活動日誌     2003年1月〜6月    戻る

6月30日(月) 午前、建築確認に関する相談、生活保護の相談を受ける。失業してサラ金から借り返せずに破産、住まいは競売、離婚して一家離散。子どもを引き取った年寄りからのもの。気持ちがふさぐ。
伊藤議員が情報公開請求した市の買収した土地の「不動産鑑定評価」が不開示とされたことに不服申し立てをしていた件で情報公開審査会に伊藤議員、関根議員、石川議員とともに補佐人として出席する。補佐人も意見が言えるので私は鑑定評価が市の買収価格を決める基準であり、買収価格が適正かどうかを判断するためには鑑定評価が明らかにならなければ困難であり、住民自治の立場からも市民の評価に絶えうる事務をすすめるためにも情報公開すべきものであると訴えた。どういう結論を出すのか情報公開についての審査会の水準が問われる。
夜、習志野文化ホールであった「石見神楽と瑞宝太鼓」の公演を観に行く。ハンデのある人たちが演ずると藤尾議員から誘われた。迫力ある瑞宝太鼓の太鼓を打ち続ける姿に息を呑む。技を磨いた職人の姿となぜかダブって見えた。
  
6月29日(日) 午前中は育成会のキャンプの説明会。参加する子どもやスタッフと顔を合わせる。どんなキャンプになるのか楽しみ。寝袋が必要といわれちょっとたじろぐ。
午後は福祉倶楽部の10周年記念のつどいに行く。福井さんの司会で中沢正夫氏、暉峻淑子氏、二宮厚美氏によるパネルディスカッション。聞き応えがあった。不況、失業、社会保障の切り下げ、有事法制定と将来への不安が増大する中で、安全安心安定の日本社会をどう切りひらくか。暉峻さんの「福祉社会をつくることを肩身狭い思いなんてしてはダメ。福祉社会こそ経済を発展させるの」「ILOはじめ世界では市場万能主義の一掃が課題になっている。世界の市民の動きに目を向けて・・・」。うつむきがちな気持ちにエネルギー補給となった。暉峻さんの新刊「豊かさの条件」をよみたい。
第2部の交歓会、福井夫妻の多彩な活動に脱帽。

6月28日(土) 放課後ルーム父母会の親睦会。雨が降ってしまったので室内でプラバンやパラモデルの恐竜をつくったり、ゲームやスイカ割りで楽しむ。親子でじっくり遊ぶことが少なくなってたと思う。
     
6月27日(金) お酒を飲んでは暴力的になってしまうTさんのお母さんと保健所の相談員をたずねる。精神科のDrが一緒に相談にのってくれる。アルコール依存。立ち直る苦労は並大抵ではないが、患者や家族の支え合いで克服している人達のことも教わる。昨日のカルト問題とも通ずる”依存”のことを考える。
控え室でミニにゅーすをつくっていると放課後ルームの施設問題、市営住宅の共益費問題、コミュニティ道路のことなどさまざまな話が持ち込まれる。
夜はWさんの通夜。90歳をこえて妹や妻の介護をされてきたが「自分の務めだから」といっていた。尊敬していたし教わるところが多かった。
6月26日(木) 父の命日。「いろいろのことがあって一年しか経っていないとは思えない」という妹の言葉に「本当に」と相づちを打つ。馬込霊園の霊堂にお参りし、お寺を訪ねご住職夫妻に会う。谷津田に面した斜面に建つ本堂からは田畑や斜面林が望め、庭の木々も緑豊かで通り抜ける風が清々しい。住職からは一周忌の時に話題になったカルト問題の資料をいただく。 
6月25日(水) 朝一番でYさんが訪ねてくる。市営住宅の共益費に関すること。
6月議会最終日。馬込斎場関係の陳情に対する態度をどうするか会派で検討する中で、陳情そのものがどうにも腑に落ちない。議会事務局で陳情と署名簿を確認してもらうと添付されていた1770筆の署名項目と陳情項目が異なることがわかった。急きょ市民環境経済委員会が開催され添付の署名は取り下げ、代表一人からの陳情になった。署名項目は馬込斎場周辺への環境対策と式場の確保だが、陳情は式場確保のみ。住環境を守ると署名を集めながら、陳情は式場確保だけという悪質なすり替えではないか。取り下げた署名簿はどうなるのか。日本共産党は陳情は一度取り下げ再度出し直すよう求め陳情は継続を主張、採決では反対の態度をとった。ますます近隣への負担が増える焼却炉の増設工事が予定されているのに、周辺対策を棚上げする陳情を無理矢理通してしまう議員達の背景を推量してみる。
6月24日(火) 住宅の買い換えで介護保険料が高くなっていた件でKさんと介護保険課を訪ねる。住宅の買い換えの場合、所得税確定申告で、「買い換え特例」を選ぶと譲渡価格が所得と見なされないが「長期譲渡一般」を選ぶと控除はされても所得扱いになる。どちらを選んでも所得税額はかわらないが、国保料や介護保険料など所得を基準に賦課するものには影響し大抵は最高額になってしまう。「買い換えただけで収入がないのに保険料があがって困った」という相談が昨年は船橋市に結構あり、買い換え特例で申告したと見なして保険料を算定し直しているとのこと。どうも申告の時に税務署がきちんと説明していないようで、しかも税務署のパンフレットでは年金暮らしで居住用住宅を譲渡した人のモデルケースを「長期譲渡一般」で解説し、いかにも長期譲渡一般で申告することを奨励している様に感じられる。非課税世帯の方がいきなり最高額の保険料が請求されてしまうのだからたまらない。こうした情報をきちんと税務署は伝えるべきだ。
「接道要件のない隣地の業者に、了承なく自分の土地を使って建築申請を出されそうだ」という相談。調べると業者は民間の建築確認機関に申請していた。以前は建築確認事務は市がすべてやっていたが法律が変わって、民間機関でも確認ができるようになってしまい、トラブルを防ぐための行政指導ができなくなっている。今回の件のように問題ケースほど民間機関に持ち込まれているのではないか。
6月23日(月) 会派の打ち合わせ。各常任委員会の報告などを出し合う。 
6月22日(日) 法典地区老人クラブ連合の運動会に行く。毎年のことながらスゴイ熱気。敬老会などでお会いする方々のお顔も見えるが、競技に出場している表情がまた違っている。生き生きしているとはこのことか。来賓で隣り合った方と「地域の中で日常的に楽しく身体を動かせる機会がもっともっと必要よ」と意気投合する。
  
昨年隣接農地の農薬で被害を受けた方を訪問。
また、ご近所の何人もの高齢者に憩いの場をボランティアで提供されている方のところにもおじゃまする。
法典西小の放課後ルームが学区から離れて困っている保護者からの話も聞く。
夜、8時から10時までライトを消す”夏至の晩”のイベントに我が家も参加。遅めの夕飯にキャンドルをともす。何だか静かで、何もすることがなくて時間がゆっくりと過ぎていった。

6月21日(土) 日本共産党の中央委員会総会が開かれ綱領改定の提案が行われる。不破さんの提案報告をCS放送でリアルタイム傍聴する。今の日本をどう見るのか、経済学や社会学的にどうとらえるのか深い分析が行われている。一回聞いただけじゃ、消化できない内容だ。それでも改革しようという内容は社会主義を名乗る名乗らないに関わらず多くの理性がかかげている未来社会像と一致していると思う。
6月20日(金) 常任委員会。市税条例関係は配偶者控除の上乗せ分廃止の庶民増税と大企業ばかりが対象となる事業所税の一部減税などますます景気を悪化させ市民のくらしを圧迫し市の税収もマイナスとなる内容なので反対する。公務員制度改革は労働者と協議もせずに身分制度を変えようとしていることにILOからも意見勧告がだされている問題。賛成はわたし達と民主市民クラブだけで不採択となる。
夕方、介護保険料が急に高くなったという方の相談を受ける。住宅を買い換えたことで所得があったと見なされたようだ。実際には新しい住まいを購入したので何も残っていない。担当課と話し合うと手続きをすれば保険料が訂正できるかもしれないとのこと。
6月19日(木) 常任委員会の準備。総務委員会には市税条例「改正」などの議案と公務員制度改革についての陳情が付託されている。春の地方税法「改正」の中身をあらためて検討し、公務員制度問題について集めた資料を勉強する。
夕方、娘の高校の3者面談に行く。本人の希望と実力にギャップがあるが、本人は頑張るという。親は無力だと思う。
6月18日(水) 一般質問に佐藤議員が登壇。本町周辺の歩行者の安全対策、船橋市のすすめる再開発事業と財政問題、不動産会社がすすめる開発と市の将来像について取り上げる。市民が住宅の建て替えでセットバックして道路を提供しても無償の提供となる。民間の大規模な建設事業が同じことをしても再開発と銘打てば市が莫大な補助金を出す。それが市の財政負担になってきた。財政難と言いながらこうした開発はこれからも続けようとしているのがいまの市政。一方では市民負担が増やされサービスも後退しているのに。
金沢議員が代表して68歳69歳の医療費助成制度を継続するための条例を提案する。質問を想定して準備をしたが、どこからも質問はなかった。
6月17日(火)大原さんの告別式。船橋の共産党の土台をつくった大先輩。平和のこと、医療のこと最後まで”世の中をよくしたい”を貫かれた。70年代の革新の上げ潮の時期をつくった世代から、その時代を経験しない世代への世代交代が迫られている。
一般質問に石川議員と高橋議員が登壇。石川議員は国の三位一体改革と地方財政について、国保料の減免制度、津田沼の新京成形成の乗り換えについてなどを取り上げる。
6月16日(月) 金曜日にできなかった質問者がでたため午前中から開会。午前は草野議員と午後は伊藤議員が登壇。草野さんは鉄道駅のバリアフリー化、放課後ルーム、落下傘降下訓練の騒音など自衛隊との交渉窓口設置について、国有地の払い下げについて、伊藤さんはSARS対策、公衆トイレの設置、地域の道路問題を取り上げる。
日本共産党の県議だった大原昭三郎さんの通夜。
6月15日(日) 学童連協の総会に出席。市内の全小学校(55校)に放課後ルームが設置されたが学区によっては定員が足りず3学年でも入れない子どもがでている。今年は八栄小と宮本小のルームが増設されたが三山小や葛飾小などのルームがいっぱいで増設を求めている。はじめはルームは増設しないと言ってきた市も父母の運動で2カ所で増設した。他のところも頑張りたい。
6月14日(土) 久しぶりにジョギング。栗の花が咲き青臭いむせかえるような香りをかぐ。それからクチナシの甘い匂いも。そういえば最近クチナシの花を見かけなくなっているのは気のせいか。
アルコールを飲んで暴れる息子さんの相談。痴呆の奥さんの介護の相談など。専門家の援助が必要な人達だ。専門家でない私にできるのは専門家につなげ一緒につきそうことぐらい・・・。
6月13日(金) 朝一番で生活保護の相談。高齢者でも仕事があれば保護を受けなくてもすむのにとにかく仕事がない。ようやく見つけた仕事も1日3時間、時給800円、それでもありがたいなんて。自営でやってきた人の老後は厳しい。国民年金が生活保障にならない。
一般質問、最初の金沢議員への部長の答弁が長く、質問時間が削られたとして「議事進行」「質問時間を返して」と。そのまま議事が止まってしまう。こうなる前に議長が注意してほしいもの。質問では68歳からの医療費助成の継続を求めたが「議会が議決したことです」との答弁。助成打ち切りでおこる深刻な影響を指摘され、責任は議会にというのもひどい発言。
6月12日(木) 一般質問で登壇する。有事法制のこと市の行財政改革について、それと特別養護老人ホームや療養型病床の不足問題を取り上げる。
有事3法が成立し、自治体が米軍支援に巻き込まれる体制が作られてしまった。
7年前、沖縄県の太田知事と国との間で米軍基地のための土地収容問題が争われた。あのとき私は当時の大橋市長にこの問題への見解を聞いたが彼は国の問題として意志を示さなかった。米軍基地がある自治体だけでなくこれからはどこの自治体もあのときの太田知事と同じような決断を迫られることになる。国際港成田のある千葉県、東京湾に面し下総・習志野自衛隊基地もある船橋市は他人事でいられない。今まで「市民の生命財産を守る」といってきた藤代市長の答弁が「市民の生命を守る」に変わっていた。
6月11日(水) 議案質問が行われる。日本共産党は関根さんが登壇。住民基本台帳ネットワークのカード発行問題や配偶者特別控除の上乗せ分の廃止や大企業などの事業所税の減税などに関わる市税条例問題など。住基ネットは個人情報が全国規模で流出する危険がある。国が一括管理することも危ない。さらに莫大な費用をかけて住基カードを発行しても利益になるのはシステムを開発する企業ばかり。市民にとってカードの利用価値ははっきり言って低い。
税金のことでは3月の地方税法改正が庶民への増税と大企業への減税が露骨にすすめられていることに今更ながら腹が立つ。 
6月10日(火) 雨が降ると道路が冠水する丸山2丁目の現地で市の職員と周辺住民との話し合いを行う。水害は20年も前から起きていて、下流部の鎌ヶ谷の改修待ちもあって改善されてこなかった。あらためて対策を求めた。市も改善計画は立てており、今後住民のみなさんにも工事については協力していただくことがでてくるとのこと。まだまだ時間がかかりそうだがねばり強く取り組んでいこう。近所の方がたくさんでて下さった。みんなで話をしてみると近所でも被害のひどさを知らなかったりということがわかる。知ればそれは大変ということで協力体制も強まるようだ。こういうことって大事なことですね。
質問の準備。有事法制、行財政改革どちらも重いテーマです。
6月9日(月) 会派の打ち合わせ。議案の勉強会で聞いた内容について議論する。住基ネット、市税条例の改正などの議案や福祉サービス公社や生きがい福祉事業団など市の外郭団体の経営状況報告についても検討する。それから一般質問についても意見交換。
6月8日(日) 質問の準備をするつもりが庭木が余りにも伸び放題で虫もつきはじめているしで、まずは剪定作業。梅とロウバイ、ゆすら梅、レンギョウ、黒竹とバラまで。何だか我が家の見通しが明るくすっきりとした。山茶花がまだ残っているけど。
有事法制の資料を読みあさる。
丸山1丁目の坂道の手すりが延長された。先月工事はすんでいたのだが、ようやく確認。

6月7日(土) 息子と中央公民館のふなばし環境フェアに行く。「カザグルマを守る会」が丸山小の児童にカザグルマの挿し木を指導してくれたりカザグルマの保全に取り組んでいるがそのことを丸山小の子どもたちが環境学習の発表として報告する。集会室で行われていた展示など見て回る。豊富どんぐりの森の竹で作る笛がおもしろかった。それからタバコ問題を考える会の展示も参考になった。パネル展示のところで「千とちひろの神隠し」の”いつもなんどでも”を歌っていた女性の透き通るような声。

有事法制反対のリレートークとパレードにでる。共産党議員団の代表でマイクで訴える。パレードの準備をしていなかったので画用紙とペンをロフトに買いに行き大慌てでアピールする手書きポスターを描く。衆議院で通された怒りを込めてデモ行進する。
6月6日(金) 議案の勉強会。市長提案の議案と、船橋市が設置したり、出資する法人の経営状況報告書3月の地方税法「改正」にともなう市税条例の改正や南口再開発ビルの空き室問題、住基ネットと住基カード問題、北口駐車場株式会社の有価証券含み損などいろいろな問題が含まれている。
6月5日(木) 6月議会開会。監査結果報告と損害賠償の専決処分について関根、佐藤議員が質問。夏見公民館の手すりが壊れ使用した市民がけがをした件やケアリハビリセンターの稼働状況の問題など取り上げる。
6月4日(水) 会派の打ち合わせ。一般質問でわたしは学校校舎問題を取り上げる予定でいたが行革推進室の動きが気になるので行革問題を急きょ取り上げることにする。行財政改革というと一番問題である開発問題には触れずに福祉関係など弱者切り捨てや民間への業務委託による市民サービスの低下ばかりが進んできたのがこれまで。それをさらに進める計画を秋までにつくるようだ。船橋市をどんな自治体にしようというのか。
生保の申請がなかなか進まないとの相談が入る。必要な書類をそろえて、来週会うことにする。
6月3日(火) 母子家庭のRさんが訪ねてくる。離婚したあと病気をくりかえし、生活保護を受けながら3人の子どもたちを育ててきた。ようやく仕事の見通しがつき、保護をうち切ったとのこと。保護を受けていたときは「保護を受けている心苦しさで子どもたちも押さえつけてきた、つらかった」という。「子どもにも協力してもらい仕事もどんどんやってこれからは他の人の役にも立ちたい」という。元気をもらった。
夕方、丸山小PTAでひまわり110番を受けていただいている家を訪問し今年度も協力をお願いする。「特別何もありませんでしたよ」どこのお宅でもいわれる。いつまでもそうであって欲しい。子どもが困ったときに訪ねることのできる家、ひまわり110番の制度は地域で子どもを守る良い制度だ。
6月2日(月) 法典地区青少年問題協議会に丸山小のPTA活動で参加する。法典高校、法田中、旭中、法典小、法典西小、法典東小、丸山小のPTAと町会の役員さんが集まって情報交換する。
上山公園周辺の放置車両を何とかして欲しいといわれ、道路管理課に撤去を申し入れていた件、「早速、放置車両に張り紙が張られ、撤去もすすめる連絡がありました」と通報してきた法典西小の保護者から連絡が入る。船橋市は直ぐに対応してくれた。撤去されるまで様子を見ていきたい。
6月1日(日) 丸山小の運動会。一番下の子の小学校最後の運動会で、張り切ってお弁当を作る。開会式中雨に降られて心配したが無事に運動会ができた。最近は一人の子どもに両親、祖父母の応援団で大人の報が圧倒的に多い。運動会に来るたびに少子化を痛感する。友人家族とみんなで食べるお弁当は楽しいものだ。最後だと思うとちょっと寂しい。
  
5月31日(土) 台風。子どもの運動会が延期になる。
丸山町会の青少年育成会の役員会に参加。今年はキャンプのお手伝いにでようと思っているが、役に立つよりじゃまにならないでいわれないように体力をつけておかなくちゃ。
5月30日(金)石川議員のお父さんの訃報が入る。危篤だときいていたが・・・、ご冥福を祈る。
保育園のことで市民の話を伺う。施設が古くなっていることや定員の125%の児童を受け入れ、正規職員が足りず臨時職員が多数配置されて心配なこと、新たに開設される保育所のことなどなど。子育て環境が10年前に比べ悪化しているなというのが話を聞いた実感。
5月29日(木) 4市事務組合で馬込斎場を視察。今年度焼却炉と控え室の増設が行われる計画の説明を受ける。第一式場を分割することに抵抗感を示す議員いたが、これまで迷惑を被ってきた地元の環境対策を示さないまま、式場だけは確保というのでは乱暴すぎる。
日本共産党議員団として「68、69歳の医療費助成制度継続」について市長と話し合う。7月いっぱいで7割の人が使えなくなる。病気がちの人が一番影響を受ける。糖尿病など慢性病の人の例を挙げ大変さを伝える。一人平均6万円強の医療費負担増になることをあらためて指摘した。せめて非課税者へは制度継続するよう重ねて主張。市長は頷きながら聞いていたが財政難だからと消極的だ。
5月28日(水) 丸山2丁目の大雨が降ると溢水する場所を調査。住民から話を聞く。この場所はずっと以前から問題にはなっていたが、下流部の鎌ヶ谷市などとの関係でそのままになってきた。住民は、住宅への浸水被害をくい止めるため個人でポンプを設置したり、地面を嵩上げして自衛してきた。先週の大雨でももう少しで床下浸水になりかけた。何とか解決をめざしたい。
         
議会の会派代表者会議に代理でる。議会事務局に盗難が入り公金など百万円以上が盗まれたことが報告される。現金や事務室の管理、安全対策が問われショックだったがこれを機会に改善することが大事。同時に、市民に対し閉鎖的になることは避けること。
精神障害の方に関わる生活相談が2件。入院して20数年になる息子さんの医療費のこと。親も高齢化し病気などで息子を支えられなくなってくる。もう一人は障害年金の申請。
夜は議員団で津賀ゆき子さんの慰労会。議員はおりてもまだまだいろいろなところで力を発揮して欲しい。
5月27日(火) 党の会議。共産党の中央委員会総会が先週開かれ、報告を聞く。新聞にもでていたが綱領の改定が行われる計画や党大会の予定が示される。私がなるほどと思ったのはブッシュ米政権の世界戦略とそれに対する国際社会の見方や北朝鮮の核開発問題をどう対応すべきか、りそなグループへの税金投入などの日本経済をどう見るか、どう立て直すのかなど。党員以外の人にも参考になる。
5月26日(月) 丸山小のPTAの役員会。今年度は校外環境委員を受ける。
馬込沢駅前のサミットが夜中の1時まで営業時間を延長する計画でコーポ馬込の自治会に話があったようだ。関係者から連絡がある。駅前の商店に時間延長の計画を知っているか聞いたが知らなかった。規制緩和の大店「立地法」移行、地域の零細小売店を大型店の進出から守ることが困難になっている。まちの重要な構成員である地元商店をなくしたら、困るのは高齢者や子どもなのに。
午後は会派の打ち合わせ。

乳幼児医療費助成制度が4月から窓口負担が200円ですむようになったが、利用するには申請して医療券をもらう必要がある。申請漏れが心配で申請状況を聞く。3月末で85%。その後も増えている様だが、1割ぐらいが医療券をもらっていないことになる。大丈夫なのだろうか。
5月25日(日) 日本共産党の宣伝カーで国政問題の街頭宣伝。りそな銀行グループへの公的資金投入問題や有事法制問題を金沢議員と分担して演説する。
5月24日(土) 船橋女性会議の「議員と語る」に参加。新人の議員が何人も参加してそれぞれの市政への思いを語るのを聞き、「私も頑張るぞ」と刺激を受ける。男女共同参画条例のこと教育のジェンダーフリーのこと、性教育のことなど色々考えさせられる。勉強しないと・・・。
5月23日(金) 高齢者のご夫婦の生活相談。保護の申請をする。夫の体が弱く、妻が家計を支えてきたが無年金で子どもからの援助も限界に。特に入院中の夫の医療費がどうにもならない。
西船の「赤道」、市道に提供した民地と交換したはずが手続きがやられていなかったため、居住者は不法占拠あつかいにされる。100年以上も前の交換手続きの不備がようやく正せる見通しになってきた。市から住民への説明会にでる。
明治公園の有事法制反対集会にいく。ろうそくと紙コップでキャンドルを作り、かかげてアピール。

                                            
5月22日(木) 「船橋のカザグルマをまもる会」総会に参加し、自生地を見学する。少し時期が遅く花も終わりに近かったが、それでも咲いているカザグルマをみることができた。去年咲いていた場所の他にも花がみられ、年々変化がある。会ではこのカザグルマを挿し木で増やす活動をしている。息子の通う丸山小で去年に続き子どもたちが挿し木で育てる計画で、会がお手伝いする。私は議会準備で参加できないが、息子とカザグルマのことが話題にでき楽しみ。
                             
午後、夫の両親とわたし達家族で浅草、隅田川の水上バス、国技館に行く。久しぶりの親孝行だが、引っ張り回しすぎたかも・・・。
5月21日(水) 丸山県議と共産党の市議団で葛南土木事務所から今年度の事業の概要説明を受け、さらにこちらも住民からの要望を伝える。私は特に船取り線と木下街道問題を訴える。船取り線では金杉交差点が今年度の買収で右折レーンの設置スペースが確保できる様になるので計画通り行けば来年工事には入り渋滞の解消が進むことがわかる。
   
5月20日(火) 母子家庭の方の住宅の相談。雇用促進住宅の申請につきそう。
臨時議会2日目。常任委員会や監査委員など議会内人事を決める。市の予算執行などについての細かい審査が行える監査委員のポストを共産党は一貫して要求してきたが第2党になっても、監査委員のポストだけは他の会派が一致して阻んでくる。よっぽど公表されるとまずいことがあるのではないか。私は総務常任委員になった。鉄道やバスなどの公共交通問題、三番瀬や港湾、税金や平和に関係する問題などをを取り扱う。初めての委員会だが、頑張りたい。それから4市事務組合の議員に引き続き選ばれる。馬込斎場や特養ホーム三山園などにかかわる。それにしても終わったのは明け方の3時半。会期を2日にしても人事を決める議会は夜中にならないと終わらないというのは・・・・。
5月19日(月) 臨時議会。議長、副議長の選出。第一党の公明党は議長を主張せず、保守会派に議長を譲る。なんで・・・?日本共産党は「議会の民主的な運営について」と「有事法制の廃案を求める意見書」を提案する。
5月18日(日) 新日本スポーツ連盟の青葉の森リレーマラソンに参加する。1週2キロのコースを交替しながら42.195キロ走る。私は1周ずつ3回走った。ゆっくりと5〜6キロ走っているいつもと違ってたすきをつけて必死に走る2キロはけっこうきつい。体も重いし、あまり走っていなかったし・・・。もっと早く走れるようになりたい!

午後、法典連合町会の懇親会。町会の役員さん達と交流する。
5月17日(土) 午前中は丸山で挨拶まわり。いろいろと話が弾む。女性が働き経済的に自立することの大切さや女性の豊かな能力について大先輩の話を伺う。たくさんの人に聞かせたい話だった。
福祉倶楽部塾、二宮厚美先生の講義を受ける。新福祉国家とは何か。終身雇用制が崩れ、不安定雇用が広がり、企業福祉で支えられてきた一定の国民生活がなり立たなくなり、社会保障制度の充実が避けられない課題となっていること。新自由主義との矛盾。国民の人権意識を高めることが福祉国家を築いていく力になること・・・など。難しかった。
5月16日(金) 忙しい一日。丸山1丁目の市道、電柱が2本向かい合わせで立っていて狭くて通れない問題で担当課、住民と現地で話し合う。接している生け垣のお宅に協力してもらい1本を移動して広げることになる。
 
丸山県議とともに木下街道の歩道のグレーチングの改善などを葛南土木事務所の職員に現地で要請する。馬込町の歩道の電柱の移設は設計に入っていることがわかる。

夕方、新京成新津田沼駅前で日本共産党市議団と丸山県議、市民共同で有事法制反対の宣伝にでたあと、「船橋の海を活かしたまちづくり」出版記念ケビンショート&三浦裕二日大名誉教授の対談を聞きに行く。江戸時代の東京湾岸はアジアのヴェネツィアと言えるような水運が盛んだったこと、利根川から江戸川を伝い小名木川を通って江戸のまちへ船で物を運んだ話など興味深く聞いた。


 
5月15日(木) 控え室で「ミニにゅうす」づくりなど。
夕方、DV被害の女性から相談が入る。千葉県の女性サポートセンターは24時間体制で相談窓口をあけている。今回は緊急の対応というより、今後の生活の自立をどう図るのかの相談になる。サラ金など問題は簡単ではなさそう。それにしても仕事口のないことが解決を困難にしている。
5月14日(水) 一日会派の打ち合わせ。有事法制反対のとりくみなど相談。民主党が「修正」で与党と合意してしまった。イラク戦争反対といっていた民主党の人達はどう考えているのだろう。
夕方、日比谷野外音楽堂でおこなわれた有事法制反対の集会に行く。航空労組の女性の「小泉首相は合意は政治史上画期的といったが、最大の汚点。航空労働者は絶対に戦争に協力しない、加害者にならない」という発言に感銘する。頑張らなくちゃと思う。高校生の発言も心強い。
5月13日(火) 丸山小学校の給食室工事と民間委託についての保護者説明会。工事期間中の代替給食の要望が強い。アレルギー児への対応について不安の声があがる。教育委員会は工事や委託は「決まっていること」、保護者の意見を聞くという姿勢は感じられない。国民主権や住民自治を棚上げしてはいけない。
午後、船橋保健所を視察。4月に県から市に移行してきた。スムーズに業務が運営されていくか心配されたところへSARS問題が発生し、担当者が苦労しているのがわかる。それでも市民のいのちを預かる問題だから、頑張って欲しい。

 
5月12日(月) 久しぶりのジョギング。18日にある千葉の青葉の森公園リレーマラソンに誘われうっかりOKしてしまったので、あわてて練習をはじめる。まにあうか・・・・。
5月11日(日) 千葉県保育問題協議会の総会にでる。深刻な保育所不足のなかで施設整備はすすめても人件費の切りつめや民間委託化で保育労働者へのしわ寄せと保育水準の低下がすすめられている実態が報告される。子どもの育つ環境をこんなに軽視して良いわけない。
午後、丸山町会の懇親会であいさつ。
夕方から子どもが保育園に通っていた頃の友人達と集まる。子どもたちはそろそろ20歳前後、話題は大学受験や学費のこと、就職問題。背負うモノも重くなっている者同士で元気をつけあう。
5月10日(土) 自転車にのぼりを立てて丸山の中で辻演説。議会の報告と有事法制のことを訴える。中国から引き揚げてきたという高齢の女性から「有事法制なんてとんでもない、日本はアジアの中で平和を守る責任があるのよ。本当に頑張ってちょうだい」と強い口調でいわれる。背中にびしっと活を入れられた。
5月9日(金) 東武鉄道の本社に行き、段差の解消などのバリアフリー化やトイレの改修など駅舎の改善について要請する。バリアフリー化については平成22年までに1日5000人以上の乗降客のある駅は実施することになっていて、馬込沢駅も対象になっているので改善を検討したい、トイレは下水道が整備された時点で改善するということだった。下水道は数年のうちに整備される。トイレも段差も今年とか来年とは行かないが、改善される方向ではあることはわかった。
                            
                                             東武鉄道本社まえで
道路管理課から丸山1丁目の坂道の手すり工事を発注したことを確認する。近々設置されそうだ。「この先階段につき車両通行できません」の立て看板は今日つけられそうとのこと。
5月8日(木) 日本共産党の千葉県委員会で一日会議。選挙結果について話し合う。船橋市は県議1名と市議8名の全員が当選したが、落としてしまったところも中にはある。今後の活動に生かす教訓を出し合う。
保育所に入れない浦安のお孫さんのことで相談がある。預かってもらうところが見つからず両親にみてもらうために職場復帰した娘さん親子が船橋市の実家に戻っているという。保育所不足が別居生活にまで追い込んでいる。異常だ。
5月7日(水) 1歳の子どもさんのいる女性、「夫が失踪してしまい困っている」相談。生活費については生活保護の申請、働くために保育園の申請も。母子家庭の制度を利用するには警察署の生活安全課で失踪届を出すことが先決。1歳の子どもを連れての申請は何の申請でも面接やたくさんの書類に記入などがあり大変だ。付き添って痛感する。「いっぽん橋こちょこちょ」なんて何年ぶりだろう。ちょっと楽しかった。けれど厳しい現実がこの親子に立ちはだかっている。がんばって。
商売がダメになり店を引き払って船橋市に越してきた老夫婦からも生活相談、「仕事が見つからず食べていけない・・・」。
5月6日(火) 朝の法典駅の駅宣で、16日に木下街道の歩道改善で丸山県議と葛南土木の人に来てもらうことを報告する。通勤の人から「グレーチングの編み目に自転車やベビーカーのタイヤがとられて危ない」ことを訴えられる。
会派届けを出す。もちろん日本共産党!会派の打ち合わせを行う。会派代表は関根和子議員から石川敏宏議員にバトンタッチ。
丸山1丁目牧の里公園にぶつかるT字路の電柱が2本向き合って立っていて、右左折しづらく、以前ドクターカーが曲がれずに往生してしまった問題で道路管理課に現地調査を依頼する。

5月5日(月) 父母の一周忌をする。昨年の2月に母、6月に父が他界、、葬儀、七七忌、新盆、納骨、彼岸、命日と一つ一つの節目を越えてきた感じがする。親の死を迎えたときみんながこうした思いをしているのだろう。この一年は特別な一年だという気がする。
選挙で当選したことも仏前に報告できてホッとする。父は心配していただろうから。
浄土真宗のお寺さんの話はいつも「なるほどなあ」と感心しながら聴く。「日本人はめでたいときは神社で弔い事はお寺」には不謹慎にも笑ってしまった。「施主なのになんですか」と母の怒っている顔が目に浮かぶ。宗教とマインドコントロールのこと、「おかしなことがあるほどマインドコントロールが強くなる」・・・・。納得。
5月4日(日) 三家族で三番瀬に行く。大変だった。何かというと行き帰りがだ。馬込沢駅前8時出発の先発組が「二俣交差点の手前で止まったまま渋滞で動かないので帰る」。「では電車で行く」と東武線に乗り船橋駅南口からはバスに乗り換えようとしたが、これもまてどもまてどもバスがこない。バス停の係員にきくと「前のバスは20遅れででていったが今度は40分は遅れている。2台しか出ていないし」。何百人も列ができている。無理そうなので二俣新町まで電車で行ってそれから歩くことにする。総武線で西船まで、武蔵野線で市川塩浜まで、京葉線で二俣新町まで乗り継ぐ。さらに歩いて30分。海浜公園にようやくたどり着いたのは11時半。ついたときには大仕事を終えた気分なのは大人だけで、子どもは直ぐに熊手を持って飛び出していく。
潮干狩りの苦手な私は潮干狩り場の沖にでる。去年はマテ貝堀の人達が大勢いたが今年は閑散としている。「今年は何もとれない、青潮の影響かもしれない」といって去って行く人もいた。何だか三番瀬が毎年毎年衰えているように見える。
陸側に戻ってくる途中、一足毎にササッと動く物がある。じーっと止まっていたらそこら中の小さな穴から出てくる出てくるカニまたカニ。砂と同じ色なのでよく見ないとわからないが目が慣れるとすごい!三番瀬、生きてた!
 
5月3日(土) 放りっぱなしだった畑の草取りと夏野菜の苗を植える。キュウリ、なす、ミニトマト、ピーマン、オクラ、小玉スイカ。小学生の息子と二人で黙々と働いた。また今年も水やりと草むしりの畑仕事が始まる。(大げさに書いてます)
夕方から、事務所で選挙のご苦労さん会。みんな本当によく頑張ったから、嬉しくてならない顔、顔、顔。当選できて本当によかった。
5月2日(金) 事務所で選挙期間中に寄せられた相談の対応。一件毎に相手の話を聞くのに時間がかかる。どれも不況で仕事がないことが暮らしにくくしている。年金制度からもれてしまっている人も多い。 
5月1日(木) メーデー。本町北公園の船橋メーデーに参加する。労基法の改悪などますます劣悪な待遇の労働者を増やす労働法制の改悪が進められている。1889年のアメリカで起こった8時間労働制を求めるゼネストから始まったメーデー。今こそ失業対策、長時間過密労働の改善、待遇改善を求めて労働者が声を上げるとき。憲法27条の勤労権は国家に労働者への就労機会を保障する義務を持たせている。労働者は働く場がなければ生きていけないからだ。
全員協議会。市長はじめ市の幹部と新議員の初顔合わせ。4月の異動で初の女性部長が誕生した。
4月30日(水) 当選証書授与式。5回目の当選証書を受ける。新たな4年間が始まる。
集まった新議員は再選された人、元職だった人、新人。公営掲示板でしか見たことがなかった人も多い。馬込沢駅で選挙中鉢合わせになった和田議員、斉藤議員、小森議員、川井議員の姿もある。どんな活動をするのだろうか。
4月29日(火) 当選の報告のあいさつまわり。あちこちで「当選してくれてありがとう」といわれる。こんなにありがたい言葉はない。こちらこそ本当にありがとうございます。しっかり頑張りますから。
4月28日(月) 五回目の当選をさせていただいた。日本共産党は八人全員が当選できた。党の地域割りが減り、不安を抱えての選挙だった。が、多くの仲間の奮闘と、多くの地元のみなさんの支援によって支えていただいた。
眠ったような眠れなかったような一夜明けた朝、馬込沢駅で選挙結果の報告をする。
今日は声がかれてもかまわないから、宣伝カーで選挙結果の報告をしてまわった。
4月20日(日)〜4月27日(日) 市会議員選挙
4月19日(土)
明日からいよいよ選挙だ。準備もあり自宅と事務所を何度もいったり来たりしていると、「いよいよ明日からですね」とか「身体に気をつけて頑張ってね」といわれる。心配して下さる方の気持ちに応えなくちゃと思う。演説をしてまわる。私はやはり介護のことを訴えるとき力が入る。IさんやSさんやこれまで関わってきた人達のことが私の活動の源泉になっている。旭町で演説していると小学生の男の子と女性が二人外にでてきてこちらをみている。話し終わって近づくと「孫のこの子が老人ホームの話をしていていいから来てというので聞きに来た。くも膜下で倒れ痴呆もある主人が退院しなければならず、老人ホームを探していて困っていた。本当にあなたのいうとおり頑張って下さい」といわれる。本当に頑張らなければ、当選し議員として頑張らなければと深く思う。
4月18日(金)
馬込沢駅で宣伝、今朝は他に2人の立候補予定者とかちあう。この地域は今回、多数の候補が立つようなので、朝の駅をかなり騒然とさせてしまうだろう。悩むところだ。
日中、借金の取り立ての電報が届きどうしたらいいかと相談が入る。最近そういった類の”お金をだまし取る”手口が横行しているようだ。なんと今日は市の消費生活センターがフェイスに引っ越しで対応できず、警察に届けることに。

志位和夫委員長が20日の公示日に船橋市の共産党の候補者の応援にはいることになり、私のところにも来てくれることになる。20日午後2時45分から3時、馬込沢駅西口ロータリーのところで演説する。かつてないことだ。選挙情勢の厳しさを反映している。
4月17日(木)
親子リズムの人達と懇談。市川市などにある公立幼稚園の保育料が5000円とか8000円とか1万円以内である話に「えー!」「ホントですか」と驚きの声。本当です。それに公立幼稚園がない市はわずかで大抵はどこの市にもある。市としての幼児教育行政の遅れは悲惨です。まずは声を上げるところからです。
夕方、馬込沢駅の宣伝で学校の改修費が減らされ校舎がボロボロになっていて雨漏りが放置されている話をして「法田中の生徒に何階の廊下に雨漏りの水たまりができるのか聞けばわかる」といったら通りがかりの高校生から「私わかる!」と声があがった。卒業生だろう。実態なのです、これが。
4月16日(水)
議会報告の街頭宣伝と小集会。南口再開発ビルのオープン式があるが私は欠席。昨日配布されたフェイス特集号の広報に、「南口再開発事業は5街区にわけ整備し、フェイスは第1地区の完成で他の街区も事業をすすめる」とあり、仰天。さらに4つの再開発ビルを建てるという宣言ではないか。フェイスではこれまでも120億円以上も市費をつぎこみ、その上100億以上の赤字を出してこれから返済で市の財政を苦しめるというのに、まだ懲りないというのか。フェイスも市のビルではなく地権者のためのビルだから、総合窓口だって毎年5000万円(かなり高額!)の家賃を払う。市のビルだと誤解されている人も多いが・・・・。
4月15日(火)
船橋法典駅で小雨の中、宣伝傘を差して小学生達が駅前を通っていく。通勤の車の間を横断していくが、いつもハラハラさせられる。以前、法西小のPTAの方と市に対策を要請して市川よりのところに横断歩道をつけてもらったが、まだ危険なことに変わりはない。交通指導のお母さんと「どう改善したら安全に駅前を通行できるか」で話しこむ。鉄道をわたる橋のところも危険だといわれる。
4月14日(月)
終日事務所で、原稿整理や打ち合わせ。ふらっと立ち寄っていくご近所の方と選挙結果について話す。日本共産党の議席が減ったり、得票を減らしたことを心配して下さる方が多い。とにかく頑張るしかない。
朝は西船橋駅でいつもの宣伝。珍しく議員は一人だったので、1時間半マイクでしゃべりまくる。
梨の花がさかり。ちょっとだけ畑をのぞかせてもらう。本当にきれい・・・。真っ白で少し厚みがあり気高さを感じる梨の花。片隅に交配用のミツバチの巣箱があった。
4月13日(日)
県議選投票日。棄権しないでと呼びかける。
穏やかな春の一日、日中は出かけた人が多かったようで、夕方から投票に行くという人もけっこういたようだ。それでも投票率は低い。大事な選挙なのに、選挙権を放棄してしまうなんて、今の世の中、白紙委任できる政治ではないのに・・・。
丸山さん当選の報で丸山事務所に集まる。よかった。今度は私の番だ。がんばるぞ。

4月12日(土)
県議選最終日、丸山さんの宣伝カーに乗ったり、船橋駅南口の志位さん丸山さんの演説を聞きに行ったり、最後は丸山さんの船橋駅北口の打ち上げで応援演説をする。合間に丸山で議会報告も。


4月11日(金) 今朝は船橋駅北口にたつ。早めにきりあげ丸山小PTAの登校時交通指導に。
要請していた壊れたU字溝が修理されたので確認に行くが、大きな石が中に残っておりまだ工事の途中かもしれないので、来週もう一度市に確認することにする。
4月10日(木) 丸山さんの西船橋駅宣伝にでる。寒くて震え上がってしまう。

市議選用の原稿を書く。
一人暮らしで寝たきりのSさんから支援費制度にかわってからの手続きで、通院の付き添いを頼んでいなかったので頼みたいとのことで障害福祉課と相談する。支援費の手続きの時に自分がどんなサービスを必要としているのかよくわかっていないと申請漏れとなりサービスが使えないというのはおかしくないか。制度開始のどたばたですめばいいけれど。
4月9日(水) 丸山小学校の入学式。小学校の一年生はこんなに小さかったかしらと思うのは小さな子の子育てを終えてしまったからか。式の時にじっとしていられない新1年生が一年経つと驚くほど落ち着いて歓迎の演技をする。「卒園の頃は本当にしっかりした年長さんでしたよ。今日はちょっと幼くなっているかも」と幼稚園の先生がおっしゃっていたが、中学1年生の変わり様と反対で面白い。
4月8日(火) 法田中学校の入学式。緊張した顔の新入生達。地元の顔見知りの子どもたちが多いがなんだか急に大人びてしまって、思わず見過ごしてしまいそうになる。小学校の卒業式からの1ヶ月で変わるのか、制服の所為か。教科ごとに担任が替わる授業など新しい世界にドキドキしてるのだろう。
4月7日(月) 今日も丸山さんと船橋駅北口の朝宣。県議選にでている4陣営が重なっての騒然とした雰囲気。夫を病院へ連れて行く。疲れがたまっているのだと思う。街頭からの議会報告。
4月6日(日) 朝6時から船橋駅北口に丸山さんと一緒に立つ。午前、桐畑町会の総会であいさつ。町会会館いっぱいに会員が集まっていて、町会活動が充実していることを感じる。街頭から議会報告をおこなう。夫が家でぎっくり腰・・・!
4月5日(土) 一日丸山候補の宣伝カーに同乗する。冷たい氷雨と強風が吹きつける中を演説してまわる。さすがに候補者は気合いが入っていて、次々と演説箇所をこなしていく。
4月4日(金) 県議選が告示。丸山さんのポスターを掲示場にはりだす。今日は候補者カーが丸山に入り私の事務所で休憩。その間候補者カーにのって候補者に替わって宣伝をした。  
4月3日(木) 街頭宣伝やホームページの整備。時間ばかり食って、はかどらない。早くしないと政策をUPしないうちに選挙になってしまう。
夕方、津田沼駅に志位委員長の演説を聞きに行く。デッキの上はたくさん集まっていて志位さんや県議選の立候補予定者の顔が見えない。で、探したらありました。タクシー乗り場があるあたり。宣伝カーがいる方の階段は人がいっぱいで下りられないけれど、反対側は空いていて下りられる。機会があったらどうぞ。
イラクへの攻撃は市民も巻き込む無差別の攻撃になっている。市場、産科病院、商業ビル、民家・・・。犠牲者が増え続けている。
4月2日(水) 一日街頭宣伝。今日は丸山県議の宣伝カーが丸山に来たので一緒に並ぶ。夕方馬込沢駅前で演説をしていると通りがかりの女性が「ウソをつかないでください」と何度も何度も言って演説を止めさせようとする。このところ特定の団体の人がこうした妨害をしてくる。主義主張が違うなら堂々と主張すればいい。妨害は卑劣だ。
4月1日(火) 法典駅の朝宣の後、丸山県議と共産党市議団で市役所前の宣伝を行う。
ちょうどその時間、朝の8時25分、中核市スタートのテープカットが市役所の玄関を入ったところで行われていた。市役所を利用する市民はまだ来ない時間、8時45分の市役所職員の出勤時間より早く、市長と幹部職員が中心のなんだか密やかなテープカットだ。宣伝がなければ私も気づかなかった。「船橋市が変わる」と宣伝するが、莫大な経費負担の増える中核市移行が重荷となっていることがにじみ出ているような気がした。市長は「中核市という道具を生かせ」といっていたけれど。


市役所の一階で船橋市内の昔の様子を伝える写真展が行われていたので立ち寄る。
昭和30年頃の木下街道など身近な場所もあって興味深かった。
下の写真は千葉県精乳園。今の法典公民館や法典グラウンドのあたりにあったもので、この場所に法田中学校があった頃(私も通っていました)は一部が校舎として使われていました。何となく見覚えがあって懐かしいです。
3月31日(月) 午前、市役所で丸山の坂道のことや下水道整備のことを担当課と話し合う。坂道の手すりの修理や穴ぼこは「すぐ対応する」とのこと。下水道の工事については「事前に説明会を行う」ということで住民の心配もそこで解決できる。
午後、街頭演説。
3月30日(日) パンフレットが刷り上がる。たくさんの人にみて欲しい。
丸山の排水組合の総会によばれる。この地域の下水道整備計画を話す。この中で整備するときは丸山は段差が多く配水管の深さによって流れないと困るので事前にきちんと調べて欲しいと言う声があった。本当にそのとおりだ。また危険な坂道の歩行者の安全対策も要望される。
午後の街頭宣伝では演説を聞いていた方から船取り線の馬込霊園交差点の改善を訴えられる。
今日はあったかくて助かった。少し日焼けした感じ。演説を聞いた人から市政や県政が「そうなってるのか」という感想をよせられはげまされる。
3月29日(土) 主に街頭宣伝。イラクの問題や船橋市政のことについて話す。イラクの戦争をやめさせるためにできることは戦争反対の世論を大きくするために訴えること。犠牲者が増え続けているこの状態を続けさせてはならない。
市政の問題は中核市やフェイスのこと、介護のことや子育てのことなどなど話したいことが多くて話がうまくまとまらず、情けないです。開発型から住民優先型へ。訴えたいのはそこです。
3月28日(金) 御宿霊園へ行き、Sさんの納骨。「私が最後はみるから心配しないで」の約束を果たした。あったかい晴れた春の一日、Sさんのおかげで気持ちのいいドライブ、月の砂漠の浜辺にちょっと寄り道も。なんだか一つ肩の荷が下りたようでホッとしました。
    
夜は西船の赤道問題での住民との話し合いに丸山県議と伊藤市議と参加する。
3月27日(木) 丸山県議の宣伝カーが馬込沢駅前で宣伝。一緒に演説をする。障害のある人の郵便投票を教えて欲しいと問い合わせがあり、選管で調べると今なら手続きが間に合うとのことで書類をもらう。歩いて投票所まで行けないようなハンデのある人達こそ、発言する機会の保障をしないと世の中は良くならないと思う。
3月26日(水) 議会最終日。4月から実施される障害者支援費制度の関係で市長提案の条例案の修正提案をした。内容は障害児が訓練を受けているマザースホームも支援費の対象にして有料化することが含まれていたので削除して今まで通りに利用できるようにするというもの。共産党だけでなく小さな声ネットとも共同できたが否決されてしまった。有料にすることで大事な訓練が受けられなくなる子どもがいたらどうするのか。
議会終了後、市議会任期満了の懇親会がある。再選をめざす人、勇退の人、県議や国会をめざす人さまざま。やり合うことの多かった長谷川議員に花束を渡す。16年間一緒に頑張ってきた津賀ゆきこ議員が勇退するのが寂しい。

      
パンフ作り3日目。印刷屋さんに原稿を送る。
3月25日(火) 会派の打ち合わせ。最終日の対応について相談。マザースホームの件は私が提案することになる。
夜、病院で働く方の集まりで市政のことなどを話す。福祉や医療問題は深刻になっているので、話は尽きない。
夜、パンフレット作り。H君に手伝ってもらいようやく形が見えてきました。
3月24日(月)西船駅の宣伝で立ち止まって聞いていた若い女性がいたので話す。顎関節症の治療で歯の矯正中だが保険がきかず大変で医療のことがとても気になるといっていた。
自分のパンフレット作り。遅れていて党の中では一番ビリ。仲間のみなさんごめんなさい。
夜、市役所の中の同窓会で退職を祝う会に参加する。
  
3月23日(日) 午前中は馬込沢駅前でイラク戦争反対の宣伝行動。手書きのポスターなどを持ち寄り30名近い人が行動に参加し、署名やチラシまきマイクでも訴えた。私はマイクを担当したので参加した人たちにひとことずつこの行動に参加した思いを話し手もらった。子どもの頃の戦争体験から戦争はイヤだという思いに突き動かされている方が目立った。一番の反応は子ども達。

3月22日(土) 丸山や上山、藤原の地域で議会報告とイラク戦争反対の街頭宣伝をおこなう。
政策ビラの最後のつめ。予算委員会の論議を反映させる。来週からは使える。 
 
3月21日(金) 朝一番で畑に行き種ジャガイモを植える。忙しくて最近はほとんど畑のことができなかったが、雑草畑にはできない。
津田沼駅前で丸山県議と市議選にでる予定候補の勢揃い宣伝。
      
夕方から姉妹家族が集まる。夕食の後、みんなで卓球大会。彼岸。
3月20日(木) 予算委員会最終日で予算の組み替え動議を提出し、提案理由説明後質問を受ける。市の幹部職員の前で議員同士の質疑だ。長谷川議員からは1時間近くいろいろの質問を受けた。一般会計予算、国民健康保険特別会計予算、下水道特会、小型自動車競争特会、老人保健医療特会、南口再開発特会、介護保険事業特会、市場会計、病院会計、一般会計補正予算の討論を行い予算委員の任務終了。石川さん、伊藤さんお疲れさま。
3月19日(水) 予算委員会。消防費や教育費など。翌日の討論の準備。消防費では救急隊の体制不足問題をとりあげる。消防局は一隊増やすことを表明するが助役がそれを封じるような発言をして人命軽視の姿勢をあらわにする。教育費では学校改修費について担当が必要だと要求した顎の3分の1に削られている問題や給食の委託料が上がり委託する理由がなくなっているので直営に戻すよう求める。
委員会後、翌日の討論や予算組み替え動議を提出する準備。
3月18日(火) 予算委員会。衛生費や土木費など。ゴミの夜間収集の地域で帰宅時間が間に合わずゴミが出せない家庭が出ている問題を取り上げる。交通事情にもよるが日中に変えることも「検討する」と答弁を得る。夏見の水害対策や東葉線沿線の開発問題など。
朝一番で卒業式が行われる法典小、法典東小、丸山小にお祝いのメッセージを届ける。
3月17日(月) 予算委員会、総務費や民生費など。フェイスの総合窓口が市の権利床ではなく賃貸で、しかも賃料の年5000万円は異常に高い。どこまでこのビルに税金を投入しまくるのか。
本会議で示された保育の公民のコスト比較の矛盾をただす。その数字が民間は若い職員公立はベテラン職員の人件費を基準にする作為的なもの。ベテラン職員がいなくなったらなり立たない保育事業です。公立園の民営化は現在考えていないと市は答弁する。障害児の親子教室など。
3月16日(日) 宣伝。
3月15日(土) 宣伝。
3月14日(金) 常任委員会。介護保険料の値上げや68歳からの医療助成制度の削減、国民健康保険料の値上げ、マザースホームの有料化など議案は軒並み市民サービス低下や市民負担の増加を行うものばかり。民生費の枠内だけでみれば「他にも必要な事業がある」。しかし市の予算全体をみたらやりくりできること。それをせずに切り捨てる行政、さらに賛成する議員。市民に知って欲しいこの実態。
3月13日(木) 常任委員会の準備。
3月12日(水) 津賀議員最後の一般質問。
3月11日(火) 法田中の卒業式。毎年生徒の歌声には感動するが、今年はその迫力ある歌声に圧倒される。
3月10日(月) 関根議員、石川議員が一般質問。 
3月9日(日) 事務所開き。たくさんの方に集まってもらい感謝。あいさつで1月になくなったIさんのことを話していたら、こみ上げてくるものをおさえられなくて・・・ボロボロの挨拶に・・・。本当に情けないです。その後の参加いただいたみなさんの心のこもった挨拶で、候補者の失態は穴埋めしていただきました。
午後は宣伝カーで議会報告の辻演説。その後訪ねたお宅では在宅酸素の夫さんに医療費が昨年の10月から850円から8000円に上がって大変という話をきく。

3月8日(土) 明日の事務所びらきの準備。ご近所への挨拶まわりや、活動を紹介する「刷り物」があった方がいいと言うことで急きょつくるが・・・深夜までかかる(私は仕事が遅くて)。
3月7日(金) 一般質問は金沢議員が放課後ルーム、子育て支援、食品衛生業務について、伊藤議員が給食サービス、西部公民館の建て替え、若い世代の住宅助成などをとりあげる。
3月6日(木) 津賀さんの葬儀に参列する。一つ一つの弔辞が津賀さんの人となりをあらわし、民のために尽くすことを貫き通した人生を語っていた。すばらしい大先輩だったことをあらためて知る。晩年は介護が必要になり、同居する幸子さん夫妻がお世話をしていた。議員、鍼灸師とともに仕事を持ちながらの介護は苦労もあったと思う。「100歳まで元気でいて欲しい」という家族の願いがとどかなかったのが残念。
午後、質問にたつ。68歳医療費助成制度の削減問題、介護保険料の値上げ問題、学校5日制対策、幼稚園問題、グラスポに移転予定の法典連絡所問題をとりあげる。
草野議員は南口問題や地域経済問題。

3月5日(水) 本会議の一般質問が始まる。共産党は佐藤重雄議員が予算編成について市民サービス削減問題を取り上げる。高橋忠議員は津田沼にできるショッピングセンターイオン出店にかかわる問題について。
本会議の後、津賀さんの通夜に。
質問原稿準備。
3月4日(火) 一般質問の準備。市立幼稚園がない船橋市。幼稚園の保育料の負担が大変になっている問題や学校5日制になって土日の子どもたちの生活をどう保障するのかなど準備中。
3月3日(月) 議案の勉強会。4月にオープンする南口再開発ビルの赤字がさらに広がりそうだ。建設事業費にあてる賃貸収入を得る業務床の借り手が8割しか決まらず、このままだと2割分の約3400万円が赤字となってしまう。飯山満の区画整理事業も膠着状態で経費ばかりがかかっている。こういう都市開発は採算がとれず、自治体財政に過剰な負担ばかりかけるのに、財政難だと福祉関係のサービスを削りながら、海老川上流部の区画整理や本町地域の再開発など新たな都市開発を進めようとしているのが現市政だ。
日本共産党の元議員であり津賀議員のお義父さんでもある津賀俊さんの訃報が入る。夜、ご自宅にお悔やみに伺う。「岩井さん頑張ってますか」といつも気にかけてくださった優しい笑みを浮かべたお顔だった。

3月2日(日) 丸山公民館の「子どもまつり」。放課後ルームの父母会で遊びのコーナーを担当する。丸山はスライム、びゅんびゅんごま、プラバンを担当する。私はびゅんびゅんごまの担当。穴の位置が悪いとうまくまわらない。色づけも工夫がいるし回し方もこつがあってなかなか簡単じゃないところがいい。集中して黙々と色を塗っている子どもの姿にちょっと感動。
  
津田沼駅頭の「イラク戦争反対有事法制反対」宣伝は後半部分に参加。普段よりはビラの受け取りはいいが、もっともっと反応があってもいいはず。イラク戦争と日本人に距離がある。他人事でいいのか。日本の政府が加担したら日本人は加害者になるのに・・・・。
3月1日(土) ふなしん対策連絡会の報告集会。ふなしんが破綻して1年、「金融庁による信金信組つぶしやめろ」「地域経済を守れ」と船橋市内外のさまざまな団体が共同し活動してきた。以来、国会でも取り上げられ信金信組の破たんはなくなり、以前の破綻に比べふなしん債権のRCC送りを少なくすることはできたが、出資金は戻らず、ふなしん職員の多くが失業、RCCに送られた中小企業の債権の回収はこれから本番。厳しい事態が続く。これが小泉構造改革の実態だということを多くの人に知って欲しい。
2月28日(金) 議案の勉強会。介護保険料は40歳以上の人も65歳以上の人も値上げ、値上げ。年間11,250円も値上げになる高齢者が4500人もいる。さらに8月からは68歳からの医療費助成が非課税世帯の人だけの制度に改悪される。・・・とにかくひどい。
2月27日(木) 議案の勉強会。税収の落ち込みの裏を返せば市民の所得が落ちたこと。個人所得がこの数年で納税者一人あたり年間20万円も減っているという。法典公民館にある連絡所をグラスポに移転する計画が示される。車がないとかなり不便な場所だ。法典公民館が立て替えるまでの間というが半年、1年程度ではすまない。移転先の再考を求めたい。中核市移行の経費増は交付税が交付されると言ってきたが、交付税は交付されず新たな借金に。
2月26日(水) 議会開会。市長の市政執行方針が表明され、新年度の主要事業などが示される。南口再開発ビルの総合窓口、小ホール、市民活動サポートセンターが目玉のようだ。何百億円も税金をかけ他の事業を圧迫し続けているのだから、何某かの市民への還元は当然のこと。ビルは空床が残り新年度も赤字はさらに拡大するようだ。このビルの中間工事検査報告もあったが、「40年後に売却して再開発事業費にあてる資金計画を保障できる建築工事となっているのか」という共産党の佐藤議員の質問には監査委員は答弁できなかった。
放課後ルーム、今年もまた3年生以下の子どもで入所を断られるケースがでている。市内5ルームで十数名いるようだ。ことわられている親の不安を思うと・・・。春休みにひとりで留守番させるようなことにしてはならない。

県議会、昨日、自民党は共同参画に反する条例を提案。一斉地方選挙で審判だ。
2月25日(火) 今朝は冷え込んだ。船橋法典駅の朝宣でイラク戦争のことを話していたのだけれど、途中、話が迷走。よほどひどかったのだろう、一緒に宣伝していたHさんが見かねて缶コーヒーを買ってくれる。・・・だらしない・・。
一日、議会準備の会派打ち合わせ。イラク問題や国民保護法案などについての意見書7本提案する予定。市長からの予算案、68歳からの医療費助成制度の削減など福祉関係の改悪が目立つ。よくも高齢で病気の人が打撃を受けるような削り方をするものだ。
2月24日(月) 朝からの雨が雪に。さむーい一日。丸山1丁目のU字溝の壊れたところを確認しに行く。丸山は私道ばかりで交通量が多くても改修は地元の責任にして、市はやろうとしない。そして傷んだ道路が多い。穴埋めなどの応急処置だけはやってくれるが解決にはならない。一般の人が多く使う公的な道路は私道であっても整備は市が責任を持つべきではないか。
 
2月23日(日) 上山町のKさん、私と同世代の女性。高校生の娘さんとの頼り合ったり、厳しく対立したり「どこもいっしょだね」と笑い合う。建設職人の夫さんの収入が減っていてやりくりに苦労している。みんな一生懸命生きている。私も頑張らなくっちゃ。それにしてもふつうに子育てしている家族が生活できる収入を得ることがこんな大変では少子化は下げ止まらない。
2月22日(土) Hさんから「JR船橋駅の案内表示は嬉しかったのよ」と言われ、随分前、亡くなった渡辺素子県議とJR千葉支社に行き船橋駅にも改札口で電車の発車時刻がわかる電光掲示板を設置して欲しいと申し入れに言ったことを思い出した。Hさんから案内板がなくて不便といわれ、初めて気づき取り上げた。JRのダイヤシステムのコンピューター化が行われているときだったのでタイミングが良くて設置されることになった。市民の声が私の活動を支えてくださっていることをあらためて実感する。覚えていて下さったことが嬉しい。Tさんからは丸山3・4丁目にバスを通せないかという要望。
Kさんのお母さんの通夜。母とも親しかったから本当に寂しい。
2月21日(金) 船橋北口の共同行動。大急ぎでビラを作ったり、ばたばたの準備だったがたくさんの人が集まってくれてイラク攻撃NOの声を船橋からも出せたのではないか。40本用意したキャンドルは全部さばけて、50人ぐらいは集まっていたかな。緊迫したイラク問題、日本からの反戦の声はまだまだ世界から比べて小さい。こうした行動をもっともっと広げないと。
  
2月20日(木) 船橋市の新年度予算案が発表される。財政状況が厳しいからと、68歳からの医療費助成制度が非課税世帯の人だけに対象がしぼられるサービスの後退が盛り込まれた。
丸山小学校の給食を委託にするための工事予算がつけられたが、委託業者のための工事より臭いトイレを何とかする方が子どものためじゃないか。等々いろいろ問題を抱える予算だ。これからじっくり検討する。
21日の準備、共産党のイラク攻撃反対の新しいポスターができたとのことで使えそうだ。2・14集会で使われていた紙コップキャンドル準備する。
2月19日(水) 4市組合議会。今回の火葬炉増設でもすぐにまた不足してしまうことが明らかになる。4市組合はこれまでも第2斎場が必要だとして船橋以外の構成市(習志野、八千代、鎌ヶ谷)に用地選定を求めて来たが、進んでいない。8月の組合議会で私は直接各市の市長にしっかり取り組んで欲しいと求め、当時の八千代市長が「ちゃんとやりますから」と声を荒げて答える一幕もあった。が、その後汚職で逮捕、辞職。今議会でどうなっているのかと問われた八千代は「引き継ぎを受けていない」。本当に無責任だ。用地選定に同取り組むのかという追求に「助役レベルの協議をおこなう」方向が出される。半年に1回の議会で一進一退の進行では、火葬場が足りず深刻な事態になりかねない。住民からの陳情だけ採択され後の業者関係は不採択となる。
2月18日(火) 会派の打ち合わせ。議会の準備。
4市組合議会の準備。新年度馬込斎場の増築工事が計画され、それに対する地元住民からと葬祭業者等からの陳情が出されている。計画は火葬件数が増え足りなくなる炉と控え室を増やし、第5式場を控え室に転用、一番大きな第1式場を2分割するもの。周辺住民は馬込ばかりに負担を負わせず他の市にも火葬場をつくって欲しい、周辺の交通問題対策などを求めている。業者等からは式場をなくせというものと式場を減らすなというもの。

2月17日(月) 馬込斎場の周辺住民から話を聞く。
小さな声ネットの佐藤さん達とイラク攻撃反対の共同行動を相談。緊急に21日(金)の夕方宣伝を行うことにする方向ですすめる。
午後、新婦人の集まりで議会報告。多くの市民は「船橋市がどうなっているか」という話を聞く機会がない。こうした報告をすることの大切さ。
幼なじみのKさんのお母さん、危篤とのことで自宅を見舞う。
2月16日(日) 法典地区の「福祉まつり」にいく。視覚障害の方たちが集まる「ポレポレサロン」を主催する柳川さんの講演を聴いたり、高齢者の疑似体験、ミニデイサービスの手作り体験、介護教室などをまわる。あいにくの雨だったが盛況。疑似体験ではアイマスクをつけ、膝や肘を固定し、おもりを胸ポケットや足首などにつける。つえをつきいざ出発。視界が悪く誘導してもらわないと危ない。階段の茶色く目立つラインが本当に助けになる。点字ブロックは色が大事なサインであることがよくわかった。それにしても年を取るとはこういうことか・・・。
 
商売をしてる人や建具職人さんから相次いでやりくりの大変さを聞く。その度に「大企業本位の政治から国民本位の政治にを変えなきゃ」と思う。藤原のEさん、夫婦二人暮らしでお二人とも介護が必要になっている。介護保険だけでは足りないことを切々と訴えられる。
2月15日(土) 丸山公民館で行われた市政懇談会。木下街道問題がやはりどの地域でも生活上の障害になっていることが浮き彫りに。法典西小の放課後ルーム移転の要望はたくさんの署名簿が市長に直接手渡された。
午後、千葉市ポートアリーナで日本共産党の演説会。馬込沢駅前から大型バスで参加。いっせい地方選の予定候補も壇上に上がる。志位さんの話は元気をもらえる。往復のバスの中で市政について報告する。

夜、高校の同窓会に新宿へ。25年ぶりに集まる顔ぶれ。楽しかった。

2月14日(金) 船橋市生活展、ヘルシー船橋フェアに。健康落語、健康相談、消費生活計量係などに寄る。特に重量、温度などの計量器の点検を行う市の計量係は消費生活を見えないところで支えている大事な業務だということを実感する。100cがどのくらいか”おはじき”で表す体験コーナー。私は98cで1個足りませんでした。

ようやく退院にこぎ着けた一人暮らしのSさんを訪ねる。介護保険だけでは足りないサービスを障害福祉のサービスで補われることになった。自宅に帰ったSさんは本当に嬉しそうだ。リハビリをどんなに頑張ったか詳しく話してくれる。遠くの施設に行かせることにならずに本当によかった。
夜、明治公園のイラク攻撃反対の集会に子ども達と一緒に参加。私は今の時代を生きる子どもにも時代に向き合って生きて欲しいと思うので理解できるところには誘うようにしている。集会の訴えに「そうだよね」「アメリカ・ブッシュはだめだね」小5の息子が相づちを打つ。
2月13日(木) 丸山県議、馬込町のMさんと千葉県の葛南土木事務所職員と木下街道の馬込町付近の歩道の実態調査を行い改善を申し入れる。電柱が舗道上にあるところやU字溝の蓋ががたがたになっているところ、傾斜のひどい歩道など改善を検討することになった。が、全面改修が本当は必要。
 
今日は母の命日。姉妹3人で馬込霊園にお参りし、その後、霊園から二和の日大グラウンドにかけて周辺を散歩する。自然が残る安らげるところだ。
2月12日(水) 19日にある4市議会の議案の説明を受ける。周辺住民から出されている大規模な葬儀の自粛要望に応えた第1式場の分割案が示される。
会派の打ち合わせ。
交通事故で娘さんを失ったお母さんから話を伺う。自転車に乗った娘さんを轢いた自動車の運転手は以前にも人身事故をくりかえし、今回も罪の意識がなく、それが遺族をさらに苦しめている。少なくとも車を運転するものは被害者の苦しみを自覚して運転しなければなならい。行政は危険個所をなくすことに責任を持つべきだ。
2月11日(火) 千葉県自治体学校。「人間らしく生きる権利・あらためて自治体の役割は」という神戸大学二宮厚美教授の記念講演をきく。・・・・小泉構造改革で多国籍企業支援型政治が推進され国家は社会保障などの責任を放棄し自治体に押しつけ、たくさんの業務を少ない予算でやらされる。効率化の名で業務は外部に委託されスリム化で統廃合が進められる。市民にとっては行政サービスが使い勝手が悪くあてにならないものになっていく。あらためて住民の生きる権利を保障する公共性を保った自治体を確立しよう・・・・。小泉改革のねらいがよくわかり、それにどう国民の側が立ち向かっていくのか胸がすっきりする話が聞けた。午後は学校給食の分科会にでる。 
2月10日(月) 20代の青年の「健康保険がなくて・・・」という相談にのる。よく聞いてみると「親の事業が不況でダメになり何年も国民健康保険料を払えないまま最近は保険証もこない」。「医者には行かないの」と聞くと「行かないで我慢してきた」という。大病しないできたからそれですんだものの、保険料が高いことが保険制度から落ちこぼれてしまう人々を生み出している。
2月9日(日) 挨拶まわりなど。子どもの医療費助成の改善は本当に喜ばれているのがわかる。マンション建設の進む地域での幼稚園、学校の教室不足問題が大きい。「水洗ではあるけれどコンクリートの打ちっ放しで汚くて臭い学校のトイレを何とかして欲しい」という若いお母さんの意見は至極もっともなものだ。それからフルタイムで働く女性から、「夜間収集のゴミの回収時間までに帰宅できずゴミが出せなくて困っている」と特に夏場の深刻な状況を聞かされた。他の地域でも同じ悩みを持つ市民がいる。対策が必要だと思った。
2月8日(土) 二和病院友の会の新春のつどいに出席し、挨拶。医療問題は焦眉の課題。友の会のみなさんは能動的に政治に働きかけている。心強い仲間だ。
午後は丸山小学校の地域ミニ集会。「保護者と学校と地域が協力して子どもを育てる」どうやって築くか。学校5日制になり子どもはますます地域の中で過ごすようになっている。今日はシルバー世代の方が現役保護者よりパワフルで現役のお母さん達、押され気味でした。

千葉土建の地元の新年会
絵手紙班会にも参加。今日の成果は→  
2月7日(金) 久しぶりに10キロ走る。このところ重くなっていて・・・つらい!
志位さんの国会質問を観る。イラク問題も経済問題も医療についても国家の大事を取り上げているのに小泉首相は真摯じゃない。意見が違うなら違うなりに説明すべきだがそれもせずのらりくらり。地域のビラまきにでると「今日の志位さんの質問はみごたえがあったねー、片山さんなんか顔色なかったよ」と通りがかりに声をかけられ、自分がほめられたように気になって。それにしても高齢者の在宅酸素療法の医療費問題は日頃感じてきたことなので志位さんが取り上げてくれ嬉しかった。改善して欲しい。
2月6日(木) 共産党の県委員会で男女共同参画条例についての情報交換。自民党県連による「男らしさ、女らしさ」の押しつけは、介護や保育などの公的責任を求め前進させてきたことを逆戻りさせるもの。女性ばかりでなく男性も含めた人間らしく生きたいと願う県民全体にたいする妨害だ。
Iさん宅の荷物を処分しアパートを引き払う。あっけない・・・。
家族新聞完成。
2月5日(水) 午前父の家の相続のことで司法書士事務所を訪ねる。妹のひとりが後に入ってくれたので、処分せずに残せた。育った実家がなくなるのは寂しいもの。
あいさつまわり。話し込んでしまうのはやはり高齢者のこと。母親が「そろそろ別の施設に移してといわれている」年金で一人暮らしの男性。月20万以上の医療費。介護保険の対象になる高齢者が施設がなくて医療施設を転々とする現実。

2月4日(火) 朝、船橋法典駅の宣伝の時、ビラまきに来てくださっていたTさんの具合が悪くなり救急車で病院に。寒さに参ってしまったようだ。病院からはすぐ帰って来られたのでホッとしたが、寒さの厳しい朝宣は、来てくださった方の体調にもっと気をつけるべきだったと反省した。
会派の打ち合わせ。いっせい地方選に向けての政策のまとめなど。
2月3日(月) Iさんの部屋の荷物を処分するため業者に見積もりをしてもらう。部屋に入るたびに埃やカビででてくると花粉症が悪化してしまう。
岩井友子通信の2号を作る。今回は丸山法典地区の下水道計画のことがテーマ。
夫から催促され続けてきた家族しんぶんの分担をかく。
2月2日(日) 午前中は法典地区の耐寒マラソン大会に出場。5キロ走りました。中学生の男の子達と一緒に走れる貴重な大会です。早い子はとてもついていけませんが、後ろの方は同じぐらいのテンポの子達もいてまんざらでもありません。結果は一般女性の部第2位。女性の参加者数は・・・。はははは。寒い中町角に立ってくださったボランティアのみなさんには本当に感謝します。
  
午後、日本共産党船橋市後援会の「春を呼ぶつどい」。林紀子参議院議員の国会報告、丸山県議と9人の市議の挨拶の他、コーラスや踊り、太鼓などにぎやかに楽しく今年の政治選の必勝を誓い合ったつどいでした。
2月1日(土) 終日、挨拶まわり。介護の必要な高齢者のいる家庭が多い。「介護サービスを使いたくても本人が嫌がって」と息子の妻がひとりで世話をする家庭や今はショートに入っているおばあちゃんを「普段はベッドから車椅子に私が抱きかかえて移すのよ」という共働きの女性。みんな精一杯頑張っている。
1月31日(金) 4市事務組合議会で一期工事が完成した特別養護老人ホームを見学。内装の色使いが温かく、家庭的な雰囲気のインテリアでなんだかほっとする。入所者にとってはここが我が家になるのだから。明日、旧いホームから入所者達が引っ越してくるとのこと。職員の苦労は相当なものだろう。
  
法典地区婦人会連絡会の新年会で挨拶。知事が提案している男女共同参画条例の制定が妨害されていることを話す。

手間取ったIさんの死亡届を出す。身寄りがないと死亡届も簡単には出せないのだ。午後、Iさん火葬。知り合いの住職に無理を言って保管庫から出した棺の前で経を上げてもらう。友人も集まってみんなでお別れをした。馬込斎場の費用は搬送や棺なども含め3万円かからなかった。
1月30日(木) 朝の宣伝の後、佐原まで夫の祖母の葬儀に。夕方戻り、Iさんを病院から斎場に運ぶ等。祖母とIさん、いろいろ考えさせられる。
1月29日(水) Iさんが亡くなった。葬儀やアパートの引き払いなど諸々の手配。友引で馬込斎場はいっぱい、病院も何日も預かれない、身寄りのないIさんの死亡届を出せる人が見つからず・・・。
平行して午前は法典西放課後ルームの移転問題で児童家庭課と関係者との話し合い、馬込町周辺の住民と斎場問題で懇談。船橋社会保障推進協議会の会議。
心も体も忙しくて、ぼーっとしている。丸山県議から自民党がHPで共同参画条例の独自案を葉票したことを聞く。自民党は恥を知れ。
1月28日(火) 43歳になりました。1960年生まれなので自分の年は西暦ですぐ判るのですがけっこう間違えることがあります。年齢を気にしない世代じゃないでしょうか。若くも年でもなく・・・。若く間違えても故意ではありませんから、あしからず。
朝の宣伝の後は休みに。。インフルエンザの息子と一緒です。疲れがたまっているようで炬燵でうとうとしてばかり。これではいかんとジョギングはしました。インフルエンザもですが花粉も飛んでいて年明け早々から今年は街頭宣伝やジョギングの後のどの奥がいがいがしてきます。みなさまお気をつけて。
Iさん危篤の報で病院に行く。苦しそうで背中を丸めて横たわっている。背中をさすると眠る。目を開けると「大分よくなった、大分よくなった。大分よくなっても困るんだが・・」と後のことを心配する。
1月27日(月) 今日の雨は凍えるよう。一緒に歩いたEさんのところでおいしいたくあんでお茶を飲んでいると、入院中のIさんの容態がよくないと連絡が入り、病院へ。個室に移る。「岩井さんひどいもんじゃよ、きっついなあー。法律を変えなきゃいけん」という。
「治療が終わったから退院です」と年末に退院。そのまま特老のショートステイにはいったが退所後は、アパートのひとり暮らしに戻る予定だった。ガンの末期、体力も落ち、脊髄をやられて歩けない。いつ病状が悪化するか判らない状況での一人暮らしを強いられていた。ショートステイ先で具合が悪くなり、再入院になったが、またいつ退院といわれるか心配で「岩井さん医者のいる老人ホームには入れないかね」と何度も訴えていた。安心して最後をみとってもらえるところが見つからないのだ。危篤状態になってもそのことが心を煩わせているのだ。私はこのことを絶対に忘れない。
市役所でたまった雑務をすませて、再び病院へ行き主治医から病状の説明を受ける。一人暮らしで身よりのないIさんの保証人を引き受けている。
1月26日(日) 朝、息子の熱が40度近くに。金曜は7度台だったので風邪薬しか処方されていない。インフルエンザだったら心配。金曜に行った近所の内科医に電話すると診てくださるという。検査の結果やはりインフルエンザA型、「特効薬があるから明日には熱は下がりますよ」と薬をもらう。近くにかかりつけ医を得られて本当にありがたい。
後ろ髪をひかれつつ、法典連合自治会の新年懇親会に出席し挨拶。退院後の和田議員が来ていた。しんどいだろうに頑張っている。私も頑張らなくちゃ。
法典地区の共産党後援会新年会で市政の報告。一人暮らし高齢者支援のことや南口再開発のことさまざまな質問が出される。おもちが2個も入ったおしるこをいただく。ちょっと食べ過ぎかな。
途中挨拶回りをしている上林議員を見かける。みんな頑張ってます。
1月25日(土) 木下街道の問題を一緒に取り組んできた方と話す。法典駅から東400メートルに歩道をつける工事がなかなか完成しない。当初5年といっていたのが、もう8年目になる。県議会でも丸山県議がいつ完成するのか取り上げた。今のところ18年度中と県は言っていることを報告。
午後、市役所の組合などが中心につくった市政白書発行のつどいに参加。千葉商大の竹内先生の話を聞く。船橋市内の自然環境、歴史環境を残すことの意味を考えた。残り少なくなっているこうした環境をさらなる開発で無くしていいのかという視点でまちづくりを見直そう。

共産党の丸山後援会の新年会。市政の報告をするのでメモを大急ぎでつくりました。マリンバの名手がいて演奏していただく。参加者のひとことあいさつ、ミニバザー、全員で合唱など盛り沢山の2時間、料理は男性諸氏が作ってくださった。感謝。
本日の最後、子ども劇場の友人達の新年会に夫婦で合流。
1月24日(金) マンション居住者のさまざまな苦労を教えてもらう。結露で天井が黒くカビが生える。気に障る上階の音。水漏れ。犬や猫の飼育。近所づきあい。「・・・・大変ですねえ」といったら「上手につきあえば心強くて、楽しい関係になるのよ」と。どこでも当てはまる話も多いです。
息子の学校から呼び出し、熱があるという。迎えに行くと同じクラスで11人欠席などがでているとのこと。インフルエンザが一気に来たようだ。
市役所内の国府台高校同窓会に。いつも最後に校歌を歌います。楽しい会です。
学童連協の会長会議。また今年も入所の可否で苦しむ時期になってきました。
1月23日(木) 千葉県内の共産党議員の研修会議。県議会の男女共同参画条例を拒む自民党の動きは本当にひどい。明らかに男女平等推進の流れを逆流させるものだ。女性への差別は権力を持つ一部を除いた男性にとっても枷である。そうやって民主主義が押さえつけられてきた。憲法改悪、教育基本法改悪など戦前回帰を狙う人たちと根は一緒。2月県議会が山場。選挙は目前の4月、「時代錯誤の議員はいらない」という理性の声を上げましょう。
1月22日(水) 法典地区老人クラブ協議会の新春懇親会。「国旗に敬礼」があって、来賓で呼ばれた私が、式次第に抵抗するのはどうかと迷ったのですが、やはりこうしたことの押しつけには流されないでひとつひとつきちんとした態度をとる人でいたいので、立たずに座っていました。後から「あれは主催者に失礼だ」とおっしゃる方もいました。君が代日の丸を踏み絵にしてませんか。その後は楽しく乗せられてカラオケまで歌ってしまいました。
「年金が下がったら困る」「50代の息子が難病で寝たきり、入院しているがこれからどうなるのか」どこでも伺う言葉は重い。
1月21日(火) 会派打ち合わせ。
春の市議会議員選挙に向けた資料づくり。日本共産党議員団がどういう市政の課題について取り組んできたのかまとめる。自分で言うのもナンですが、幅広くねばり強くかなり頑張ってきています。
暮れに撤去された牧の里公園の箱ブランコの後につく遊具の写真を見せてもらいました。公園の遊具を作っているところが少なく、遊具の選択肢が少ないとのこと。こんなところにも日本の子どもたちの置かれている断面が表れます。
1月20日(月) 午前、制度融資が受けられず「まち金」に手を出し破産宣告を受けた自営業のSさん、生保の申請につきそう。家族友人親戚中を巻き込み信用をなくし仕事の機械も住まいもなくした彼にどれほどの罪があったのだろうか。まじめに働いてきてもここまで突き落とす社会はおかしい。
県庁へ行き丸山県議と日本共産党議員団で道路問題、下水道、医療センターへの県負担増額で県交渉を行う。私は木下街道の歩道の改善、馬込十字路の渋滞解消を特に訴えました。担当の葛南土木事務所には何度も要請に行ってますが、予算を取る大本はこちらです。危険な実態を放置しないでと責任を求めてきました。下水道では芝山から競馬場の方に抜けるネットワーク管が17年度には完成するので北側の地域、丸山、藤原、馬込、上山はそこに接続できるとのことで、ぐっと見通しがでてきました。 
1月19日(日) 今日は一日寒かったですねー。午前中挨拶回りをしましたが、寒い中玄関にでてきていただいたみなさんありがとうございます。「生活が大変よー」という言葉に政治を何とかしなくちゃと背中を押されます。
午後、子ども劇場のどんど焼き。夫は昨日の竹の切り出しから櫓に組むまで手伝っていました。昼頃強くなった雨もあがり、今年もバーン、バーンと竹が焼けて破裂する音をひびかせました。それぞれが持ち寄った餅やマシュマロ、ミカンやお芋などを竹串に刺して焼きます。熱くて正面から火に近づけないので後ろ向きになって火のそばに串を立てにいきます。大人と子どもが一緒になって火遊びです。かなり楽しかったです(うふふ)。

夕方、船橋旭高校演劇部の公演を観劇。関東大会直前ということで「ダメだし」を求められましたが、意見といわれてもすぐにはでません。テロと軍事攻撃という隣国同士の紛争をテーマにした劇。昨秋にも見たのですが迫力がありました。辛いくらいです。
1月18日(土) 会う人ごとに道路の問題をいわれる。特に私の事務所のある商店街の通りと法典東小前の道路が自動車が多くて危険で怖いという声。バイクと自動車の事故が起きたという立て看板が今週設置された。信号の設置や一方通行可化、速度が出せないよう花壇などの障害物を置く「はんぷ」など対策が必要。
新婦人の新年会。私は飲めませんでしたが、ワインでみんないい気分に。年金のこと、消費税のことや医療のことなど日頃の鬱憤を晴らし合いました。
丸山1丁目の牧の里公園の箱ブランコが撤去されていました。事故にならなくてほっと一安心、ですが遊具が少なくて寂しいです。増やしてもらいましょう。

夜、放課後ルーム父母会で新年会。夕方から買い出しにいったりカレーライスをつくったり、大忙しでしたが大人はビール、ビンゴもやって親も子も満足・・・。
1月17日(金) 海外駐在が長い大手企業の男性「外国の人から日本はおかしいとよく批判されてきた。世界のマーケットは大きな影響を持つ中国華僑のネットワークを掴むことに腐心しているのに日本政府はアメリカ一辺倒で中国やアジアを軽視して、本当に偏っている。共産党に政権を執って欲しい」といわれる。「日本のマスコミは大事なことを書かない。私はメールやインターネットで外国からの情報が得られるから、日本のおかしさがよくわかる」と。党外の方から日本共産党のことを教えられた。感謝。
昨日の水害の件で東武鉄道、船橋市、住民の話し合いを行う。防音目的のブロック塀がせき止めている雨水を鉄道の側溝につなぐ管を設置させて欲しいと要望する。
1月16日(木) 朝の宣伝のあと丸山県議と丸山5丁目の雨水の浸水被害のでる場所を調査。低地ではないが部分的にすり鉢状になっているためあふれてしまう。
親子リズムの餅つきの手伝い。1歳前後の子どもとお母さんが集まっている。”言うことををきかない”時期だから、精神的にもお母さんは苦しい。そんな時に同じような人たちと、「かまえない」でつきあえるところはほっとできる場所のようだ。テーブルの上でもできるようなかわいらしい臼と杵でもちつき。子どもたちがかわいい。

近々西アフリカに行くという高齢の女性、ほんとにパワフル。百歳を超えるお母さんは「戦前は教師をしていてね、共産党のシンパだったのよ、子どもは逆になったけど。近くに多喜二が住んでいて、あのころは町内会長とか名士が匿っていたみたい」小説を読むような話だった。
1月15日(水) 挨拶回り。「丸山の商店街の通り抜け車両が増え、歩くのが遅い高齢者や足の悪い人は買い物にも行けない」との声。議会でも取り上げてきたが、本当に何とかしなくちゃならない問題。商店街にとってもお客さんが来づらくなるのは困る話。信号をつけるとか一方通行にするとか、スピードが出せないように花壇などの障害物を置くとかいろいろな方法が検討できるのではないか。まず住民がどうしたいのかみんなで意見を出し合い、一致できる対策をつくることが必要だ。
1月14日(火) 会派の打ち合わせ。4月の市議選にはかなり多くの候補者が立つようだ。私の担当地域からも多くの立候補が予定されており厳しい選挙になりそう。
一人暮らしのIさんを病院に見舞う。ガンの末期のIさんは私に「医者のいる老人ホームに入れないか」ときく。今の医療制度は、病院が入院期間の制限を強め、病院で最後の日々をおくることも保障されないのだ。日本は今、82歳のIさんにこんな思いをさせる国になってしまっている。
1月13日(月) 成人式。スクランブル交差点で宣伝。着物姿にみとれてしまう。私は憲法27条の勤労権を紹介しながら政府は労働者に雇用の場を提供する政治上の責任を持たされているのだから、就職難は個人の問題として悩むだけでなく「仕事よこせ」を政府に要求しましょうと・・・アジリマシタ。でも奨学金の改悪に反対を訴えた若い人の話の方がずっと光っていたなあ。
    
挨拶回りでは「小泉の政治はもうダメだから共産党しっかりしてよ、ちっとも大きくならないじゃない」と叱咤激励をうける。その通りです。
1月12日(日) 法典西連合町会の新春懇親会。町会やPTA、体育指導員のみなさんや地域でいろいろと活躍されている方々と親しく話す。介護のこと医療のこと、学校5日制、木下街道のことなど話題はつきない。放課後ルームのことでは署名活動がすすんでいることを伺い町会ぐるみで子どものことを心配していることに心が温まる。
午後、街頭からハンドマイクで市政報告。4月から子どもの医療費の窓口負担が軽くなることはとても喜ばれる。ねばり強く取り組んできた成果だ。みなさん申請忘れのないようにしてほしい。
1月11日(土) 挨拶回り。朝のTVで年金を取り上げていたようで、年金のことがどこでも話題になる。保険料が上がり給付が下がり老後の生活保障として充分な物でなくなる不安だ。ただ年金財政が厳しいのは政府がいうように高齢者が増えるからというより、失業や就職難などの雇用悪化が原因だ。それに5年分の給付に相当する170兆円あまりの年金基金のことも政府は口をつぐんでいる。国民に犠牲を強いずに政府は老後の保障になる年金制度をつくる責任を持つべきだ。
1月10日(金) 挨拶回り。介護のことや医療の不満がつぎつぎに出される。「医療費が高くなって在宅用の酸素吸入器をつけないで我慢している人もいて本当にかわいそうなの」有料老人ホームで働く方の話は身につまされる。
船橋市職労の旗びらきに出席。現場の方の話が聞けて参考になる。「退職しても正規職員の補充がない、ゴミ処理事業は将来にわたってとりくむ仕事なのに軽視するのはおかしい」「理科実験助手を減らそうとしている。理科教育の重要性が指摘されているのに時代に逆行している」等々。その通りと思う。

旗びらきで
1月9日(木) 馬込沢で朝宣。終わる頃には指先の感覚がなくなります。一日党の会議。一斉地方選挙に向けての意思統一。大変な選挙になりそうですが、「がんばるぞー!」。
1月8日(水) 「岩井友子通信」を作ってみた。以前から「岩井さんの活動が判るチラシが欲しい」といわれていたもの、重い腰をあげました。Wordの使い方を先月少し習ったのでやってみました。我が家のPCをつかったのですが夕食時間にも食い込み、家族には大ひんしゅく。
1月7日(火) 朝、船橋法典駅で宣伝、ビラまきに参加してくれた方が6人もいて元気がでる。顔見知りの自転車整理員のKさんが来ていた。あちこちの駅をまわっているようだ。
事務所で一日「ミニにゅうす」や「あの街この町」の原稿を書いたりして過ごす。原稿書くのが実は苦手で結構時間がかかります、とほほ。
1月6日(月) 朝、市役所前で議員団がそろって宣伝。マイクで挨拶したり、顔なじみの職員の人たちに新年の挨拶をする。私がマイクを通して話したのは”暮らしの不安が広がっているときこそ自治体は頼りになるところになって欲しい、そのために職員のみなさん力をあわせましょう”。
会派の打ち合わせ。

1月5日(日) 終日、党の会議。今年は一斉地方選挙と総選挙も予想される。行きづまった政治を打開し、誰もが安心して暮らせる社会にすること。今の日本の行き詰まりを招いているアメリカと日本の大資本の横暴に歯止めをかけることを明確に提案する日本共産党の伸長がカギだと思う。
1月4日(土) 我が家で過ごす。ひとりで1日ゆっくりしようと思ったが、家の中の大掃除になる。そんなものです、主婦なんて。
1月3日(金) 朝、栗山川の土手をジョギング。気温が低く雑草の霜が凍って白くなっている。

息子と部落のお宮に初詣。通りすがりの畑の白菜に大根葉をかぶせているのが面白い。片隅の菊、枯れ葉の先の花の色がきれい。
  
ショートに入っていたIさんの具合が悪くなり、入院したとの連絡が入り、夕方船橋に戻る。やはり退院はムリだったのではないか。3ヶ月以上入院ができない医療制度に問題があるが、病院も患者に責任を持って欲しいと思う。
1月2日(木) 午前、丸山を共産党の仲間とのぼりを付けた自転車に乗って宣伝。9カ所で新年の挨拶。
午後は車にスピーカーをつけて、藤原、上山、旭、馬込町をまわり5カ所で。暮らしの不安が増大し見通しのもてない年明けを迎えたなか、この政治を変えるのはやはり主権者。くらしを支える政治に切り替えることが経済の建て直しにつながるということを訴える。住民が主人公といえる市政にしようと訴える。
夜、多古町の夫の実家へ。
1月1日(水) 強風と砂粒がぶつかるような音と冷えた足が痛んで目が覚める。マイナス4度、一面雪景色だ。まだ雪は降り続いている。アイゼンがないので下りられるか心配。いつもなら相模湾の向こうから上がる初日の出をみんなで見るところだが、ガスで視界も悪く、最悪のコンディション。なんだか今年の世相を表しているようで口にするのもはばかられる。
が、雪景色がまた美しい。樹氷と雪とガスで荘厳な得も言われぬ美しさがある。
 
お雑煮をいただいて、雪が凍らないウチに下りることにする。こんな天気でも下から登ってくる人たちが続々と小屋に到着する。夜中の2時、3時から登り始めたとのこと。月明かりがないから真っ暗な中ヘッドランプだけで上がってくる強者達。
小屋の人に「いっせい地方選、頑張りましょう」と送り出される。毎年、この山を下りるとき「今年も一年頑張ってくるから」と心に期する。今年は選挙の年だけに思いは強い。
 
下り始めると雪は途中まで、堀山あたりからはあまり降らなかったようだ。大倉入口まで来ると太陽もでてきた。バス停に向かう途中、庭に毛皮を干してある家があった。

昼過ぎには渋沢駅に着き、駅前の喫茶店で昼食。毎年寄っているが元旦に明けているのは、昔閉めていたら下山した登山者に店の前に置いた物でたき火をされ、それからは毎年明けているのだそうだ。ここで食べるオムライスランチとビールは格別な味です。辛い下りもこの楽しみのために頑張れる。
夕方には船橋に戻り姉妹家族が集まり新年会。30日につくった豚の角煮と鶏の酢醤油煮を持参する。