勝手に連動企画 喫茶「吾眠」の日常 第十五話 『影』 18歳 秋                                       とっと  いつの頃から始まったのかは定かではないけれど、わたしたちの通う豊学館高校の文化祭には伝統的なイベントがある。ベストカップルフォトコンテスト。要は文化祭期間中の恋人たちの写真を撮って、その中からベストカップルを選出するというもの。見事優勝すると、カメラマンとモデルとなったカップルの両方に記念品が送られる。 「ハルちゃんも、応募してみたら? 今なら話題性充分だからきっと優勝できるぜ」  酒匂の言葉にわたしは顔をしかめた。たしかに話題性は充分ある。と、言うのもこの春とある事件に巻き込まれ、わたしたちは校内で一躍有名人になってしまったからだ。那智は自らの手で悪党から恋人を守った英雄として、わたしはそんな彼をもつ幸福なヒロインとして皆から祭り上げられたけれど、その事件はわたしたちの心に確実にひとつ、新たな傷を記したのだ。 「しばらくわたしたちのことは、ほっておいてほしいんだけど」  睨み付ける様にしてわたしがそう言うと、彼はこちらがドキッとするくらいやさしい瞳を向けてきた。 「たしかに、あれは不幸な事件だったけどよ、ハルちゃん達はなんにも悪くねえんだぜ。二人とも固いからよう、責任感じちゃうのかもしれないけれど、もっと今を楽しまなきゃ」  酒匂ってこんな表情も出来るんだ……。  慰めの言葉を受けながらもわたしは暫し彼の顔に見入ってしまった。そんなわたしを現実に引き戻したのはふって沸いた様に現れた黒い影。 「なんなら俺が気分転換してやろうか? 一時の救いでもないよりゃましだろ」 「ふ〜ん、リュウってそうやって女の子口説くんだ?」  その声を聞いた瞬間、それまでの慈愛に満ちた表情から一変、怯えた様な顔になりぎこちなく後ろをふり返る彼に、わたしはおもわず苦笑した。ヤクザの跡取り息子で逆らうものが誰もいない彼なのに、那智にだけは何故か弱い。腕っぷしだって絶対那智より上なのに……。 「い……、いやぁ、旦那。聞いていたんですかい?」 「なんなら俺がのあたりからばっちり」 「やだなぁ、旦那。冗談ですってば。絶対に落ちないってわかっているから口説けるんであって……」  ふざけている様にみえながらも、必死の口調の酒匂。見ると那智の目は本当に笑っていなかった。それにはちょっと驚いたけれども、まさかわたしまでとばっちりをくうとは思わなかった。 「そうでもないんじゃない? 誰かさんもリュウの顔にぽ〜っと見とれたいたみたいだから」  えっ? わたし?  びっくりして彼のほうを見たときに視線がぶつかった。その途端、彼は真っ赤な顔をしてそっぽを向くと、そのまま立ち去ってしまった。予想外の彼の行動にどうしていいかわからず、結局わたしはその場に取り残されてしまった。酒匂も目が点になっている。 「ふ〜ん。なっちゃんもただの男だったわけだ」  いつものことながら突然湧いてでた様に背後に現れる那珂の言葉にわたしたちは、頭の上にもう一つクエスチョンマークを追加した。 「失礼ね。さっきからここにいたわよ」 「地の文を読まないの!」 「でもたまには突っ込んでおかないと言いたい放題言われそうだもん」 「まったく……、で、那智も普通の男だったってどういうこと?」  わたしの質問に那珂はいやな笑みで応えた。楽しげにニヤニヤと笑いながら「わからない?」なんて聞いてくる。酒匂のほうが先にピンと来たみたいで「ええ!」なんて大声をあげる。 「なによ?」 「にぶちん……」  そんなわたしたちの会話に酒匂が割ってはいる。それこそ本当にわたしと那珂の間に体を乗り出し割り込んできたのだ。 「あの那智が? 本当に?」 「そう、あのなっちゃんが、こともあろうに」  意味不明の会話。あの那智がって……、えっ? まさかね……。 「誰かさんが誰かさんのことをぽ〜と見とれてたりするから、それを見た誰かさんはヤキモチやいちゃったわけ。でも見とれたいた誰かさんはそのことに全然気づいていないから、ヤキモチやいた誰かさんは怒るに怒れずに、厭味だけ残してしっぽまいてさっさと退場しちゃたわけ。これってわかる?」  わたしは那珂の言葉にただコクコクと頷くことしか出来なかった。 「わかるけど、信じられねぇ……、あの那智が……」  酒匂の言葉にもわたしはただ頷く。  だって、あの那智がよ、完全無欠で滅多なことじゃ感情を表に出さない鉄壁のポーカーフェイス男がヤキモチ? 酒匂でなくても信じられない。 「あのねぇ、榛名? これは喜んでいいことなんだよ。あのなっちゃんが人間に一歩近づいたってことなんだから」 「那智は妖怪人間か?」 「似た様なものでしょ。怪奇! 陰険無表情人間の恐怖」  すでに軽口に変わってしまった二人の会話を危機ながら、わたしは信じられない面持ちで彼が去ったほうを見つめた。こんなにも簡単にわたしが彼の感情を揺さぶることが出来る様になるなんて……。それは那珂がいう通り嬉しい発見だった。  嬉しい発見……、とはいうものの、いつまでも那智に誤解されたままでいるのもどうにも気まずい。事件の後、わたしたちの関係は確実にステップアップしたのだけれども、それは関係がより強固になったというわけでもなさそうだ。ある意味もろくなった様な気がする。それはお互いが依存し合う関係から、与え合う関係に発展した証拠かもしれない。離れられない関係から離れたくない関係へ。自由度が増す代りに、関係の維持はお互いの裁量にゆだねられるものへとわたしたちの間柄は変化した。それについては喜びもあるけれど、不安も常につきまとう。それは那智も同じなのかもしれない。  そう思って早々に誤解を解くべく、わたしは模擬店の休憩時間に彼の教室へと向かった。けれど問題がひとつ……。 「どうでもいいけど、どこまでついてくるつもり?」  教室からずっと後をつけてくる影。わたしの声に彼はポリポリと頭をかく。 「霧島さん休憩時間だろ? 一緒に模擬店回ろうよ。なんでも奢るよ」  阿賀野 睦月。我がクラスのクラス委員で、校内一の女たらし。誰もが自分になびくと信じて疑わない、ある意味厭味な男だ。その男がわたしが一時(本当に実質一日だけだったのだけれども)那智と別れたとたん、なにかと言い寄ってくる様になった。酒匂に脅されて引き下がったと思ったのに、那智との仲が元に戻ると、またちょっかいをかけてくる様になった。 「わたしはこれから那智のところへ行くの。模擬店回るなら彼と回るからあなたは別の女の子を誘ったら。相手には困らないでしょ?」 「羽黒と? それはちょっと無理じゃないかなぁ」  なにを根拠に? 「さっきここの前通ったときに彼、凄く不機嫌そうで、フリータイムはずっと客引きする様なこと言っていたから」  ヤバッ!  それがわたしの偽らざる感想。信じられないことだけれども、さっきのことで那智は完全にへそを曲げちゃったのかもしれない。下手をすると文化祭の間中ずっと無視されちゃうかもしれない。高校生活最後の文化祭をそんな惨めなものになんかしたくない。 「だからそんな冷たい奴ほっといて、一緒に回ろうよ」  いけしゃあしゃあとそう言ってのける彼にそう言って突っかかるのも面倒になったわたしは再び歩みを進める。とりあえずこの男のことより、那智の機嫌を取ることが先決だ。そんなわたしの後を相変わらず彼もノコノコとついてくる。このまま連れて行くとまた一悶着起こしそうで、どうにかしなくちゃと考えているうちに那智の教室は目の前に迫っていた。 !?  彼の教室の前まで来たときに静かな音色が聞こえてきた。  オルガン?  そう思ったけれど、ちょっと違う。そのちょっとノスタルジックな音色が、哀愁漂うメロディーとマッチしていて、なんとなく心を揺さぶられる。戸口からそっと中を覗くと、たくさんの聴衆の前で那智がアコーディオンを弾いていた。  彼の亡くなったご両親がピアニストだったことは聞いていた。またおじいさんも通の間では人気のあるjazzピアニストだったことも。だから彼も一応ピアノは弾けると以前言っていた。そんな彼が同じ鍵盤楽器のアコーディオンを弾けても不思議ではないのだけれど……。  彼のクラスの模擬店にいるすべての人が彼の演奏を聞いているわけではない。みんなが知っている流行歌でも演奏されていればともかく、哀愁漂うシャンソンに耳を傾ける高校生なんてほとんどいない。実際彼の周辺にいるわずかな人を除けば皆、それぞれの世界を作り上げている。でも、そのわずかな人達もまた、他とは切り離されたオーラに包み込まれているようにわたしには見えた。その中心にいるのは紛れもなく那智。それもわたしが見たこともない彼。名を呼べばすぐにでも振り向いてくれそうな位の距離にわたしたちはいるのに、それができない。実際の距離以上に彼が遠く見えた。  銀杏並木の多い学校周辺。校庭にも結構な数の銀杏の木が植わっている。強い風が吹いたのか、それらがその風を黄色に染め上げる中静かに演奏が終わった。窓の外が先程までの黄色から、元の淡い青色に戻るのを待って小さな拍手が起こる。わたしも気がつけば手を叩いていた。それに気づいたかの様に那智が顔をあげる。  目があった瞬間、彼が笑った様な気がした。でもすぐにそれは険しいものへと変わる。気がつけば阿賀野の手がわたしの肩におかれている。あわててそれを払いのけようとして逆にわたしは彼に抱き留められてしまった。おもわず小さく息をのみ、体中が硬直する。頭の中が真っ白になった。視界の角に那智が怒った様に顔を背けるのが見えたが、次の瞬間には阿賀野の顔がわたしの顔にかぶさりわたしの視界は全てふさがれてしまった。 ――まぶしい光を感じながら、わたしは意識が遠のいていくのを感じた。 「榛名!」  那智の呼ぶ声が聞こえる。そしてわたしは浮遊感を感じた。 「この野郎!」 「ほっとけ! それより保健室だ。先導頼む」  聞き覚えのある怒声と那智の声。それを最後にわたしはなにもわからなくなった。  耳障りのよい、柔らかな音色が耳元をくすぐる。目の前を銀杏の落ち葉が舞い、金色の光に視界が包まれた気がしてわたしは目を覚ました。茜色に染まる天井、それが最初にわたしの目に飛び込んできたもの。 「気がついた?」  不意にアコーディオンの音色が止む。振り向くと茜色よりもオレンジ色に近い空に照らされて黒く浮かび上がった影が目に飛び込んできた。逆行で顔は見えないけれども、それが誰だかはすぐにわかる。この時になってわたしは自分がはじめて学校の保健室にいるのだと気がついた。  わたしが今、横になっているベッドのシーツも、薬品の並んだ棚も全てが暖色に染まった部屋の中で、彼が今、どんな顔をしているのかが気になった。自分がここへくる前、最後がどのような状況だったのかを考えれば余計に……。 「よかった。大丈夫だとはわかっていたけれど、このまま目を覚まさないんじゃないかと思った……」  そういう彼の声には、いつもの辛い皮肉の色も、怒りも感じられなかった。  窓際の彼の影がゆらりと揺らぐ。それに合わせてゆっくりとわたしも体を起こした。彼の手が遠慮がちに伸びてきてわたしを抱擁しようとする。  もっと思い切ってやってくれていいのに……  多少のじれったさと共にそう思うけれども、それが彼のやさしさ。あんなことがあった直後だけに多分、用心深くなっているのだろう。那智相手なら多少のことはもう大丈夫……だと思うのだけど。でも、彼が緊張するとわたしにもそれがうつってしまって、また発作を起こしそう。そう思ってわたしのほうから思い切り、身をゆだねて言った。瞬間……。 ゴチッ!  お腹に固いものが当たる。見ればわたしと彼の間に立ちふさがる様にしてアコーディオンが忘れてくれるなとばかりにその存在をアピールしていた。こいつめ!  感動的になるはずの抱擁をくじかれてしまったわたしたちは、お互いに顔を見合わせるとプッと吹き出してしまった。おかげで緊張感は取れたけれど、逆に今度は照れくさくなってしまい、さすがにやり直しはできなかった。那智はちょっと照れた様に笑みを浮かべながら、肩からアコーディオンを下ろすと床に置いた。  彼はそっと隣に腰を下ろすと、そっぽを向いたままつぶやく様に言った。「ごめん」と。  最初は彼がなにに対して謝っているのかわたしにはわからなかった。むしろ謝らなければならないのはわたしのほうだと思っていた。あの一件以来、徐々にではあるけれどまた男性に対して免疫がつき始めたわたしは、多分油断していたんだと思う。だからあんな隙ができてしまったのだ。わたしの症状が軽くなること自体は那智にとっても良いことなのかもしれないけれど、それは喜びと同時に不安をも与える。それはこのところの那智の様子からもわかっていたことだ。なのに……。 「ごめん……。僕は自分の感情に振り回されて榛名のことを守れなかった……」  自分の軽率さが悔やまれて、わたしは彼と視線を合わせられずに、うつむいていた。自分の軽率な行動がどれほど彼に不安を与え、苦しめていたかを考え、唇をかむ。わたしの人生は悔やむことばかりだ。そんなわたしに彼はそう言って頭を下げる。驚いて顔を上げればまた彼はそっぽを向いてしまう。  わたしはゆっくりと彼の背中にもたれた。 「わたし……、あの後からずっとわたし達はほかの人達より強い絆で結ばれていると思ってた」  わたしの言葉に彼の背中がビクンと震える。 「でも……、そんなのはただの甘えなんだよね。前よりも少しだけ普通に恋愛できる様になった分、わたしたちは傷つきやすくなった。でもその分今までよりもお互いをいたわりあえるんだよね。そうやって本当の強い結びつきを作って行かなくちゃいけないんだよね」  那智が体の向きを少しだけ変える。背中にもたれていたわたしの頭は彼の肩の上へと移動する。そっと背中に添えられた彼の手のぬくもりがとても嬉しく感じた。彼のその手が多分わたしの言葉に対する返事。ちゃんと言葉にして返してほしかったけれど、まだわたしたちは手を取り合ったばかり。男と女としてのコミュニケーションのとり方も手さぐり状態だから、今はそれで許してあげる。でもいつかちゃんと言葉にしてね。  わたしはそう心の中でつぶやいて彼の肩にその身をゆだねた。  お休みを一日挟んで一夜明けた文化祭翌日。校内はおおむね平常を取り戻していた。阿賀野が若干頬を腫らして男前になっていたことを除けば普段となんら変わることはない。わたしは今日も那智と一緒に登校し、それぞれの教室へと向かおうとしたとき背後からいきなり声をかけられた。 「ハルちゃん、那智、ちょっときて見ろよ。面白いもんが見られるぜ」  ニヤニヤといやな笑みを浮かべる酒匂の後についてたどり着いた先は、例のフォトコンテストの掲示板。そこには阿賀野に抱き留められたわたしの写真とセットで、今朝見た顔よりもうちょっと頬の腫れた阿賀野の写真……、そして最上段に大きく引き延ばされて飾られていたのは……。 「いつのまに……」  言葉もなくそれに見入ってしまったわたしと那智。そこに飾られていたのは夕日に染まる窓を背中に寄り添う男女のシルエット……。その前には赤く染まったアコーディオン。  掲示板の前にしたり顔で立つ酒匂。 「な、言ったろ? 優勝できるって」 「なに言ってんの! 勝手にこんなの撮って。きっちりモデル料もらうからね」  酒匂の台詞に対するわたしの答え。それはもちろん照れ隠し。わたしはコンテストの結果よりも、絵で見たわたしと那智の距離に感動してしまった。寄り添う様にして長く伸びたわたしたちの影を見て、こんなふうにずっと一緒にいられたらなあって。  そう思って隣を見ると、那智と目があってしまった。目線があった瞬間、彼がかすかに笑う。わたしの考えたことが彼にもわかっちゃったかな……。 了