吉野の桜      佐藤俊童   

   

奈良で花見の時期に必ず話題に上るのは吉野の桜です。
総数3万本とも言われるシロヤマザクラが、下千本、中千本、上千本、奥千本と山下から山上へ順に満開となるのは、実に壮観です。
「一目千本」と言って1300年前からこの桜は歌に詠まれ讃えられてきました。

   み吉野の山べにさけるさくら花

        雪かとのみぞ あやまたれける   友則

奈良へ転居して9年。私は吉野の花見を何度も経験しましたが、シロヤマザクラの美しさという点では、吉水神社が特に印象深く残っていますので、ここで触れておきたいと思います。

吉水神社は、もともとは金峯山寺の格式高い僧坊でしたが、明治の神仏分離によって神社となったものです。
当初、何気なく立ち寄った神社ではありましたが、吉水神社は、日本史への関わりも実に深いのです。

先ず頼朝に追われて義経と静御前が吉野に身を隠したのがこの吉水神社。
また豊臣秀吉が、花見の本陣にしたのがこの吉水神社。
それに何より南北朝時代の後醍醐天皇が吉野へ逃れ行宮されたのがこの吉水神社なのです。

中には後醍醐天皇の御座所がそのまま残されており、この山深い粗末な仮御所で、どのように過ごされたのかと当時の事が痛ましく偲ばれます。
芭蕉も「御廟年經て忍は何をしのぶ草」(如意輪寺境内の芭蕉句碑)と後醍醐天皇の悲運を嘆いており、私も一句「南朝の廟の狭さや山桜」と詠みました。

  南北朝時代は、南朝に4帝、北朝に6帝が並立して立ち、56年間にわたり正統性を争いましたが、1392年南朝第4代の後亀山天皇から北朝第6代の後小松天皇へ譲位するかたちで両朝が合一を見ています。
現在は後醍醐、後村上、長慶、後亀山の南朝4帝の歌碑が吉野に立てられています。

   一本もなし南朝を知る桜  鷹羽狩行

鑑賞
吉野の桜の歴史は、1300年前からと古く訪れる人は昔からこの桜を見て感動したに違いない。現在の我々も同じ桜を見て同じように感動している。しかし桜の木の1本1本を見れば、600年前に南朝の仮御所がったことを知る木は1本もない。 桜1本1本にも南朝と同じような盛衰があるのだ。

「南北正閏論」の是非はともかく、後醍醐天皇、楠木正成、北畠親房等々、当時の南朝方の悲劇が展開された吉野であることを思うと、吉野桜もどこか哀しいものに見えてくるのです。


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