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| 峰定寺 |
昔、京の都を花と呼び、その都を背にしているので花背と呼んだ。
また一説には、この里は炭焼きが盛んで、その炭を町中まで年中運んでいた。急勾配の峠を越すのが大変で、峠を越すとき前の人に鼻が背につくほど前かがみになって山道を通った。このことからいつとはなしに、鼻と背がつく峠と呼ばれ、花背となったと地名伝承が伝えられる花背。
この里の奥まった一画、し−んとした静寂のなか、850年をこす歴史を秘めて、気品高く、緑の中にひっそりと大悲山峰定寺(ほうじょうじ)が佇んでいる。
この寺は、久寿元年(1154年)鳥羽法皇の勅願により、大峰熊野の修行者・三瀧上人観空により建立されたという。さらに六間四面四注屋根柿葺で、崖に張りだしてそそり立つ舞台懸崖造りの本堂は、仁王門とともに、平清盛により造立されたと伝えられる。
大悲山は、大峰山に対し北大峰とも称され、古来から修験道の修行場となっており、この周辺は古くから「鞍馬の奥」とよばれ、落人の隠れ里となって「源平盛衰記」に登場する。
十一面千手観音像をはじめ、本堂・仁王門など18点が重要文化財に指定されており、この地の雄大な景色とともに私たちの目を楽しませてくれる。 また、大悲山口から寺までの2キロの道には、山ぶき・わらび・山筍などの山菜を素材にした料理を食べさせてくれる料理屋さんが、六軒、ぽつりぽつりと私たちを待っている。
*本堂をはじめ、仁王門をのぞいて重要文化財は撮影禁止です。

大堰川(桂川)の源に近いこの土地の晩夏。このとき急に賑わいをみせる一夜がある。街に出た人々も子供を連れて里に帰り、親類縁者や親しい人を招いてこころのこもった手造りの料理でもてなす夜。
この夜が、花背・広河原の松上げの夜である。
陽も西の彼方に完全に消え、暗闇が夜を支配するとき、家々の地松に火が灯り、明るさを取り戻す、家々からハッピを着た男たちが出てくる。
河原に立てられた大きな灯籠木(トロ木)の周りに立つ無数の地松。この松明に火が入ると松上げの幕が上がる。
男たちの手によって火のつけられた小さな松明がくるっくるっとまわされ、天空高く放り上げられる。その先には20メートルをこすトロ木の上につくられた傘が、この松明を受け止めんと待っている。
あるいは高く、あるいは低く、幽玄の世界のなか、トロ木のまわりを放物線を描いて火が飛びまわる。
一箇、二箇と入った火が、傘の中で燃え上がる。やがて火の玉となった聖火が大きな掛け声ともに打ち倒されたとき、ファナ−レとなる。
この地域の主産業であった炭焼きは、多くの火を使うことから、里の人は火について細心の注意をはらい、自分たちの川・大堰川の下流にある火の神様「愛宕信仰」に厚かったという。
この松上げは、古代から伝承されてきた愛宕信仰による神事とされ、火の神にふるさとの安全と無火災を祈り、また、五穀豊穣・家内安全をいのり、洛北の里から若狭にかけて続けられてきたという。
現在では、松上げ保存会の皆さんの努力により、8月15日、花背(八桝)同じ月の24日、広河原で毎年続けられている。さらにとなりの里、久多の宮の町(8月23日)、小塩(京北町・8月23日)でも行われている。
この近辺には、山村都市交流の森がオ−プンし、また、京都市野外活動施設「花背山の家」(問合先TEL075-746-0717)、広河原スキ−場(問合先TEL075-746-0133・0350) などの自然とスポ−ツを楽しめる施設ができており、さらに八丁平を中心にした登山・ハイキングコ−スもあり、大自然のもと充分に楽しめる。
| ★ | あし:京都バス出町柳より 広河原行き 大悲山口 下車 徒歩20分 |
| 車 国道477号線 大布施より府道 美山広河原線 北行 |