ふ、と吐いた息が随分と沈んでいる気がして、改めて溜息をつきたくなった。

 後ろ手で障子を閉めると、そのままズルズルと座り込む。

 今きっとかなり情けない顔してるんだろうなぁと思うが、確かめる気力もない。

 人前と、一人の時とで表情が変わるのは、自分に限ったことじゃない。

 ああ、今は一人ではなかったっけ。

 小さなヒトガタ。

 この山唯一のヒトの生き残りの。

 

 障子越しの部屋は薄暗い。灯りの要らない昼間でも、障子越しでは光は遠い。

 与えられた時間を消化するまで、閉じた部屋では一人とヒトリ。

 赤子が寝ている間は、とても静かだ。

 世話をするのは、面倒ではあるけど嫌いじゃない。

 いっそ、泣き喚いてくれた方が何も考えずに済むのに。

 

(あ、まただ)

 胸の奥から冷えていく感覚。

 ああ、息が苦しいな。

「……っく」

 このままコレに囚われていたら、そのうち全部冷たくなるのかな。

 あの人、みたいに。

「ぅ……っ…」

 あぁもう、苦しいなぁ。

 

 

 

 

「ふぇええええ!」

 

 何の前触れも無く、考え事全部ぶち壊す大音響。

「うわ何どしたの!?」

 ミルクはあげたばっかだし、オシメは……と、いくつかの可能性を思い浮かべる。

「違うし。えっと、後は……」

「えぇえええええ!」

 思い当たるもの、どれも違う。

 泣きたいのはこっちだ。

「ふぁああああん!!」

「あーごめんごめん!散歩行こ散歩!」

 わからなくて、抱えて飛び出した。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 これは思わず漏れた溜息。

「はー」

 これは、意識してやった深呼吸。

 閉め切った中にいるより、外の空気の方が気持ちいい。

 当たり前の事なんだけど、しばらく味わってなかったな、この感覚。

 てくてくと、当てもなく動かしていた足を止め、静かになった腕の中を覗き込む。

「キミもやっぱりそうだった?」

「あー」

 返事なのか何なのか。

 偶然かもしれないけど、応えがあったのが少し面白くて、なんだか笑えた。

 割と自信のある対人用スマイルではなく、不意に零れるもの。

「あー」

 お、笑った。

 つられるようにまた笑うと、この生き物もはしゃぎだす。

「キミも、僕につられてんのかな」

「あー」

「あはは、さっぱりわかんない」

 まぁ、楽しそうなのは伝わるから、それでいい。

 

「赤ん坊は同情する生き物だって教えてくれたのは誰だったかなぁ?」

「あうあうあー?」

「………もしかして、真似してんの?」

 喋り出すのはいつ頃だっけ?

 いい加減、イキモノでなく人間扱いしてやらないといけないかな。

「真似、ねぇ……同情ってーより同調って気がするけど」

 

 情が無いとは言わないが、そんな高等なものより、本能に近いものな方が納得できる。

 あ、だとすると。

 

「もしかして、さっき僕泣いてた?」

「あー」

 『あー』ばっかりだけど、ちょっと気付いたことがある。

 この子やっぱり僕の真似してる。トーンが近いんだ、直前の僕の声と。

 じゃあ、やっぱ。 あれは、 僕か。

 

「……ごめんね」

「……ふぇっ…」

「泣ーくーなー。………わーかったよ、違った。ごめんじゃなくて、ありがとうだね」

「うー」

「ありがと。まだまだ泣けるし、ちゃんと笑える。気付けて嬉しいよ」

「あーうー」

「まーだ何か不満かい」

 客観的に、別に会話になってるわけじゃないだろう。

 でも話してるような気になっているというのは、つまりは僕の受け取り方なわけで。

「そーいや最近、上辺だけの会話しかしてないなぁ……」

「うー」

「早く喋れるようになってよ、一方的なのは楽しくない」

「あう」

「ああでも、今のキミくらいにしか聞かせたくない言葉もあるかな?」

「あう?」

「気付けて嬉しいのは本当だから……誓うよ」

 普段の羽鳥を知る誰かが居たなら、きっと言えない。

 

「僕は、君を守る」

 

 あの子を頼みます、と託されていたのは僕じゃなかったので、当然頷いたのも僕じゃない。

 僕には縛られる言葉が無い。僕の自由を制限するものは、何も無い。

 強いて言うなら弟との繋がりくらいか。だけどもそれは互いを縛るものではない。

 胸の奥が空っぽで、寒い。僕のナカには、何も無い。

 それでも、僕を取り巻く世界は、暖かく、温かい。

 気付いた以上、『あんな風に』冷たくなんて、なれっこない。

 だったら、前向きにいこうじゃないですか。

 空っぽの自由もいいけど、詰め込んだって悪くない。

 

 だから、気付かせてくれた君に誓う。

 未だ温かい、小さな君に。

 

「約束するよ、ずっと好きでいる。

 君を幸せにするとは言えないけど、せめて君が幸せで居られるように尽くすって」

 

 命一杯の感謝を籠めて。

 捧げることで、己を満たす。

 

 

 

「…………」

「寝てるし」

 『あー』が無いので覗き込んだら、すっかり弛緩しきった寝顔。

 思わず大笑いしてしまった。

 恥ずかしいので、いっそ寝てた方がありがたいけど。

 この手の真面目なのは、僕には似つかわしくない。

 こういった誓いがまだ似合いそうなのといったら……

 

「飛鳥ちゃん、今何処かな」

 表層的な所を見れば、趣味も嗜好もかけ離れているのだが、もっと根源的な部分での好みは重なるのだ、あの弟は。いや、僕らは、か。

 羽鳥が心から好きになったものは、飛鳥も好きになる。これは確信だ。

「飛鳥ちゃんなら、似合うね」

 あの一本気な弟なら、命懸けで守るとか言っても違和感がない。

 少なくとも、自分よりは遥かに。

 

 ふむ。

 危険から守る、というならそっちが適当で、任せていい。

「じゃあ僕は、もっと長い目で見た幸せでも模索してみますかね」

 とりあえず、探しに行くか。

 

 

 片手を上げると、ゆるく風が巻く。

 目を閉じ、しばらく耳を傾けた。

 

 

「こっち……かな?」

 一度視線を落として、腕の中、穏やかな寝息を確認。

 ふっ、と誰にともなく微笑んで、僕はまた歩き出す。

 

 

 

 

 

 

最初は17番「約束」に入るはずだった話。あっちは何とか他のも捻り出せそうだったのでこちらに。

飛鳥バージョンの15番「居場所」と対になってます。ちょーこを好きになった経緯の羽鳥バージョンでした。

話を考えたのは15番よりも早かったし、同時にUPしたいなーと思っていたのに、15番の方を連続更新企画で急いだため、あれから遅れること1年……。

時系列的にも今回の話の方が先に来るんですが、でもあっちから読んで欲しかったのでそれはまぁ良し。15番を先に読むと、「飛鳥、兄に夢見すぎ」と突っ込めます。実際はけっこういっぱいいっぱいだったのが分かるかと。ちなみにウチの羽鳥もよく「弟に夢見すぎ」と突っ込まれます。主に京太くんあたりに。

 

50の質問の19番「どうして飛鳥はあんなにちょーこを溺愛しているか?」の問いに対する答えは、実はこっちが本命です。

すなはち、「もともと騎士属性な上、きっかけ部分で羽鳥に誘導された」