わたくし流モダンジャズ道
モダンジャズとの邂逅 マイルスデイビス ソニーロリンズ ジョンコルトレーン お気に入りのアーティスト モダンジャズにかける私の夢 エピローグ


U 進化するモダンジャズとともに ・・・偉大なるジャズジャイアンツ

ソニーロリンズ編

酒とジャズは楽しくなければ意味がない

ソニーロリンズ・長野公演プログラム 昔は、ジャズを聴くなんて変わっている人、なんて言われた時代がありましたね。
 それが、どうですか、昨今はテレビの一流コマーシャルをはじめ、街中のレストラン、そしてスーパーなどでも、BGMとして、ソニーロリンズとか、マイルスデイビスなんかが、ごく自然に流れているではありませんか。

 すると、わが事のようにうれしくなってしまうわたくしであります。こんな片田舎でも、ようやくジャズが市民権を得たんだと、ひとりニヤニヤしている自分に気がついて、ハッとするのです。ところがです。

 これは音楽のみならず文化芸能全般に言えることですが、まだまだ生活の一部になっているとは、とても言えないのも事実ですね。
 こう不況がつづくと、どうですか、各地恒例のジャズフェスティバルはつぎつぎと姿を消していくし、ジャズなんかは、生の演奏会が極端に減っているような気がするのですが・・・。

 とくに地方がいけませんね。そう言えば、毎年のように来てくれていた、わが愛する佐藤允彦トリオも昨年から音沙汰ありませんね。(別に佐藤さんのせいではありません。念のため) あの伝統ある斑尾ニューポートジャズフェスティバルも一昨年(2003)で、とうとうなくなってしまいましたね。

 歳をとるとグチが多くなるようですね。ジャズはとにかく楽しく聴かないと、いけません。
 これもだいぶ前の話になりますが、そうなんです、あのソニーロリンズが長野くんだりまでわざわざ演奏に来てくれたのです(そのときのプログラムが本章冒頭の写真* )。1968.1.18 のことです。

 その前年にジョンコルトレーンが亡くなって、まだ半年経ったくらいのときでしたね。ジャズ界全体がこの偉大なジャズジャイアンツを失ったことで、意気消沈していたころです。
 ロリンズはちょうど映画「アルフィー」(パラマウント)の音楽を手がけたというので、話題になっていたころです。

 ロリンズもかなりフリージャズっぽいほうへ行ってしまったのではないかと、わたくしは心配?していたのですが、あの豪放磊落で、メロディアスなロリンズ節を、再び50年代のようにたっぷりと聞かせてくれたのです。(彼の初来日は1963.9ですから、このときは二度目の来日ということになります)

このときの来日メンバーは、ソニーロリンズ(テナーサックス)、ヒューJローソン(ピアノ)、ラリーリドレー二世(ベース)、ジョージブラウン(ドラムス)のカルテットでした。
 後述するように、このころはフリージャズ全盛時代でしたが、かつての豪放かつユーモアあふれるロリンズ節にまた戻っていましたね。 長野市市民会館にて1968.1.18公演。
 じつは、わたくしは三回目の来日公演(1973年9月) も聴いているのです。
 このときのメンバーは、ロリンズに、増尾好秋さん(ギター)、ボブクランショウ(エレクトリックベース)、デヴィッドリー(ドラムス)、ジェイムスエムトーメ(コンガドラムス)でした。


 でも、当時は、とにかくフュージョン系、電化サウンドが主流でした。強烈なフォービートは、もう古いといった感覚だったかもしれませんね。


レコードジャケット写真17 ジャケット写真17 アルフィー
 ロリンズが映画「アルフィー」のテーマ曲として手がけた作品。残念ながら映画は観てないが、長野では上映されたのだろうか。
 なんでも何人もの女性を相手にハッスルするプレイボーイの物語だったとか。
 ロリンズに、ケニーバレル(ギター)、ロジャーケラウェイ(ピアノ)、フィルウッズ(アルトサックス)で、オリヴァーネルソンがアレンジ指揮したオーケストラをバックに好演している。
 曲目のそれぞれに意味があるのだろうが、やはりテーマ曲の「アルフィー」に、ロリンズの解釈なり、思い入れがあるのだろう。随所にロリンズ節が聴かれてうれしい。
 このレコード(写真)は当時、キングレコードから発売されたもので、オリジナル版が間に合わなかったか、版権の関係か分かりませんが、日本コロンビアから出されたジャケットデザインと違うのですね* 。映画「アルフィー」の一場面なのか、ジャケットにこうした写真があるのはおもしろいですね。
 ここでは児山紀芳さんがライナーノーツをお書きになっていらっしゃる。
 余談ながら、同名の映画が40年ぶりにリメークされて、また日本でも公開されるらしい。Impulse 1966.2.26録音 *ジャケット写真17にマウスポインタをあててみてください。


アドリブの頂点を極めたソニーロリンズ

  

 ソニーロリンズと言うと、イコール「サキソフォンコロッサス」の図式が、わたくしの頭にも、しっかりとたたきこまれています。レコードジャケット写真18
 そして、あの「モリタート」のメロディーが、どうしても一緒に浮かんできてしまうのです。

 当のロリンズ自身が、たぶんこのあまりにもすばらしい演奏をしてしまったばかりに、このあととてもやりにくかったろうな、と思ってしまうのです。(さきほどの長野での公演でも、たぶんみんながそれを期待して待っていましたから・・・) このイメージから抜け出そうと、本人はひどく悩んだことでしょうに。

 彼は、二度、三度と突然に雲隠れ(引退)* したことでも有名ですが、豪快なブローとは対照的に、内面はすごくナーヴァスだったんですね。精神修行のため座禅も組んだことがあると、かつて聞いたことがありますが、わたくしが好きな精神世界のイメージは、ロリンズのジャズのなかにはどうしても感じることができないのですが・・・。
 *演奏活動の休止 @1954.11-1955.11 A1959.8-1961.11 B1969.11-1971.11

 そういえば、彼の音楽は、音の入れ方といい、音の濃淡といい、まるで水墨画を観ているようだ、と言った評論家も確かいましたね。


 1955年秋に、当時シカゴで音楽とはまったく無縁のところで働いていたロリンズ(最初の雲隠れ) は、クリフォードブラウン、マックスローチのクインテットに誘われ、ここで再びすばらしい演奏活動に入ります。

 エマーシーレーベルから出された「ベーズンストリートのクリフォードブラウンとマックスローチ」(1956.1.4 2.16-17録音) ではロリンズが共演している。
 
 もう一枚、プレスティッジレーベルから「ソニーロリンズプラスフォー」(1956.3.22録音、かつて「スリージャイアンツ」のタイトルで出されたこともある) が出ているが、実は、このレコードがブラウンのラストレコーディングにもなってしまったのだ。

 そして、この時期にロリンズが、自身の最高傑作「サキソフォンコロッサス」(Prestige 1956.6.22録音) を生むことになるのです。
 ブラウンは、どうも別のところにいたようで、ここには入っていませんね。そして、こともあろうにこのサキコロが録音された四日後に、ブラウンは、同乗していたリッチーパウエルとともに突然の交通事故で亡くなってしまいます。

 50年代後半には、アメリカ西海岸で活躍していた、いわゆるウェストコースト派* のシェリーマン(ドラムス、前へ前へと追い立てるような軽快なリズム感に特徴がありますが、彼のブラッシュワークはまた、たまらないですね)、レイブラウン(ベース)らトップミュージシャンと共演することになるのです。
 ピアノを入れなかったのも、自由奔放に吹きたいという彼の表現のひとつの考え方、だったのでしょうね。

ロサンゼルスなどアメリカ西海岸を中心に活躍した主に白人のミュージシャン一派。シェリーマンのほか、アートペッパー、チェットベーカー、ジェリーマリガン、ハンプトンホースなどが知られる。
 クールジャズから発展したのだが、どういうわけか最初はニューヨークを中心とする、いわれる東海岸(イーストコースト)のほうはあまりパッとしなかった。

ジャケット写真18 サキソフォンコロッサス
 なんと言ったって、ロリンズの最高傑作である。
 灼熱の太陽が照りつける南国の陽気なカリプソリズムに乗った「セントトーマス」や、クルトワイル作曲の三文オペラから引っ張り出してきた「モリタート」など、豪快なうえに、明るくてユーモラスなメロディーはとても親しみやすく、とにかく楽しくなる。そして、しっとりと聴かせてくれる「ブルーセブン」も印象に残る曲だ。
 メンバーはロリンズのテナーに、トミーフラナガンのピアノ、ダグワトキンズのベース、マックスローチのドラムスのカルテットによる演奏。コロコロころがるようなフラナガンのピアノ、正確無比なローチとしっかりした足取りのワトキンズのリズムサポートもいい。タイトルのとおり、まさにロリンズ(サキソフォーン)の巨像だ。

 余談ながら、このレコードは後年再発された盤(1968年)だが、二つ折りの豪華なジャケットにレコードが収められており、A面のトップが、なんと「モリタート」ときた。
 当時、この曲が一世を風靡していたのは分かるが、ここは彼のトレードマークともいうべき「セントトーマス」から始まるオリジナルでないと、どうも落ち着かない。因みに、オリジナルのA面トップが「セントトーマス」、続いて「ユードントノウ・・・」、「ストロードロード」とノッてきたところで、おもむろに盤をひっくり返して(じつに、この"マ"が大事なのだが・・)、出てくるのがこの「モリタート」というわけだ。 Prestige 1956.6.22録音


レコードジャケット写真19ジャケット写真19 ウェイアウトウェスト
 東海岸のロリンズが、ウェストコースト派といわれるジャズジャイアンツたちと演奏したもので、サキコロに次ぐ彼の傑作。
 このレコードを聴くと、砂漠の荒野?をカウボーイ姿のジョンウェインや、ゲーリークーパーが、馬に乗っていく西部劇の一シーンをどうしても思い浮かべてしまうのだ。これは、とにかく全編にわたってユーモラスな西部劇絵巻ですよね。実は、わたくしは西部劇映画がこのうえなく好きだったのだ。主役演ずるロリンズにレイブラウン(ベース)、シェリーマン(ドラムス)という強力な相棒(助っ人)がついている。 Contemporary 1957.3.7録音

ジャケット写真20 コンテンポラリーリーダーズ
レコードジャケット写真20 上記の二枚とこの盤を聴けば、最盛期のロリンズがどんなにすばらしいものであったか、分かろうというものだ。軽快で歯切れのよいリズムサポート陣に乗っかって、豪快でユーモラスなロリンズ節が大いに満喫できる。
 そう言えば、昔、歌心のないジャズはジャズではないと言って、フリージャズ到来とともに去っていった超有名タレントがいたのを思い出しました。
 メンバーは、ロリンズのテナーに、ハンプトンホース(ピアノ)、バニーケッセル(ギター)、ルロイヴィネガー(ベース)、シェリーマン(ドラムス)と、曲目によってヴィクターフェルドマン(ビブラフォン)が演奏に加わっている。ハンブトンホースと言えば、愛称「お馬さん」で親しまれ、しばらく日本で演奏していたことがあり、その名演とともに、とてもなつかしい人ですね。
 ロリンズのレコードの中でも「サキコロ」とこの盤がとくに好きだ。 Contemporary 1958.10.20-22録音


 いずれにしても、ソニーロリンズがハードバップ時代におけるアドリブの頂点(コード分解の極意) を極めた、天才アーティストのひとりだということに、だれも異論はないでしょう。
 そしてこの後、また雲隠れしてしまうのです。みんながオレのマネをするので嫌気がさした、と言われていますね。


RCA時代のロリンズ VS インパルス時代のロリンズ

 60年代のジャズシーンは、フリージャズの影響がそこかしこに出たと言えるでしょう。
 いち早くバップの限界を感じたジャズミュージシャンの中に、このロリンズもいたわけで、実際、1961年に二度目の雲隠れからカムバックした彼も、フリージャズのエリックドルフィーやドンチェリーらと競演もしています。

 雲隠れ中に、ロリンズは、ニューヨークマンハッタンのハドソン川か、イースト川でしょうかね、夜な夜なただひとりで、ひたすら橋の上でテナーを吹いていたという話を、学生時代におもしろおかしく聞いたことをなつかしく思い出しますが・・・ホントだったんですかね。

 ロリンズは、常に最上のコンディションで舞台に立ち、ベストの演奏を心がけてきたという。自分が満足できない演奏にはいっさい妥協しないという、とても自己に厳しいアーティストだったというんですね。
 人気に溺れることなく、謙虚に反省し、自己研鑽に励んできたことは事実のようです。人気の絶頂にありながら、演奏を断ち切るという彼の勇気から、こうした伝説がファンにいつまでも語り継がれるのでしょうね。・・しかしです。

 RCAへ移っての第一作の「橋」(1962.1.30 録音)をはじめ、他のレコードも思ったようにはヒットしなかったのです。実際、わたくしもこの時期のものでおおすめできるものは、残念レコードジャケット写真21ながらありません。

 前掲の「アルフィー」もそうですが、ロリンズはインパルスへ移籍してから、がぜんハッスルして昔のようにパワーフルなサックスを聴かせてくれるようになります。

 (元を取ろうとして) 売らんかなのRCAレーベル時代には、とにかく録音テープをズタズタに切られて、エキスだけを短く編集されたのでは、折角のロリンズの良さも吹っ飛んでしまったのではないかと思います。ポップスではあるまいに・・・。
 そうした当時の営業政策が裏目に出たのでしょうね。セールスポイントであるはずのロリンズ節が、歌うロリンズ節ではなくなってしまっているのですから。

 インパルスへ移籍してから、長野公演でも聴かせてくれたように、軽快なリズム陣に乗っかって、またあの豪快でユーモラスなロリンズに戻ることになります。

ジャケット写真21 ソニーロリンズオンインパルス
 テナーサックスのロリンズに、レイブライアント(ピアノ)、ウォルターブッカー(ベース)、ミッキーロッカー(ドラムス)のカルテットによる演奏。インパルス時代の名盤のひとつ。
 軽快なリズム陣のサポートがまたいい。曲目「オングリーンドルフィンストリート」で見せるアブストラクトなロリンズもまた新鮮だ。 Impulse 1965.7.8録音


 ついでといっては何んですが、この吹き込みのちょっと前に、ニユーヨーク近代美術館で演奏したときのライブ盤「ソニーロリンズライブ 65/There will never be another you」(Impulse 1965.6.17録音)では、ライブならではのエキサイトしたスウィンギーなロリンズが聴かれ、おすすめしたい盤だ。
 また、その一年後に吹き込まれた「イーストブロードウェイランダウン」(Impulse 1966.5.9録音)では、さらにロリンズ風にくずしたジャズを聴かせてくれる。ここではわが?エルビンジョーンズ(ドラムス)が共演しているんですね。


ちょっとだけコーヒーブレーク

レコードジャケット写真22

 今、おもしろい?レコードを、久しぶりに聴きながら、この原稿を書いているところです。「テナーマッドネス」というレコードです。

 レッドガーランド(ピアノ)、ポールチェンバース(ベース)、フィーリージョージョーンズ(ドラムス)の世界一最強のリズム隊にサポートされなから、世紀の対決ともいうべきジョンコルトレーンとソニーロリンズの両ジャイアンツが、白熱したブロー合戦を繰り広げているのです。

 コルトレーンがマイルスクインテットで自分のスタイルを確立しつつあった時期だけに、すでに名声を上げていたロリンズとしても期するものがあったのでしょう、その意気込みがひしひしと伝わってきます。
 結果的に三年後にはロリンズが雲隠れしているのですから、両ジャイアンツのその後の明暗を見るにつけ、当時とはずいぶん違った聴き方ができるわけで、ジャズはますますやめられなくなりますよね。

 それにしても、この二人の競演は歴史的に見ても大変に貴重な記録(史料)だと思いませんか。


ジャケット写真22 テナーマッドネス
 久保田高司さんのライナーノーツによれば、当日はロリンズとガーランド、チェンバース、フィリージョーで録音することになっていたところへ、当時マイルスクインテットの新進テナー奏者であったジョンコルトレーンがひょっこりスタジオに現れて、この歴史的なセッションが行われたようです。
 おもしろいことに、ジャズの場合はこういったハプニングがしばしばあって、新たな歴史が作られていくんですね。コルトレーンが参加しているのは、A面の「テナーマッドネス」一曲のみ。 Prestige 1956.5.24録音


 どうも歴史は苦手のようで(わたくしのことです)、ロリンズも時系列的ではなく途中から、しかも名盤中の名盤から入ってしまいましたね。
 でも、いまの若い人たちは、こうした名盤からいきなり入っていけることは、とてもしあわせなことです。そして、だんだんとすそ野を広げていけばよいと思うのです。

 われわれの時代は、こんなはずではなかった、しまったということが星の数ほど多くありました。レコードは大きなサイズで、そのうえ重かった。家がかしがった、つぶれたというコレクターの話も聞かれた時代です。それだけ高い授業料を払わされたのですね。(脱線しましたね)

 ソニーロリンズも、実は 1940年代後半のビバップ時代からすでに頭角を現した天才サックス奏者だったんですね。後述するバドパウエル(ピアノ)とか、ファッツナバロ(トランペット) の大物ビバッパーと共演しているのです。
 そして1951年* には、マイルスデイビスのバンドにも加わっています。 ディグ Prestige 1951.10.5録音 マイルス編で前掲。
 この年(1951年)に、ロリンズが初リーダーの録音をプレスティッジで行っているんですね。これらを含めて天性のひらめきが開花した1950年代のソニーロリンズの全容を別掲しましたので、どうぞご覧ください。

 ジャズは楽しくなければジャズじゃない。ソニーロリンズは、むずかしいことは考えないで、リラックスして、楽しく愉快に聴くものだ、とわれわれに教えてくれているのでしょう。
 これからもずっと長生きしてほしいアーティストですね。1930.9.7* 生れですから、もうじき75歳を迎えるんですね。 *書籍とか、アルバム等に1929年生まれとクレジットされたものがあるが、これは間違い。

ロリンズファイナルコンサート東京公演 ・・・と、ところがです。「ロリンズ、ライブツアーに正式引退表明」という衝撃的なビッグニュース?? が、本年(2005年)7月に突如流れてきました。そして、ロリンズ最後の来日公演?? が決まってしまったのですと!
 なんでも「マネジメントを仕切っていた最愛の奥様が亡くなり、年齢的にもツアーをこなすのが、むずかしくなってきた」(招聘先のJECインターナショナルの話) というのです。
 何はともあれ、11月6日の東京でのサヨナラ公演のチケットを急いで申し込みましたが・・。

 彼が引退と騒がれるのも、これでホント4回目ですよね。これはもう、異常気象ついでに季節はずれのエープリルフール、眠れぬ真夏の夜の夢であってほしいと願わずにはいられませんね。
 それにしても日本が好きだというロリンズは、いったい何度日本へ来ているのでしょう。(今までになんと21回ですと!) 頭の中はもう真っ白状態です。

写真は、ロリンズ・ファイナルコンサート東京公演を知らせるJECインターナショナルのちらしから引用。 (本稿 2005.8.9 緊急追記)


♪♪ 2005.11.6(日)、とうとう行ってきました。観て、聴いて、泣いてきちゃいました。涙、涙の最終?? コンサートにです。
 いやぁ、良かったなぁ、大満足です。テナーの調子も、演奏も、彼にとって最高の日だったのではないかな。ぜひぜひこのファイナルコンサート興奮レポートもご覧になってください。(本稿 2005.11.11追記)

 次章は、いよいよジョンコルトレーン編です。実は、コルトレーンのほうがロリンズよりも年上だったんですね。ロリンズのほうが先にジャズシーンの花舞台に躍り出ただけに、ちよっと、えっ、という感じですが。
 そして、天才型ロリンズに対して、努力型コルトレーンなんて言われますよね。どうぞお楽しみに・・・。

 本ページ冒頭

(U 進化するモダンジャズとともに、偉大なるジャズジャイアンツ・ジョンコルトレーン編 へつづく 2005.4.1記 Copyright (C) 2005-2013 TOKU All Rights Reserved.)


   
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