旅日記1
幻の大陸「八重干瀬」 昨年
(平成15年)千葉の友人松井さんから「八重干瀬ツアー」のメールを頂き、本年(平成16年)は是非と思い1月上旬からインターネトで探し、下旬に問い合わせると希望の3泊4日コースは締め切り、2泊3日
コースの最終日に兄弟7人の申し込みが出来た。このツアーは旧暦3月3日の前後併せて3日のみの人気コース。近ツリの場合は12月中に手配されるのがベストかと思う
このコースの魅力は自然の神秘さも然る事ながら人々との触れ合いもまた楽しい。宮古島のボランテイアーの方々が同行し珊瑚礁の話から宮古島の伝統まで何でも親切に説明してくれる
。往復の船旅と地元の方の沖縄の歌が哀愁を誘い、ここでは時の流れが違うように感じた。そして帰路は刺身の食べ放題に泡盛の飲み放題と時の経つのを忘れるほどの持て成しに見失しなっていたものを思い出させられる
。願わくば何時までも俗化しない島であって欲しい。(以下文の一部は地元のガイドブック等から引用)
宮古島と来間島 写真左より宮古島と来間島(くりまじま)の隔てる
美しい珊瑚(黒く写っている部分)の海(1.5km)本州では強く臭う潮の香りが気がつかないほどしない、綺麗な海はこんなところも違うのかと感心する。 来間大橋1995年3月開通日本一長い農道橋(1,690m)
橋の上からイカの泳ぐ姿を発見、バスが止まっても渋滞にならない長閑さがまた良かった。 来間島港から前方の白い砂浜がトライアスロンの水泳競技コース 日本百景に選ばれた白亜の灯台が美しい東平安名岬(あがりへんなざき)
(東が「あがり」なら西は「いり」と呼ぶ、方言とは面白いものである) 灯台の右側太平洋、左側東シナ海 岬に自生の白百合は太平洋と東シナ海からの強風で茎が短いのが特徴 プラスチック一つ浮いて無い透明
な瀬
が美しい
八重干瀬(やびじ) 写真左より船内風景 蛇皮線と歌が旅の郷愁を誘う 群青の先に池間大橋(L1,425m) 姿を現してきた八重干瀬とブイ 上陸に備え仮設橋を取り付ける船員とボランテイアーの方々
ドウと呼ばれる八重干瀬最大の干瀬(地元漁師はドウと呼び 胴の意味)(4x1km) 下段左より海の中に居ることを忘れるほど果てしなく広がる干瀬 潮溜まりの大きな珊瑚礁の団塊 干瀬の色は様々
潮が満ち小さくなる干瀬、
一年後にまた神秘な姿を見せてくれるこの八重干瀬は南北10km東西7kmの海域に大小100余りの珊瑚礁群から成り、池間島の漁師は多様な環境の違いを認識し130余の地名を現在に伝えている。僕達が見た干瀬はほんの一部だがそこに生きる動植物を見ると自然の摂理に驚かされる。
干瀬の世界 写真左上段のヒトデは判るが後は蝦蛄とウミウシ?撮影は出来なかったが60〜70Cmのウツボや蟹に出会う。藻や貝の
名は判らないがその美しさに驚く。いずれの動植物も居を構えている端麗な様は小宇宙を見る思い。
ダイバーが見る珊瑚の海の美しさはこの比ではないと聞かされるが地上には無い神秘な美しさに感動。写真の一部は珊瑚礁の断片を裏返して撮影したものある。
竹富島 西表島 由布島 写真上段は竹富島 この浜だけにある星の形
をした砂(珊瑚)のある星砂の浜、星の形 をした砂(珊瑚)で星の字を描いてみる(一袋200円)。静かな波が印象的、島の娘さんたちがキーホルダーを売っていたが、買う人は居ない。島の特産品でも売ったらと思うが?。家や案内板は沖縄地方独特の瓦の色が旅の気分を高揚させる。下段は西表島の仲間川のマングローブの密林 5km上流の折り返し点のサキシマオウの木、根が板のように発達し湿地帯でも倒れたり傾かないように環境に適合して成長している。
環境に適合できるものだけが生き残るのが自然界の掟のようだ。 西表島から由布島への往復は水牛車で浅瀬を渡る。水牛の歩みは確かだが時間が止まつってるようにユー
クッリしてる。御者の奏でる蛇皮線の音に吸い込まれながらこの地の歌を
口ずさむ。水牛も色々追い抜く水牛もいれば抜かれる水牛もいる
どの水牛もマイペース
の歩み。それが競争社会を生きてきた者には反省と楽しさを倍増させる、長閑な牛車の一時 由布島を望む西表島の瀬
カメラを水牛車と由布島に向ける者は多いがこの神秘的瀬に向ける者はいない。
八丁の湯へ 鬼怒川温泉駅から女夫淵まで1時間50分の栗山村村営バスの旅は素的な雪景色に時間を忘れる。左手に蛇王の滝(左)川俣湖にかかると氷結しない湖面は雪の白さに対抗するような色鮮やかな青、そして白の氷結湖面、褐色の山肌、紺碧の空思わず溜息が漏れる(左2)コントラスト。終点女夫淵に着くと目に飛び込むのがこの砂防堰堤(中央)、山を守る堰堤がここでは景色の主役のようである。迎えのバスで林道を走る渓流の速さが流れの中に亀を作る(右2)自然の力に神秘的なものを感じる。雪の深さに驚くと同時に人の足跡は言うに及ばず獣や鳥の足跡一つ無い雪景色に懐の深い秘湯に来たと感じた。

樹海ラインと八幡平 岩手・秋田の県境に横たわる火山台地に至る八幡平南麓のブナの樹海を縫うように走る景色(左)は自然にスピードが落ち溜息の出る絶景、走り過ぎるには忍びなく
狭いい駐車場にその都度車を止める。湿原、湯煙を上げる噴湯等在り。八幡平山頂遊歩道からの雄大な景色はそのスケールの大きさに驚く
、また八幡沼、ガマ沼の散策もよし。見返峠を越えブナ林道を少し下ると大深沢展望台、岩手TVも資材に来ていたほどの絶景のポイント。藤七温泉から蒸の湯温泉(中央)、後生掛温泉そして玉川温泉に至る秘湯は癒しに最適の環境、温泉の梯子をしてみたい秘湯銀座
か。
角館の武家屋敷 枝垂れ桜の咲く時期が一番と言うが10月のこの時期でも黒の板塀が続く街並み、武家屋敷のイメージを変える樹木に覆われた屋敷風情は流石と言う感じ。この地の武士は禄が低く幕末近くは殖産に励み家屋を維持してきた。その血を引いた子孫が今も商売に励んでいる。公開武家屋敷の中で有料の石黒家と青柳家は規模・展示品で群を抜き、その経済力と地域への影響は計り知れない。広い道路を挟んだ街並みも素的だが屋敷内の古樹と建物のバランスに時が創り出した歴史の重みに感動を覚える。桜の時期には別な感動か?
白石城と武家屋敷
仙台市と福島市に挟まれた白石市は伊達政宗の傳役として仕えた片倉小十郎影綱の白石城を平成7年21億円をかけて日本古来の建築様式に基づき木造により復元した。城内の木造構造は必見に値し、この様な技術が宮大工によって継承されていることは嬉しい限り。
城内には片倉家の関わりの深い「横綱の碑」や18代横綱大砲万右衛門の銅像あり。左二枚は中級武士の屋敷、
正面に水流を巡らし、守りと景観を兼ね備え、清流は今も変わらず流れ続けている。塀、軒及び天井は低く当時の武士の身長の程が推察できる。武家屋敷は唯の一軒なのが寂しい。

中尊寺・毛越寺 30数年ぶりの
旅、本堂や金色堂は記憶にあるが他の堂や杉の大木に覆われた急な月見坂(左)の記憶もなく、途中の眼下の景色の様変わりに驚く。国宝白神神社の能舞台(左2番目)は訪れる人も少な
く一人舞台を眺めると様々な思いが去来する。月見坂入り口下30Mの所にある弁慶の墓(中央)、遺骸がこの地に葬られお墓として五輪搭が建てられた。芭蕉は「色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊」と詠んでいる。毛越寺 大泉が池
(右2番目)を中心とする景観は記憶の通り、無粋な小生にもこの眺めは飽きない。浄土庭園とは良く名づけた。義経を慕って旅した芭蕉が高館を訪ね詠んだといわれる「夏草や 兵どもが 夢の跡」の句が芭蕉の真筆を刻んだ碑が入り口右先
(右)に、これを新渡戸稲造が英訳した碑が左側に
The Summer Grass tis all That,s Left of Ancient Warriors Dream (tisはIt isの略)とある。初めて知る。

吾妻渓谷 雁が沢橋から八つ場大橋までの約3.5Kmにわたる渓谷は関東の耶馬溪とも呼ばれ、昭和10年に国の名勝に指定された。国道145号線沿いからの眺めも素敵だが鹿飛橋からの1.8Kmハイキングコースが素的。この写真はハイキングコースから撮影したものです。白糸の滝、栃洞の滝の外に小さな滝や小蓬莱からの展望が心地よい疲れを癒す
。一歩遅れた紅葉も寂しさを覚え高齢者向きの散策であった。
銀山温泉 銀山は1,456年(康生2年)金沢の人儀賀市郎左衛門が銀山を発見、1,631年に最盛期を向かえ1,689年(元禄2年)に全山廃山となる。この間銀山で働く坑夫たちが川中に湧く温泉を発見し疲れを癒した。1,741年(寛保年間)頃温泉地として盛んになる。 湯花が混じった乳白色の含食塩硫化水素高温泉。画像左より銀山川を挟んで並ぶ14軒ほどの木造の旅館、三層、四層に重なる屋根に特徴、左2番目は旅館街を出ると白銀の滝、左3.4番目は蛇行する銀山川、右はおもかげ園、絶景の地これより山腹は坑道
鳴子峡 高さ100mにおよぶ壮大な峡谷、断崖絶壁をぬう2.5kmの遊歩道は仙境の地、紅葉はタイミングよい時期で久し振りに紅葉を堪能した 。 画像は左より 峡谷より観光ポイントの大谷橋を見上げる、左2番目はこのような砂防堰堤によって美しい渓谷美が守られている、左3.4番目は断崖絶壁を切り開いた遊歩道からの渓谷美、右は西日に燃える鳴子峡