わたくし流モダンジャズ道へ

ハードバップの源流を辿る・・・
アートブレイキーとジャズメッセンジャーズ


LIVE IN JAPAN 1961 わが信州の山里をくねくねと流れていく千曲川は、新潟県境で信濃川になり、日本海に注ぐ、日本一長い川であることは、みなさんもご存知だと思う。
 でも、古来より詩歌などの題材にされ、ふるさとの原風景として旅情をそそる千曲川、その源流がどこにあるのか、意外と知られていない。

 じつは、日本のほぼ中央に位置する長野県南佐久郡川上村、甲武信岳(こぶしだけ)にあるという。この山、正確には長野、山梨、埼玉の三県にまたがるらしい。山の名前もそこから来ているという。
 最初は一筋、二筋と滴り落ちる湧き水が・・・、とうとうと流れて大海へと辿りつく、まさにその大河の源流なのだ。

 それで思うのですが、さてさて、モダンジャズの大河となったハードバップ、ファンキージャズの源流は、いったいどこなのだろうか・・・と。
 そして、なぜかいつも「アートブレイキーとジャズメッセンジャーズ」を思い浮かべてしまう。本編第一章で触れたように、それは日本における本物のジャズの源流となっただけでなく、世界中に広まったハードバップの源流たりうるグループだったと思うのです。

冒頭のCDジャケット写真は、初めて来日したアートブレイキーとジャズメッセンジャーズの初演実況盤 (M&I 1961.1.2ライブ録音)

ある夜、ドラマーとなったブレイキー

 アートブレイキーは、1919.10.11 ペンシルバニア州ピッツバーグに生まれました。
 最初はピアノを学んだというが、途中ドラマーに転向*、フレッチャーヘンダーソン楽団を皮切りに、1940年代にはビリーエクスタイン楽団でチャーリーパーカーとか、ディジーガレスピー、ファッツナヴァロなど多くのビバップの巨匠たちと共演したのです。

 ブレイキーにとって、とくにマイルスデイビスとの共演が、音楽的にも大きく成長したという。
 1950年代に入って、マイルスたちと組んでプレスティッジに吹き込んだ「ディグ」(1951.10.5録音、本編第二章参照) は、ハードバップの目覚まし時計ともいえる画期的な作品となったのですが、ひとえにマイルスたちを鼓舞したブレイキーのポリリズミック・ドラミング、怒涛のようなロールで煽ると同時に、曲想を豊かにさせる繊細なバッキングサポートにあったことは、間違いないですよね。

ブレイキー自身が冗談まじりで、しばしば語っていたことだそうですが、ピアノ弾きとして雇われていたピッツバーグのナイトクラブで、ある時、ここのオーナーからピストルでおどされ、無理やりドラムの椅子に座らされたという。
 最初は下手なドラマーであったブレイキーも、先輩のバッパーたちから手ほどきを受けながら、めきめき上達していったという。彼が、単なるドラマーでなかったことは、ピアノを習得していたキャリアがあったからこそ、・・かもしれませんね。
 メンバーの誰よりも早くマイルスを理解し、ジャズの新しい息吹を、肌で感じ取ったに違いない。


 この後、しばらくバディデフランコのコンボに加わったりして(1951-53年)、いよいよ自分のバンドを持つことになります。

 ところで、40年代後半に、早くもアートブレイキーをリーダーとした8人編成の初アルバムが、「NEW SOUNDS」(10インチLP BLP-5010 1947.12.22録音) というタイトルで、ブルーノートから出されているんですね。
 このアルバムには、マックスローチクインテット、ジェームスムーディーカルテットも一緒にカップリングされています。じつは、ブルーノート・レーベルの創設者、アルフレッドライオンは、新時代を担うべきバッパーの一人として、ブレイキーに注目していたのですね。
 このころ、ブレイキー自身、自分達を「メッセンジャーズ(伝道師たち)」とも言っていたようです。

時の扉を開けた、バードランドの夜のライブセッション

 54年に入って、ブレイキーのグループに、クリフォードブラウン(トランペット)、ルードナルドソン(アルトサックス)、ホレスシルバー*(ピアノ)、カーリーラッセル(ベース)といった、若手のプレイヤーたちが加わって演奏していたころ、アルフレッドライオンは、このグループに新しいジャズの息吹を感じ、ブレイキー第二作目のアルバムを作るチャンスを狙っていました。

 1954.2.21、折りしもニューヨーク52番街に開店したばかりのナイトクラブ「バードランド」で、このメンバーのライブセッションを収録し、三枚の10インチLPに分けて発売されました。
 「A NIGHT AT BIRDLAND WITH THE ART BLAKEY QUINTET」というタイトルがつけられた、ジャズ史上に残る名演アルバム、これぞハードバップのバイブルともいうべき、伝説的なライブアルバムでした。

 ここには、ハードバップ・ジャズの音、ブルーノート・サウンドを創りあげた男とされる、あのルディヴァンゲルダーが録音を担当していたんですね。
 下の三枚のジャケット写真が、その10インチLPです。
 (左から、BLP-5037, BLP-5038, BLP-5039 写真はいずれもこの復刻盤です)


A NIGHT AT BIRDLAND/ART BLAKEY QUINTET Vol.1 A NIGHT AT BIRDLAND/ART BLAKEY QUINTET Vol.2 A NIGHT AT BIRDLAND/ART BLAKEY QUINTET Vol.3

 この三枚のアルバムは、ライブ特有の熱狂ぶりが伝わっくるだけでなく、音楽的にもすばらしいもので、ビバップから新時代のジャズ、そう、ハードバップの萌芽を感じさせるものだったのです。
 今聴いても、クリフォードブラウンだけでなく、ホレスシルバーも、ルードナルドソンも、・・・とにかく皆が新鮮に感じられますよね。全曲感動ものです。

 このグループは、この時はまだ「ジャズメッセンジャーズ」と名乗ってこそいませんでしたが、まさにその前身となるものだったのですね。

ホレスシルバーも、じつはアルフレッドライオンの大のお気に入りでした。HORACE SILVER TRIO(10インチLP)
 アートブレイキーにも加わってもらった「HORACE SILVER TRIO」(右写真、10インチLP BLP-5018 1952.10.9,10.20録音)という初リーダーアルバムが、ブルーノートにあります。「SAFARI」「QUICKSILVER」「HOROSCOPE」などシルバーの自作名演が入ったアルバムです。

 アルフレッドライオンの鋭い嗅覚により、ブルーノートの命運は、アートブレイキーと、ホレスシルバーの二人に委ねられたといってもいいでしょう。
 実際、マイナーレーベルであったブルーノートの苦境を救い、名門レーベルへと押し上げたのは、ハードバップ、ファンキージャズの隆盛だったのですから。

 因みにこのアルバムは、後に出された10インチLP「HORACE SILVER TRIO Vol.2」(BLP-5034 1953.11.23録音)とあわせて、 12インチLP「HORACE SILVER AND SPOTLIGHT ON DRUMS:ART BLAKEY-SABU」(BLP-1520)が発売されました。


 上記の10インチLP三枚のアルバムは、12インチLP時代を迎えて二枚にまとめられ(BLP-1521,BLP-1522)、後年、当夜の別テークなど4曲を入れた一枚(BNJ-61002) が追加発売され、三枚となりました。(下写真 曲目の青色番号はB面です)  (下のジャケット写真はその三枚と同収録曲目。左二枚は残念ながら再発盤です。)


A NIGHT AT BIRDLAND/ART BLAKEY QUINTET Vol.1 BLP1521 A NIGHT AT BIRDLAND/ART BLAKEY QUINTET Vol.2 BLP1522 A NIGHT AT BIRDLAND/ART BLAKEY QUINTET Vol.3 BNJ61002
A NIGHT AT BIRDLAND WITH THE ART BLAKEY QUINTET Vol.1
 (BLP-1521,BST-81521)

1.SPLIT KICK
2.ONCE IN A WHILE
3.QUICKSILVER
4.A NIGHT IN TUNISIA
5.MAYREH

A NIGHT AT BIRDLAND WITH THE ART BLAKEY QUINTET Vol.2
 (BLP-1522,BST-81522)

1.WEE-DOT
2.IF I HAD YOU
3.QUICKSILVER
 (Alternate Master)
4.NOW'S THE TIME
5.CONFIRMATION
A NIGHT AT BIRDLAND WITH THE ART BLAKEY QUINTET Vol.3
 (BNJ-61002)

1.WEE-DOT
 (Alternate Master)
2.BLUES IMPROVISATION
3.THE WAY YOU LOOK TONIGHT
4.LOU'S BLUES


 現在のCD(下記写真)には、これらの全曲を二枚に分けて収められています。
 ハードバップの源流を辿るという意味でも、記念すべきこの日のライブセッションが、今もって人気があるというのは、とてもうれしいことですね。

CD A NIGHT AT BIRDLAND/ART BLAKEY QUINTET Vol.1 CD A NIGHT AT BIRDLAND/ART BLAKEY QUINTET Vol.2

オリジナル・ジャズメッセンジャーズの誕生

 この後(1954年3月)、クリフォードブラウンはカリフォルニアへ行き、マックスローチと組んで「ローチ=ブラウン・クインテット」を結成し、演奏活動を始めました。

 アルフレッドライオンは、バードランドでのブレイキー、シルバーらメンバーたちの息の合った名演が忘れられず、シルバーに持ちかけてアルバムを制作します。

 シルバーが選んだメンバーは、ケニードーハム(トランペット)、ハンクモブレイ(テナーサックス)、ホレスシルバー(ピアノ)、ダグワトキンス(べース)、アートブレイキー(ドラムス)のクインテットでした。
 このメンバーで演奏したアルバムが「HORACE SILVER AND THE JAZZ MESSENGERS*で、シルバーにとってこれが二枚目のアルバムとなるものでした。
 そしてこの直後に(1955年2月)、同一メンバーによるレギュラーコンボとして、正式に「ジャズメッセンジャーズ」が誕生したのでした。
HORACE SILVER AND THE JAZZ MESSENGERS
*左写真は、このCDジャケット。1954.11.13,1955.2.6録音。
 12インチLP(BLP-1518)からこのタイトルとなったが、オリジナルの10インチLPでは二枚(BLP-5058,BLP-5062)に分けて収録されています。
 じつはこのときのタイトルは、「HORACE SILVER QUINTET Vol.1」「同Vol.2」で、まだ「JAZZ MESSENGERS」の名前はつけられていなかったんですね。ここには、超ヒット曲「ザ・プリーチャー」が入っています。


 1955.11.23 グリニッチビレッジにあったクラブ「カフェボヘミア」で、このジャズメッセンジャーズの初アルバムとなる収録を、ブルーノートのライオンは、もちろんルディヴァンゲルダーを迎えて行ないました。

 このライブセッションは、「THE JAZZ MESSENGERS AT THE CAFE BOHEMIA」のタイトルで二枚の12インチLP (BLP-1507, BLP-1508)にしてリリースされました。
 若きドーハムも、モブレイも、ブレイキーのメリハリのあるバッキングで、互いに触発し合う素晴らしい熱演を聴かせてくれています。

 後年、このセッションの未発表曲の6曲を収めたアルバム一枚(BNJ-61007)が、追加リリースされましたので、計三枚のLPに残されました。
(下のジャケット写真はその三枚と同収録曲目。惜しいことに真ん中のBLP-1508は、再発盤です。)

 CD時代になってからは、この全曲が二枚に収められて、現在発売されていますので、いつでも聴くことができるのですね。


THE JAZZ MESSENGERS AT THE CAFE BOHEMIA Vol.1 THE JAZZ MESSENGERS AT THE CAFE BOHEMIA Vol.2 THE JAZZ MESSENGERS AT THE CAFE BOHEMIA Vol.3
THE JAZZ MESSENGERS AT THE CAFE BOHEMIA Vol.1
 (BLP 1507)

1.SOFT WINDS
2.THE THEME
3.MINOR'S HOLIDAY
4.ALONE TOGETHER
5.PRINCE ALBERT

THE JAZZ MESSENGERS AT THE CAFE BOHEMIA Vol.2
 (BLP 1508, NR 8834)

1.SPORTIN' CROWD
2.LIKE SOMEONE IN LOVE
3.YESTERDAYS
4.AVILA AND TEQUILA
5.I WAITED FOR YOU

THE JAZZ MESSENGERS AT THE CAFE BOHEMIA Vol.3
 (BNJ 61007)

1.LADY BIRD
2.WHAT'S NEW
3.DELPHERING THE MESSAGE
4.JUST ONE OF THOSE THINGS
5.HANK'S SYMPHONY
6.GONE WITH THE WIND

35年間走り続けたブレイキーの牽引力

 しかしです。この夢のようなグループも、一年余でアートブレイキーひとりを残して、ホレスシルバーほか全員が退団し、自分達でグループを作ってしまいました。

 音楽的に意見が対立した結果だと言うのです。でも、シルバーが名付け親とされる「ジャズメッセンジャーズ」というグループの大きな看板は、彼の手元に残りました。
 このことが結果的に、有能な新人発掘という強力な武器を彼に与え、ブレイキーの優れた音楽的なセンスと、強烈なナイヤガラロール・繊細なバッキングをあわせ持つ華やかなドラミングにより、その後のジャズシーンの本流を、常に人気バンドとして活躍し、延々と35年も続くことになったのですから、運命とは分からないものです。
ART BLAKEY MOANIN'
 御大ブレイキーのドラムに、リーモーガン(トランペット)、ベニーゴルソン(テナーサックス)、ボビーティモンズ(ピアノ)、ジミーメリット(ベース)が加わった最初の作品「モーニン*(右写真はCDジャケット BLUE NOTE 1958.10.30録音)が、ファンキージャズに火を点けることになります。

 わたくし個人としては、メッセンジャーズがファンキーブームの絶頂にありながら、テナーサックスのウェインショーターを迎え(1959年秋)、さらにはトロンボーンのカーティスフラーを加えて(1961年夏)、新しいサウンドを求めてモーダルな三管編成へと進化させていく、御大ブレイキーのセンスと底知れぬ力に、感嘆してしまうのです。


*♪
収録曲目 1.MOANIN' 2.ARE YOU REAL? 3.ALONG CAME BETTY 4.THE DRUM THUNDER SUITE 5.BLUES MARCH 6.COME RAIN OR COME SHINE 7.MOANIN'(alternate take)


 ここでは、そんな素晴らしいブレイキーの足跡を垣間見ることができる「ROOTS AND HERBS」と「MOSAIC」の二枚のアルバムを紹介しておきましょう。

ルーツアンドハーブス BLUE NOTE 1961.2.12,2.18,5.27録音 左のCDジャケット写真
ART BLAKEY ROOTS & HERBS ショーター色を前面に打ち出した新しいメッセンジャーズが聴ける。
 小川隆夫さんの言によれば、このアルバムは収録時点ではあまりにも先進的な内容だったため、かなり後年になってから発売されたものだという。

 ブレイキーの日本公演から帰国して直後の収録になるのですが、この中の曲目「UNITED」「LOOK AT THE BIRDIE」「MASTER MIND」や、CDにボーナストラックとして収められている、オリジナルにはない別テークなども、すでにファンキーを超えて、次なるジャズシーンをすでに捉えているといってもいいと思う。

 メンバーは、アートブレイキーのドラムに、リーモーガン(トランペット)、ウェインショーター(テナーサックス)、ウォルタービショップJr.(2.18収録の2曲のみ)、ボビーティモンズ(ピアノ)、ジミーメリット(ベース)。

収録曲目 1.PING PONG 2.ROOTS AND HERBS 3.THE BACK SLIDERS 4.UNITED 5.LOOK AT THE BIRDIE 6.MASTER MIND 7.THE BACK SLIDERS(alternate take)* 8.PING PONG(alternate version)* 9.UNITED(alternate version)* *印はCDボーナストラック

モザイク BLUE NOTE 1961.10.2録音 右のCDジャケット写真
ART BLAKEY MOSAIC トランペットがフレディハバードに代わり、ショーターのテナーに、新たにカーティスフラーのトロンボーンを加えた、三管編成によるソフトで重厚なニューサウンドは、メッセンジャーズのトレードマークにまでもなったアルバム。ピアノもシダーウォルトンに代わりました。

収録曲目 1.MOSAIC 2.DOWN UNDER 3.CHILDREN OF THE NIGHT 4.ARABIA 5.CRISIS 
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 このグループの音楽監督となったウェインショーターは、後年(1964年)、日本から帰国したばかりのマイルスのグループに引っこ抜かれてしまうんですね。マイルスは、かねてより御大ブレイキーに頼んでいたのだという。
 一人前にしたところで、旅立たせる、ここがまたブレイキーの偉大なところでもあるのですね。

 因みに、リーモーガンは一時健康を害していたようですが、1964年にまたグループに戻り、67年自己のクインテットを結成するまで活躍しました。惜しいことに1972年2月、この天才トランペッターも、愛人との不幸な出来事で33才の若さで亡くなってしまいます。

 余談ながら、因縁の二人、ブレイキーの初来日は1961年1月、ブレイキーより10歳ほど年下のシルバーも、後を追うように翌年の1962年1月に来ているのですね。
 わが国のファンキーブームが頂点に達していたころの、今思えば昭和のまことに良き時代のことでした。

 ブレイキーのスカウトした新人が、登竜門としてのジャズメッセンジャーズで腕を磨き巣立った後、一流スターになったプレイヤーは、ちょっと頭に浮かんだだけでも、クリフォードブラウン、リーモーガン、フレディハバード、バレリーポノマレフ、ウイントンマルサリス、テレンスブランチャード(トランペット)、ハンクモブレイ、ウェインショーター、ブランフォードマルサリス(テナーサックス)、ボビーティモンズ、シダーウォルトン、マルグリューミラー(ピアノ)などなど、ものすごいことですよね。
ART BLAKEY / STRAIGHT AHEAD
 そして、ブレイキーにとって、60年代、70年代のエイトビート、電化楽器、フリージャズ全盛時代の苦境を、ブレイキーファンの根強い人気に支えられて乗り超えてきたのです。


 80年代に入って、新進気鋭のウイントンマルサリスを迎えて、またかつてのフォービートジャズ復活を果たし、ジャズシーンの前面に躍り出て活躍したことは、ご承知のとおりです。

STRAIGHT AHEAD Concord Jazz 1981.6 サンフランシスコ「キーストンコーナー」でのライブ録音 左上のレコードジャケット写真。
 パーソネルは、御大ブレイキーのほか、ウイントンマルサリス(トランペット)、ビルピアース(テナーサックス)、ボビーワトソン(アルトサックス)、ジェームスウィリアムス(ピアノ)、チャールスファンブロー(ベース)。

収録曲目 1.FALLING IN LOVE WITH LOVE 2.MY ROMANCE 3.WEBB CITY 4.HOW DEEP IS THE OCEAN 5.E.T.A. 6.THE THEME


 日本を第二の故郷として、毎年のように来日し、われわれ日本人に親しまれてきたブレイキーは、1990.10.16 70歳の誕生日を迎えたところで、とうとう帰らぬ人となってしまいました。

 アートブレイキーが点けて燃え広がったハードバップの火は、現在においても消えるどころか、アナログレコードを通して、はたまたCDを通して、ますます強くメラメラと、私たちの心の奥深くで燃え続けているのですね。

 それにしても、1961.1.15 初めて来日した「アートブレイキーとジャズメッセンジャーズ」に直に遭遇し得た幸運に、わたくしはまずは感謝しなければならない。オー・マイ・ゴッド!
 (2007.2.15 記 Copyright (C) 2007-2013 TOKU All Rights Reserved.)

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