大穴持命(おおなもちのみこと)

 三屋(みとや)神社(御門屋社 飯石郡三刀屋町給下

       

 大穴持命というより、オオクニヌシノミコトとして古来から民衆に親しまれたこの神について上田正昭氏は、『風土記』で「所造天下大神命」(八例)「所造天下大神大穴持命」(七例)「所造天下大穴持命」(一例)「所造天下大神」(十一例)というように、「所造天下」の「大神」として特筆し、記・紀神話のようにひたすら屈服し服属する姿勢は物語られていない、と紹介されている。(「論究・古代史と東アジア」古代出雲の研究課題) 『古事記』ではオオクニヌシ、オオナムチ、アシハラシコオ、ヤチホコ、ウツシクニタマと五つの神名を持ち、『日本書紀』ではさらにオオモノヌシ、オオクニタマの二神名を加えて、七つの名を記している。他に類例のない書きぶりと、『風土記』にみられる大穴持命の活躍ぶりと併せてみるとき、この神が出雲という地域、というより北ツ海・日本海沿岸の多くの政治勢力と信仰圏を糾合し、まとめあげ、葦原中ツ国と表される強大な国造りを進めた神々の残映として神話化されたのではないか。

 『記・紀』神話に残る筑紫と出雲のつながり、出雲文化やオオナムチの信仰や出雲で特徴的にみられる四隅突出墳丘墓が日本海沿岸に広がり、残されていることを考えると私にはそのように思えてならない。

 

 この大穴持命の鎮座されているところといえば、出雲大社(杵築大社)になるのだが、ここでは少し座標をかえて三屋神社をたずねてみた。

 斐伊川を遡り、三刀屋川との合流点を三刀屋川ぞいに少し行った河岸段丘にこの社は鎮座されていた。『風土記』には大穴持命の神域をしめす御門が建ち、三刀矢と名づけたと記されているが、この「御門」については鳥居のようなものだったとされる説があり、三屋神社の原形だったといわれている。

 御祭神 大己貴命、相殿 素盞鳴尊 稲田姫命 脚摩乳命 手摩乳命 とあった。オオナムチを主神として、ヤマタノオロチ退治の伝説の神を配したこの神社、静けさの中に大社造りの本殿を持ち、大木に囲まれ、古社の風格を見せていた。   

 この境内からの眺めは、斐伊川と三刀屋川の両川が平行し流れながらやがて合流し、遠くには出雲伝説におおわれた山並みが霞んで見える素晴らしい眺望だった。簸の川の流れによってつくられ、はぐくまれたこの風景と、神の領域をつくりあげた古代・出雲人へ想いをよせたとき、あらためて神々の国・出雲のありようが心の中に深く沈んでいった。  この社のすぐそばには、雲南第一位の前方後方墳である松本1号古墳が数基の古墳を従えて威風堂々した姿をみせ、この古墳に葬られたこの地方の王者は、オオナムチの神域・御門をつくった人物なのだろうか。参道脇の池には神庭荒神谷遺跡に植えられた古代ハスの種を譲り受け咲かせたというハスの花が大きく開き私の目を楽しませてくれた。 次は天乃夫比命・天津子命    

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