スサノオとイナダヒメの新居
八 雲 山 と 須 我(すが) 神 社 大原郡大東町須賀

須我神社 須我神社奥の院 巨石に注連縄が
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さて、首尾よくヤマタノオロチを退治したスサノオは約束通りイナダヒメを娶ることになるが、その新居を出雲の国に求め須賀の小川をのぼりこの地に来た時「ここにきてすがすがしい心になった」と云い、宮を造る。この宮、須賀の宮が完成したとき、雲が立ちのぼるのを見て歌ったとされるのがあの有名な「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌謡とされ、出雲の建国を高らかに宣言する。 須賀宮とされる大東町須賀の須我神社をたずねた。神社入り口にはこの歌を刻み込んだ丸い石碑が建てられており、日本和歌発祥の地と大書されていた。大きな境内には立派な拝殿と本殿がどっしりと座り、スサノオ・イナダヒメの社の本家はこちらですとばかりに、威風堂々とした姿を見せ、神社の前には茅葺きの「神楽の宿」がつくられていた。 背後の神々が宿る八雲山の中腹まで登ると、須我神社奥宮の大きな岩・夫婦岩がしめ縄にかざられ巨木のなかに鎮座されていた。不思議なことに岩が三つあった。稲田姫との子神・八島士奴美神をも祀っているということだろうか。 奥宮からさらに八雲山の山頂をめざして歩く。少しくたびれを感じたころたどり着いた。 山頂には「八雲山の伝承を世に顕彰したのは大本の出口王仁三郎聖師で、昭和八年(十月十日)次の和歌三首を刻んだ歌碑が建立された。(後、誤れる官憲の弾圧を受け破壊されている)」との八雲山顕彰保存会の説明板が立てられていた。 千早ぶる 神の聖跡を したひつつ 八雲の山に 吾が来つるかも 八雲立つ 出雲の歌の 生まれたる 須賀の皇居の 八重垣のあと 大山は み空に霞み 海は光る 出雲の国は 錦の秋なり と破壊されたという歌碑の和歌三首が書き込まれていた。 『出雲国風土記』にみえる高天原−ヤマトに服属しない姿勢と天皇制に弾圧された大本 教の出口王仁三郎を顕彰する出雲の人々の心意気とが重なりあって「さりもありなん」と私の心を揺り動かし、美しく光かがやく熊野の峰々と里の村々の風光が、静けさのなかに私の眼のなかに溶け込んでいった。 |