2004年

活動日誌
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2月16日(月) 事務所で囲碁の会。今日は初心者は私だけだったので、ヘタ同士の対戦の楽しさは味わえなかったが、上級者に解説してもらいながら対局して貰う。目先のことだけしか考えられないうちにあっという間に大負けの地図ができていた。
LD、ADHD、自閉症など障害のある子どもさんの教育について教育関係者と懇談を行う。特別支援教育といって政府は養護学校や特別学級から普通学級に障害のある子どもを移す計画を進めているが予算削減が目的なので普通学級に移っても介助員などの配置は保障されていない。現実に普通学級で生活する障害のある子どもたちの実態を聞くが、障害に合わせた指導する体制がないと時には、本人、周りの子どもたち、担任、保護者それぞれに大変辛い思いをせざるを得ないのが現実。せめて介助員をつけるべきだ。
2月15日(日) 地域を訪問活動。歩けない夫を一人で介護する女性。デイサービスは使っているということだが、疲れているのがよくわかる。辛い時は連絡してと念を押す。丸山では法典小に通学していた昔の話でひとしきりおしゃべり。大雨で二和川があふれると保護者が橋に立って子どもを抱えて渡したこと、木下街道が危なかった事、病院がなくて子どもがはねられたとき連れて行かれたのが戸部産婦人科だったことなどなど。いろいろな方と話すのは楽しい。
虚弱で働けない娘さんの相談を受ける。両親も高齢になってきて自分たちの暮らしもいっぱいいっぱい。競争社会になじめない若い人たちがひきこもったり、自立できないまま親に扶養されているケースが多い。本当に多い。
2月14日(土) 船橋二和病院健康友の会の新春の集いに顔を出す。安心してかかれる病院がほしいという市民「友の会」が支えているのが二和病院だ。小泉改革で医療制度が次々改悪され病気になってもお金がないと病院にかかれなくなっているからますますこの病院が必要とされているし、必要とする人たちが集まってくる。集まれば大きな力だって発揮する。窮鼠猫を咬むだ。
直りきらない風邪が悪化。あとは家で休む。
2月13日(金) 共産党の市議団主催の公共施設見学会。”税金ムダづかいツアー”ともいわれて・・・。市が財政難を口実に「財政健全化プラン」で弱者切捨て、市民負担増をすすめているが、財政を見直すならこんなムダや浪費こそメスを入れるべきだという実態を見てもらった。44億円かけ利用者の少ないケアリハビリセンター、政治家がらみの疑惑がある不当に高く買収した市有地、財政を圧迫するフェイスビル、海老側上流部の開発予定地、わずか10年で廃止になった建設費24億円の温水プール、風呂、クアハウス。「こんなムダづかいしていたなんて税金払うのがイヤになる」「まだ使えるのにもったいない」などなど。百聞は一見に如かず。予想以上の怒りだった。
夜、自治体で働く人たちの集まりで船橋市の財政問題について報告する。財政が厳しいといわれると切り捨てもやむをえないのかといわれるが、厳しい原因についてもっと職員も勉強しなくてはという声が上がって心強い。
2月12日(木) 議員団で政府の三位一体改革について学習会。
18日に開かれる四市議会の議案説明を受ける。建て替えの特養老人ホーム三山園が完成し4月からはフルオープンになる。四市直営の三山園が良質なサービスと健全な経営を行うことで法人立に刺激を与えてほしい。
子育て支援計画策定委員会が開かれ、傍聴した草野議員から資料をもらう。
介護保険施設利用者の介護相談員が昨年10月から配置されその活動報告を情報公開で請求する。市内の介護施設の実態を知りたい。
明日の施設見学会の資料作り。あわただしい。
2月11日(水) 大阪府枚方市での保育の民間委託に反対する運動の経験を聞く集まりに参加する。全国で起きている保育の民営化の動きと同様の「健全化プラン」で打ち出された保育所や障害者施設の民営化は直接的な福祉業務の撤退だから市の福祉機能の低下はまぬがれず結局はサービスの受けてである子どもや障害のある人たちにしわ寄せされる。狙いは財界の福祉の市場化だ。子育てや障害者の福祉を商売の道具にしてはならない。
牡鹿台団地の方から馬込沢から若葉保育園に向かってくる道路の側溝にふたがなくて車をよけるときに怖いという声が寄せられ見に行く。
2月10日(火) 団会議。
夜、議員団主催の「財政健全化プランの学習会」で報告を行う。ぎりぎりまで配布資料作りをして汗をかきかきの学集会だったが、市の財政の問題点について参考にしてもらえたのではないか。3,4人も来ればと思っていたが30部用意していた資料が足らなくなって嬉しい悲鳴。
2月9日(月) 「財政健全化プランの学集会」のレジュメや配布資料作成など。準備しながらあらためて船橋市の財政の問題点を考える。 
2月8日(日) 千葉県の共産党の会議。党大会に参加した人たちの話を聞く。総選挙で負けた後の党大会だが、綱領の改定で「どんな日本をめざすのか」を明らかにして大志あふれた大会だったようだ。 失業や過労死、多数の自殺者、環境破壊などなど今の日本社会が抱える問題の根本にアメリカ型の利潤第一主義があること、私たちは利潤第一主義を乗り越えた人間を大事にする未来社会をめざすことを表明している。20数年前社会にでたときに感じた女性への差別と女性の地位を向上させたいと願って日本共産党に入った頃のロマンが蘇る。 
2月7日(土) 子ども劇場船橋センターの運動公園のリンクを借り切って楽しむスケート大会にいく。初めてスケート靴を履き、氷の上に立つ。
2月3日(火) 議員団会議。新綱領の戦前の日本社会を記述した部分、第2次世界大戦が日本帝国主義の侵略戦争であったこと、この帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって国民は苦難を強いられたという部分の重要性を再認識する。イラクへの自衛隊派遣を肯定してしまう世論の背景に、第2次大戦が日本の侵略戦争だったことを認識しきれてこなかった弱点があるのではないか。大戦でなくなった兵隊を国の犠牲者とみるか国のために死んだと見るのかに転換点がある。小泉の靖国参拝は確信犯だ。黄色いリボンをかかげる運動に気をつけよう。
有事法制反対船橋連絡会の会議。船橋市議会の日本共産党、市民社会ネット、民主市民クラブや市民団体共同の1・25船橋行動のまとめをする。
2月2日(月) 家族新聞で表明したHPの更新をようやく着手。あまり溜めすぎたから途中までしかできない。昨日も朝倉さんから「1月4日までしかでてない、見てるんだから更新して」といわれたし何とかしなくちゃ。学校給食でどのくらい船橋産や県内産の食材が使われているかのデータがようやく手に入る。地元で取れたほうれん草や小松菜が市内の学校で子どもたちに提供されるのは嬉しい。が、こういうことが当然のことにならなくては食の安全を守り広げることにならない。控え室で会派内の打ち合わせ。
2月1日(日) 朝、法典地区の第38回耐寒マラソン大会の開会式にでる。例年はマラソンにも参加するのだが、今回はパスさせてもらう。毎朝駅伝の練習をしてきた丸小の子どもたちが先生ときていた。地元の人たちが協力して行うこの大会は本当に貴重。

勤労市民センターで行われた「第12回輝け船橋の子どもたち」という集いの子どもと食生活分科会に参加し食について勉強する。BSEや鶏インフルエンザなど輸入食品の危険性と日本の農業を育成する必要性、地場産の食材を学校給食に取り入れることなど意見交換する。学校給食調理員さんがつくった手作りふりかけなども試食する。

法典地区の共産党後援会の新年会に参加。差し入れのお汁粉がおいしかった。
1月31日(土) 病気で連れ合いを亡くした友人を囲む食事会。役所関係の手続きなどはじめてのことにぶつかりながら「いろいろなことがわかるようになった」という。仕事も見つけ、子どもたちとの生活を確立するために頑張っている。私も頑張らなくちゃと逆に励まされる。がんなど病気のことで会話がはずむというのが、若さから遠ざかってきたことか。
家族に仕事が原因で病気になり失業してしまった人がいて、労災保険の請求をすすめ、千葉労災職業病対策連絡会を紹介する。
1月30日(金) 赤旗新聞の普及に歩く。イラクへの自衛隊派遣について最近の新聞は問題点を明らかにしない、反対の市民の行動を載せない、派遣を推進する論調を打ち出し世論を誘導するのが目に余る。それが下地となって日本が戦争国家へと0突き進んでいくようになってはたまらない。反戦平和、主権在民の立場を貫く報道をする赤旗新聞をぜひ多くの人に読んでもらいたい。
「ゴミステーションにガスレンジや扇風機などが捨てられどうしたら良いか」との相談があり市のクリーン推進課に連絡する。該当するゴミステーションの利用者以外の人が持ち込んだ回収不能のゴミは本当に扱いに困る。

法典地区婦人会連絡会の新年会で挨拶。子育てや介護で悩んでいる地域の人たちの声に心を寄せた活動が必要とされていること、おたがいに心がけていきたいと話した。(何だか偉そうな事を言ってしまった・・・でも実感なのです)
1月29日(木) Yさんと弁護士事務所にいき破産申し立て手続きや債権者への自己破産手続きに入った旨の通知の発送等を手伝う。十数通の封書をポストに入れたYさんは本当に嬉しそうだった。通知が届けばこれまでのように督促の電話におびえることなく生活できる。建設職人として十分暮らしていけるだけの収入はある。母親に仕送りしたいといっていた。それにしてもサラ金業者に食い者になっているYさんの様な人が多いに違いない。
引き続き介護保険や学校給食の地場産食材の利用状況のデータ収集。
1月28日(水) 議員団会議。新しくなった綱領について議論する。
29日に行われる都市計画審議会の議案について意見交換。本町のスクランブル交差点に面した本町2丁目十字街再開発の都市計画決定が議題。船橋市は新たな開発負担金を求められることになる。街がきれいになったり活性化することは否定しないが、民間開発といいながら税金という公金を補助金として当てにするのは民間活力の側の甘えではないか。もっと税金では優先してやらなければならない仕事が財政難で削減されているのに。
伊藤議員が取り組んでいた情報公開の不服申し立てに伴う審査会の答申が出された。市が用地買収を行うとき基準にしている不動産鑑定報告書だ。売買が適正に行われていたかチェックするためにはこの鑑定報告の開示が欠かせないが、船橋市はこれまで開示してこなかった。情報公開で開示請求し不開示とされたので不服申し立てをしていた。不服申し立ての審査会から意見陳述を求められ伊藤議員とともに参考人として石川、関根両議員と一緒に私も意見表明をした。「自治体には市民への説明責任がある」との主張が取り入れられていた。まだ全面開示ではない不満が残るが一歩一歩進めていこう。
44回目の誕生日を家族に祝ってもらう。「いくつになっても誕生日を喜ぶんだから・・・・」と夫が言う。
1月27日(火) 千葉市で共産党の会議。党大会に参加した人たちからいろいろ感想などを聞く。
Yさんと返済不能のサラ金の問題で弁護士事務所を訪ねる。自己破産の申し立てをすることになり必要書類の説明を受ける。サラ金からの督促が原因で7年も前に妻子ともわかれ働きながら返し続け返すために借りての日々。督促の電話がかかるので仕事が終わっても遅くならないと家にも帰れない。なぜもっと早く相談しなかったのかと聞くと相談できるとは思わなかったという。
1月26日(月) 丸小PTAの校外委員会。ゴミステーションの点検をおこなう。壊れているところもあるものだ。
サラ金の返済で困っているというYさんの話を聞く。サラ金業者十数か所から5百数十万円の借り入れ。返済するために別業者から借りるということを繰り返し、とうとう貸してくれる所がなくて遣り繰りできなくなった。聞いてみると家電製品をクレジットで買えばその製品を現金で買い取ってくれるといわれ買ったが、商品は取り上げられ、お金は支払われずという詐欺にもあっている。多重債務者を食い物にしているのだ。
学校給食に地場産の食材がどのくらい使われているのかの調査、介護保険の利用実態調査を行う。
1月25日(日) 有事法制反対船橋センターなどの市民団体や市民社会ネット、民主市民クラブ、日本共産党の船橋市議会3会派が共同で呼びかけた「STOPイラク派兵!1・25船橋行動」が船橋駅北口で行われ参加する。このところ「派兵やむなし」という雰囲気が強まっているのが心配だ。今日は大勢の人が集まってよかった。それにしても機動隊まで待機していた警察の警備のものものしさは異常だったが船橋駅周辺は何かあったのだろうか。
  
集会の後、高根町の畑を借りた船橋子ども劇場のどんど焼きにいく。毎年竹を切り出して燃やし盛大な破竹音を立てる。芋を焼いたり竹串に餅やソーセージ、マシュマロなどをさして焼く。子どもと大人が一緒になって火遊びを楽しむ。日本酒を竹に入れあぶり燗にしたり・・・。燃え尽きて灰になる頃には真っ暗で残り火がきらきらと美しかった。

 
1月24日(土) 法典地区町会連合会の新年会。法典地区全域のそれぞれの地域の町会役員さんたちが集まるので盛大だ。馬込斎場の増築問題や船橋法典駅へのバス乗り入れ問題などそれぞれの地域の懸案問題について意見交換などする。
ふなばし女性会議の新年会。法典地区連の新年会で一緒になった小森議員を誘って参加する。みんなで一言づつしゃべったが、介護保険のことや市の財政健全化プランで委託化が進められる施設のことなど心配する意見が出され、ボランティア活動やさまざまな分野で活躍している人たちの意見だけに重みがある。
1月23日(金) 市役所で相続の問題で相談したいと連絡のあったOさんとあう。相続のことは弁護士を紹介することになる。
丸山小で通知表2回制についての保護者説明会があり出席。2学期制導入が方針化されている中、当面通知表の回数を減らし、短縮日課の日数を減らして授業時間を確保したいとのことだった。保護者からの質問は大学生による放課後学習チューターのことばかりで2回制についての質問はまったく出なかった。「いいのか悪いのかわからない学校が良いというならいいのだろう」という感じ。
鹿児島の議員からの紹介でサラ金返済で困っているという人の家を訪ねるが留守。メモを入れてくる。
1月22日(木) 葬儀。30年間透析をつづけながら腎臓病の患者会の活動を続けてきたおじのこと、家族の支えが弔辞で述べられ、出棺時、詩吟の仲間に吟じてもらう。手作りでというおばの願いに答えられただろうか。葬祭業者を使わず、手作りの葬式。勉強になった。叔父に感謝する。合掌。
1月21日(水) 3時過ぎ、馬込斎場の式場で、祭壇設置に立ち会う。自宅からつれてきた故人を棺におさめ祭壇におく。葬祭事業の市職員、馬込斎場の職員が不安な家族の気持ちを受け止め祭壇に棺を安置するまで手際よく対応してくれる。さらに通夜や葬儀の際のロウソクや香の扱い方などを教わる。お寺さんと打ち合わせ。通夜。
1月20日(火) 叔父の息子と死亡届をだしたり、環境衛生課で市の葬祭事業の手続きをする。葬儀については司会進行以外は全部ある事を実感する。葬儀の進め方も丁寧に教えてくださり、従弟は「市役所ってこんなに頼りになるところだとは思わなかった。市役所の仕事っていい仕事なんだね」。ドライアイスを高瀬町で受け取り、馬込斎場で式場の確認と売店で祭壇に飾るお団子や通夜の晩の貸布団と朝食のことなどを確認する。喪服なども扱っていて、葬儀にかかわることは何から何まで市役所と斎場で揃う。通夜と葬儀の司会進行を私が受け持つことになる。
夜、保育園の委託問題の話し合いにでる。
1月19日(月) 丸山1丁目の電波障害の件で、調査を行ったNHKがきて調査結果の説明を住民と一緒に受ける。原因を解明できず、アンテナを改善するかケーブルテレビを引くかという住民の負担で行う対策しか示さないNHKに、「受信料を払っているのに鮮明な画像は提供できませんでは納得できない」という声があがる。
私の事務所で囲碁の会があり参加する。初心者同士で対戦。ベテランの上級者の方が「この場合はここに打つとこうなって・・・」と教えてもらいながらだったが、なんだか囲碁は面白いかもしれない。
叔父の訃報が入り、二和病院に行く。
1月18日(日) 馬込斎場増築工事の地元説明会があり、参加する。住民からは工事そのものに反対だという声があがり紛糾する。第2斎場を早く作り馬込への負担を軽くすべきだという点では地元も四市事務局も一致しており、住民への説明が不足していることが良くなかったのではないか。ともかく第2斎場を実現させるために住民は団結することが重要だと思う。
新日本婦人の会の集まりで、市政について報告する。やはり財政健全化プランのことに関心が集まる。
1月17日(土) 党大会最終日の様子をリアルタイムのCS放送で見る。初日の報告と違って志位さん、不破さんとも生き生きした感じで結語を話していた。
丸山育成会の新年会を丸山自治会館でやる。同世代が集まるから子どものことなどいろいろ話ができて楽しい。仕事が終わってかけつけてきたり、仕事でも働き盛り重い責任が課せられている人たちが、地域の子どものために一肌脱ぐってすばらしい。
1月4日(日) 一日党の会議。九十九里まで行く。早めに家を出ると道路がすいていて1時間で九十九里浜。浜辺を散歩する。会議に来ていた小池晃参議院議員と団のメンバーでパチリ。
1月3日(土) 朝4時におきて赤旗新聞の配達。月2回だけ自転車で配っている。丸山は坂道が多いからちょっと気を抜くと2時間近くかかる。今朝は気合を入れてこいだので1時間半、今年もがんばるぞ。家族が出払ってしまったのでたまった新聞を読んだり、買い物に出かける。
1月2日(金) 毎年恒例の自転車にノボリをつけてまわる、年始のハンドマイク宣伝。8箇所で年頭の挨拶をいう。「暮らしも平和も大変だけれど、このままじゃいけないという声もたかまっている。新しい政治をきりひらく年にしよう」。事務所に戻るとMちゃん、Kちゃん姉妹が届けてくれたお餅でお汁粉ができていてみんなで食べる・・・・幸せ・・・。
1月1日(木) 「あけましておめでとうございます」。毎年迎える花立の初日の出。今年は海に雲がかかっていて6時50分日の出予定のところ太陽が顔を出したのは7時。雲の端がオレンジ色に光り始めてから、太陽が登るのにあわせたように雲がどんどん厚くなって、西に見える富士山はもう赤くなっているから日の出を迎えているのがわかるのに待たせるのだから。けれど雲から昇った太陽の輝かしいこと。昨年の雪の中でみえなかった日の出や一昨年の雲間にちょこっとのぞく日の出とは断然違う。「今年は後半よくなるぞ」。
無事下山し、妹たち家族と集まって新年会。
   
  今年もよろしくお願いします。