愛の妙薬
(Donizetti: Melodramma giocoso in due atti)



いきなりですが

これはあまり筋と舞台背景を知らなくていい作品です。

役者のやっている事を見ていると、だいたいどういう事が起こっているのか分かるんですよ。

こういう事は、これまで取り上げた二つのオペラから考えるとありえない事のようですが、いわゆるオペラ・ブッファ(直訳すると可笑しいオペラ)に属する作品は、往往にしてそういうものなのです。

なんせ、お話の主人公が、大抵どこにでもいそうな若者を取り上げている事が多く、史実を扱っている事が少ない。史実が関係しなければ、舞台背景や時代設定にさほどの気を配る必要はなく、そのためオペラ中の人物達がどういう精神状態にあるのか、という事さえ把握していれば、だいたい話を追って行けるんです。

それでもあえて取り上げるのは、僕がよく歌うから。

正直言って、昔はあまり好きな作品じゃなかったんです。馬鹿みたいな主人公が簡単に悪い奴にだまされているうちに、いつのまにか御都合主義でどんでん返しでハッピーエンド、という、あまりにもお約束な展開が、王道過ぎるが故に、拒否反応を示していたんです。

しかし、2回、3回と見ているうちに、ああ、ラブコメの典型みたいだと思っていたこの作品には、実は役者のよさを生かす所が満載で、この場面はこうしなくちゃいけない、というお約束に縛られているというよりもむしろ、こう演ずる事にしびれを感じるべき(自発80、義務20という感じ)作品なんだなあ、としみじみと感じる
ようになってきました。

とにかくテノールと名の付く人は、これを歌わない人はいないのでは、というほど誰もが歌う作品なので、これを歌うという事自体に自らの存在を主張する事はできないんですけど、(その点清教徒は、それを歌うテノールの事を「清教徒歌い」と称するぐらい性格的特異性がある)歌い込めば歌い込むほど味が出るという点に
於いては、なかなかこの作品に優る物はありません。やはり、人間にとってもっとも根源的であるテーマの一つの「同郷のよしみ的」恋愛感情を取り扱っているからなのでしょう。


さて、頭でいきなりほとんど舞台背景を説明する必要がない、と書きましたが、それでも、アリア、重唱の抜粋などで、音楽だけで取り上げられる事が多すぎるといっても過言でない作品のため、ここに、これだけは頭の中に持っていた方が良いのでは?と思われる設定をまず書いておきます。

物語は、森の奥は川のほとりの村にて起こる。

全体的に、夢見がちな話題であるために、薬売りであれ、田舎将校であれ、外から来た圧力がそこにあるという事を強調するために、人々が純朴であるというという事を納得させるために、絶対に必要なイメージだと思うんです。

機械的、金属的な物に囲まれた状態で演じられると、それは単に周りの物に気づこうとしない主人公達が悪い、という風に感じてしまう。そのために、気づこうにも気が付かないという事態を作るために、すべてこの舞台自体が夢見がちである、という事を見ている人に了承してもらわないと、ここは笑わなくては行けないから笑う、みたいなお約束で強引に持っていくしかなくなってしまうんです。

そう、キーワードは、夢見がち。

それでは行ってみましょうか、あらすじ。

第一幕

不器用で物怖じで貧乏な青年。これがこの物語の主人公ネモリーノです。

そんな彼が恋をしているのは、館に住む美しい金持ちの、しかしいつもあっちやこっちに飛び回り、とても気まぐれな娘、アディーナ。

ラブコメとして一つの典型をここに見ている気がしませんか?

ここに一人、外から来た若者が登場します。その名もベルコーレ。ちなみに直訳すると「美しき心」。イタリア人ならまず間違いなく、胡散臭さを感じる名前です。

ちなみにネモリーノという名には、その音感として、森の静けさと同時に妄想に取り付かれている、というイメージを引き出すそうです。詳しい事はよく分からないので、本からの転載みたいな物。今度友達に聞いて、裏の章で説明します。

そしてアディーナは、その1年ほど前のベッリーニの作品「夢遊病の女」の主人公、アミーナを想起させるための名前だそうです。ちなみに、夢遊病のアミーナに対して、この作品のアディーナはきわめて現実的であろうとする、まさに対極的な設定。相当なライバル心をここに垣間見る事ができます。

いつもながらの大脱線。話をベルコーレに戻しましょう。

さてくだんのベルコーレ、取り合えず見かけは寸分の隙もない白馬の王子様。実際、設定に、白い武装で戦う事を好む、という事まで書いてある徹底ぶり。

アディーナは心引かれるも、どこかピンと来ないのか、そう簡単には落ちません。うまい事言って彼のモーション(死語です。でも、この言葉が一番しっくりくる行動なんです。)を退けます。

それでも気が気でないネモリーノ。自分も意を決して大告白にかかります。

だが設定どうり、とても不器用で、自分の想いをそのままストレートすぎる状態で口にしてしまう(二言目には死ぬ死ぬ言ってます、彼)ため、アディーナの心を捉えるにはいたりません。

ここで一つ。次に書くことはさすがに歌っている内容が分からないと、絶対に分かりませ
ん。

アディーナ、彼がとても慎み深い、という事を認識します。

要するに、この点に関して明らかに、ベルコーレより気に入るんですよ。

でもですよ。

慎み深さ、という物が共通して共感にまで及ぶ、という事態は、故郷が同じであるからこそ起こるともいえるんです。

ものすごい極端なたとえをすると、日本人にとっての慎み深さとイタリア人にとっての慎み深さというものは全然違うんです。

要するに、この二人の恋は、この深い森に包まれた森を互いに故郷をするからこそ生まれた恋だともいえるんです。

先進みましょう。

自分の捨て身のアプローチ(これまた死語か?でもほんとにそんな感じの行動)がうまく行かず、絶望していたネモリーノ。

ここにまた、新たにトリックスターが登場します。

その名もドゥルカマーラ。薬売りと称して、二束三文のワインを人々に売りつけてます。(書いててふと思ったけど、どいつもこいつも池田理代子さんのマンガ並みに濃いですね。)

そのどんな薬でも持っているという売り文句に引かれて彼に近づくネモリーノ。

ここでネモリーノは、ドゥルカマーラに、トリスタンとイゾルデ(ワーグナーもオペラ化した、ドイツ系国民に伝わる神話)に出てくる、イゾッタ姫の愛の秘薬(すなわちこのオペラの題、愛の妙薬)を持ってないか(書き忘れましたが、出だしでアディーナが、そんなものがあったら欲しいもんだ、と言ってます。この物語全体に対する、非常に暗示的な言葉ですね。皆まで言うなら、彼女にこそそれが必要だ、という事。直接的にではないにしてもです。)と聞きます。

もちろんそんなものもっている分けないですが、ここは外の世界から来て悪い事を沢山知っているドゥルカマーラ、一日遅れの秘薬と称する瓶を彼に手渡します。その一日で彼は逃げるという算段なわけ。状況が切迫しているからか、簡単にだまされるネモリーノ。早速飲むと、中身がワインであるゆえに、あっというまに酔っ払います。

そこに再びアディーナ登場。

なにやってんだ、って感じの所で、さらにそこにベルコーレがやってきます。

そこで何と、ベルコーレはアディーナにプロポーズ。しかも、アディーナ、これを受け、しかし式は6日後にしようといい、これを聞いたネモリーノは、それなら明日には彼女はぼくの物さと大喜びすらします。

その態度にかちんときたアディーナ、さらにベルコーレに突然下る辞令。今日旅立つことになった彼に、彼女はそれなら今日結婚しようといいます。お互いの精神状態を表現した後に第一幕終了。


第二幕

だれてますね。加速しましょう。

さて、取り合えずネモリーノが見当たらず、それではあてつけに結婚する意味が無いアディーナは式を数時間遅らせます。

その間、一文無しのネモリーノはベルコーレと取り引きして、兵隊になる代わりに20スクーディ(まあ、ワインぐらいいくらでも返るお金と取ってください。)を手に入れ、早速ドゥルカマーラから「愛の妙薬」を買います。

そんな彼の知らない所に、弁護士がやってきて、彼の叔父が死んで、彼に莫大な遺産が残った事を皆に告げます。

ここで一つ。この時点で、ネモリーノ以外はこの事実を皆知っています。これ実は、とても重要。台本にはこう書いていますが、アディーナも知らない。要するに、彼らは共通の夢の中にいるために、他の侵害を受けないんです。都合の良い所ではトリックスターを利用するんですけどね。

さてさて彼の周りに群がる人々。彼は遂に妙薬の効果が表れたかと、それまで意気消沈、廃人になりかけていたのが息を吹き返します。

そんな中、ドゥルカマーラと話すうち、ネモリーノが自分に目を向けてもらいたいが故に兵隊として自分を売ってまで「愛の妙薬」を買ったという事を聞いて、今までの自分の行動を省みて愕然とします。

彼女、彼がそこまで本気だとは思ってなかったんですね。いつまで経ってもよくある話です。

そしてその彼が今皆の愛を受け(なぜそうなのか、という事は今の彼女にとってさほど重要ではないんです。)、誰でも選べる状態にある今、彼の愛にこたえなかった事を悔い、思わず涙が零れそうになるのをそのままに、その場を去ります。

そんな彼女を見ていた彼は、その涙がじぶんのための物であるという事を夢見ながら、一人自分の世界に戻ります。

何といってもここがこの作品のキワ。ここで彼があれほどの人間に囲まれながら、彼女以外は何もいらない、という話しの流れをちゃんと理解してみていると、思わずここで素で泣いてしまいます。

このアリア「人知れぬ涙」は、そういう意味で、オペラ作品がオペラ作品である所以の曲として、世の中に知れ渡っています。

構造の話はここまでとして、

そこにやってくるアディーナ。もはや自分には手立てが無いと思ってきている彼女は、旅立つネモリーノの事を止めようともしません。そのことに驚くネモリーノ。彼女が手に入らないんだったら、彼にとって、もはや人生なんて何の意味も無いんです。

そこでベルコーレの持ってきた契約書(兵隊の契約)を彼女に返しながら、彼は彼女に宣言します。

君に愛してもらえないのなら、ぼくはこのまま兵隊として死にに行く。

この言葉を聞いたアディーナは、彼の愛が彼女のみに向けられている事を確信するのです。

遂にお互いの気持ちが結ばれる二人。

そんな中、二人に告げられる叔父の死と、それによってもたらされる莫大な遺産。

村は総出で、愛の妙薬の副次的効果によって結ばれた二人とともに、それをもたらした部外者のドゥルカマーラの旅立ちを祝福して、物語は終わります。要するに、トリックスターはその役目を終えたので消えるわけです。

いやあ、この作品を王道といわずしてなにが王道だろうか、という感じですね。

3つめにして初めて完全に近い形(と言っても村娘ジャンネッタの説明がまったくありませんが。彼女、事実上ストーリーにまったく絡んでないんですけど、元になったフランスオペラ「Philtre」の影響で外せないキャラだったんでしょうね。)でレビューとなりました。

はしょらないで、ちゃんと書くとほんとに長くなるんですよ。そう言いつつも途中はしょりまくりましたが。
次からはまた基本的に自分の役を中心に短くまとめて書いて行こうと思っている次第です。

ここまで書いて確かめたんだけど、他と比べて1ページちょっとしか長くないじゃん。でも、舞台背景の説明が皆無に近い事を考えると、かなりあらすじに時間がかかっているという意味では長かったと思います。

ここまでお疲れ様でした。次はなに書こうかな・・・