ウイキョウ(フェンネル) 

 

 

 

 何度も思ってる事ではあるが、鶴屋さんは天才じゃなかろうか。

 

 

 古泉仕込みの会長による挑戦にて作った機関誌作りは、まぁ俺や谷口あたりはともかくとして、何故か順調だ。

 長門はとうに件の幻想ホラーもどきの短編を上げているし、古泉のキータッチは軽快で、朝比奈さんも目処がついている。国木田の心配はしていない。鶴屋さんはもっとしなくていい、と思っていたらその通りに無事本日届いた。

 昼休み終了間際に鶴屋さんが現れて原稿を追いていき、即座にハルヒが目を通そうとしたのを授業開始だからと一応止めたわけだが、果たしてその行動は大正解だったと言える。教師の立場が無さ過ぎる。これは絶対堪えようとして堪えきれるレベルじゃなさそうだ。

 今は放課後の文芸部室という名目のSOS団室、特に部外者も訪れておらず誰にはばかる事がないとはいえ(誰かいたとしても遠慮するハルヒでもないが)、笑い過ぎだろお前。

 仮にも若い娘として詳しく描写してはいけない豪快さで笑い転げているハルヒに呆れていた俺だったが、回ってきた原稿を読んだ途端に同じ状態に成り果てていた。いい加減腹が痛い。だが止まらない。腹筋も人並み外れていそうなハルヒはともかく、少なくとも俺や、ハルヒと違って抑えようとするあまり呼吸困難に陥りかけている様子も小動物じみて愛らしい朝比奈さんは最早瀕死の域だ。その場に居なくとも多大なる影響力、さすがです鶴屋さん。さすが過ぎます。認めるので誰か何とかしてくれ。

 

「いやぁ、そんなに抱腹絶倒といったあなたは初めて拝見しますね」

 ・・・・・・少し、萎えた。お前に何とかして欲しくはなかったな。というか本当に何とかして欲しかった訳でもない。分かっててやってるだろ古泉。そしてお前はどうしていつもの爽やかスマイルだ。面白くなかったのか。

「いえ、大変楽しく拝読させていただきました。思わず噴出しましたとも」

 それは知ってるが、精々「ふふ」とか「クス」とかその程度だったじゃないか。その忌々しいハンサム面が崩れるくらい馬鹿笑いしてみろってんだ。

「遠慮させてもらいます。僕に求められている役柄に反しますから」

 ハルヒの思う古泉像からか。ご苦労なこったな優等生。

 

「鶴屋さんまだ学校にいるかしら!?居るわよねきっと!編集長として感想言いに行ってくるわ!」

「今すぐか」

「感情はナマモノなの!今沸いた感覚は今伝えるべきなのよ!」

 行くわよみくるちゃん!と言い残して竜巻のようにハルヒが去っていった。無論、その竜巻にはアメリカ産児童文学主役ドロシーの如くに朝比奈さんも巻き込まれている。無事善き魔女に会ってください。

 

 ハルヒのけたたましい足音や朝比奈さんの小動物じみた悲鳴が遠くなり、文芸部部室には静寂が訪れていた。

 ・・・・・・読み直すか、うん。折角面白いのだから笑い死にしようと浸ってやる。

 古泉が視界に入るとまた苛付きそうなので、ハルヒと朝比奈さんを見送った体勢のまま、椅子の方を扉に向けて本格的に古泉を無視する形で原稿を捲くる事にする。やはり面白い。

 そうしてしばらくの間、響く音は俺の笑い声の他は長門と俺の指が奏でる紙の音だけ(古泉は知った事じゃない)、という傍から見れば不気味かもしれない時間を過ごす・・・・・・筈、だったのだが。

 いい加減何度も読み返して俺の笑い衝動も収まってきて初めて、

 ただならぬ気配を感じた。

 

 いや、この混沌飽和状態な部室において更に何かが出現したとかそういうのではなく、そもそも一介の男子高校生たる俺に気配云々が分かるかと言われればまるで自信はないわけだが・・・・・・。

 その、人は気配というものを殆どが呼吸にて感じ取っている、と聞くわけで。なんというか、部室内の大気を無駄に攪拌されているような、というか。

 なんだ?と首を巡らせ掛け、そして最初に心に浮かんだのが冒頭の一文となるわけだ。

 

 鶴屋さん、すげえ。

 

 何かもう、それしか言えない。

 端的に言うなら候補が2人しかいない怪しげな気配の主は、無論のこと路傍の石の如き気配の長門ではなく、それはそれで意外なのだがその容姿の割に喋らなければ存在感の薄い古泉のものであり、

 俺の視界に入ったのは、声こそ上げないまでも長机に突っ伏し口元と腹を押さえて肩を震わせ続けているという、つまり静かに大笑いしている古泉一樹の姿だったりしたわけだ。全然端的じゃないって?仕方ないだろう俺は動揺している。

 

「・・・・・・・・・」

 人は視線というものを上半身、特に肩から上で感じ取る、らしい。さっきの気配云々と同じく尾行術の基本だそうだが、俺はそんなもん調べた覚えはないので、古泉の無駄話にでも出てきたんじゃなかろうか。ミステリ好きの古泉の振りそうな話題じゃないか。前後が全く思い出せんが。

 いやまぁそんな事はどうでもよく、この場合問題となるのは、あの古泉が、こんだけ穴の開くほど凝視している俺の視線を全く察さず肩を振るわせ続けているという状況だ。そもそも俺の笑い声の止んだ時点で気付くべきじゃないのか。

 誰だお前。

 とか思わず口をついて出そうになるのをかろうじて堪える。

 確かに俺はさっき馬鹿笑いしろっつったが、本当に実行されるとは思わんかった。ちなみに実は泣いてましたとかいうオチはないぞ。伝わってくる雰囲気がそりゃあもう楽しそうだ。

 どんな顔してんのか非常に気になる。子供じみているのは百も承知で思い切りからかってやりたい。突っ伏している所為で机に広がる長い前髪を引っ掴んで上向かせようかと手を伸ばしかけ、すんでの所で思い留まった。

 古泉の美形面が崩れている様はそりゃあ見たい。だけどそれをやってしまえば、もう二度とこんな機会は無くなるんじゃなかろうか。二度とは言い過ぎかもだが、こいつが転校して来てから今までに掛かった時間くらいは再び掛けなければ、ここまで気を抜きはしないだろう。

 笑いたくて仕方なかったのを、ハルヒが居る前では演じてるキャラ上絶対にできなくて、あいつが出てったから溜めていたものが、そりゃもう今まで溜めに溜めまくっていたものまでぶち破って出てきたわけだよな?俺と長門の前でもなるべく演じていたいけども、対ハルヒ程の防壁は維持できなくて、気付かれないように声は殺しつつも笑いも堪えきれない状態に陥ってる、と。

 俺には、少しくらい素を晒しても大丈夫と無意識で思っているのだろうけど、多分本人は認めたがらないから、今無理やりその笑いで緩んだ顔を見たら、きっとまた緊張状態になってしまう。

 

「・・・・・・・・・」

 やれやれ。小さく息を吐いてもまだ気付かない。

 いいよ古泉、思う存分笑っとけ。ただハルヒが帰ってくる前には普段のお前に戻っておけよ。

 

 そうして俺は、再び原稿に目を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、対古泉としては一生分くらいに破格の優しい気持ちで締めるつもりだったわけなのだが・・・・・・。

 

 いつまで笑ってんだ古泉。どんだけ笑い溜めしてんだ。いい加減手持ち無沙汰というか、もう10分以上経ってるわけでその間ずっとスルーしてやってんのは結構しんどいんだぞコラ。さっきは断念したがやはり前髪引っつかむか。正面に居るくせにいつまでも存在を忘れられているという状況はなかなか寂・・・・・・ムカついてくるものだ。

 つか、ハルヒもそろそろ帰ってくるんじゃないか。もう顔上げさせといた方がむしろ親切だろうよ。ああそうだとも。

 さて、ではどうやって気付かせたものか。咳払い・・・・・・はわざとらし過ぎるか。椅子を鳴らしてみるとかどうだろう。派手にやりすぎるとこれまたわざとらしかろうから力加減が難しそうだが・・・・・・。

 面倒くさくなってきた。何で古泉なんぞに気を使ってやらなきゃいかん。いいじゃないか、いっそ堂々と笑い話にした方が後腐れなく済むんじゃないかという気がしてきたぞ。なんだかんだでやっぱり顔、見たいしな。

 

 そっとパイプ椅子から腰を浮かす。よし、音を立てずに立ち上がることができた。

 忍び足で長机を回り込み、古泉の背後に。古泉は気付かない。あー、肩だけでなく全身で笑ってたんだなこいつ。必死で声殺してるから身体に不自然に力が入るんだろう。きっと明日は腹を中心とした全身筋肉痛だ。

 突っ伏しているから背中のラインが丸分かりで、制服越しにも浮いた背骨に俺は手を伸ばす。

 使用するのは人差し指一本。腰の辺りから襟首まで、一気に背骨沿いになぞった。

 

「ひゃああ!?」

 古泉のものとは思えない、引っくり返った叫びが響いた。おお、期待以上にいい反応。古泉のくせに間抜けで大変良し。

 引っくり返るといえばパイプ椅子が文字通りに倒れかけたので一応押さえておく。その背もたれに腕一本と、身体の大部分を長机に縋り付いている古泉の体勢も大層愉快だ。

 

 ただちょっと、顔が・・・・・・・・・。

 

「えっ、あ・・・う」

 碌に言葉も出ない様子ではくはくと無意味に口を開閉しているその顔は、間抜けを通り越して、何と言うか・・・・・・

 

 例えば想像してくれ、飛び移りに失敗した猫が着地にも失敗してその上落下地点が水溜りだったもんだからびしょ濡れで硬直している様を目にした場合、間抜けさに可笑しくなる以外の感情も湧かないだろうか。

 

 ところで付け加えるなら、見たかった古泉の崩壊面だが、確かに通常のニヤケハンサム面は跡形も無かったものの、残念ながら方向性が変わっただけで美形はどうしたって美形の範疇で留まるものらしく、むしろその頼りなさげに下がった眉とか紅潮した頬だとか、原因は笑い過ぎだろうと結果的に涙で潤んだ瞳なんかが相まって・・・・・・・・・いや、やめよう。

 詳しい描写は必要ない。ないったらない。とにかく笑い飛ばそうにも飛ばせなくなった、という事実だけが重要だ。

 誰か何とかしてくれ。

 いっそハルヒさっさと帰って来い。今来られたら古泉は困るだろうがな。ああ、本当に大弱りだろうとも。

 

「古泉、ハルヒが帰ってくる前に鏡見て来い」

「そ・・・・・・う、します」

 

 暫定的な処置ではあるが、俺の勧めに乗って気まずげな古泉が扉の外に消えた後、ホッと大きく息を吐いた。

 しかし、やれやれというには事態は収まったわけではない。主に俺の中で。

 全く、何て物を寄越すんですか鶴屋さん、本当にあなたは外部から引っ掻き回す意味でも天才です。あなたが凄いのは認めます、認めますから、

 

 誰か何とかしてくれ。

 

 

 

 

 

花写真でお題より  ウイキョウ(フェンネル)

花言葉・『賞賛に値する』

 

花言葉「賛美に値します」「力量」「良い香り」「賞賛に値する」「不老長寿」「勇敢」