出雲の古代を歩く 古代出雲関連地図 

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出雲の古代遺跡を歩く  神庭荒神谷遺跡   加茂岩倉遺跡   出雲国庁跡  田和山遺跡

出雲国分寺跡  出雲国山代郷正倉跡  教昊寺跡   志谷奥遺跡  サルガ鼻遺跡  命主神社遺跡 

佐太講武貝塚  権現山洞窟遺跡    古浦遺跡   タテチョウ遺跡  出雲玉作跡

 

古墳ウオッチング・出雲     島根県の主要古墳分布図

毘売塚古墳    造山古墳      岡田山古墳・岩屋後古墳     山代二子塚古墳・大庭鶏塚古墳

十王免横穴墓群・石屋古墳       金崎古墳群・古曽志大塚古墳   玉造築山古墳・伊賀見古墳

今市大念寺古墳・宝塚古墳       上島古墳・大寺古墳       神原神社古墳・松本古

常楽寺古墳              その他の心に残った古墳

古墳ウオッチング・出雲−2− 大草古墳群・古天神古墳  百塚山古墳群  大草岩船古墳

    安部谷横穴墓群  雨乞山古墳   男鹿古墳   隋音寺横穴墓群    奥才古墳群

    山根垣古墳    中村1号墳   上塩冶横穴墓群  長者原古墳

四隅突出型墳丘墓  宮山4号墓     仲仙寺古墳群        安養寺墳丘墓

    大木権現山遺跡  塩津山墳墓群    中野美保1号墓        玉湯・大谷V遺跡 

    来美1号墓    下山墳丘墓     西谷墳丘墓群         西谷墳丘墓群-2-

 的場遺跡     友田墳丘墓     青木遺跡           間内越遺跡

 

 

出雲の中の朝鮮文化 出雲に残る韓国・日御崎・韓国神社     出雲に生きる渡来の神々・韓国伊太神社 

揖夜神社・嘉羅久利神社        玉作湯神社・本宮神      市森神社・金屋子神社        

曽枳能夜神社・立虫神社        韓竈神社            出雲の中の朝鮮鐘 

古代遺跡からの渡来系出土物       番外・韓神新羅神社・五十猛神社・韓島神社

 

イヅモのおこり ― 出雲厳藻説をめぐって

 

「出雲風土記」登場の全ての神々とその系譜

八束水臣津野命(意美豆努命)  大穴持命    天乃夫比命・天津子命    布都努志命 

神須佐乃烏命   大国魂命   青幡佐久佐日古命  山代日子命  野城大神  伊弉奈枳

熊野加武呂命   阿遲須枳高日子命  都留支日子命  奴奈宜波比賣命  御穂須須美命

国忍別命     佐太大神      神魂命     支佐加比賣命   八尋鉾長依日子命

宇武加比賣命   都久豆美命     秋鹿日女命   磐坂日子命    衡桙等乎与留比古命

和加布都努志能命 赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命・天甕津日女命     天御鳥命

宇乃治比古命・須美(義)禰命     天御梶日女命  多伎都比古命   宇夜都弁命

天津枳比佐(値)可美高日古命  伎比佐可美高日子命  綾門日女命    真玉著玉之邑日女命

鹽冶毘古能命   八野若日女命    伊弉奈彌命   和加須世理比賣命 阿陀加夜努志多伎吉比賣命 

伊毘志都幣命   久志伊奈太美等與麻奴良比賣命    須久奈比古命   波多都美命 

伎自麻都美命    玉日女命      樋速日子命   阿波枳閇倭奈佐比古命

出雲神話の伝承地を訪ねる 黄泉比良坂 猪目洞窟  船通山と伊賀多気神社 

    簸の河の流れに沿って(菅谷の大杉・出雲湯村温泉・温泉神社・天ヶ淵・八本杉) 毘売塚 

   八雲山と須俄神社  薗の長浜・長浜神社  母里郷と永江山  美保の御崎   石宮神社  琴引山

石次野 木次郷と室山  稲佐の浜  松尾(佐香)神社  玉峰山と湯野神社  阿用の郷  大根島と江島

 

神在祭につどう神々とその社 出雲大社  阿須伎神社・大穴持御子玉江神社・大穴持御子神社  佐太神社

    朝山神社  神原神社  万九千神社  神魂神社  売豆紀神社 多賀神社 日御碕神社・権現島

 

出雲国風土記」の社のいまー全所在地

意宇郡   島根郡   秋鹿郡 楯縫郡   出雲郡   神門郡   飯石郡 仁多郡   大原郡

BOOK出雲の神々に魅せられて 江原 護著

 

島根の地域はいわゆる山陰道の要域であって、日本海(北ツ海)文化圏の「表玄関」の役割を、古くからになっている。出雲をこよなく愛したラフカディオ・ハ−ン(小泉八雲)は、出雲を日本の「民族の揺籃の地」であり、「わけても神々の国である」と賛美した。 古代の出雲文化は、一過性の文化ではなかった。北ツ海を媒体とする出雲の文化には、まさに東西南北の十字路が縦横におりなされている。ロ−カルでグロ−バルな、私どものいうグロ−カルな歴史と文化の宝庫が出雲であった。(上田正昭氏・古代出雲文化展の意義)と紹介される出雲の古代文化。

 出雲の国の地名の由来について『古事記・日本書紀』の神話では、出雲の簸の川上、鳥上山に天降りしたスサノオがヤマタノオロチを退治したあと、クシナダヒメをめとって、須賀の宮をつくり、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」と、高らかに詠いあげ、出雲の国の始まりを告げる。そののちオオクニヌシが登場、中ツ国を経営するも、国ゆずりをせまる高天原の神々に服属して出雲の神話は終わる。

 ところが『出雲国風土記』では、「出雲と號くる所以は、八束水臣津野命、詔りたまひしく、『八雲立つ』と詔りたまひき。故、八雲立つ出雲といふ。」

 「天の下造らしし大神、大穴持命、越の八口を平け賜ひて、還りましし時、長江山に来まして詔りたまひしく、『我が造りまして、命らす国は、皇御孫の命、平らけみ世知らせと依さしまつらむ。但、八雲立つ出雲の国は、我が静まります国と、青垣山廻らし賜ひて、玉珍置き賜ひて守らむ』と詔りたまひき。」とことあげを記し、国造りの主人公はオズミヌ命、オオナムチ命となり、服属の姿勢はみせずに出雲側の主張を繰り返す。

 また黄泉の入り口についても『古事記』では出雲東部とするが『風土記』では西部の北ツ海に面した洞窟とするなど、『記・紀』神話と『風土記』では出雲の在り方について大きな違いをみせている。

 すでに多くの先学が指摘されているように、高天原の神々を祖先神とあおぎ、中央統一政権をつくりだしたヤマト王権の神話の舞台と在地の豪族によってまとめられた在地の神話の舞台の違い、出雲というクニのとらえかたの相違でもある。

 『出雲国風土記』に登場する様々な伝承・説話と、神々の活躍を記す出雲神話、立場性を異にする『古事記』や『日本書紀』神話の中のいわゆる出雲系神話は、今の出雲にいかに残されているのか、また、連綿と続く人々の営みの歴史、縄文の時代から弥生・青銅器の時代の遺跡、古墳時代の遺跡や律令体制になってからの出雲のありよう、さらには北ツ海を媒介とした渡来の神々や文化が、いまの出雲のなかにいかに残され、どのように息づいているのか、出雲の古代とロマンをさがし、たずね歩いてみた。

   

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