手から離れた真赤なそれは、青い空によく映えた。

 

 

 

 

「あー!」

 上がった悲鳴に驚いて振り向けば、ちょーこが握り締めていた紐が消えていた。

 詳しく言うなら、先程歩いていたら新商品らしき飴と一緒に配られた、宣伝用の風船に付けられていた紐が。

 それを思い出す間もなく、視界の上端でちらついた赤い何か。

 反射的に力の篭った体は、しかし発揮される直前で止められた。

 捕まれた手首を目で追って、顔が上がる。

 

「飛鳥ちゃん……」

「人目が」

 少し迷ったような気配を残した声で、それだけを。

 

「あ、うん」

 振り向いた時点で、子供が出せるような跳躍で届く距離では無かった。

 問題なのは、それでも自分なら届いていた点。

 さすがにそれだけで人外と思われやしないだろうが、不審には思われるだろう。

 

 羽鳥が、あのまま放っておいて実際に跳んだかどうかは分からない。自分で気付いた可能性も高い。

 だけども、羽鳥と飛鳥では線引きが違う。

 不審に思われるくらい、何だというのか。どうとでも誤魔化せる。

 そう羽鳥が判断するかもしれないと思ったのかもしれない。

 慎重にして、過ぎる事はない。

 

 それはたった数秒のやりとりで、だけども風船が跳んで掴める位置ではなくなってしまうには充分だ。

 そして、

 

「とって!!」

 ちょーこが痺れを切らすにも充分だった。

 

 

「ちょーこのふーせん!!」

 まぁ、彼女にしてみれば当然だろう。

 普段、この二人が容易にみせる跳躍力を知っている。あの程度なら軽く取れた筈。

 ただ、それが彼らのテリトリーでのみ行使される事を知らないだけだ。

 

 

「ちょーこ、あのさ」

「ひどり!」

 諭しかけた羽鳥は無視し、次は指名だった。

 これも当然か。子供というものは誰に訴えるのが的確か、意外な程に力関係を知っている。

「ひどり、とって」

 今度は羽鳥の手が飛鳥の腕を捉えた。

 

 赤い風船は、もう跳んで掴める位置ではない。

 飛ばなくては掴めない。

 ………飛べば、掴めてしまう。

 

 飛鳥と羽鳥では線引きが違う。だからこの手を放してはいけない。

 さすがにこの程度でそこまで短慮な行動は無い筈だが、だったら断る理由を与えてやればいい。

 僕に邪魔されたから取れないのだと、理由にしていいから。

 

 

 

 

 

 

 手を放した風船は、どこまで飛べるのだろう。

 知らないので憶測になるけど、多分僕らはそれを追うことができる。

 だけどもし、そうだと思って追って、帰れない所まで来てしまったら?

 

 

 羽鳥は、飛鳥よりもちょっとした衝動で動く。だけども引き際も心得ている。

 追うのに疲れそうな風船は諦める。

 

 飛鳥は、羽鳥より踏みとどまる範囲が広いけれど、一度決めたらどこまでも止まらない。

 どれだけ風が強かろうと、息ができなかろうと。雲の上まで追って行ってしまう。

 

 違う。本当は知らない。なったら最後な気がするから。

 それは怖い事だ。とてもとても怖い、避けるべき事だ。

 

 

 

 赤い風船。ふわふわして、手を放せば飛んで行ってしまう。

 

 赤い履物。ふわふわした髪。預かり物でしかない、小さな子供。

 

 

 

 飛んでいったら、どこまで追いかけるのだろう?どこまで追いかけられるのだろう?

 自分は。弟は。

 

 

 

 

 

 

「ちょーこ、何ならまた貰ってきてやるから」

「やー!アレがいいー!!」

 考え事をしていたのは短い間だ。

 思考から帰っても、一向に進展していない事態に苛ついた。

 オロオロしている弟にも、まだ見える所を漂っている風船にも。

 

(早く、消えてなくなれ)

 

 

「はねだして、とっ……」

 パァン!

 

 上方で響いた乾いた音に、注目が集まる。

 中でも一番ビックリして目を見開いていたちょーこが、口を開けて固まっている。

 

 

 風船が割れた音だと気付いた人達は、じきに止めていた歩みを再開する。

 鳥の影もないのに、どうして割れたのか疑問に思わないのだろうか。

 

「ふ」

 先程まで、泣くよりも怒る方向に傾けられていた顔が、逆転した。

 そんな彼女の上に真っ直ぐ降ってきた小石を、音も無くキャッチすると、気付いた飛鳥の顔が歪む。

「羽鳥!」

「ふぇええええええ!」

 怒声と泣き声が被った。

 

 

「………うっさいなぁ」

「おい羽鳥!」

「うるさい」

「っ……!」

 細めた目で見やれば、詰問調だった飛鳥が怯む。

 ちょーこの願いを突っぱねられなかった飛鳥には、強く責める事ができない。

 

「……割る事はないだろ」

 ちょーこが泣くのに必死で聞こえないと判断して、小声で直接的言葉に切り替えた。

 石を投げたのは、羽鳥だ。

「手っ取り早いかと思って」

「だからって……!」

「僕だって、泣かせたくなんかない」

「…………」

 やりたくもない役割を振ったのは誰だというニュアンスに、飛鳥が押し黙る。

 彼女から『羽を出して』という台詞が飛び出す前に断りきれなかったのは、飛鳥の落ち度だ。

 

 

(僕だって、傷つけたくなんかない)

 

 

 傷ついたのはちょーこだけじゃない。

 どちらも、傷つけたくないのに。

 

 

 片手で足りない歳の人の子供は、神様からの預かり物。

 いつ、呼び戻されてしまうのか、とても怖い。

 

 そしてその時。雲の上まで追って行ってしまいそうで、怖くてたまらない。

 

 

 

 はらはらと。時間差をつけて。

 もとは風船だった残骸が振って来る。

 いくつかの欠片になって、点々と地面に落ちてくる。

 髪に着いたそれを、頭を振って払う。赤いそれは好きじゃない。

 

 

 

 

 羽鳥と飛鳥は線引きが違う。

 もし、翼を広げて天狗の全力で追いかけて行ってしまいそうな時は。

 

 羽鳥も翼を駆使し、お気に入りである真黒い翼を壊すのだろう。

 傷つけたくは、ないのだけど。

 黒い翼を赤く、散らすのはきっと、羽鳥だ。

 

 

 

 

 

「早く大きくなってね、ちょーこ」

 まだまだ泣いてる大きく開いた口に、風船と共に貰った飴玉を放り込みながら心底願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時々ノリだけで小説書きたくなるんですってば。

落ち込んでる時にそのノリだけで書いたから自分でも読み返したくないような……でもどう手直しすればいいかわからないのでこのままUP

うちの羽鳥は小さいちょーこが怖いようです。いや、ちょーこが小さい事が怖いようです。早くちょっとやそっとじゃ死なないくらいになって欲しい。