脇役で、しかもロッシーニの他のオペラと比べてもそのバリ
トンとして与えられているアリアも重唱もこれ以上無いぐらい美しいため、音楽上では残
念ながら主役といわざるをえないんですよね。でもストーリー上は脇役。この事を注意し
て読み進めてください。




フィガロと伯爵は、もともと主従関係を結んでいて、その縁で伯爵はフィガロに協力を求
め、最後は強引に金でつります。




これ、原作では重要なキャラ設定なんですけど、オペラでは、後半の彼のアリアも全く歌
われることがないので、事実上骨抜きの設定。




金で全部解決する所に怪しさを感じてもらわないと、原作の場合意味がなかったんですよ
ね。




反貴族的雰囲気みたいな。笑えない事に、この作者はこの作品を書いたとき、時計職人者
として、貴族にその生活を保証されていた身なんですよね。要するに、自分とフィガロと
いうキャラクターをものすごく重ねていたんです。


脱線はこれまでにして。(もはや恒例やね)







で、フィガロがロジーナにその意志を確かめに行って、OKという事を確認したのち、行
動に移ります。(うわー、気合の入ってない書き方。バリトンの人が見たら絶対怒るな。)





忘れてましたが、その前にバルトロの親友(脂ぎったおやじ同士、と考えていただくと、
非常に話が進めやすい)、バジリオ(ちなみにロジーナの音楽教師)、俺が町中に伯爵の
悪い噂を流して追い出してやると息巻きますが、バジリオ、そんな友の案を十分とせず、
今日中にロジーナと結婚する事を取り決めます。(こんな大事なプロットを忘れるなよぼ
く。)他人を信用しない、というキャラ設定は、深く見ていくと非常に興味深いですが、
そんな事をしているといっている通り30ページじゃ終わ
らない作品なので、さっさと次に行きましょう。






後、知らないと絶対分からなくなる設定として、伯爵は身分が高いのを隠すため、自分の
事をリンドーロという仮名で読んでます。ちなみに恋人の代名詞のような名前です。
更に言うとフィガロは色男、という意味すらあります。ロジーナは薔薇の花を連想される
名前。バルトロは劇中でもしょっちゅう出るとおり、野蛮人、などいやな言葉に非常に近
い名前です。どれもいい名前だと思いませんか?




さて、もう時間は昼前。急がないと24時間終わっちゃいますよ
ー。(笑)





伯爵、よった青年将校の振りをして、バルトロの家に泊まろうとするが失敗。警察が来る
わ、正体(伯爵です。リンドーロではありません。キワとしては、ロジーナは
この事を理解しない。・・・無理ありますよねえ。二人とも舞台にい
るのに。コンメディアフランセースにありがちな設定。)もばらさなくてはいけなく
はなるが、大変な事になったけど、一番大切な手紙は渡した、という所で1
幕終了です。



第二幕


昼食後



伯爵懲りずに今度は音楽教師として登場。バルトロは風邪引いていたことにして、ロジー
ナに稽古をつけに来た事にしましたが、彼の事を全く信用しないバルトロ。しょうがなく、
自分がロジーナから受け取った手紙(すいません。1幕での
やり取り、バルコニーからロジーナが伯爵に手紙を投げる
んです。書いてなかった。この場面のプロットとして、重
要です。)を見せた挙げ句、リンドーロについて虚偽且つバルトロにとって
有利な事を耳に挟ませ、信用させて、その場を逃れる伯爵。





そこに、ロジーナが登場します。おたがいの意志を確かめ合い、フィガロも登場。見事う
まい事バルトロの家の鍵も手に入れます。






これで万事うまくいくと思いきや、バシリオ登場。ここもうまく脅迫と賄賂で
解決を図る伯爵。(うわ、書いててすげーいやな気分になっ
て来たのはなぜ?)とりあえず撃退。




しかし、事の次第、伯爵の正体に気が付いたバルトロは、全員自分達の家から追い出し、
更にロジーナに、リンドーロはロジーナを伯爵に売り飛ば
すために画策しているに過ぎないと告げます。





夕方





嵐。







冗談ではありません。







ロッシーニは、話のややこしさを全部一回水に流すため、喜劇系の作品では必ずといって
いいほどこの嵐を途中に挿入するんです。そのあまりの展開を、一回頭の
中で理解しないまでも、どうでもいいや、二人がくっつけ
ば、という気分にさせるための効果抜群です。



更に夜




はしごを使って窓からバルトロの家に忍び込むフィガロと伯爵。もはや
盗人同然(笑)。しかしその盗むはずの当の本人ロジーナが怒り狂って登場。二人
もあまりの事に呆気に取られます。





その怒り具合から、本当にリンドーロとしての自分を愛していた事を見て取り感動した伯
爵は、ここで初めて自分の正体を明かします。




これはもう、ベル薔薇読んでないとあまり良く分かんない世界だと思います。











要するにこれ、仮面舞踏会の実生活のパクリみたいなもんなんで
す。



要するにしょっちゅう似たような事は起こってたわけですね。そう、たとえるな
らマリーアントワネットとハンスアクセルフォンフェルセ
ンの様な。(一部読者を30光年ほど向こうに置いていってしまいました。まこ
とに申し訳ありません。)





ともかくも誤解が解けます。




事件発生。はしごが見つかりません。







悲嘆に暮れる3人。しかし、そこに都合のいい事に、弁護士を連れて、バジ
リオが家の中に入ってきます。



またまた脱線しますが。


ここで心理学的に興味深い事が一つあります。





はしごはあがってこれるけど、降りていく事はできない。



これは暗に男性の中の恐怖心を表してます。

話としてはこのまま終わってしまえば一番良いはずなのに、はしごで下に降りていく事が
できないんです。




足場の不確かな下に降りる、と言う行動に対する無意識の拒否が、場面すら動かしている
とみてもいいぐらいです。






気が付いていない人も多いと思うんですけど、飛び降りる、下に向かうと
いう行動をするのはいつも女性なんです。




トスカ然り、ケルビーノ然り。(勘違いするなかれ。役としてではなく、歌う人の性別と
して。女性だから、ナチュラルな行動にみえるのよ。同じ落ちる所で、庭師は叫ぶけど、
ケルビーノは声すら上げない。それは決して勇敢という意味で取れる
ものではないのです。そう取る人が多すぎて困るけど。間違いなく、ケル
ビーノの破綻の暗示(女性の心が分かり過ぎる事から来る)
なんです。それが証拠に、3部作の最後の作品で、ケルビーノとロジーナ(この作品と同
一人物。ちなみにこの作品は第一作)の間に子供が出来てしまう。イヤー、この原作
書いた人、黒すぎます。(泣))




男は逆に上って忍び込む事が多い。たとえ下に降りるとしても、必ず安心できる足場が必
要なのです。銃殺では死ねるけど、飛び降り自殺はできないんです。考えてみると、
男の飛び降り自殺って少ないですよね。(激爆)




昔、河合隼雄さんの著書で読んだような読まなかったような。








男性は降りる事、女性は上がっていく事への無意識での深い抵抗感がある。








実際はともかく、オペラの作品に関しては、結構当てはま
ってるんじゃないでしょうか。




そんな中で、フィガロは飛ぶは跳ねるは、縦横無尽で、まさにスーパーマン的存在なわけ
です。(あーあ、結局バリトンの役の事を誉めてるし)



話戻ります。





ところでみなさま。この時代は明かりといえば、ローソクだけです。この場面は伝
統的にはローソクの火をキャラクターが持つ以外は、薄暗い地明かりの中。(青のみの光
を一般的にはさします。)




その暗がりを利用してかしないでか、バジリオと弁護士に忍び寄るフィガロ
と伯爵。ロジーナを自分の姪として、伯爵との結婚を承諾させようとし、そこで抵抗
しようとしたバジリオに、伯爵、銃を突き付けます。








あーあ、行くとこまで行っちまったよ。(滝泣)








正確に追うと、ほんとに力ずくなキャラですね。正直、知らなかったです。
(何度も楽譜読んでるんだけど、ここまで客観的に見たことはなかったので)でも、基本姿
勢はいつもさわやか。大会社の重役とは皆こんなもんなんでしょう。
(推測)



ともかく。(何度目の脱線ですか?)



そして二人は結ばれます。






そこにバルトロが来て、楽譜通りにやれば、伯爵の二面性も垣間見れて面白いのですが、

(いや、レチタティーヴォ(セリフみたいなもの)の中ではけっこうはっきりとみえているん
ですけど、アリアで分かる場面はここだけです。まずカットされるので、ほとんど
の人は一生聞く事のないアリアです。ぼくですか?そりゃ、歌ってみ
たから知ってます。ぼくは軽い声なんで歌えるんですけど、繰り返しが多くて長い割には
どっかで聞いた事ある旋律だし(まるっきりシンデレラの中のアリアと一緒。伴奏と歌う
人は違うけど。)、何かそれまでの事を考えるとこの歌ではっきり自分のキ
ャラが二重人格である事が判明する事もありあまり好きではありませ
ん。)普通は大々的にカットして、二人が結ばれてエンドです。







結婚式は深夜。どたばたにもほどがありますが、一日で話
は終わるわけです。さすがはコンメディアフランセース。






ちなみにバルトロはロジーナの遺産(すいません、また説明してなかった。莫大な遺産も、
彼女は未成年である事からバルトロが後見人としてついていたんです。それゆえバルトロ
が非常に胡散臭い、と言う設定が発生するわけです。)が手に入る、と言う事で納得して
ます。










結局、最後まで金で解決してます、伯爵(再滝涙)











・・・いやな落ちだね。(ため息)





足りない所もたくさんありますが、以上の事を知っていれば、話は普通に追えます。後は
目立つキャラが多いので、気を取られ過ぎるとどこに話が行ってるのか分かんなくなる、
と言う面もありますが、非常に良い作品、まさに古典中の古典である事には変わりありま
せん。


準備して書いたわりにまだむだな脱線が多いですね。(実はほとんど後から書
き足した私。)考えないといけません。


こんな所で、セビリャの理髪師、終了です。