飛鳥が区切りの良いところまで終えて顔を上げると、様々の驚き方をされていた。 ポカンと口を開けている者、目を見開いて立ち上がる者。
羽鳥は。と見やると、ひどく透明な眼差しにぶつかった。 透明な眼差し 透明な表情。 無表情というのではない。 そのような負の印象はなく、表情を乗せる前の素の顔なのだろう。 相当珍しい。 作る余裕もなく驚いたのか? そんなに酷い演奏だったろうかと、見返すとキョトンと2、3度瞬いた。 それから一瞬の間を空けて、ニッコリ微笑んで一言。 「決まりですね」
こちらを向いてはいるが、丁寧語なのだから飛鳥に言ったのではない。 事実、その言葉によって、その場に居たほぼ全員がハッとしたように飛鳥を見詰めた。 訳も分からずに注がれる視線が落ち着かず、落とした視線の先には先ほどまで吹いていた横笛。
初めて手に取ったそれは、ひどく手に馴染んだのだ。 羽鳥の方は、かなり早まったとはいえ予定された事だったので、多少の心得はあるようだった。 恙無く指示された曲を吹き終え、形式というか試しにと飛鳥にも渡されたそれ。 どこをどの指で押さえるかを教わって、試しに音を出してみろと言われて。
指は勝手に動いた。 先程羽鳥の吹いたのはこのような感じだったろうか。ああでも、ここはこの方が良い。 気付けば全く違う曲になっていた。いや、曲になっていたかどうかも飛鳥自身には判断が付かない。 我に返って周りを見回せば、あとは上記の通り。
「決まりです、ね?」 もう一度、強調するように羽鳥が言った。 ザワリと辺りが騒がしくなった。
「い、いやしかし代々第一子が継承することでじゃな」 「掟破りと謳われる子鞠山の長が異な事を。古臭い因習よりも実力を優先させぬなら、行う事の意味すらありません」 掟破りと評された住職がしばし絶句して、それから吹き出した。 「くっく、確かにのう。じゃが本家の石頭どもが黙っておるまい。形だけは取り繕う必要があるぞ」 「では、僕が迎えで飛鳥が送り。よろしいでしょうか古のみを大事にする皆様方?」 形こそ疑問だが、それは宣言だった。
その場は荒れた。 暴言を吐いた、失敬なと詰られていた場を、用は済んだのでと有無を言わさぬ笑顔で退室する羽鳥について、飛鳥も部屋を出た。 状況が理解できなかったので、あてがわれた部屋に入ってすぐに羽鳥を問い詰めたところ、 「だから、飛鳥ちゃんが当代送り手になったんだよ。」 「は?」 「生まれ来る命を迎え、留まる命を去り行くよう送る。その担い手」 あぁ、立場上迎え手は僕だけどね形式的に。そう軽く告げる言葉が、全く分からない訳ではないのだけど。 「重要な・・・・・・役に聞こえるんだが」 「一族最重要責務」 さらりと肯定された。 「何で俺が」 「・・・・・・自覚ないんだね。気付かなかった?長い間、形だけの送り手だったせいで、空気が澱んでた。 僕は息するのも辛かった。それが一掃されたのに」 そこはかとなく息苦しい、とは思っていた。でも、あれ以来ずっとそうだったので、取り立ててどうとは感じなかった。そもそも精神的なものかと思っていたくらいだ。 「けっこう劇的な変化だったんだけど・・・・・・・・・まぁ、飛鳥ちゃんに気付けってのは無理か」 「悪かったな鈍くて」 「違くて。飛鳥ちゃんの周りっていっつもキレイだからさ」 「綺麗・・・・・・?」 「うん、取り巻く空気が綺麗。纏う気が清浄。一番楽に呼吸ができる」
気のせいでも、偶然でもなかったね。 羽鳥はそう言って、コツリと飛鳥の肩に額を預けた。少し熱っぽい気がする。
「馬鹿にしてたわけじゃないんだけど、舐めてたのかな。君の事も、僕の事も」 「何の話だ」 「えーっとさ、概ねだけど周りから、僕は器用で割となんでもこなして、飛鳥ちゃんは真面目な割りにちょっと不器用・・・・・・って認識されてるようなんだけど」 「知ってる」 そして正しい。 「本当に、そうだった?」 「どういう意味だ」 「本当に、真面目に・・・・・・違うな、真面目にやってるのは知ってるんだけど・・・・・・。じゃあ、絶対に。僕に敵わないと思った事は?」 「だから、どういう」 「僕の認識ではね。そんなのはちょっとした誤差でしかなくて、僕ができる事は、本当にその気になれば全部君にもできると思ってたんだ。飛鳥ちゃんは、違う?」 「そんなはず、あるか」 「本当に?どう頑張っても、絶対に、自分にはできないって事、ひとつでもあった?」 敵わなくて、歯噛みした覚えは片手で足りない。 そう言えば、羽鳥はよく『僕に出来たんだからきっと出来るよ』という意味合いの事を言っていたような気がする。 何だ、本気だったのか。
「そっか。じゃあ分かってなかったのは僕だけなんだね」 憑き物が落ちたよう、だと思う。羽鳥の印象はさっきからずっと。 「誤差だと思ってた。その気が無いんだと思ってた。飛鳥ちゃんが出来る事はどうにかすれば僕にも出来るんだって思ってた。予想外の事してても、その状況に置かれたら僕もそうするものなのかと思ってた」 ・・・・・・・・・、それは否定できない。 多分飛鳥も、同じ事を思っていた。信じていた。疑う事などなかった。 初めての例外が、今この時。 何を言っているのか、何が言いたいのか全くわからなくて、少し怖かった。 まるで、違う生き物のように。
・・・・・・・・・ちょっと、待て。 今、何を考えた?
「さっきまで、そう思ってた。本当はとっくに知ってた筈なのに、見ない振りしてた。でもね、僕にはどうしたって出来ない。君にしかできないって、思い知らされたよ」 「何、が・・・・・・」 羽鳥の声が、どこか痛そうだ。怪我でも我慢しているように。 飛鳥の声も、掠れている。きっと予感があったから。 「飛鳥ちゃんは、火だね。容赦なく、そして隔てなく全てのものを清める。僕が思ってたよりずっと強い」 きっと、それは。
「僕は君じゃない」 その衝撃は、きっと断ち切られる痛み。 「僕は君じゃない。君は僕じゃない。同じじゃない。 一緒に生まれたけど、一緒に死ぬわけじゃないって事、認めるのは痛いけど。 僕の居ない所にも居られる。僕に出来ない事がきっとできる」
今まで、と羽鳥の手が飛鳥の髪に触れた。 「僕が半端に手出して、潰しちゃってたんだね。 もう邪魔しないから、出ておいで。自分を出していいよ。飛鳥ちゃんは凄いよ」 サラサラと髪を梳く。 その動きを、飛鳥はただ眺めているしかできない。 「元々、僕は影響受けやすいみたいで、そんな大役は無理だって思ってたんだ。 だから、頼むよ飛鳥ちゃん。お願いだから・・・・・・・・・支えて」 不意に力を抜いて倒れ掛かってくる体を、咄嗟に抱き締めた。
力無い半身を抱くこの腕は、飛鳥であって羽鳥ではありえない。 妻帯など、とっくに切り離されていたのに。 それでもきっと、『ひとり』ではなく、1人と1人として生まれた事を認めたくなかったから。
自分と違う色の髪が頬を擽った。 擽ったいなと思っていると、口元にふわりとした感触を覚える。
ああ、そうか。 触れれば温かい事を、知っていた筈だったのに。 やっと、その事を理解した。
だから多分、飛鳥として世界に向き合ったのはあの瞬間だったのだろう。
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アイデンティティ確立の瞬間。この世に個人として生まれていた事への自覚。んー、誕生日と言うには反則とまではいかなくとも変則かな。
多分この設定での初ちゅー話。・・・・・・かな?あれ?唇じゃなくて単純に髪かアレって?うーん、大抵は情景が浮かんでそれを文章にするのに尽力するタイプなので、時折文章が先行すると自分で書いていながら訳がわからない時があります。妻帯ってのもただのノリです。この設定ならそんなもん無い。
いや、1番の『兄と弟』に入れようと思ってた話なんですけど、あっちは他のネタ浮かびそうだったので多少弄ってコチラに。こっちはネタ切れでしたので。だって30のお題の方で双子の誕生日もちょーこの誕生日もやっちゃったし。これ以上捻り出せません。
あ、この話の彼等は12歳くらい(実年齢ではなく、外見および精神年齢)です。そろそろ第二次反抗期(世界と自分の認識の差に腹立ってくる頃)ですね。