わたくしの生き方 W


長野県飯山市・菜の花畑

きっかけは鉱石ラジオ ・・・ラジオ少年時代
 ハムに夢中になった時代 ・・・電波少年時代
 社会人になって ・・・高度成長の一端?を担う
 わが精神世界の遍歴 ・・・大変革の時代を生きる
 続編 …山野草と戯れる

    私の不思議体験  カルマ(魂)の浄化と波動上昇について


わが精神世界の遍歴 ・・・大変革の時代を生きる

死後の世界というタブーへの挑戦

もう何年も前の話になりますが、「死後体験」と称する本が出たとの広告を新聞で見て、また、その手の本が出たな、と思ったのですが、著者の坂本政道さんは、なんでも東大理学部物理学科を出たエンジニアーであるとのコメントが載っていたのです。
 どうやらこれは、宗教家の書いたもの、超心理学、超常現象研究家と称する、いわゆるその手の方がお書きになったものではないらしい。

 精神世界の、それも科学的にとか、物理学的に探求、ないし究明したものというものに、わたくしは昔から強く惹かれてしまう。もっとも、ノンフィクションとして書かれたドキュメントものも大好きではあったのですが・・・。
 そして、生来、わたくしには自分で体験、ないし論理的に把握しないと納得できないところがあります。

 さっそく、いつも行く駅前の書店で、この本を見つけて買い求め、これもいつものように二日ほどで読み終えたのでした。
 なんでも、アメリカのモンロー研究所というところで、死後の世界を見てき坂本政道著「死後体験V」たと言う、驚くべき実 体験記なのです。さすが最新テクノロジーに携わってきた著者だけあって、私情を入れないで、できごとを客観的に、坦々と筋道立ってお書きになっておられる。

 氏はまだ 50歳台と言う若さ? だそうですが、正直さ、誠実さが、その飾り気のない文章から十分に伝わってきて、そのぶん、信頼性も高い。
 この「死後体験」は、すでにシリーズで三冊目*が出版されており、しかも、大勢の方に読まれていると言う。

 *「死後体験T」 2003.4.16初版発行、「死後体験U」」 2004.2.19初版発行、左写真は 「死後体験V」2005.1.14初版発行 この続編については本ページの末尾に追補として紹介しました。いずれもハート出版刊。

 わたくしとしても、今後の氏の体験に期待していると言うか、待ち遠しいのですが、それぞれの内容の詳細については、他人に聞くよりも、ぜひじかに本書をお読みいただくのが、誤解とか疑念が払拭できて、よいと思います。

 いずれにしても、わたくしに勇気を与えてくれた、心強い本であり、まずは氏に感謝しないといけないと思う。
 このシリーズは、死後と言う世界をテーマに、今のわたくしたちの生き方を問う斬新なものですが、まだまだ、現代社会の一般常識とは相容れないもので、それはタブーへの勇気ある挑戦と言ってもいいでしょう。


自分を見つめる と言うこと

本書のシリーズを通して、わたくしの、生まれてこのかた、きょうに至るまでの精神世界とのかかわり(実体験)、求めてきたもの(精神の遍歴)、ないし考え方(人生観、死生観) などにも共通するものがあり、また、新たなる発見もありました。

 そうかと言って、わたくしは、とりたててご披露できるような超能力があるとは思っていないし、ひとさまにお話できるような超常現象も体験してきたとは思っていないわけで、まぁ どこにもいる普通の人間であると思っているのですが、ここらでひとつ、こういった分野の自分の来し方を整理してみるのもいいかなぁ、との思いを強くしたのでした。

 そして、このうえは、モンロー研究所で開発されたヘミシンク技術* なるものにじかに触れて、体験できる機会があれば、ぜひ自分自身で検証してみたいものだ、と・・・。

 わたくし個人としては、本シリーズを読んできて、とくに三作目の「死後体験V」で、昔から不可解に思ってきた「時間」の概念と言うものに、目からうろこが落ちた感じがしています。
 そして、なんと自分の分身が、実は何千何万?とあると氏が言うことに、少々驚いている。このことについては、後でまたわたくしなりきに考えてみることにしたいと思います。

 ヘミシンク技術 ロバート・モンローが開発した音響技法で、左右の脳半球を同調させ、脳を「集中した全能の状態」へと導き、人間の意識を覚醒状態から変性意識状態へもっていくことができるというもの。
 死者のとる意識も可能となり、死後の世界も自由に探索することができるという驚異的な手法(同書より引用)。世にいう「臨死体験」とはまったく違う世界なのですね。


 最近の殺ばつとして、混沌としたなんとも言いようのない世相を見ていると、物質だけに目を奪われてきた結果ではないのか、せっかく人間として生まれてきたのに、その意義とか、価値を見い出せないでいるとしか思えないのです。
 60のよわい(還暦)を過ぎたいま、確信を持って言えるのは、それは、大事なあるものを忘れてしまっているか、気づいていないのであると。

 幸いなことに最近は、自分を少し離れたところから、冷静かつ客観的に見つめることができるようになっています。これから申しあげることに、批判とか、異論があるかも知れませんが、わたくしなりきに、体験してきたこと、そして、考えていることをご披露しなければいけない時期にきていると思うのです。

 われわれ誰もが「死に向かって生きている」と言うのに、死に対して無関心であったり、目をを背けてしまっているのか、わたくし自身は4、50代の頃からこれはおかしいと感じ、今までの生き方でよいのか、見直しをはじめました。

 世の中の風潮もここへ来て少しずつ変わりつつあることは喜ばしいことですが、それでもあえて「言わずにはおれない」というのが、今の心境であり、本音です。このちっぽけな一石を投じることで、少しでも世の中が変わってくれることを願うのですが・・・。

不思議と思うことは 誰にでもある

もの心ついたころから、わたくしはなぜか、ある大事な何かをするために(この世に)生まれてきたのに、それが思い出せないといったことに、もやもやしていた。高校、大学、そして社会人になってからも、このもやもやは、解消されることはなく、だんだ戸隠神社奥社参道の杉並木(2007.9.8撮影)んと大きな悩みとなっていました。
 自我にめざめたときは、誰にでもある悩みと言ってしまえば、それまでなのかも知れませんが。

 それにしても、使命だとか、人間形成(このままではいけない) だとかに、なぜそんなにこだわらなければいけないのか、とくに、子供のころは自分でも不可解なことだと思っていました。こんなことを考えなければ、えらくラクに生きていけるだろうにと。
 このころはまだ、生まれ変わりとか、過去世などと言うことは思いもつかなかった時代です。

 それと、目には見えない何か大きな力の支配下にあるというか、実感としてはわたくしの意志に反するような ある力を感じていました。いたずらざかりだし、なんにでも興味があり、手を出したくなる年ごろでしたから。
 そんなとき、頭の上のほうから「いけない」と言う声が聞こえてくるようなこと(実際に聞こえるようなこともあるし、そんな気がすることもあれば、なかば強制的に排除されるような感じのときもあった)が何度もありました。

 そうは言っても、人並みの悪さもするし、意地悪もしましたが、そのときは決まってなんとも言えない後味の悪さと後悔の念にかられたものです。
 でもこのようなことは、わたくしだけではなく、誰にでもあることだと思っていましたし、こうした力にわざと逆らいたいと言う、いたずら心が出たこともあります。でも、決まって物理的とも思えるような強い力* で跳ね返されましたが・・・。

 *東京で学生生活をしていた頃、学生の身分ではあってもやはり大都会のこと、いろいろな誘惑や危険なことにも遭遇したのですが、この見えざる力のおかげで、難を逃れたことがしばしばあったのです。
 また、その後の人生においても、間違いなくこの力で救われたということが多々ありました。理屈では説明のつかない不思議なことは皆さんにも一つや二つはあると思いますが、わたくしにも若かりしころの今でも鮮明に思い出す出来事があります。
 家にいたある時、突然に胸騒ぎして、外へ出る必要もないのに(自分の意志とは関係なく) 体が家の外へ押し出されたのです。
 なんと隣家の窓から火と煙が出ているではありませんか。留守宅の掘りごたつからの出火でしたが、幸い早期の発見で近隣の人たちとの消火で あわやの類焼は免れたのです。
 後年知人いわく、イザというとき、こうした見えざる神の手? が実際に現われるのだと。

 左上写真 霊山戸隠山戸隠神社奥社への杉並木の参道。ここはパワースポットとしても最近全国的に脚光を浴びていますね。この写真にマウスを乗せると、木の精霊と言われる「オーブ」が多数見られます。(2010.10.10追記)


 この使命とか、目的をさがすために、また、このような目に見えない力(エネルギー?) ってなんだろうと、ずいぶんといろいろな本を読みました。
 人生論、幸福論にはじまって、宗教書のたぐい、歴史書、超常現象、超能力、ミステリーなどのいわゆるドキュメントもの、そして奇書のたぐい* とも思われるものまで、あらゆるジャンルを。
 でも、それらは答えこそかえってきませんでしたが、わたくしに、世の常識と言われる既成の概念、価値観を根元から打ちくだいてくれ、想像力とか、自由な発想というものを大きく広げてくれました。

 ただ、こうした問題について聞くというような人は、身近にいなかったことだけは事実です。たとえ聞いたとしても、なにを考えているのと一笑に付されるか、無視されたことでしょう。
 歳を取るにつれて、残された時間がだんだんとなくなるのに、まだ分からないのかと焦燥感にかられることも、たびたびありました。

 *たとえば、エマニュエル・スウェーデンボルグの「霊界探訪記」、ジョージ・アダムスキーの「空飛ぶ円盤の真相」などUFO体験をテーマとしたアダムスキー全集、わたくしはこのアダムスキーを改めて見直すべきだと思っています。
 エーリッヒ・フォン・デニケンの「未来の記憶」「星への帰還」など既成概念に疑問符を投げかけた宇宙考古学なるものの元祖と言える書。このほか「チベットの死者の書(バルド・トドル経典)」など内容の奥深いものもある。


 わたくしは、小さいときから機械とか科学と称するたぐいのものが大好きで、ラジオ少年、電波少年にはまっていったのですが、考え方はいわゆる科学至上主義でしたね。世の中のことはなんでも科学で解明できる、理解できると思っていましたから。
 今も特定の宗教は持ちませんが、宗教も、神様も、いずれ科学で説明できるし、体も機械と同じだと思っていた節があります。

 そして、間違いなく誰かがわたくし(からだ)を操縦していると確信していました。誰が操縦しているんだろうか、と言った疑念はありましたが、いずれ科学が究明してくれるだろうと。

月山登拝  でも、後年 40代後半になってからですかね、これがはっきりと体外離脱だと言う認識は持ち得ませんでしたが、肉体と精神とは全然別のものであること、そして、精神のほうが実は主役(操縦者)であることが分かったのです*
  ここで言う「精神」は、魂、意識、心などと言い換えてもいいですが、「実体」と言ったほうが誤解がないかもしれませんね。

 そんなことを子供のころから、なぜそう直感したのかは、まぁ不思議と言えば不思議なのですが。
 今でも科学では、肉体のことはある程度まではくわしく教えていただけますが、精神については、よく分かっていないのですから、いまだ病理学的にとか、心理学としてしか教えてくれません。いつも抽象的な?精神論だけです。(これはきつい冗談ですね)

 *古来から宗教では、魂が肉体に宿るとか、親(=ご先祖様)から授かった肉体は「大切な借りもの」と説いています。決して自分の体ではない、というわけです。
 このことを体感することが、まずは「悟り」へのささやかな第一歩だとわたくしは思うのです。

 右上写真 出羽三山修行で月山登拝中の小生。つらくしんどい登山の後には・・・ 満天の星空と、宇宙の、そして生命の神秘を実感する至福のひとときが待っている。


 なぜそんなことが分かったと言えるのか、といったご意見を数多く頂戴しますが、わたくしにもよく説明できないのです。どう説明したら分かっていただけるのかは、わたくしなりきにこれから努力してみましょう。

 常日ごろから思うのですが、現段階の科学で説明(証明)できないから、それは間違っているという態度は決して科学的ではありませんよね。この自然界は分からないことだらけなのですから・・・何事にも柔軟な発想が今求められているのではないでしょうか。
 そして、すべての既成概念をいちど疑ってみる必要があります。最近は、わたくしども学生時代に教わって慣れ親しんだ、あの進化論でさえ雲行きがあやしくなっているのですから。

 宗教と言えば、これも不思議なのですが、求めているわけではないのですが、子供のころからどういうわけか触れる機会が多くありましたし、社会人になってからも節目節目でそうした出会い、ご縁がありました。
 でも、中には例の不思議な力で跳ね返されるか、ほとんどがいつのまにか疎遠になっていったのですが、どれも勉強にはなりました。好奇心をもって、なにごとも触れてみることは大事なことです。

 ある宗教では、小さいころから送られてきた雑誌を通じて人生哲学とは何たるかを、しっかりと学ばせていただきましたし、また、ある宗教では、自然とのかかわり、そして、すべてのものに生命(神様)が宿っていることなどを学ばせていただいた、と言う具合にです。
 しかしです。なぜこんなにも多くの宗教・宗派があるのだろうか。この今も、宗教そのものに疑問符がついてしまいます。先人の智恵に学ぶべきことが多々あるとは言え、わたくしにとってこれからも決して特定の宗教に依存することはないと思っています。


人生をジグソーパズル と考えてみる

不思議だったこと、どういうわけか何度も同じようなことを体験したことなどは、誰にもあると思います。そのとき、偶然として片付けるか、気にも止めないで忘れてしまえば、それまでですが。
 でも、歳を重ねるうちに、その断片のひとつひとつがなんとなくつながったり、すき間を埋めたりして、おぼろげながらもパターン認識ができるまでになってくるものです。

 視覚的なピクチャーと言う形を取らなくても、感覚として捉えることもあります。夢で見ることもあります。どこかで会ったことがある、確かここへは来たことがあるとか、こんな場面に以前出くわしたことがあるなど、ふっと思い起こすことが誰にもあるでしょう。実際にはないのに、です。
 そうそう、正夢なんていうのもそうだし、予感(胸騒ぎ)なんていうものもありますよね。

 わたくしの場合は、40代後半からなんとなく断片がつながってきて、50代半ばあたりから全体像らしきものがぼんやりとですが、見えてきたと思っています。
 まだ現在進行形の身ですから、これが変わるかも知れませんし、勘違いと言うことも排除できませんが、これからの生き方、死生観と言うようなものには、これだと言った確信が持てたと思っています。

 これらのことは、言ってみれば、人生のジグソーバズルを解くようなものだ、と気づいたからです。断片的と思われた「できごと」は、実はその謎を解く、ひとつひとつのヒント、そうピース(piece)なのだったと。

出羽三山・月山頂上  それでは、わたくしがもやもやしていたそれとは、いったい何だったのか・・・。
 その前に、こんなことを言っておく必要があるでしょう。
 まず、実体(これは魂、意識、精神、心と言い換えてもいいでしょう)は、肉体が滅んでも、死なないでずっとあると言うこと。そして、誰にも過去世があり、生まれ変わってこの世に来ていること(転生)。その目的は、実体の進化にあること。

 と言うことは、やはりわたくしたちは、誰もが目的を持って生まれてきているという事実です。ひとりひとりが因果の法則により、過去世のすべての結果から、この世ですべきこと(課題)が決まっているということになりますね。
 この課題は、誰かが決めてくれるものではなく、実体みずからが必要な課題を決めてきているのです。

 それと、この世で起こってくる現象は、あらかじめ決められているのではなく、そのつどそのつど、みずからが選択してきて、その結果が現在の状況であるということなのです。決してあらかじめ決められた宿命ではないということです。
 ・・・と言って、偶然は何ひとつないのです。

 左上写真 月山の頂上からデジカメがとらえた見事な鳳凰です。画面にマウスを乗せてみてください。月山頂上でご来光を仰いでの座禅三昧。何も考えないでただひたすら座ること、そして澄んださわやかな空気を大きく吸い込んで吐く。まさに宇宙との融合を体感する一瞬でもあります。

 [閑話休題] これらの驚くべき事実がおぼろげながらも認識できた幸運に、わたくしはまずは感謝しないといけないと思っています。座禅とか、瞑想、四国八十八箇所お遍路などのきっかけはあったのだとは思いますが、とにかくふっと分かってしまった。
 うまく表現できないのですが、それはひょっとして過去の記憶がよみがえった、忘れていたものをふっと思い出した、しかもそれは疑いようもない事実なんだと。
 何ごとにも疑い深いわたくし自身にも、それはにわかに信じがたいことですが、ごく自然に入ってしまったんですね。これらの事実を、むずかしいことですが、やはりこれから論理的に(左脳で)説明できるよう努力していくことも必要でしょう。

 わたくしたちの一生を、視覚的なイメージとして、たとえて説明するとすれば、これは過去にどなたかが言っておられた受け売りになりますが、ちょうど透明のチューブの中を、外の周りの風景を見ながら、笑ったり悲しんだり、喜んだり怒ったりしながら歩いていくのが、人生だと言うのです。

 周りに見える風景とそのときの感情が、現在体験している状況だと言うわけです。チューブの外を上から眺めると、何か迷路を人間がキョロキョロしながら歩いているように見えることでしょう。

 そして、もっとも大事なことは、実際にあると思って見ている風景(現象)は、実はチューブの外にある、と言うことです。チューブの中には何もないのに、です。
 外の景色は歩くにつれて、どんどん変わっていってしまっているのです。まさに「諸行無常」です。言い換えれば、今の現象にとらわれている (執着する)必要なんて、まったくないと言うことになります。

 このような状態を、実際にはないのに、あたかも あるかのように見て感じる映画(スクリーン)にたとえる方もおられますが、同じことです。

 なんと驚くことに、先の坂本氏がこのようなチューブを、外から実際に見てこられたと氏の著書で報告されています。ただ、このチューブは先に何本もあるようで、そのときどきの選択(思いとか行動) 次第で、その行く先のコースが決まってくるようですが。
 そして、時間とは、まさにこのチューブの中を進むこと自体である、と言うのです。
 大事なことは、わたくしたちが過去・現在・未来と感ずる時間とは関係なく、すべては《いま・ここに》存在しているという事実です。時間に縛られていると思っているのは、単なる幻想だというわけです。


本当のことは 誰も教えてくれない

わたくしとしては、風景(煩悩)に惑わされずに、その一瞬一瞬を一所懸命に生きていくこと(魂=実体に導かれた善い思い、善い行い) の大切さと意義が、このことからとてもよく理解できるのです。

2008.8出羽三山月山頂上にて 先にも言いましたが、ジグソーパズルのひとつひとつのピースは、じつは、人生の課題が何かをヒントとして与えてくれたもの、あるいは試練と言った形で示されたものである、ということです。過去生で積み残した自分の数々の業、カルマの解消が、今生の課題というわけです。

 パズルの全体像を早くつかむことが、とても重要だと言うことになりますよね。本源(創造主)が望む実体の進化が、予定どおり進むことなのですから。

 でも残念ながら、今のわたくしには、どういう段階になれば本源に還ることができるのか(輪廻からの開放)、そもそもなぜ本源から分かれたのか(これらを「悟り」と言うのでしょうか)などは理解を超えています。
 すべてが進化に向って進んでいるという事実を知っても、なぜそうなのかは知るすべもありません。それより何よりも、まだ過去世のほんの少しを分からせてもらえたくらいのレベルなのですから。
 まぁ、そんなにあわてることも急ぐこともないでしょう。今のわたくしが、この今 何を思い(気づき)、何をなすべきかが問題なのですから。そして、間違いなく来世もあるのですから・・・。

 それにしても、このような驚くべき事実を誰も教えてくれないことで、えらく悩み、遠い回り道をしてきたものだと、つくづく思うのです。
 もっとも分かったようなふりをされて、権威づけしてみたり、神秘づけしてみたり、偉らぶったりされても、それはそれで困りますが。理屈ではなく、体をもってこのことを少しでも気づかせる、理解させるために生まれてきたということは、あるのかも知れません。
 事実、ここに至るまでも、あっちにぶつかったり、こっちにぶつかりしながらも、いろいろと勉強させてもらったのですから。

 でも、誰もが「なんらかの役割、目的をもって生まれてきたのだ」と言う事実を教わるだけでも、その後の生き方がずいぶん変わったものになるはずです。
 自らの役割、目的を求めて、金欲、物欲だけを追い求めるのではなく、もっと心を高めることに目が向くと思うのです。
 そして、世の中全体が明るく希望に満ちて、思いやりのあるものになるのではないでしょうか。先のことをくよくよ考えなくても、この今を一所懸命に生きることで、必ずなるようになるのです。(因果応報、そして業消除=カルマの浄化が進むということです)

 冒頭に述べた不思議な力も、じつは誰にでも備わっているのですね。気づくか、そのまま見過ごしてしまっているか、ということなのです。

 宗教家とか その手の専門家がどうこうと言うのではなく、これからは普通のひとが、ごく普通にものを申していくべき時代を迎えたのではないかと、最近つくづく思うのです。決して特異な世界ではありませんし、特別な人たちだけのものではないのです。
 現在の地獄のような様相、いゃ、お金のため、自分の欲望のために人をだます、そして簡単に人を殺す、親が子を、そして子が親を、とにかく何ものにも代えがたい貴重な命を、命と思わない最近の風潮を見るにつけ、今や わたくしたちが想像してきた地獄以下の世界に、すでになり果てているのではないでしょうか。

 今こそみんなが、ひとりひとり目を覚ますとき、ではないでしょうか。わたくしたちの生は、決して今回限りではないのです。死後は、肉体を離れて物質世界を超えた広い広い世界が待っているということです。実体(魂、本当の自分)は、不滅なのです。
 そして、現象には、必ず因があることに早く気づくべきです。今の現実は、わたくしたち自身が引き寄せているのです。
 加害者と被害者、そしてその家族、誰もが「明日はわが身」、決して他人事(ひとごと)と思って傍観することは、許されないのです。


エピローグ ・・・私の課題 使命は何か

坂本氏の死後体験シリーズ三冊目の著書の中に出てくる「自分の分身」について、大きな球場みたいなスタジアムをイメージできるくらいの数の分身がある* と言うのには、驚きを禁じえなかったのです。
和歌山高野山宿坊での護摩焚き しかし、事実とすれば、これだけのエネルギーがひとつにまとまらなければ、本源(創造主)に還ることができないのかと思うと、これは容易ならざることと身が引き締まる思いです。

 でも思い直せば、分身のひとりひとりにそのことを気づいてもらい、最初の水の一滴が、あのとうとうと流れる大河になるのと一緒で、それぞれに進化(浄化)へとがんばってもらえば、自然とそうなっていくことでしょう。
 何も急いだり、あわてることはないと思うのです。そして、できればゲームを楽しむように、あるいは華やかな舞台で主役を演じるように、自分の人生を生きていくことに喜びを感じることができれば、これはもう最高ではないでしょうか。

 *自分の分身 じつは過去・現在・未来に存在する自分だと言う。なかなか理解しにくいことですが、人間は多次元世界に存在する生命体であり、肉体を持った現在の自分だけでなく、非物質的な自分(こちらのほうが、じつは実体)と繋がって存在している事実を知る必要があると言う。直線的な時間ではなく、スパイラル上の時間と捉えるほうが、理解しやすいかもしれませんね。
 しかも、現在の自分の思いが「現実」を創造(選択)し、その思いは宇宙の果てまで届いているのだと言う。

 右写真 始めて二十年余となる同じ道を歩む心強い座禅仲間たちと、和歌山県高野山を訪れたときのもの。宿坊にお世話になった翌朝のお朝事での護摩焚きで毘沙門天と感応した。驚いたことに、護摩堂のご本尊は毘沙門天だという。わたくしは生まれながらにして、毘沙門天とは縁があるようだ。画像にマウスを乗せると、なんと本堂のご本尊・阿弥陀如来さんも映っていた。(2010.10.10追記)


 その分身のひとつであると思われるわたくしの課題は、それでは何か。
 個々にはいろいろと盛りだくさんあるのですが、全体としてみれば、禅で教わった「八正道」* の地道な実践と言うことになるのでしょう。我欲(エゴ)を解き放して、魂(真の自分)の喜ぶことをしていきたいと思っています。恥ずかしながら、まだ何もかも至らないことだらけの身ですが・・・。

 そして、頭だけではなく、確信を得るための体験が何より大事だと常日ごろから思っています。そういう意味では、坂本氏が紹介されたモンロー研究所のヘミシンク技術、それはあくまでもひとつの手段でしかないのかもしれませんが、これらの事実を誰もが実際に体験でき、検証できることは、すばらしいことだと思います。
 不思議なことに、最近のわたくしは いつでもどこでも静かに想うだけで、すぐにワクワクする未知の世界に入っていくことができるのです。多次元世界へのきっかけを作ってくれた坂本氏に、心から感謝したい。

 八正道 人間として正しく生きるためには、正見、正語、正思、正業、正命、正精進、正念、正定の八つを実行することが必要と説く。現世で魂にとって善い思いと善い行いを実践していくことのなんと難しいことよ。
 「全て思いは現実」となることを肝に銘じて、この今の一瞬一瞬をとにかく誠意と熱意をもって一所懸命に生きていきたいものだ。


 舌足らずで稚拙な文章をここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。きっとみなさまにも思い当たるふしがあったのではないでしょうか。
 いちど静かに自分の内面(精神世界)をじっくりと覗かれてみてはいかがでしょうか。きっと別の世界がひろがってくると思います。 そして、必ず新たな発見があるはずです。

        *       *       *

 このサイトを立ち上げた後日談になりますが、わたくしは、忘れもしない2007年9月に、今までの常識、知識からは決して説明のつかない超常現象を初めて体験(不思議体験)し、過去生から現在に至る点と線がほぼ繋がり、おぼろげだったパズルの全容が解けたのでした。ハッと目が覚めて、本来の自分にやっと気づかされた瞬間でした。
 そして、こともあろうにコツコツと積み上げてきた今生の自分自身を完全にリセットしてしまったのでした。それは、この物質界の呪縛からようやく解放された、と言うことも知りました。

 呪縛とは、執着心、独占欲、支配力、依存心、不安、恐れ、怒り ・・・すべて人間のエゴですよね。まさに、「この世を生きる」とは、これらの体験学習の場であること、善も悪も自ら体験することであったことを悟ったのでした。「すべてがひとつであること」を知るためだったと。この世のすべてが、無とか、空の世界(多次元)につながっているのです。
 でも、これらの一連のできことは、いずれ誰もが体験することになるのではないかと、わたくしは思っています。そう、誰もが、遅かれ早かれ目覚めざるを得ない事態になっていく・・・ と。

 精神世界におけるこの大変革の波を乗り切るために、わたくしからこう申しあげておきましょう。高次元から授かったサジェスチョンです。
 「何が起ころうとも自分自身の内側の光を信頼し続けて、慌てたり恐れたりすることなく できる限りの冷静さと心の平穏を保つよう努めてください。」と。  → カルマ(魂)の浄化と波動上昇について  私の不思議体験
(2010.10.10 末尾追記)


「死後体験」の著者坂本政道先生と [追補]  坂本政道さんとの邂逅

うれしいことに、2007年2月に「死後体験」の著者、坂本先生(右写真左から二番目)と、先生とご一緒にモンロー研のヘミシンク技術の国内での普及に努めておられる、ミッツィこと植田睦子先生(右端)にお会いするチャンスに恵まれました。左端が友人のT君です。

坂本政道著「2012人類大転換」 そして、二年半ぶりに待ちに待った氏の「死後体験」シリーズ第W巻目が、2007.8.29 にハート出版から発売されました。(1,575円 左写真) タイトルは、ズバリ「2012人類大転換〜宇宙生命体との交信」と来た。

 驚くべきことですが、シリウス、プレアデス星団など太陽系近傍のさまざまな星系には、じつは人類をはるかに凌ぐ知的生命体がいるというのです。そうした宇宙の存在たちとの交信によって得られた貴重な情報が、本書で明らかにされています。

 最近巷のアチコチで聞かれる「西暦2012年」、いったい何が起ころうとしているのか、情報を共有するためにも、ぜひお読みいただきたいと思う。それにしても、残された時間はあまりにも少ないのだが、氏の穏やかな語り口とはうらはらに、何人の方がことの重大さ、緊迫度に気づいておられるだろうか。疑念を晴らすためには、やはり自分で確信する以外に手はないのです。(2007.8.30 追記)

坂本政道著「分裂する未来」坂本さんは、前著「2012年目覚めよ地球人〜いよいよ始まった人類大転換の時」(2008.9.18初版 ハート出版 1,575円)、「楽園実現か 天変地異か〜2012年に何が起こるか」(2008.5.30初版 アメーバブックス新社 1,575円)の続編として、本年(2009年)3月24日に「分裂する未来〜ダークサイトとの抗争」を出版されました。(ハート出版 1,575円 右写真)

 なんでも「バシャール」という宇宙存在との交信で、氏が得られた新情報を掲載したという。2012年以降の世界は、これからの各人の生き方によって、ポシティブな世界かネガティブな世界のいずれかに分かれていくようです。同時に、不安とか恐怖感をあおるネガティブな宇宙存在(闇系)に、われわれは注意しないといけないという。
 ポシティブとは、常にワクワク感、喜びをベースにした生き方、他者への奉仕が中心軸となる生き方だと。

 氏は、これらの情報は、最終的には読者自身で判断し、取捨選択すべきことだと言っておられますが、社会システム、価値システムが大きく変わりつつある今、前向きにより柔軟な発想と行動が求められる時代に入ってきたことを、われわれは強く認識しないといけないと思うのです。
 体外離脱の詳細については、坂本政道さんのサイトを、どうぞご覧になってください。

 (2009.3.23 追記 本著のほか、2009.5.31 ヴォイス社刊「バシャール×坂本政道」で、さらに詳しい内容を知ることができます。)

(わたくしの生き方「わが精神世界の遍歴・・・大変革の時代を生きる」2005.1.30記 Copyright (C) 2005-2014 TOKU All Rights Reserved.)
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山野草がお好きな方は、続編「山野草と戯れる」をアップしましたので、自然が織りなす美の極致をぜひお楽しみください。
なつかしの真空管ラジオは、別編「ST管5球スーパーの初レストア挑戦記」をアップしましたので、どうぞをご覧ください。
音楽がお好きな方は、別編「わたくし流モダンジャズ道」をアップしましたので、どうぞご覧ください。
切手収集に興味のある方は、別編「切手収集ことはじめ」をアップしましたので、どうぞをご覧ください。
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