パァン

 

 繰り出した握り拳が、まともに掌で受け止め、弾かれた。

 ガッ

 続くあちらからの掌打を、腕を交差して何とか防いだ。

 とはいえ、重いそれをやり過ごすには少し足らず、軽く腕がジンとする。

 やばいな痺れると判断して、組んだままの腕を押し上げるようにして、その反動で後ろに下がった。

 

 実の所、組み手の類で飛鳥に勝った事はあまりない。

 飛鳥ちゃんは自己鍛錬も怠らないもんね、まったくお偉い事で。

 少々のやっかみの混じった賞賛(比率逆かもしれない)を心の中で呟き、羽鳥は着地の低い姿勢のまま、素早く足場の確認をした。

 

 格闘技ならば、型の崩れかけた羽鳥の勝率は低い。

 だからこそ羽鳥は、「組み手やらない?」ではなく「喧嘩しない?」と声を掛けるのだ。前者ならば頷かれる頻度も高い事を承知で、あえて喧嘩と。

 ルール無用、地形効果や道具も考慮に入れた喧嘩なら、良く言えば実直悪く言えば単純な飛鳥よりも、臨機応変さを誇る羽鳥の方に軍配が上がる。

 例えば、雨上がりの泥濘だとか。

 例えば、今ここに転がる小石とか。

 

 蹴り飛ばした小石が、音を立てて飛鳥に向かう。

 卑怯だとは言う勿れ、そのまま当たれば顔面流血沙汰だが、まともにくらうほど愚鈍な弟じゃ無い。

 命中する事は考えていない。

 かわすか叩き落すか、どちらでも良い。

 体勢を崩す事を恐れてか、飛鳥は叩き落す方を選んだようだが、自らの腕が視界を遮る一瞬、それだけで充分だ。

 その隙に間合いを詰めた羽鳥の渾身の右ストレートは――――――

 

 あっさりと避けられた。

 いやでも、のけぞった姿勢から立て直すまで時間がかかる筈、と思った瞬間腕ごと掴まれた。

 あ、と声を上げる間もあらずそのまま腕を引っ張られ、鳩尾に衝撃。

 足技だったそれに一瞬息が詰まったが、その事自体は別に攻撃ではなかった。

 

 支点だ。

 

「わぁあ!?」

 巴投げの応用なんだかどうだか、投げられた身としてはよく分からない。

 というか、それどころではない。けっこうな高さと速度の飛ばされ方をしている最中なのだから。

 

 飛鳥ちゃん容赦ねー!!

 飛ぶのは慣れているけど、飛ばされる事は当たり前だが範囲外だ。

 思わず自失しそうになったけれど、このまま背中で地面なり樹なりと勢い良くコンニチハをしたくはなかったので、すぐさま立ち直る。この間、1秒ちょい。

 

 途中にあった手頃な太さの(といっても選んでられる状況じゃなかったので偶然だが)枝を掴み、それを支点にクルリと一回転。

 気分は体操選手。ただし足は伸ばせないけど(ぶつかるって)。

 それ用の棒とは違ってツルツルしている訳じゃないので、掌がジリッと熱くなる。

 擦り剥いたかなぁと思いつつ、気にしている場合でもないので、勢いのついたまま手を離した。

 来た方向―――――即ち、飛鳥の方へ。

 

 ギョっとした顔の飛鳥が、投げた体勢から何とか立て直しを図る。

 僕はちっ、と舌打ちをしながら、勢いを殺さずに一歩踏込み、速度を上乗せした。

 大丈夫、まだ付け入る隙はある。

 拳を構えて、このまま懐に入り込もうと、もう一歩踏込もうと足を出し・・・・・・・・・

 

 視界の端に映る、青。

 

 

「え・・・・・・」

 踏み込もうとして失敗したら、そりゃコケる。

 一瞬固まった足のせいでガクンと体勢を崩した羽鳥の顔のすぐ脇に、飛鳥の拳がむなしく空を切る。

 あー、崩して正解だったかも。

 掠っただけで脳震盪を引き起こしかねない風音に、ちょっと呑気な感想。

 思考とは裏腹に、勢いのついたままの体は双方にとって想定外の前傾姿勢のまま、飛鳥に激突した。

 

「なっ!」

「っと、お・・・・・!」

 細身な体重に対して、かなりな脚力でもって飛び込んだわけで。

 当然スピードは殺しきれず、飛鳥を下敷きにして数メートル横滑りしてしまった。

 うーん、人間ゾリ。いや人間じゃないけど。

 どっちにしろソリ役は堪ったもんじゃないね!

 しかも止まる際、ゴンとか鈍い音したし。

 顔を上げると案の定、樹にぶつけたらしく右手で頭を押さえて呻いている。

 余談だが、もう片手は羽鳥の背に回っていたりする。

 ・・・・・・・・・オヤサシイ事で。

 咄嗟の場面では守ろうとするらしいね、このオトコは。

 例えそれが僕であっても。

 

 

「・・・・・・・・・大丈夫?」

 飛鳥の方が格闘技は上と認める時のような、居心地の悪さと少しの安堵感をやり過ごしてから聞いたので、多少間が空いてしまった。

「・・・・・・・・・一応」

 ・・・・・・ってことは、けっこう痛いんだろうなぁ。

 5割り増しで騒ぐ僕に対して、飛鳥ちゃんは5割引きだから。

「どれどれ」

「触るな」

 伸ばした腕は、届く前に頭を押さえていた右の手で掴まれた。

 つーかこっちの僕に回してる方の手使えよ、とちょっと思った。

 利き手にしか意識が行ってないのか、それとも僕は捕獲されたんだろうか?

 だとすると喧嘩は僕の負け?だとしても謝んないけどね。

 少なくとも、今回の引き金になった件については、退く気は無い。

 その件に関しては、だけど。

 

「わーったから、離し・・・・・・」

 掴まれた手首に感じた、ぬるりとした感触に総毛立つ。

 見たくないけど、視線を落とした先には手の形にそって付いた赤。

「何コレ」

「あ・・・・」

 自分で気付いてなかったのか、飛鳥も一緒に驚いている。

 輪を掛けて見たくないけど、掌を上向かせると痛々しい擦過傷。

 二人分の体重で、平坦とは言えない地面をスライディングしたのだ。擦り剥けた皮膚の間に土が入り込んでいる。

 血の苦手な羽鳥にとって眩暈を誘うそれは、だけども土に塗れた儘にしていい物じゃ無いだろう。

 意を決して、ゆるく両手に掴んで唇を寄せた。

 

「羽鳥」

 制止というより困惑した雰囲気の声は無視して、鉄錆くさいそれに舌を這わせる。

 血と共に、埃っぽい土の味がした。僕達は治りが早い。だから塞がる前にこれを取り去らないと。

 痛そうだな、どこかぼんやり思いながら、己のではない傷口に触れ続けた。

 自分のではないのに、自分に良く似た手なので、何だかこっちの掌までジクジク痛み出す心地がしたのが不思議だった。

 

「羽鳥、もういい」

「ん」

 口の中は不快な土と鉄錆。

 何度も飲み下せば味は大分薄れたけれど、ザラリとした砂利の感触が口の中に残る。

「キモチワルイー・・・・・・」

「そうだろうな」

 飛鳥の肩口に顔を埋め、懐くように擦り寄った。

 振り払われないという事は、うんざりした心持になっているのは羽鳥だけではないようだ。

 

「お前も、手」

「ほぇ?」

「見せてみろ。出血してる」

「・・・・・・・・・あー」

 そういえば、さっき投げられた時に擦ったっけ。何だ、つられて錯覚したのじゃなくて本当に痛かったのか。

 億劫なので顔も上げずにいたら、勝手に検分されている。

「どーなってる?」

「木の皮がいくらか刺さってる」

「げ。両手?」

「いや。右だけ」

 利き手なだけに力込もったのかな。

「見たくねー・・・・・・・・・」

「見なくていい」

 この位なら毛抜きは要らないな、とか言いながら抜いてくれているらしい。有難い事で。

 

 程なくして、終わったらしい傷口を舐め取って、簡潔な一声。

「とれた」

「ありがと」

「足は?」

「足?」

 何のことだろう、疑問符浮かべていると足首を掴まれた。

「捻って・・・・・・・・・無いな。踏み込みに失敗していたからてっきり」

「・・・・・・・・・あぁ、違う違う」

 何の事か悟って、顎でそっちの方向を示した。

「アレだよ」

 視線の先には、先ほど踏み留まらせた青紫。

 通称、神を知る花ともよばれるそれは、

「・・・・・・菫?」

「うん。まぁ踏んでも平気だろうとは思ったけどね。咄嗟に」

「そうか・・・・・・・・・」

 

 それきり黙ったかと思えば、天を仰いで息を吐いた。

「飛鳥ちゃん?」

「花に免じて、今回は見逃してやる」

「それって謝罪?」

「それは認めん」

「じゃあ休戦だね」

 僕も謝る気無いから。言いながら顔を寄せたら素直に目を閉じた。

 キスしたら、もう飲み下した血の味がまた蘇って、僕の血かなと不快なそれに眉を寄せた。

 飛鳥も同じ表情をしているのは、羽鳥の中に残っていた砂利の所為だろう。

 

 この不快さが喧嘩の代償なのだろうか。

 もうさっさと謝ってしまおうかとチラリと思いながら、互いに再び目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

喧嘩の原因も考えたんですけど、どうにも重くなり過ぎたので全てカットしました。

アクションシーンを久々に思うまま書けて満足してます。苦手ながらも、昔よりは上達したよなーと自己満足。

最初はスミレじゃなくて、共通テーマであるシロツメクサにしようかと思っていたのですが、白じゃ視界に入った一瞬で認識するのは難しかろうという判断でスミレになりました。

信州ではスミレの事を『神知り花』と呼ぶこともあるそうですね。いいなぁこの名称。