山辺の道(纏向遺跡) 佐藤 俊童

     

   古代の道「山辺の道」は、奈良盆地の東南にある三輪山の麓から北へ、春日山の麓まで通じていますが、中でも石上神宮(天理市)から大神神社(桜井市)までが、人気のハイキングコースとなっています。
このコースには、神話に繋がる古墳、古寺社、旧跡があまりに多く、一つ一つ取り上げる訳にはいきませんが、本稿では「邪馬台国の謎」に迫るべく纏向遺跡周辺にスポットを当ててみたいと思います。

   三諸のその山なみに子らが手を巻向山はつぎのよろしも   柿本人麿
  (解釈)三輪山の山の並びに巻向山があるが、その並び方がまことによい。

  邪馬台国の所在については、今も論争が続いていますが、三輪から巻向にまたがる一帯は、畿内説の最も有力な候補地の一つです。
ここには崇神、景行天皇陵に代表される前方後円墳をはじめ、古墳発生期の謎を秘めた初期・前期の古墳が集中しています。

これらの古墳群の中でも最古で最大のものとされるのが、箸墓古墳で近年、放射性炭素年代測定法など、様々な方法により箸墓古墳の築造されたのは240〜260年とされ、魏志倭人伝に記された卑弥呼の没年(247又は 248年)と重なることが分かってきました。

発掘調査によれば、纏向遺跡では、神殿風の建築物や精巧な給水施設などが検出され、さらに全国から運ばれた多数の土器も出土しています。
また隣接する里塚古墳では、石室から卑弥呼の鏡とも呼ばれる「三角縁神獣鏡」が三十三面も出土しています。

これらのことからも、この地域が古墳の発生と古代大和王権誕生の地、いいかえれば統一国家形成の発現に深くかかわっていることは確かのようです。
ただ、箸墓古墳が卑弥呼の墓かどうか証明するには、箸墓から卑弥呼が魏の皇帝からもらったとされる「親魏倭王」の金印が出土すれば確実となるでしょう。

      ミス卑弥呼準ミス卑弥呼桜咲く  茨木和生

調べてみると奈良県大和郡山市には「女王卑弥呼コンテト」があり、大分県宇佐市には「ミス卑弥呼」コンテストがあるそうです。
邪馬台国の所在が、畿内にしろ九州にしろミス卑弥呼も準ミス卑弥呼も満開の桜の花のようにさぞ美しかったことでしょう。
「邪馬台国論争」これは我々にとって永遠のテーマとなりそうです。

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