富士登山駅伝雑記


2003年8月3日(日)
静岡県御殿場市
第28回富士登山駅伝競走大会

8月3日
駅伝当日
4:00 起床 号砲が午前8時であるので起床がかなりはやい。就寝は9時だった。
しかし、一回も起きることなくよく寝られた。
昨日のサービスエリア野宿が効いてぐっすり寝られたようだ。
5:00 朝食 昨日はお腹が回復し食欲も戻り、夜にご飯4杯食べたが今日はセーブ。
7:00 第一コール コール後に走り出す。アップ開始。
御殿場競技場、朝は富士山が見える。テレビカメラの
配置も準備完了。↓富士山とスタート前の表情。
8:00 号砲 スタート。集団の真ん中に居たため、抜けることが出来ない。
先頭はかなり速いペースで飛ばしている。人が倒れて巻き込まれそうになった。
競技場を出る際にテレビに映った。

           ↑上黄色・下青のユニフォームが僕。その前の上黄色下黄色が井端。
1区 1区はのぼり。4.8Kmで184m上がる。御殿場競技場521m→青年の家705m。
スタートから異常に速いペースの中で戸惑いながら走る。1Kmからおさえようと思っていたが、
のぼりはそんな余裕は無い。流れに着いていくのがやっとだった。苦しいのぼりだった。
半分辺りから力が完全に消耗されていくようだった。残しておこうと思った体力も使い切り始めた。
しかし後半は抜かれるより抜くほうが多く、そんなペースの人何人かと抜いていく。
ゴールが近くなるとはやく渡したい気持ちだけだった。上を見る余裕は無かった。
関東のはやい人たちと走る機会だったが、結局のところその辺の成果はなく終わった。
結果19分03。目標よりかなり遅い結果になってしまった。
復路の11区アンカーを頑張るしかない。
襷渡す時、「お願いします!」と叫んだような気がする。
9:00〜 休養時間 往路1区を走り、復路の11区まではだいたい4時間ある。
やることもなく走ったランナーはみんな寝始める。
僕も9時から10時まではぐっすり寝る。この間、ランシャツは木にかけて干しておく。
ゼリー飲料やバナナなどを食べておき体力を戻す。まだ筋肉痛にはなっていない。
10:30 第一コール 起きてうろうろしているとコール時間になる。しかしコールなんかしなくても誰がここから逃げ出すだろうか。
何もないところだった。富士山頂は雲に隠れて見えない。
第二コールが10時50分。トップが来るのは結構早いみたいだった。
僕はまだアップしない。井端にテーピング(膝下)してもらって、休憩所を後にする。
11時20分頃トップが通過。2位との差はかなりある。自衛隊が無線で順位等の連絡をしているのを聞く。
30チームが通過するあたりで軽く走る。
今頃になって乳酸がたまってきたような感じがする。緊張感が高まる。
11区 下り11区アンカー。襷をもらったのは12時12分頃。
僕は「チームきびだんご」だが、井端の「チームももたろう」は4分程前に襷リレーをしていた。
今年の繰上げスタートは103チーム中25チーム。
そしてついに11区がスタート。襷は黄色(山吹色)。山頂まで行ってきた証拠である。
この襷が富士山頂まで約3200m上って降りてきたんだなとそう思いながら襷を受け取る。
なんとしても無事に競技場まで持っていきたい気持ちだった。
下りは接地時間を出来るだけ短縮しないと足の皮が摩擦で剥けるときいた。
さらにストライドはできるだけ伸ばすこと。
残り3Kmの看板が見えたとき通過タイムは5分50秒。
4.8Km14分台も可能だと思った。しかしこの直後、足裏に激痛が。
足の皮が剥け始めた。
やはりマラソンシューズでは薄かったのだろうか。残り2Km以上あるのに痛い。
しかし今止まったら走り出せないしスピードを殺してしまう。
スピードは落ちたが惰性で走るような感じだった。
交差点を曲がり、平地に来た時、それまでが下りだったために
ここから惰性で走れなくなる。たまらなく痛い。
そのとき沿道の応援が「50m後ろに来てるぞ!」
焦った。チームの順位を下げてはいけない。
そして競技場に入る。ラスト300mである。
アナウンスが流れた。「チームきびだんご…#●$□☆▽¥…後ろから2チーム来ています…」
2チーム後ろにいる?ここで相当なピッチ走法に切り替え。
なんとしても抜かれない、このままゴールする!と思いつつ。
結局上がりもせず下がりもせず。
100m先を走るランナーは見えていたが結局9秒負けて差が広がっていた。
「チームももたろう」が「チームきびだんご」を文字通り食った結果でした。
ゴール後、医務室へ。医務室の先生と話しまくった。
僕は走り終えてすぐなので、目茶苦茶興奮していた。
そして襷をもって同じ区間を走った井端と写真を撮った。↓
走り終えて 大阪産業大学の中山竹通監督と話す機会があった。僕はほとんど聞いていたがグサグサくる内容だった。
まだ僕はそのレベルまで到達していない。しかし練習に関してはそんなレベルは関係ない。
練習に対する姿勢だった。走りこみもすることが出来ていないし、
なんといっても、練習して、駅伝終わって、冬越えて、そしたらまた同じレベルに戻っている…。
それをしきりに言われていて、これが効いた。
たしかに怪我をしていたのもあるかもしれないけど、結局は遊んでいたのと同じ
成果がなければ意味がない…。練習内容に改善が必要。
いい話が聞けました。
以前も公演を聞きましたが陸上部に入る前だったのでほとんど頭に残っていなかった。

さて、その後は続々上の区間の人たちも帰ってきてみんなで記念撮影。
そしてすぐに帰路についた。
「チームきびだんご」「チームももたろう」
皆さん本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
また来年も、富士山を拝み、そして走りたいです。来年は4区あたりを…。

番外編

大会前日朝の試走。
太郎坊(4区)、車で行ける限界が太郎坊。
ここはそこからしばらく上に行ったところです。
みんな(初めての人は)言葉を失いました。

午後にも試走をし、このときに山組は登山へ、
僕は1区を走りました。
村谷劇的変化!ビフォアーアフター!

富士登山駅伝走る前。
富士登山駅伝走った後。

(2003年8月5日1:00)