切手収集ことはじめ

目 次 収集スタンス 記念切手編1 -2 -3 -4 通常切手戦前編 戦後編 補足編1 -2 TOPICS-1 -2

U 切手コレクションへのお誘い 

1 コレクションの原点となった美しい記念切手


わが国の記念切手のはじまり

日本最初の記念切手・明治銀婚

 切手収集の動機については、前章で簡単に触れたとおり、小さな一片の中に凝縮された美の世界を発見し、感動したことに尽きます。
 しかし、これはわたくしに限ったことではなく、世の切手コレクターは皆んながそうだったと思います。そして、決まってカラフルな記念切手群にまず魅了されたのでした。

 純粋な子供の頃は、切手を投機の対象と見ることなど、思いもよらなかったのです。幸か不幸か、わたくしの場合はこうした考えは、今も全然変わっていないのです。おまけに、実物に触れない今流のネットによるオークションなぞはどうも好きになれない、本当に時代遅れなんですね。

 ところで、記念切手はいつから始まったのでしょうか。厳密に言うとこの種の切手は、特殊切手と言うべきで、その中に記念切手が含まれるのです。ここではむずかしいことは言わないで、この種の切手をすべて記念切手としてこれからお話しをすすめましょう。

 わが国の記念切手の第1号は、1894年(明治27年)に発行されました。(冒頭の二枚の写真)
 今まで、郵便料金納付の証票としか考えていなかった切手を、国家行事の宣伝とか、切手収集という趣味の対象としての増収面から捉えることに、気がついたのです。

 このことは、郵便制度では後進をとった日本が、小さな切手に印刷技術の粋をつくして、世界にそのレベルを示す、またとないチャンスともなったのですね。たぶんに外国を意識して、必要以上に豪華な切手を発行することになったといえるでしょう。


 *わが国最初の記念切手 明治銀婚 1894(明治27年).3.9発行 (写真左)2銭 (写真右)5銭 明治天皇と皇后の結婚満25年の慶事を祝すために発行された。大変にめでたいとされる向かい鶴(対鶴)は、よく見ると同じ鶴ではないことにお気づきでしょうか。左側の鶴のくちばしが少し開いています。
 そして、菊の紋章の下部を半円形に囲むIMPERIAL WEDDING 25 ANNIVERSARYと表示された英文にも注目しましょう。図案は、品格があるものの、まだ証票的ですね。当時の国内封書の基本料金が2銭、外国向け書状の基本料金は5銭でした。

 因みに、発行枚数は人気もあって記念切手としては異例の2年にわたって、2銭が1,480万枚、5銭が100万枚を発行して終了したのです。いずれにしても、わが国初の記念切手発行は、なんと龍文切手発行から23年後のできことだったんです。
 でも、うれしいことに、通常切手では遅れをとった日本ですが、当時としては比較的早い時期に記念切手発行国に名乗りを上げたようですね。


印刷レベルの粋を尽くした戦前の国立公園切手

大雪山国立公園切手タトウ

 記念切手の内容・図案は、当初は国威発揚とか、主に皇室にかかわる行事などに限られていたのですが、外国人への観光誘致と日本国内にもこれらの景勝を周知する目的から、1931年(昭和6年)に制定された国立公園をテーマにした画期的な切手の発行に、力を注ぐことになったのです。
 初の記念切手発行から40年以上も経った1936(昭和11年)のことでした。

 風景切手と称されるものは、1926年(大正15年)に通常切手で3枚(富士山2銭、東照宮陽明門6銭、名古屋城10銭)が、すでに発行されていることは特筆すべきですが、これについては第V章切手コレクションの醍醐味・通常切手編(戦前)でまた触れることにしましょう。

 ここでは、まず戦前の国立公園切手に絞ってその美しい切手群を見てみましょう。この国立公園切手の発売にあたっては、前章でもちょっと触れましたが、景勝地の解説文を刷り込んだ二つ折りのタトウに収めた小型シートも、同時に発売されました。

 世界の郵趣家を意識して、フランス語・英語の解説文を入れるなどのサービスまでして、しかも、この売価は初めて切手額面より高くしての発売となったのです。
 じつはこの切手は、発売する郵便局も地域を限定したことから、郵趣家のために通信販売が初めて導入されました。(右写真)大雪山国立公園切手小型シートのタトウ。北海道のヒグマが表紙に描かれている。


富士箱根国立公園  1936(昭和11年).7.10発行

 わが国初のグラビア印刷です。このとき、印刷局には新鋭の印刷機がなかったので、この富士箱根だけは民間の大日本印刷へ委託発注しています。しかも、この切手の発行時点では、あくまでもわが国の国立公園誕生を内外に宣伝した発行であって、シリーズ発行は考えていなかったというのです。
 この切手が予想以上に好評だったことから、この後の日光から年2回くらい、各4枚ずつの発行ペースで、シリーズものとすることが決まったのでした。

 因みに、この時の郵便基本料金体系は、国内はがき1銭5厘、同封書3銭、外国宛はがき6銭、同書状10銭でした。
 しかし、人気を呼んだこのシリーズも第2次大戦のため、1941(昭和16)年の春で中断を余儀なくされました。
 美しい切手の奥にひそむ歴史的背景とか、事象、経緯などを見ていくことも、じつは切手収集の楽しみのひとつなんですね。


富士箱根国立公園切手

 *国立公園切手写真 富士箱根
1銭5厘 山梨県精進湖、本栖湖周辺より見た暁の富士(120万枚)3銭 芦ノ湖の富士(65万枚)6銭 三ッ峠より見た富士(25万枚)10銭 東海道の富士(25万枚) ※小型シートは発行されなかった。
 括弧内は単片の発行枚数、以下同じ。


日光国立公園  1938(昭和13年).12.25発行

 この切手から、用紙は上質な真珠アルトン紙を使い、切手面も、料金・国立公園名の入れ方とか、富士箱根にあった囲み枠線などをなくし、以後統一された当時としてはぜいたくなシリーズとなりました。
 なお、郵便料金は、1937(昭和12).4.1から値上げとなり、国内はがき2銭、同封書4銭、外国宛はがき10銭、同書状20銭となっています。(封書書状は20gまでの料金)


日光国立公園切手

 *国立公園切手写真 日光
2銭 中禅寺湖よりの男体山 (400万枚)10銭 大谷(だいや)川の清流に架かる神橋(しんきょう)(50万枚)20銭 菖蒲(あやめ)平より燧(ひうち)岳を望む(50万枚)4銭 華厳の滝(250万枚) 小型シートの発行枚数は30万枚


大山・瀬戸内海国立公園  1939(昭和14年).4.20発行


大山・瀬戸内海国立公園切手

 *国立公園切手写真 大山・瀬戸内海
2銭 大山の遠望(150万枚)4銭 壇の浦と屋島(75万枚)10銭 阿伏兎(あぶと)観音(30万枚)20銭 鞆(とも)の浦と仙酔島(30万枚) 小型シートの発行枚数は20万枚


阿蘇国立公園  1939(昭和14年).8.15発行


阿蘇国立公園切手

 *国立公園切手写真 阿蘇
2銭 久住町よりの久住(くじゅう)山(150万枚)4銭 中岳(75万枚)10銭 中岳より見た噴火口(30万枚)20銭 中央火口丘群(30万枚) 小型シートの発行枚数は6万枚


大雪山国立公園  1940(昭和15年).4.20発行


大雪山国立公園切手

 *国立公園切手写真 大雪山
2銭 北鎮岳(150万枚)4銭 旭岳(75万枚)20銭 十勝連山(30万枚)10銭 層雲峡小函付近から天城岩を仰ぐ(30万枚) 小型シートの発行枚数は4.2万枚


霧島国立公園  1940(昭和15年).8.21発行


霧島国立公園切手

 *国立公園切手写真 霧島
2銭 新燃(しんもえ)岳火口と韓国(からくに)岳(120万枚)4銭 高千穂峰(100万枚)10銭 霧島神宮参道一の鳥居(35万枚)20銭 六観音池と甑(こしき)岳(35万枚) 小型シートの発行枚数は5万枚


台湾大屯・新高阿里山国立公園  1941(昭和16年).3.10発行


大屯・新高阿里山国立公園切手

 *国立公園切手写真 大屯・新高阿里山
2銭 大屯山(140万枚)4銭 新高山主山(120万枚)10銭 観音山凌雲禅寺(35万枚)20銭 新高山頂より南山望見(35万枚) 小型シートの発行枚数は7.6万枚


 当時、台湾は旧植民地だったんですね。つぎの発行分とあわせて8枚が発行されました。そして、これが戦前の最後の国立公園切手となってしまいました。


台湾次高・タロコ国立公園  1941(昭和16年).3.10発行


次高・タロコ国立公園

 *国立公園切手写真 次高・タロコ
2銭 東海岸清水断崖(140万枚)4銭 次高山(120万枚)20銭 タッキリ渓上流からタロコ大山(35万枚)10銭 タロコ峡深水温泉付近(35万枚) 小型シートの発行枚数は7.6万枚


玉石混交の戦後の公園切手シリーズ

 戦争も敗戦といった形で終わって、まだ資材不足に悩まされていたにもかかわらず、1949(昭和24)年に、早くも国立公園シリーズの復活の声が上がり、出来こそ戦前のそれと比べれば、お粗末なものではあったのですが、同じようなスタイルでどうにか再スタートできたのであります。
 もちろん、菊の紋章の削除、国名も日本郵便、額面は円表示とするなどの変更がなされました。

 この、いわゆる第1次国立公園シリーズは、1956(昭和31)年まで続けられ、その翌年制度化された国定公園(1958.8-1973.9)、そして第2次国立公園(1962-1974)へと、驚くほど長期にわたって引き継がれていくことになりました。
 1960年には、日本三景シリーズ(松島、天橋立、宮島 いずれも額面10円)も出されています。

 ただ、戦後の公園切手シリーズを全体として見ると、図柄の選定をはじめとしてお世辞にもいい出来とは言えるものではなく、長期シリーズの弊害ともいえる飽きというか、マンネリ感が否めないシリーズになってしまった、と思います。

 下記の四枚の小型シート写真は、戦後復活の第1次国立公園切手のうち、吉野熊野(左写真1949.4.10発行)、中部山岳(中央写真1952.9.26発行)、支笏洞爺(右上写真1953.7.25発行)、西海(右下写真1956.10.1発行)の小型シートです。これらのシートはいずれも裏のりなしで、しかも目打ちはこの中部山岳シートからなくなっています。

 また、支笏洞爺からこのシリーズの最後となった西海までは、2枚組になってしまいました。これら戦後の公園切手シリーズの発行内容詳細については別掲しましたので、どうぞご覧ください。
 次ページでは、もうひとつの素晴らしい風景切手をご紹介しましょう。 (2005.10.10記 Copyright (C) 2005-2013 TOKU All Rights Reserved.)


吉野熊野国立公園切手 中部山岳国立公園切手 支笏洞爺・西海国立公園切手

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