写真に見る長野ハムクラブ50年史 T
1949(S24) -1961(S36)
CQ誌1949通巻第23号CQ誌1949通巻第27号 1949(S24.8) 左 長野ハムクラブが設立されたころのCQ誌、昭和24年8月号。定価55円 送料3円 地方定価 60円50銭(地方定価の二本立てがおもしろいですね)。10月号の9ページには、囲み記事で「あなたはアマチュア無線の許可が我々日本人にも与えられる事を熱望しませんか?」と署名陳情運動への参加を呼びかけています。無線局再開への熱意と期待がひしひしと伝わってきます。
1949(S24.12) 右 CQ誌昭和24年12月号 44ページのクラブ☆便り欄に新規登録クラブとして、長野ハムクラブ(当時の名称「長野アマチュアラヂオクラブ」)がはじめて紹介掲載されています。(当時はラジオでなくラヂオでした。)
S28 定例ミーティング S29 JA0AOシャックS29 JA0AO QSL
1953(S28) 昭和27年に待望のアマチュア無線局の再開がやっと許可され、受験対策など資格取得へ向けてクラブ員の熱意は大いに盛り上がりました。長野市城山公園のアメリカ文化センター*の前での勉強会を兼ねた定例ミーティング後のスナップ写真です。
*現信濃美術館の場所にあり、アメリカの文献図書がたくさん所蔵されていました。最新のアマハン(アメリカのハムの技術手引書)も見ることもできたんですよ。
1954(S29) 開局当時のJA0AOさんの豪華な無線室(シャック)とQSLカードです。送・受信機、アンテナ等は誰もがジャンク品を集めて、すべて自作したものです。
当時のゼロエリアのコールサインはJA1W*-JA1Z*で(サフィックスはもちろん2文字コールです)、関東・信越のプリフィックスはJA1であったのです。信越のプリフィックスがJA0A*-JA0D*となったのは、S29年12月になってからでした。
S28.7 コールブック 戦後発刊第1号 S31.8 横手山頂移動運用S30 定例ミーティング
1953(S28.7) 全国のハムを収録したコールブックの戦後発刊第1号です。オーム社から刊行されました。信越電波監理局(現在の信越総合通信局)管内はJA1WA-JA1WZ が掲載されています。 1955(S30) 左 長野市東和田のラーメン屋の狭い一室で、ラーメンをすすりながら、時間が経つのも忘れてハム談義にふけったものです。
1956(S31.8) 右 アマ局に移動運用が許可され、当時盛んに各地に移動して電波伝搬実験を行いました。これは志賀高原横手山山頂に移動したときの一コマです。
S32.8 長野県内合同ミーティング S30年代 JARL妙高信越支部大会
1957(S32.8) 長野県松本浅間温泉で行われた長野県内合同ミーティングのさいの記念写真です。前列左端におられる方が、信越管内の女性ハム第1号の方です。 1955(S30) 長野県・新潟県合同のJARL信越支部大会を新潟県妙高池の平で開催。前列向かって左から5人目にJA1AN原昌三JARL前会長さんも出席しておられます。
因みに、第1回JARL信越支部大会は同じ妙高池の平でS28年8月に開催されました。
S31.2 クラブ会報 S33 飯綱山移動S33.8 菅平移動運用
1956(S31.2) 長野アマチュアラヂオクラブの当時の会報です。当時はワラ半紙にガリ版刷り。新局紹介のコールはJA0G*まで進んでいます。この号ではVHFへのチャレンジ特集となっており、OM方が寄稿した挑戦的なテクニカルレポートを見ることができます。会報の役割、それは、その時々の熱い情熱をいつまでも生々しく後世に伝えることができるんですね。まさに継続は力なりです。 1958(S33) 左 長野市飯綱山頂移動運用スナップ。自作のハンディー機を持って各地へ移動して、電波伝搬実験を兼ねたQSOを、盛んに行なっていました。
1958(S33.8) 右 長野県菅平高原移動スナップ。当時は電源、真空管式の重い機材を山へ持ち上げるのは一仕事でした。
S34.4 須坂臥竜公園公開運用S33.7飯綱大座法師池移動運用 S33 JARLクラブ登録
1958(S33.7) 左 長野市飯綱大座法師池での公開運用スナップ。
1959.(S34.4) 右 須坂市臥竜公園での公開運用スナップ。当時、科学への好奇心と探究心旺盛なラジオ少年が物珍しさもあって、大勢集まりました。
1958(S33.8) 長野ハムクラブがJARL信越支部所属クラブとして正式に登録されました。
S34.3 丸善デパート前にて S36.4 犀川河畔長野県総合防災訓練
1959(S34.3) 新2級アマ技士資格に新たに電信(CW)が義務付けられ、旧2級には5年間の移行経過措置が与えられました。当時新資格への移行目指して盛んにCW講習会が開かれました。講習会の後、長野市昭和通りにあった東急デパートの前身丸善デパート前での撮影です。 1961(S36.4) 長野市犀川河畔での長野県総合防災訓練に参加したときのスナップ。ハムによる長野県内非常通信網は、S29年にはすでに敷かれていました。翌年(S30年)からは早くもJA0-OSOコンテストが始まっており、以後毎年行われ現在に至っています。

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    (2012.2.21 掲載 Copyright (C) 2012-2013 TOKU All Rights Reserved.)