アカシア

 

 

 

 その夜、家まで訪ねてきた怪我人は部屋に入れて開口一番、

「まずは、申し訳ありませんでしたと言わせていただきます」

 包帯巻いた腕を揃えて頭を下げた。

 

 

 まずは、で謝られても反応に困るんだが。そして今日謝ってばかりだなお前。

「未然に防げなかったのは『機関』の失態です。危うい目に遭わせてしまった事、謝罪致します」

 ・・・・・・なんだな、こう『機関』構成員モード全開で来られると叩き出したくなるのだが。

 つか、三つ指をつくな。額づくな。顔上げろ、シャミの毛とか落ちてるから。

「引ったくり犯まで管理すんのは無理だろ。それとも、引ったくり行為はブラフか」

 言いながら、あーこれ当たりくさいと思っていたら、案の定古泉が肩を竦めて首肯した。

「お察しの通りです。『機関』の協力者、だそうで」

「お前らの考えで行くなら、神様を消して世界ごと無理心中でもしたかったのか?」

「まぁ似たようなものですが、神殺しを実行出来るような思い切りはなかったようですよ。動機もどちらかと言えば嫉妬でしょうしね」

 意味が分からん。

「1匹の羊の為に捨て置かれる99匹の中には、納得できないものもあるのでしょう」

 だから分からんって。何の引用だ。

「失礼。要するに『機関』関係者は涼宮さんを敬愛しており、害する事などできないということです」

 全く要してない気がするが、まぁ何処に導かれるかは分かったか。

 ひったくり行為がカモフラで、ハルヒを狙ったものでもないというなら、

「狙われたのは、俺か」

「そうなります」

 やれやれ。こういう事が初めてでもないこの人生を考え直したいものだ。

 

「お前はいつ気付いた?いや、あの男の呟いてたこと教えろ」

 笑顔で取り押さえていた古泉の顔色が引いたのはあの時だった。

「・・・・・・神はなぜ我らを見放したか、と」

 どっかで聞いたような台詞だな。えーと、エリエリレマサバクタニ、だったか?

「そうですね、ヘブライ語で言ってくれた方がまだマシかと」

「確かに、随分と直接的だな」

 救世主気取りたいならお望み通り磔にでもしてやれ、と言いかけて、いや洒落にならないかと思い直した。古泉曰くけっこう血腥いらしいしな『機関』は。

「あの男、どうなる?」

「存じません」

「古泉」

「・・・・・・知らされていないんです。僕は末端でしかないので」

 軽く俯いた古泉の目は、長い前髪に隠され見えなくなる。

 だからそれが本当の事か、分かりはしない。

 だけども、それ以上は聞いても無駄なのだろう。

 だったら聞ける事から聞くだけだ。

 

「お前の怪我は」

「以前申し上げたかと思いますが、『機関』の医療設備は優秀です。そうかからずに跡形もなくなりますよ。

 もっとも、涼宮さんの目に触れてしまった以上、しばらくの間は残しておく必要がありますかね」

 ああ、隠そうとしてたのはそういう意味もあるのか。まぁハルヒを動揺させたくないというのが大きいのだろうが。

 だったら俺が指摘したのは完全に余計な事だったか。いや、目聡いハルヒがあのまま見過ごしていたとも思えないので、早めに発覚した方がまだマシだったのではないかと思うのだが。・・・・・・思うだけかもしれない。

 どうしたものか、このもどかしさは。

 もやもやした気分のまま、茶色い前髪に手を伸ばした。

「こっちは放って置いても跡形もなくなりそうだな」

「ええ。むしろそちらは残しておきたいものですがね」

 名誉の負傷ですから、という台詞は二度目だが、今度は本当に思ってるぽいな。殆ど見えなくなっている額の傷跡を見ようとしたときより緊張していないし、そこはかとなく嬉しそうだ。

 ・・・・・・やはり何か面白くない。

 

「ハルヒに舐められたからか?」

「え・・・・・・」

 って言うと変態くさいな。そういったいかがわしいものではないと一応分かっているのだが、ニュアンスが難しい。

「いえ、決してそのような、光栄には思いますが、それは・・・・・・」

 やっぱり誤解した。

「あー、いや、いい」

 言いたいのは、そんな事じゃない。

 

 そうでなく。

 問題なのは、俺の目には結構な出血に見えた負傷が、古泉には本当に何でも無さそうだと言うことだ。

 夏合宿等を思い出しても、古泉に目に付く傷が在った覚えは無い。しかし、この怪我をすぐに跡形もなくしてしまえるのなら、『機関』の医者は確かに優秀なのだろう。それでは測れない。

 閉鎖空間が、神人が。どの程度危険なものなのか、俺にはわからない。

 額に僅かでも未だに残る傷がどの程度のものだったのか、まるで分からないのだ。

 

 怖いと言ったのは、この古泉ではないけれど。

 怖がったのは、どちらの古泉もが共有する過去部分なのだから。

 

 

「なあ、古泉」

「はい」

 俺が真剣な声を出せば、すぐに古泉は居住まいを正して聞く姿勢に移る。

「橘京子に連れて行かれた、佐々木の閉鎖空間の話はしたな」

「お聞きしました」

 あのクリーム色の、神人のいない空間世界を、

「お前はどう思ったか、意見を聞きたい」

 まっすぐ見つめる俺の前、古泉は一度パチリと瞬きをすると軽く首を傾げた後、いつものように微笑んで、

「デートに良さそうですよね」

 とのたまった。

 

 おいコラ。

「・・・・・・俺は真面目な話をしているんだが」

「だって、思いませんか。電気はきてるんですよ?普段は人のいる遊園地とか行くのにピッタリじゃないですか」

「お前はあの灰色空間でそんな事考えてるのか」

「いえ、そのような余裕はありませんね。神人を倒した後なら時々考える事もあるのですが、なにぶんすぐに世界が崩れるので」

 ・・・・・・あれ?茶化したんでなく、もしかしてマジで言ってた?

「といいますか、どのようなコメントが求められているものやら計りかねまして」

 茶化したのは確かです、申し訳ありません、と爽やか笑顔で謝られても謝られた気がしない。

 あーもう。

 

「俺は、橘の提案を蹴った時なんの躊躇いも無かった」

「はい。我々『機関』の総意と合致します」

「微塵も迷いもしなかったんだ」

「はい・・・・・・?涼宮さんへの信頼が見え、大変けっこうと思います」

 繰り返す俺に、少々訝しげながらも古泉は肯定する。

「二度目だ、俺がこういう決断をしたのは」

「こう、と言いますと?」

 古泉は、どこまで肯定し続けるのだろう。

「二度目なんだ。お前が閉鎖空間から解放される機会を、俺が潰すのは」

「それは・・・」

「なあ、『機関』の構成員としてじゃなく、お前個人の意見を聞かせろよ。本当にこの方が良かったのか。

 ハルヒから無理やりにでも力を失くさせて、お前自身ただの高校生に戻りたくはないか」

 言い募る俺に、古泉は瞳にどこか不思議そうな光を湛えている。

「あなたは、どういった発言を僕に求めているのでしょうか」

 俺に合わせた感想言われても意味がないのだが。

「仮にあなたがその選択をし、涼宮さんに力が無くなったとして、『機関』がその場で解散される訳でもないでしょうし、ただの一般人にはなかなか戻れそうもありません」

 ですからその仮定にあまり意味があるとは思えません、と肩を竦めて笑う古泉に、

「『機関』がちょっかいかけてくんなら、守ってやるよ」

 ようやく、今日言ってやりたかった一言が言えた。

 

「・・・・・・・・・」

 色素の薄い瞳が俺を映す。俺の真意を読みたいようだが、意図するところはそのものであって他意はない。

「長門に負担はかけたくないが、きっと長門自ら力を貸してくれる筈だ。朝比奈さんも、未来組織はともあれ彼女の出来る事はやってくれる。ハルヒはその時には何の力も無いんだろうが、だったらあいつにも包み隠さず相談できるって事だ。不思議パワーなんざなくとも、あいつは頼れる団長様だ。お前一人くらい軽く守ってくれるさ。知ってるだろ?」

「・・・・・・・・・・」

 古泉の頭が下を向く。頷いたのか俯いただけかは分からない。

「もちろん、俺もな。俺に何が出来るか知らないが、何でもしてやるよ。皆で守る。だから正直な所を言え」

 俯いたままの茶色い頭に手を載せ、ゆっくりと撫でた。

 古泉の返事はない。表情もわからない。でも、正しく伝わったであろう事はわかる。

 

 未だに改変世界の影がちらつく時がある。忘れる事はないだろうし、忘れたくも無い。

 だから俺は、俺のハルヒの為に、俺の長門の為に、俺の朝比奈さんの為に、そして俺の古泉の為ならば、何でもしてやるし、何でも捧げられる。

 

 こうして大人しく頭を撫でられている古泉が何を考えているかなど、俺にはやはり分からない。

 もしかしたら本当に感極まった、とまではいかずとも、少しは心に響くものがあったのかもしれないし、そう思わせておいて冷静に対応を考えているかもしれない。俺は古泉の何を知ってるでもない。

 それでも、いい。思惑がどうあれ、身を挺して俺たちを守ろうとするこいつを、同じように守れればと思うのだ。

 

 

 

「・・・・・・僕は」

 しばしして、古泉がポツリと口を開いた。

「僕は、あなたほど佐々木さんを知りません。ですから彼女に委ねられた世界の安定を信じられません」

 上げた顔は、笑顔ではなかった。

「ですから」

 澄んだ目が真っ直ぐに俺を射抜く。睨むように強い光を湛えて。

「もしも世界が揺らぐなら、僕は何も知らされずに守られているよりも、守る側で尽力したいと思います」

 台詞の通り、守られる者の眼差しじゃなかった。

「・・・そっか」

 ああ、分かった。信じよう。

 俺達に悟らせないあれやこれや全てをひっくるめて、それが古泉一樹の本意というなら尊重しよう。

 

 本音を言えば、少しだけ残念だったりもするのだが。

 閉じ込めて、『機関』の手の届かない環境で一年も囲い込めば、あっちの古泉程度には―――怖いものは怖いと言えるくらいには―――なるだろうか、という仄暗い願望は一先ず仕舞い込もう。

 古泉が、強がりを強がりとして終わらせる事無く強さとして在れる内は、少なくとも。

 

 

「カッコいいな」

「は?」

「小さい頃、世界を守る正義のエスパーの友人ポジションが夢だったんだよな、そういえば」

「え?あの・・・・」

 古泉の面食らったような顔って貴重だな。何でハルヒの唐変木パワー炸裂時でも微笑みくんのくせして、今面食らってるのか問いただしたい心持だが。

「子供らしい無邪気な夢だろ?」

「はは・・・・・・残念ながら、正義のヒーローには程遠くて申し訳ないです」

 古泉は引き攣った笑みで謙遜を・・・・・・って、

 あ?今もしかして友情拒否られたのか俺?気のせいだよな?

「体張って世界の為に怪物と戦う奴をヒーローって言うんじゃないか?」

「・・・・・・なにぶん、陰謀渦巻くドロドロした組織所属ですし」

 お前やっぱり俺を友人に置きたくないのか。

「俺は、十人にも満たないっていうエスパーの事を言ってるんだが。お前はランダムに選ばれたって言ってたけどな、突然振ってきたそんな役割に、布団被って逃避しない奴が日本にどれだけいると思ってんだ」

 たくさん居ると思っているならそれこそ現代日本に夢見すぎだ。

 ああ、本当に思っているのかもしれないな。古泉のそんなにまでして守りたい世界なら。その綺麗な瞳に写り込む世界は、俺の知っているものよりも澄んでいるのかもしれない。

 古泉は多分、俺よりも汚いものも綺麗なものも知っている。そして夫々のその反面を知らないでいる。

「・・・・・・実は、逃げた事もあります」

「ヒーローが苦悩すんのは当然だろ」

 むしろ何の反感もない方が人間味が無さ過ぎて薄気味悪い。俺は今ホッとしているぞ。今のは本音だな。

 傷ついて、怖がって、それでも尚ここに居る古泉は、俺が昔憧れた正義の味方像そのものだろう。

「お前、格好いいよ」

 誰か、言ってやった事があるのだろうか。

 たったこれだけの事で、目を瞑り唇をかみ締め拳を握り締めている古泉に、世界を守ってくれてありがとうと。お前のしているそれはやって当然の事などではないのだと。

 

「あ・・・りが、とう・・・・・・ござ・・・い、ます」

 やっとそれだけ言った古泉に、さて妥当なのは肩に手を置くくらいだろうか。

 抱き締めたくなったのは、さすがに血迷い過ぎか。

 

 

 

 

 

 

「お見苦しいところを晒しました。そろそろお暇させていただきますね」

 そう言って立ち上がった古泉は既に普段の爽やかスマイルで、全く可愛げがない奴め。

 そもそも涙ひとつも見せずに彫像になっていただけなので、見苦しいところも晒された覚えが無い。

 もう少し、隙を見せてもいいと思うのだが、まあこれが古泉なのだろう。

 

 ああでも、ひとつだけ。

「お前のヒロインは、ハルヒじゃないのか?」

 これだけ、どうしても納得できない。

「・・・・・・以前申し上げた通りですが?」

 ああ、聞いた。改変世界の古泉の心情解釈を引き合いに、お前のも聞いたとも。

 しかし俺は、 あの古泉はそれでもやはりハルヒを好きだったんじゃないかと思いたいようだ。それは俺の一方的な憐憫かもしれないけれど、あいつの想いを誤解だと言い切って欲しくはない。

 それは同時に、俺の古泉にも言える事だ。

 ハルヒに惚れていて欲しいわけじゃないが、惚れてもいないのに命懸けで尽くせるというのはどうにも理解しにくいのだ。同じ高校生としては。

 だから、もしも俺に遠慮しているとするならば、いっそ認めてくれた方がスッキリするのだと思う。

 その辺の感覚は何とも筆舌にし尽くしがたいのだが、何とか伝えようと四苦八苦していると、どこまで理解したのか古泉がクスっと音を立てて苦笑した。

 

「しかしその理屈ですと、僕は今日、どちらかと言えばあなたを守った形になったわけですし、あなたは僕があなたに恋情を抱いていると望んでいる事になりますよ」

「は・・・・・・?」

 

 絶句した。一瞬何を言われたのか分からなかった。

 停止した脳で古泉の声をそのまま反芻し、

 

「なんつー事ぬかすか!」

「え・・・・・・すみません」

 大声での否定に、キョトンとした様子で古泉が瞬く。

「揚げ足取りは認めますが、そんな声を荒げる程ですか?」

 この程度の悪ふざけは日常茶飯事というのに、普段のように流せず怒鳴った俺に、俺の方がビックリだ。

 しかしとんでもない。本当にコイツはロクな事を言わない。

 

 おかげで、

 否定できない自分を認めてしまったではないか。

 

 

 

 ハルヒへの感情が気になった。

 守りたいと思った。

 抱きしめたくなった。

 閉じ込めて、他からの干渉を断ち切ってやりたくなった。

 

 ・・・・・・いっそ今まで自覚しなかった事の方が不自然だ。

 

 

 

「あの・・・・・・?」

「ああ、帰っていいぞ」

「・・・・・・では、失礼します」

 古泉は訝しげではあったものの、冗談に呆れているくらいに受け取ったのか、はたまた事勿れ主義で流す事に決めたのか、何も言わずに帰って行った。

 

 

 窓からその背を見送りながら、悪い、と虚空に呟く。

 脳裏に浮かぶのは、学ラン姿の古泉だ。

 悪い。お前の思惑と違う形になりそうだ。

 涼宮さんが笑っていればそれでいいから、自分の事は気にするなと言った声が耳に蘇る。

 俺は、お前みたく好きな人の幸せ最優先にはできなさそうだ。

 

 でも、まあ。

 あの古泉がそれを言ったのは、自分で幸せにするのを諦めたからだ。

 俺は、諦める気はないから、俺のハルヒにも俺の古泉にも笑っていられるようしてみせるから、あの古泉との最低条件は満たせるのじゃなかろうか。

 

 

 俺は、あいつらを幸せにするのを諦めたりはしないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花写真でお題より アカシア(別名ミモザ)
花言葉は「友情」「秘密の愛」

学名Acacia Mill

花言葉「優雅」「友情」「秘密の愛」