小説



君が、嘘を、ついた



                                     とっと







一.

 カタカタカタ、
 静かな室内にキーボードを叩く音だけが響く。時刻は既に深夜の域にはいるが、僕の目の前にある十七インチのディスプレーには次々とメッセージが浮かんでは消えていく。そのメッセージに負けじと返信するために、僕の指もキーボードを叩き続けているのだ。
 いつからだろう。この世界に足を踏み入れたのは?
 初めてパソコンを購入し、InternetやE-Mailなるものに触れるようになったのは、高校を卒業して半年位経った頃だった。別に僕は機械音痴というわけではなかったけれど、それまで特に必要に迫られなかったため、この手の情報機器には手を出さなかった。逆に言うと、今此処にこうしてパソコンがあり、それを僕がバリバリとまではいかないものの、そこそこ使いこなしていると言うことは、それなりに必要に迫られたと言うことだ。
 そもそも僕、羽黒那智(はぐろ なち)がパソコンを始めた原因は彼女との遠距離恋愛にある。僕には霧島榛名(きりしま はるな)という高校時代からつきあい始めた彼女が居るが、彼女は学年一の才女、僕は中間位をフラフラしている平均的な成績だった。当然卒業後の進路も別々。かくして彼女は東京でも有名な某私立大学に進学し、僕は大学に行く必要性を感じなかったためそのまま地元に残り、亡くなった祖父の経営していた喫茶店を継いだ。そして此処に、月に一度会えるかどうかの遠距離恋愛が完成したのである。
 振り返ってみれば、遠距離恋愛の大変さを身をもって体験した一年だった。初めは月一のデートをかたくなに守り、毎晩電話をするなんてことをまじめにやっていた。しかしそれぞれ新しい環境に慣れてくると、途端に忙しくなった。彼女はサークルに参加し、またバイトも始めた。ぼくの方も店の経営が軌道に乗り、お互い目の回るような忙しさの中、だんだんと二人の時間というものが取れなくなっていったのだ。直接会えるのは盆・正月にGW程度、電話もそれぞれの生活時間帯が違ってきたためなかなか捕まらず、声を聞くこともままならなくなってきた。それなのにお互いの生活は充実している……。ひょっとして僕たちはお互いにお互いを必要としていないのだろうかと悩んでしまった。
 そんなとき彼女から一通の手紙を受け取った。その中で彼女は奮発してパソコンを買ったこと、E-Mailのアドレスを取ったことを僕に告げてきた。そして最後に
「業務命令! パソコン買って、E-Mailのアドレスを入手すること。これなら、お互い時間が合わなくてもO.K.よ」
 と書いてあったのだ。
 そんなこんなで僕はそれまでさわったこともないパソコンの世界へと入っていったんだ。
 パソコンを使い初めて一年程過ぎた今も、彼女とのコミュニケーションは主にメールで取っている。でも特に用事がないとメールのやり取りも週に一回程度に落ち着いてしまった。相変わらずお互いに忙しく、なかなか時間が合うときがない。僕の店は近くに高校が二校(そのひとつは僕らの母校でもある。)、大学が一校ある。その学生達がちょくちょく利用してくれてほぼ常連ができたのだが、それらの客から口コミで噂が広がり客の数、売上共に鰻登りと言った感じだ。こう見えても結構旨いと評判なのだ。
 また、榛名の方は文芸サークルなるものの中堅部員になり、会誌なども任されたりするようになったらしい。彼女は作家志望なのだ。それと同時にバイトの方も続けているため、執筆とバイトと授業でほとんど一日が終わるようだ。特に目立ったこともなく過ぎていく毎日。まるでお互い会社の上司に業務報告書でも提出しているような感じのやり取りが続く。そろそろこのメールのやり取りも危ないかも知れない。電話でならくだらない話題でも結構話していられるのにメールだとそうもいかないのだ。チャットならまた別なのだけど。あるいはICQなら……
 最近僕はICQにはまっている。今の僕はパソコン利用時間のほとんどをICQに費やしている。ちなみにハンドルネームは"Pianoman"だ。でも、恋人である榛名とはICQで会話をしたことはない。彼女以外のある特定の人物との会話に……。ICQの相手はハンドルネームが”Spring”確認したことはないが間違いなく女性である。こう書くとまるで僕が浮気をしているように思われるかも知れないが、僕は彼女に全く恋愛感情は抱いていない。ただ、彼女の今置かれている状況が僕と実に似ているのだ。
 彼女、”Spring”さんの話によると、彼女も遠距離恋愛の真っ最中らしい。榛名が僕を置いて上京したように、彼女もボーイフレンドを地元に置いてきていると言っていた。それで僕らは意気投合し、お互いに相談しあったり、励まし当たりしている。
「榛名にもQを勧めてみるかな」
 そうも考えたけど無理な話だった。ICQだとリアルタイムに会話もできるが、それは同じ時間に二人がパソコンの前にいることが前提条件だ。ICQでリアルタイムに会話が出きるのであれば、電話でだって十分話が出きるはずなのだ。

『カッコー』

 どのくらいぼーっとしていたのだろう。僕はQのメッセージの着信音で現実に引き戻された。
「Spring   01 4 20 23:35 で、彼女はGWには帰ってくるの (^^;?」
「Pianoman  01 4 20 23:36 まだ、聞いてない」
「Spring   01 4 20 23:36 ダメじゃん。 ジ(-_−) ヾ(^-^;;)ナゼヤブニラム?」
 Springさんの文書にはやたらと顔文字が入る。それも「何故○○する」ってタイプの奴だ。一度何でそんなに顔文字を入れるのか聞いてみたら「私、文字流何故派の使い手だもの」と言われた。文字流何故派というのは某所に主催する人がいるらしく、本来その中でのみ通用する概念? らしいのだが彼女は平気で外でも使っている。特徴と言えば前記した「何故○○する」っていう顔文字を要所要所で使うだけらしい。
 話がそれたけど、榛名の奴も結構顔文字を使う。さすがに文字流何故派とやらには参加していないようだけど顔文字の出現率では良い勝負だ。
「Pianoman  01 4 20 23:37 早速、今夜にでもメールで確認しとくよ」
「Spring   01 4 20 23:37 (゚ー゚)(。_。)(゚ー゚)(。_。)ウンウン」
「Spring   01 4 20 23:38 きっと彼女も聞いてくれるの待ってるよ(^^)」
「Pianoman  01 4 20 23:39 どうして判るの?」
「Spring   01 4 20 23:40 私も聞いてもらうの待ってるから (/_T) (・_・;)ナゼナク?」
「Pianoman  01 4 20 23:41 よしよし、それじゃあ変わりに聞いてあげよう」
「Pianoman  01 4 20 23:41 GWに彼氏に会いに行くの?」
「Spring   01 4 20 23:43 ……わからない ρ(..;)」
「Pianoman  01 4 20 23:44 わからない?」
「Spring   01 4 20 23:44 そっ! わからないの (^ー^)フフフ (・_・;)ナゼワラウ?」
「Pianoman  01 4 20 23:45 ??? 連絡くれない彼氏に怒ってるとか?」
「Spring   01 4 20 23:45 別に怒っているわけじゃないんだけどね」
「Spring   01 4 20 23:45 彼に聞かれてから考えようと思って」
 榛名も僕が連絡取るのを待っているのだろうか?
話の内容のほとんどがお互いの彼女、彼氏の事だからかも知れないけれど、Springさんと話していると、どうしても榛名のことに意識がとんでしまう。会話の最中に意識がトリップして、彼女に蹴りを入れられたことも一度や、二度ではない。もっとも蹴りと言っても直接蹴られるはずはなく、顔文字によるものではあるけど。

『カッコー』……『カッコー』……『カッコー』

 また、やってしまったらしい。
「Spring   01 4 20 23:46 もし、連絡くれなかったらどうしようかな |_・)チロ」
「Spring   01 4 20 23:48 こっちで浮気でもしちゃおうかな |_・)チロ」
「Spring   01 4 20 23:50 ……」
 やばい……、またトリップしてたのがばれたみたいだ。
「Spring   01 4 20 23:52 人の話を聞け〜 o(・_・θ"" キック"」
 やってしまった。都合何回目の蹴りだろう……
「Pianoman  01 4 20 23:51 ごめん、考え事してた」
「Spring   01 4 20 23:51 のりが悪いな〜、こういうときは""θ゚o。)アウとかいって蹴りを受けなきゃ」
「Pianoman  01 4 20 23:52 ……女兼」
「Spring   01 4 20 23:52 い・じ・わ・る やっぱ浮気しちゃおっと\(`0´;)/」
「Pianoman  01 4 20 23:53 Springさんの浮気に僕は関係ないでしょ〜」
「Spring   01 4 20 23:54 う〜ん、Pianomanさんってなんか似てるのよね。彼と」
 似てる? 僕がSpringさんの彼氏に?
 そう思った時にふと気が付いた。僕が彼女とICQで会話しているときに、榛名のことを考えてしまうのも、何も会話の内容のせいばかりではない。似てるのだ。彼女と榛名も。
 実際にあったことがあるわけではないのではっきりしたことは言えないが文面が醸し出す雰囲気とかは非常に似ている気がする。榛名とチャットでもするときっとこんな感じになるんだろうな。そんな事考えながら思わずディスプレイの前で一人にやけてしまった。
「Spring   01 4 20 23:58 o(・_・θ"" キック"」
 突然、また蹴りを入れられた。彼女風に表現するなら、""θ゚o。)アウっとやってその後に(T_T)と言うところだろうか。もちろん意地でもそんな返信はしないが。
「Pianoman  01 4 20 23:59 また蹴った……」
「Spring   01 4 20 23:59 ""θ゚o。)アウ は?」
「Pianoman  01 4 21 00:00 絶対にしない」
「Spring   01 4 21 00:01 いけず〜 (/_T) (・_・;)ナゼナク?」
「Pianoman  01 4 21 00:02 それより僕が似てるって?」
 何となく自分に似ているというSpringさんの彼氏に興味を持ってしまった。彼女が毎晩、僕を相手にQで延々と話をするのもきっと、彼氏との仮想現実を楽しんでいるようなものなんだろうな。きっと僕はSpringさんに榛名を見て、Springさんは僕の中に自分の彼氏を見ているんだ。
「Spring   01 4 21 00:03 う〜ん、難しいんだけどね。Pianomanさんと話しているとね、何となく彼とダブルの」
 やっぱり。
「Pianoman  01 4 21 00:05 そう言えば、いままで彼氏の事ってほとんど聞いたこと無かったけど聞いても良いかな?」
「Spring   01 4 21 00:05 う〜ん、なんか改めて聞かれると恥ずかしいから答えられる範囲内でなら答えるよ」
「Pianoman  01 4 21 00:05 単刀直入に言ってどんな人?」
「Spring   01 4 21 00:05 Pianomanさんみたいな人 ゞ(^▽^)ノ」
 ガクッ。見事にかわされた。そんな感じだった。じゃあ、その僕はいったいどんな奴なんだと言いたくなったが、最後の顔文字に一気に毒気を抜かれた。思いっきり遊ばれている。ひょっとしたらこのオチが付くことまでわかっていて、彼女は僕と彼氏が似ていると言ったんじゃないだろうか? 要は僕をからかっただけ。
「なんか、そんなとこまで似てるんだよな」
 思わず声に出して呟いてしまう。僕はよく、榛名にもおちょくられた。まるでそれが彼女の趣味でもあるかのように、いつも僕が困るのを見ては、瞳を輝かせる。
「Pianoman  01 4 21 00:07 ……」
「Spring   01 4 21 00:08 ゴメン、怒った? (..;)」
「Pianoman  01 4 21 00:09 …… ひょっとしなくても僕って遊ばれてるよね」
「Spring   01 4 21 00:09 だってPianomanさんって可愛いんだもんヾ(^-^;;)オイオイ」
「Pianoman  01 4 21 00:10 可愛いって……」
 脱力……、生まれてこの方(とは言っても赤ん坊の時は知らないが)可愛いなんぞと言われたことは初めてだ。これまでの周囲の人間の僕に対する評価は概ね、恐い・クール・かっこいいだ。最後の一つに関しては多分にアメリカ人だった祖母によるものだと思われるが。そう、僕はクォーターなのだ。どちらかというと顔の彫りが深く、髪の色もやや薄い。ハーフほどではないがどちらかというと日本人離れした所が興味を引くのだろう。しかし、それは少数意見であり、圧倒的に恐いと言う意見が多いということも知っている。別に暴力的と言うわけではない。ただ、幼い頃に両親を亡くしたせいか僕は感情表現が乏しいらしい。あまり表情が変わることもなく、何を考えているのか判らないと言うのが一般的な意見だ。どうもそれが恐いに繋がるらしい。ある日突然切れて暴れ出すとでも思っているのだろうか? だから、そんな僕を可愛いと宣ったのは彼女が初めてだ。もっとも彼女はディスプレイに写るメッセージでしか、僕を知らないのだから他のみんなと同じ印象を受けるとは限らないのだけれど……。
 結局、すっかり毒気を抜かれた僕は、Springさんの彼氏について何の情報も引き出すことが出来ず、少し馬鹿話をしてQを落ちた。あ、榛名にメール打たなきゃ……。


二.

Date: Sat, 21 Apr 2001 21:52:16 +0900
From: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
To: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
Subject: Re:GWの予定

那智、元気? (^o^)ノ 榛名です。
GWの予定ですけど、どうしようかな。
実を言うと、会誌の方の締切があるし、サークルのみんなで旅行に行く話もあるからまだ、そちらに帰れるか目処が立ってないんです。ρ(..;)
な〜んてね。(^_-)
ちゃんと帰りますよ。5/3〜5/6の予定です。
聞いてくれるのが遅いよ〜(ノヘ;)
ホントに旅行とか予定入れちゃうとこだったんだから。
私ってあんまり必要とされていないのかな?
そう言えば最近、女子高生のお客さんが増えたんだってね〜 (ー_ー;
鈴(リン)が言ってたよ。
那智兄ィ(最近、鈴にそう呼ばれてるんだって?)の奴、毎日鼻の下のばしてるって。
やっぱ遠くの彼女より近くの女子高生だよね (T-T)(x_x)(T-T)(x_x)ウンウン
と、言うわけでこのGWは那智の浮気の痕跡を探すために意地でも帰る事に決めたのでした。
覚悟しておいてね(^_-)

ちなみに4/29,30に私も浮気旅行します。ナンチャッテ
今からGWが楽しみな榛名でした。ヘ(^-^ヘノ^-^)ノヘ(^-^ヘノ^-^)ノ

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Haruna Kirishima
haruna@tokyo-net.ne.jp
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Date: Sat, 21 Apr 2001 23:05:23 +0900
From: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
To: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
Subject: Re: GWの予定

那智です。

なんか、すごく誤解している気がするんですけど……
女子高生のお客が増えたのは鈴のおかげで、僕は関係ありません。
僕目当てならば、当の昔に増えているはずだと思うんだけど。
鈴に関して言えば、さすが元ミス・豊学館高校の弟だね。
姉弟そろってモテモテってわけだ。
まるで、数年前の榛名を見ているみたいだね。(笑)
人の浮気を詮索しているみたいだけれども、自分の方こそ大丈夫なの? 高校時代を考えれば、榛名の方が心配だよ。
帰ってきたら、こちらの方こそ厳しく詰問させてもらうからそのつもりで

P.S.
僕もGW楽しみにしています。

******** 喫茶「吾眠」 *********
nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp
******** Nachi Haguro *********



 彼女からのメールは、相変わらず僕をおちょくる内容が多い。浮気旅行云々なんて信じてはいないけれど、正直あんまり気分のいいものではなかった。普通に考えれば、そう言ったことは充分にあり得ることだから。
 メールの中にも書いた通り、彼女は高校時代校内で一番人気だったし、僕と出会った頃は、既に大学生の彼氏がいた。また、僕と付き合うようになってからも、彼女を狙う男は後を絶たなかった。もっともそれは彼女と付き合っているのが、僕だったせいもあるのかも知れないけれど。
 考えてみると、僕は東京での榛名の様子というものをほとんど知らない。彼女自身から得られる情報が全てだ。それに対して彼女は、僕に対する情報源などいくらでもある。まず、僕自身、地元在住の元同級生等、そして彼女の弟である、霧島鈴谷(きりしま すずや)。僕自身は何ら隠し事が出来ないくらいに、監視の目がついているが、彼女に関して言えば、全くフリーの状態だと言うことに、今更ながら気付かされる。彼女のことだから、きっと今でも僕のことは、こちらにいたときと変わらないくらいに、把握していることだろう。でも、僕は……。そう考えると、東京にいる彼女と言うものが、酷くあやふやな存在に思えてきた。

「Spring   01 4 25 23:22 そっか、三日から六日か」
「Pianoman  01 4 25 23:23 うん、予想以上に長くいられるみたい」
「Spring   01 4 25 23:24 良かったね(^_-)」
「Pianoman  01 4 25 23:25 Springさんはどうなの?」
「Spring   01 4 25 23:26 私も3〜6で帰りま〜す。ヘ(^-^ヘノ^-^)ノ (・_・;)ナゼオドル?」
 榛名とはメールでやり取りしながらも、SpringさんともQでの会話を楽しむ毎日。どうやら彼女もGWに帰省することが決まったらしい。日程も榛名と一緒。学生は一,二日は講義があるのだろうか? この時期は、建前上学校はやっているが、講義自体は休講になることが多いって聞いたことがある。榛名は、文化人類学の教授が主催する博物館巡りに、その日は参加する為、三日からって事になったけど。
「Pianoman  01 4 25 23:27 三日から? 講義があるの?」
「Spring   01 4 25 23:28 普通の講義自体は全部休講。\(^o^)/」
「Spring   01 4 25 23:29 でも、単位には関係ない特別講義に参加するの(^_^)V」
 榛名と同じ様なことしてるんだな、なんて考えながら、キーボードの上に指をすべらす。
 その日も、僕らはとりとめのない話をし、午前一時頃そろってQから落ちた。
 それからもほぼ毎日、ぼくはSpringさんとQでの会話を楽しんだ。ぼくがパソコンをネットに繋げると、たいがいQのユーザーリストの中のSpringさんの名前はオンラインを示す青になっている。そして、ぼくのパソコンがネットワークに繋がるのと同じ位に、いつも最初のメッセージがとんでくるんだ。それがいつもの二人の時間のはじまりだった。
 ところが、四月二十九日。この日、僕がパソコンを立ち上げると、いつもと状況が違っていた。ネットに繋げるといつも青表示だったSpringの文字が赤のオフライン。何か用事があって、遅れるのかと思い、久しぶりにネットサーフィンを楽しんだり、店の帳簿の入力をしたりして時間を潰した。そして気が付けば夜中の一時。いつもQからも落ちる時間だ。何かあったのだろうか? Springさんは、Qに繋げられないときは事前に連絡をくれる。ICQは相手がオフラインでもメッセージ自体は送信可能なのだから。でも、今日はそんないつもの
「Spring   01 3 12 07:05 ゴメン、今日、繋げられないかも(-人ー)」
って言うメッセージは、もらっていない。
 パソコンが逝っちゃったとか? それとも体調でも悪いのだろうか? 色々心配してみるが、ネット上でしか繋がりのない僕としては、どうしようもなかった。そして、その翌日も同様にSpringさんはQに繋げてこなかった。
「Pianoman  01 5 1 01:15 Springさん、ここんとこ、Qに繋ぎに来ないけど大丈夫?  何かあったら連絡下さい」
 僕は、一応メッセージだけ入れて置いて、Qを落ちた。


Date: Tue, 1 May 2001 20:33:42 +0900
From: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
To: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
Subject: ただいま〜

那智、元気? (^o^)ノ 榛名です。

浮気旅行に行ってきました。(゚ー゚)フフフ
一泊二日のアバンチュール なーんてね。
サークルの友達、それも女の子だけの旅行でした。
男っ気全く無しだから安心してね。(^_-)
場所も近場の鎌倉、懐かしいでしょ。
修学旅行の時みたいに、またあの街二人で歩きたいな〜なんて考えちゃった。
ちゃんとお土産も買っておいたから、乞うご期待
ちなみに、鳩サブレーじゃないよ。

さて、那智兄ィお待ちかねの里帰りですが
予定通り三日から六日の間、帰ります。
お店閉めて待っててくれるの期待してます。
お昼頃には豊橋着くから、そしたら直接お店に顔出すね。(^^)

榛名でした。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
Haruna Kirishima
haruna@tokyo-net.ne.jp
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Date: Tue, 1 May 2001 22:28:13 +0900
From: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
To: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
Subject: Re: ただいま〜

那智です。

旅行の感想、余り書いてないけど楽しかったのかな?
男っ気なしって聞いてちょっとホッとしたかも。
鎌倉かぁ、久しぶりに行きたいね。
どこ回ったの? 今ちょうど大河ドラマでブームだから賑やかかったんじゃないのかな?
まさか東慶寺なんて行ってないよね。
今度、そっちに遊びに行ったときには二人で鎌倉へ行こう。
銭洗い弁天でお金洗わなくちゃ。いっぱい儲かりますようにって(笑)

お土産何だろうな。鳩サブレーじゃないとすると、梅花はんぺんとか
ま、楽しみにしてます。

******** 喫茶「吾眠」 *********
nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp
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 どうやら、榛名は無事に旅行から帰ってきたようだった。浮気旅行云々は、信じてはいなかったけど、やっぱり嘘だった。榛名の奴、そろそろもう少しひねらないと、パターン化して来てるぞ。彼女の得意技は、人の不安を散々煽っておいて、最後に落とすパターンだ。これは結構きつい。最初の内は本気で嫉妬もしたし、怒りもした。もっとも、それを表に出すことは無かったけれども。

「悪戯であるうちが華だよ」
 よく、幼なじみの那珂(なか)にはそう言われる。確かにそれが、悪戯や、冗談で無くなったときは破局を迎えるだろう。だからこそ、悪戯にしてもきわどすぎるのではないかと、思うのだけど。那珂や高雄(たかお)はそう思わないらしい。
 「あれが、榛名の精一杯の自己主張なの。なっちゃんって全然、感情や気持ちを表に出さないでしょ。それって、付き合う側としてはもの凄く不安なのよ。特になっちゃんの場合、怒っていようが、泣いていようが常にポーカーフェイスを気取って、営業スマイルでしょ。何考えてんだかさっぱりわからないんだから」
 仕方ないじゃないか。幼い頃に両親を亡くし、年老いた祖父と二人だけで生きてきたんだ。その祖父だって、僕が高校に上がるときには他界してしまった。僕の人生は、常に大切なものを無くすことで終始していたんだ。自分を守るためには、他に方法がなかったんだ。何かをなくす度に傷ついていたら、生きてはいけなかったんだ。せめて振りだけでも、何も感じず、何事にも傷つかように振る舞わないと、自分自身が壊れそうだったんだ。
「榛名がね、なっちゃんの不安を煽ったりするのも、それでなっちゃんの感情を、表に引き出したいからなんだよ。そうやって、ちょっとでもなっちゃんから嫉妬したり、怒ったりする素振りを引き出すことで、榛名はなっちゃんの気持ちを確認してるんだよ」
「ちゃんと、気持ちは言葉にしてるつもりだけど?」
 そんな僕の主張も一言で否定される。
「誰に対しても、同じように笑みを浮かべて、みんなに平等に優しい男の言葉を誰が信じられるの? 付き合ってるんだもの、恋人なんだもの、特別扱いしてあげなきゃ。他の人には見せないような所も見せてあげなきゃ。このままじゃあ、榛名の方が疲れちゃうよ」
 彼女の言うことは、正しいのかも知れない。きっと那珂も以前は同じ想いを抱いていたのだろう。高校に上がるまでは、彼女が僕の恋人だったのだから。

『かっこ〜』
久しぶりに聞く、Qのメッセージ着信音。
「Spring   01 5 1 23:32 ごめんね。二日ばかり留守にするって言ってなかったけ?」
「Pianoman  01 5 1 23:33 聞いていない……」
「Spring   01 5 1 23:32 あれ? 言った気がするんだけど……ちょ、ちょっと待ってね」
 ――それっきり、暫く彼女からメッセージが飛んで来なくなった。何やってんだろう?
「Spring   01 5 1 23:45 |_・;)チロ」
「Pianoman  01 5 1 23:46 ……。何? その反応?」
「Spring   01 5 1 23:47 彼にメール送っただけで、すっかりPianomanさんにも言ったつもりになっちゃってた。(^^ゞ」
「Pianoman  01 5 1 23:48 ……。キック (火暴)」
「Spring   01 5 1 23:49 ""θ゚o。)アウ」
「Spring   01 5 1 23:50 ひ、酷い。女の子に足あげた。(ノヘ・)シクシク」
「Pianoman  01 5 1 23:51 あ、やっぱ女の子だったんだ。でもそれ、嘘泣きでしょ」
「Spring   01 5 1 23:52 当たり前でしょ。どこを切っても醸し出されるこの女らしさに、今まで気付かんかったのか! o(・_・θ"" キック"」
「Spring   01 5 1 23:53 しかし、よくぞ見破った。ホントに泣いてるときは(ノヘ;)嘘泣きの時は(ノヘ・)なのよね」
「Pianoman  01 5 1 23:54 また、蹴った……」
「Spring   01 5 1 23:55 ""θ゚o。)アウでしょ」
「Pianoman  01 5 1 23:56 だから、しないってば。それよりどっか行ってたの?」
「Spring   01 5 1 23:57 (゚ー゚)フフフ。何を隠そう……」
なんか嫌な予感がした。
「Spring   01 5 1 23:58 こっちの彼と、鎌倉へ旅行に行ってたのでした。\(^o^)/」
 旅行? 鎌倉へ? 二十九,三十でか? それにこっちの彼って……
 急に汗が噴き出すのがわかった。頭に血が上ったようになり、目の焦点がぼやける。焦るな。彼女が何をしようと、僕には関係ないことだ。そう思っているのに手は勝手にキーボードの上をすべっていく。
「Pianoman  01 5 2 00:01 こっちの彼?」
「Spring   01 5 2 00:02 本気にした? (^ー^)フフフ」
『からかわれたのか?』
 一瞬にして沸騰した血が、急速に冷めていく。まるで天国と地獄だ。
 でもこの時、僕はSpringさんと会話をしながらも、彼女に別の女性を重ね合わせていたんだ。そう、僕の恋人、霧島榛名の姿を……


三.

 僕は、今の榛名の何を知っているのだろうか? 帰省した彼女はいつも、僕の知っている、昔のままの姿だった。同じ学校に通い、同じように馬鹿をして、同じように笑っていた、あの頃の姿そのままだった。でも、それが本当に今の彼女のスタイルなのだろうか?
 店の常連客の中に、関西出身の人がいる。その人は、普段関西弁を話すことはない。僕なんかよりもずっと綺麗な標準語を話す。でも、そんな人があるときこんな事を言った。
「普段は、意識しなくてもちゃんと標準語で話せるし、それが今の俺のスタイルになっちゃってるんだけど、昔の仲間とかに会うと、自然と関西弁に戻っちゃうんだよね」
 たった一つの場所しか知らない僕には良く分からなかったが、人とはそう言う物なのかと思った。きっと一人の人の中に、いくつも自分のスタイルと言う物を持つことが出来るのだろう。そして、状況に応じてそれぞれのスタイルを使い分けるのだ。意識している、いないに関わらず。
 これは至極当然の事なのだろう。恋人に見せる姿、友人に見せる姿、その他大勢に見せる姿は、それぞれ違うはずだ。端から見れば、きっと僕だって榛名に見せるスタイルと、それ以外の人に見せるスタイルは違っているはずだ。もっとも那珂あたりに言わせると、それが同じに見えるのが問題なのだと、また言われそうな気もするけど。
 それよりも問題は、榛名の方だった。当然さっきのことは榛名にも言えるわけで、彼女にしても様々なスタイルの集合体と言うわけだ。普段は意識していないから、気付かなかったが、思い返せば何となく見えてくる。彼女が僕に見せる姿と、それ以外の物に見せる姿。そうやって考えると、一緒にいた頃は、全てとまでは言わないまでも彼女の持つ、ほとんどのスタイルを僕は見て知っていた。彼女を平面ではなく、立体で捉えることが出来た。それが今はどうだろう。おそらく、現在彼女が、一番多用しているであろうスタイルを僕は知らない。彼女の東京での顔を僕は全く知らなかった。そう思ったとき、それまで完全体だった榛名の姿が、円空仏のようにすっぱり後ろ半分が切れたように見えた。

 もうじきやって来るであろう彼女の為のカフェオーレを用意しながらも、思索の海に深く入り込んでいた僕は、不覚にも店の扉が開いたのに全く気付かなかった。ご丁寧にもその侵入者は、音をたてないように、扉に付いているカウベルを押さえて、そっと忍び込んできたのだ。
「わっ!」
 扉に背中を向けていたのが災いした。耳元で突然発せられた大声に、僕は対処できず、手に持っていたコーヒーカップを落としてしまった。
 パリン。
 陶器の割れる、乾いた音が店内にこだまする。
「あ、ご、ごめん……」
 軽いため息と共に、足下に散乱する陶器のかけらを見た後、徐々に視線をずらす。履き古した赤いスニーカーから色落ちした紺のジーンズ、それに包まれている、すらっとした足から程良く張り出した腰を抜けると、真っ白なTシャツが目にはいる。くびれたウエストから胸の膨らみを通り、最後に困惑したような表情を浮かべた、彼女の顔に行き着く。

「やあ、榛名。早かったね」
 これ以上ないってくらいの営業スマイルを浮かべて、僕は彼女を迎えた。
「うん、那智を驚かそうと思って、予定よりも早く出てきたから……」
「じゃあ、君の作戦は成功だ。少なくとも僕はカップを割るくらいには驚いたから」
「相変わらず、すごい皮肉ね」
 彼女は僕の攻撃に怯むこともなく、両手を腰に当ててあきれた顔をしている。
「あんまりいじめると、せっかく買ってきたお土産あげないから」
そう言って、榛名はバックの中から包みを取り出す。
「あ、松花堂のあがり羊羹!」
「御免なさいは?」
「へ?」
「イヤミを言って御免なさい!」
 あの、それくらいは言わせていただきたかったんですけど。さっき割れたカップは一客二万円もする、それなりに高級品だったんですから……
と言う僕の言い分は通用しそうにない。
「ちなみに私は既に謝ったんだからね。驚かせたことも。カップ割っちゃったことも」
「ハイハイ。イヤミを言って御免なさい。もう、僕も怒っていないから君も、さっき割れたカップが一客二万円する事は忘れてくれ」
 彼女と目があったときから寸分も変わらない笑みを浮かべて言ってやる。彼女の頬が引きつるのが見えた。
「今の今まで、その陶器の欠片が二万円もするなんて知らなかったわよ!」
 恨めしそうな上目遣いで僕を睨む彼女の表情がまた可愛い。
「だいたい何でそんなカップがこんな所にあるのよ」
「コレクション」
 彼女ががっくり肩を落とすのが見えた。本当はさっきのカップは彼女専用にしようと思って用意して置いた物だったんだけれど、さすがにそれは伏せておくことにした。僕には誰かさんと違って、自分の恋人をいじめる趣味は無いのだから。
 とりあえず、彼女からお土産の羊羹を受け取ると、その場で一口大に切り新しいカップに注がれたカフェオーレと一緒に差し出す。そんな僕の行動を、彼女はその大きな目をさらに見開き、不思議そうに眺めて言った。
「ねえ、何で羊羹に珈琲なの?」

 結局、あの後僕はせっかく入れたオーレを下げさせられ、変わりに日本茶を要求された。端から見れば至極まっとうな、僕にしてみれば結構わがままな注文を受けながらも、僕はちょっとだけホッとしていた。久しぶりに会う彼女は、僕が知っている昔のままの彼女だったから。いろいろつまらないことを考えるものの、やはり変わらぬ彼女を見ると、心が落ち着くようだ。
 で、今彼女は、湯飲みを片手に羊羹をほおばり、僕は、彼女が書いたという最新作の小説をプリントアウトした奴を読まされている。けどちっとも集中できない。僕の視線は、羊羹がのった皿と彼女の口元を行ったり来たりしてるのだ。
「早く読まないと、せっかくの羊羹がなくなっちゃうよ」
 そんな僕をからかうように彼女は言う。一ページも読み進んでいないA四用紙から目を離し、「それ、全部食べちゃう気?」と聞くと、
「二人で食べるつもりだったけど、那智は要らないみたいだから」
 と宣った。要らないわけ無いじゃないか。高校の修学旅行の時から狙っていたのに。あゞ、あの時は時間がなくて買えなかったんだ。そんな僕の思いを知ってか知らずか、彼女の口に次々と羊羹が飲み込まれていく。こうなったら、何が何でも、彼女が食べ終わる前に、これを読み終えてやる。そう思って、改めてA四の用紙に集中する。
 それは、日本の妖怪の娘と日本と海外の妖怪のハーフの恋愛物語だった。物語を読み進めていくうちに、僕の顔がどんどん赤くなっていくのがわかる。はっきり言おう。この話は、僕と榛名の馴れ初めから今に至るまでの事実そのままだ。多少の脚色はあるにせよ、全体の流れから、メインとなるエピソードはありのままが描かれている。それも彼女の視点ではなく、僕の視点から。なんで?
 僕は、顔を上げて彼女を見た。彼女はカウンターに頬杖をつきながら、ニヤニヤと笑みを浮かべて僕を見ている。
「これを、榛名のサークルの会誌にのせるの?」
 別に榛名のサークル関係の人間に合うこともないだろし、これを読んで実はノンフィクションでしたなんて思う人もいないとは思うけど、なんか公開されるのは恥ずかしい。出来ることなら、二人の記念小説とか、なんとか言って永遠に封印して欲しい。でも榛名は言ったんだ。
「それはね、投稿用なの」
 榛名の目がキラキラと輝き出す。こういうときはろくな事がない。しかし、投稿ってこれを雑誌社か何かに送る気か?
「最近、良く顔を出している小説系サイトがあるんだけど、そこに投稿しようと思って」
 あの〜、それってサークルの会誌や、雑誌社なんかよりたちが悪いんじゃあ……。
 僕は、こめかみの辺りを冷や汗が流れるような気がした。
 サークルの会誌なら読む人が限られる。決して発行部数は多くはないし、販売場所も限られる。雑誌社にしても採用されるとは限らない。むしろ何らかに応募しても、賞をもらえる可能性はかなり低い。でも、ホームページとなると不特定多数の人に読まれるだろうし、榛名のことだから、身近な人間には宣伝もするだろう。なんと言っても、僕や那珂の所には毎回、サークルの機関誌が郵送されてくるぐらいだ。小説を書く人って言うのは、露出願望(変な意味でなく、自分をさらけ出して認めてもらいたいっていう気持ち)が強いのだろうか。
 とにかく、インターネットで公開するとなると、僕の身近な人間も読む可能性が、非常に高くなる。高校の時一緒だった奴らが見たら、一発で僕らのことだとわかってしまう。彼らの中には、この店の常連となっている奴もいるのに……
 そんなことになったら、きっと散々冷やかされるぞ。なんて考えていたらいつの間にか、榛名が僕の方を睨んでいる。
「こら! 那智黒、人の話聞いてるの?」
 毎度のつっこみが入った。榛名がコーヒースプーンを僕の方に突き出す。QでSpringさんに蹴りを入れられるのはしょっちゅうだけど、榛名からこうして面と向かって突っ込まれるのは久しぶりだ。ちなみに『那智黒』とは彼女が僕に付けたあだ名だ。今時、那智黒なんて知っている奴いるのだろうか?
「また、自分の世界に入り込んでいたでしょ?」
「ん、ちゃんと聞いていたよ。ホームページに投稿するんだろ?」
 無駄な努力とはわかっているけど、一応、聞いていた振りをする。
「で、その続きは?」
 その後、まだ話が続いていたのか? そう言う榛名の頬は見事なまでに膨らんでいる。もっともそう言う表情を作ると言うことは、まだ本気で怒っているというわけではなさそうだ。もっとも、全く怒っていないと言うわけでも無いだろうけど。いや、怒っていると言うよりは、呆れていると言った方が近いかも知れない。
「つ・づ・き」
 彼女は、カウンターに肘を付き、顔の前で組んだ手に顎を乗せて、不敵な笑みを浮かべてた。全てお見通しって奴だ。最初っから騙し通せるとは思っていなかったけれども、相変わらず容赦がない。絶対、僕の反応を見て楽しんでいるんだ。そう思うと急に意地悪してやりたくなった。いつもいじめられてばかりじゃ、割に合わない。
 僕はゆっくりカウンターの内側から出ると、榛名の方へと歩いていく。榛名はキョトっとした顔で、頭に”?”マークをいくつも浮かべながら、僕の方を見ていた。予想外の僕の行動に付いてこれないでいるみたいだ。そのまま、彼女の隣のスツールに腰を下ろすと、いきなり彼女の口を塞いだ。僕自身の口で。実はこれって結構勇気が必要だった。普段の僕からは、全く考えられない行為だったのだから。
 榛名の方も相当ビックリしたらしく、目を見開いたままだった。まぁ、当然と言えば、当然かも知れない。付き合いだして約二年、でもその間に僕らがキスしたのは、ほんの数えるほどしかない。もっとも、後半は遠距離恋愛のため、年に数回の逢瀬しか無いわけだから、それも不思議では無いのだけれど。
 僕は、ゆっくり彼女から離れる。僕はいつも通りの笑みを浮かべ、何ら表情を変えることのないようにに勤めていた。そうしないとあまりにも照れくさいし、僕の方が照れたんじゃあ、なんのためのキスだかわからなくなってしまう。一方の榛名と言えば、よほどビックリしたのか暫く固まったまんまだった。でも、そのうち、だんだん顔が赤くなってきたと思ったらいきなり、人の口を摘んで引っぱり出した。
「な〜んで、いきなりそう言うことをするかな! この口は〜」
 そんな彼女の、あまりにもらしい行動に思わず口元が緩む。ただ摘まれただけの唇は、たやすく彼女の指を離れたが、次の瞬間には僕の口の中に、彼女の両の人差し指が差し込まれた。それが、思いっきり横に僕の口を広げる。
「人が怒っているとゆ〜のに、笑うとは言い度胸してるじゃない」
 榛名は、台詞とは裏腹に、やけに楽しそうに人の口をおもちゃにしている。
「ほ〜ら、何か言ったら? 御免なさいは?」
 そんなこと言ったって、言えるわけがない。思いっきり広げられた僕の口からは、ふごふごと意味不明の音が漏れただけだった。これって、端から見たらもの凄く、恥ずかしい状況難じゃないか?

 カタッ
 不意に奥から物音が聞こえた。と、次の瞬間、パシャって言う音と共に僕と榛名は、光に包まれた。榛名はビックリして振り向いたけど、僕の口から手をどけることは無かった。あの、これってとってもまぬけな図なんですけど。と、言いたかったけどやはり、僕の口は思うように動いてくれなかった。
「相変わらず、仲良いわね」
「全く、見てるこっちが恥ずかしくなるよ」
 カウンターの奥、つまり厨房から一組の男女のカップルが顔を覗かせる。女性の方が、家のお隣さんで、赤ん坊の頃からの幼なじみの青葉那珂(あおば なか)で、おまけの男が高校時代の友人にして、現在の那珂の彼氏でもある、五十鈴高雄(いすず たかお)だ。この二人ときたら、全く持って神出鬼没。特に那珂は付き合いが長いせいもあり、人の家も勝手知ったるって感じで遠慮会釈もない。今日榛名が来ることは、前もって話してあったから、きっと覗きに来るだろうとは思っていたけれど、まさか、忍び込んでくるとは思わなかった。こいつらの方が、榛名よりも上手かも知れない。しかし、どうして家に来る客はみんながみんな普通に入ってこれないのだろう?
 とりあえず僕の口は、この二人の出現で榛名の細い指から解放された。それと同時に、二人の甘い? 時間も終わりを告げたのだけれども。僕はあきらめにも似た気持ちで、新たに二人分のドリンク(那珂はグレープフルーツジュース、高雄はウィンナーコーヒーと決まっている。)を用意した。皿の上の羊羹は、彼らがきて二分で無くなり、結局僕の口には一切れも入ることはなかった。


四.

 榛名は、やはり榛名だった。これまでもそうだったが、今日帰省してきた彼女も、僕の中にあるイメージと全く同一の、東京の匂いなど一切感じさせない、昔のままの彼女だった。その為、僕と榛名、高雄に那珂の四人が集まったときは、まるで高校時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った。しかし、それも思い出話をしているうちだけで、会話の内容が、お互いの近況報告になったとき、僕は心が冷めていくのがわかった。
 近況報告と言っても、歴史の教科書のように時系列に従って、順番に話されるわけではない。たいていは印象深い事柄から話されていくものだ。彼女の報告にしてもそうだった。最初はGW前半で行った、鎌倉旅行のことからはじまり、その時はまだ、僕も楽しんで聞くことが出来た。
「最初に鎌倉駅でショッピングしたでしょ。あ、そうだ……」
 そこまで話すと、彼女は鞄の中をごそごそとさばくり、小さなつつみを差し出した。
「はい、これお土産」
 あれ? お土産はさっき貰ったはずじゃぁ? もっとも僕の口には一切れも入らなかったけど。いぶかしがりながら包みを開けると、中からフェルトで作られた、小さな電車が出てきた。呆気にとられて彼女の方を見ると、まるでいたずらっ子のように(実際、僕から見えばいたずらっ子なのだが)目を輝かせてクスクス笑っている。
「かわいいでしょ? それ。ぷるぷる江ノ電って言うのよ」
 そういって、彼女は電車の後ろについているわっかを引っ張る。カウンターの上に置かれたそれは、ぶるぶるとふるえながら前に進んでいった。僕にこれをどうしろと? 僕はぬいぐるみみたいなものには興味はないし、ファンシーグッズ? を集める趣味もないのだけれど。

「その後、駅前の井上蒲鉾店にいって、鶴ヶ丘八幡宮行って……」
 僕が悩んでいるうちに、話はどんどん進んでいってしまった。そしてその内容は彼女の東京での生活へと変わって行く。
「最近はネット小説に凝っているの」
 あゞ、昨日の小説の話だな。
「文芸サークルの会長、千代田さんって言うんだけど、その人からいくつか小説系のホームページを、教えて貰って見たの。これが結構馬鹿に出来ないのよ。素人でも、プロ顔負けの作品書く人っているのよね」
「今一番気に入っているのはTERUさんって人が主催しているホームページでね……」
 彼女の口から紹介される人の名前は、どれも知らないものばかり。いや、一度や二度は聞いたことがあるけれども、その人が一体どういう人なのか、男なのか、女なのかさえも知らない。そして、彼女がその人たちとどう接し、どう付き合っているのかも……。
 あゞ、もう考えるのはよそう。そう思いながらも、彼女の話から伺える、東京での彼女の断片をつなぎ合わせようとしている自分がいる。いつも僕が陥る思考のループだ。別に彼女のことを疑っているわけではない。僕は彼女のことを信じている。それにもし、僕以外に好きな人が出来たのなら、彼女はそうはっきり言ってくれるはずだ。僕が恐れているのはもっと別の所にある。それは、彼女の話を聞くことで、現在彼女の周囲にいる男たちに嫉妬することだ。彼らは、東京という新しい世界ではぐくまれてきた彼女を見ている。それは、きっと僕の知らない彼女の姿。恋人であるはずの僕が知らない彼女を、知っている男たちがいて、それを見せている彼女がいる。そんな諸々に、理不尽とはわかっていても嫉妬してしまいそうになる自分が、酷く度量の狭い男に思えてくる。
 仲間たちは、僕のことを落ち着いていて、何事にも動じない男だと思っている。常に沈着冷静で、理性的な行動をとり、頼りになる奴だと。でも実際は、自分の感情をコントロールするのにも四苦八苦するガキなんだ。穏やかな表向きとは別に、僕の中ではいつも感情の嵐が荒れ狂っている。

 気が付くと、皆が僕の方を見て笑っていた。那珂と高雄は鬼の首でも取ったような顔をしてニヤニヤし。一方の、榛名は頬を染めて、少しだけ恥ずかしそうに微笑んでいる。僕と目が合うと、すまなそうに手を合わせてきた。何をやらかしたのか、訝しんでいると、那珂が身を乗り出して、人の頬を指でつついてきた。
「なっちゃんもやるわね〜」
 隣で高雄の奴も頷いている。
「なんの話だ?」
 あえて那珂達を無視して、榛名に問いかける。だが、彼女はさらに小さくなって、うつむきながら、那珂達の前をつつくように指さすだけだった。そして彼女が指さしたその先には、さっきまで僕が読んでいた、あの小説の原稿があった。
「……」
「勇気あるわよね〜。自分たちの恋愛体験全てを、全世界に発信しちゃうなんて」
「せきらら恋愛生活、包み隠さず話ま〜す。なんちゃって」
 二人とも、言いたいことを言ってくれる。そう言えば、その事を話している最中にこの二人がやって来て、話が中断したまんまになってるんじゃないか。
「まだ、公開することを承諾した訳じゃ……」
 ない。と言おうとして榛名の顔を見たら、最後まで言えなくなってしまった。彼女ときたら、上目遣いに、まるで捨てられた子犬のような目で、僕のことを見ているんだ。そんな眼で見られたら、まるで僕の方が悪者みたいじゃないか。普段、強気で言いたいことをポンポン言うくせに、なんでこんな時だけそんな顔をするんだ。ずるいじゃないか。そう言うのを女の武器って言うんだぞ。多分……。
 その上、「だめかな〜」なんて、消えそうな声で言われたら……。あゞ、もう好きにしなさい! なるようになるさ。なんて思っちゃうのは、多分僕だけじゃないと思う。で、承諾した後で、いつも後悔させられるんだ。榛名の奴、O.K.が出た途端、表情が変わるんだから。目なんかキラキラさせちゃって、してやったりっていう感じの顔をする。いつもそうだけど、気持ちの切り替え早い。本当は、「子供じゃないんだからさ〜」とでも言ってやりたくなるけれど、(子供って奴は、さっきまで号泣していたかと思ったのに、いつの間にか平気な顔して遊んでいたりする。)結局は、苦笑混じりの笑顔で答えるだけだった。
「なっちゃん、榛名に甘いんだから」
「そうだ、お前が霧島にあんまり甘いと、こっちにまでとばっちりが来る」
 そんな風に二人に冷やかされている僕を、榛名が悲しい目で眺めていた事に、この時僕は、全く気が付かなかった。

 ゴールデンウィークなんて言うものは、長いようで結構短い。榛名とはゆっくり二人の時間をもてないでいるうちに、もう明日は、彼女が東京へと戻る日になってしまった。未だに彼女の人気は大したもので、帰ってきているとわかると、昔の仲間達がひっきりなしに会いに来る。みんな迷うことなくうちの店にやって来ると言うことは、それなりに僕らの仲が、皆に認められていると言うことなのだろう。
 昨日も夕方からうちの店に、級友たちが集合してしまい、ミニ同窓会みたいになってしまった。昼間、彼女は那珂と一緒に出かけていたので、夕方から二人でゆっくり過ごすつもりだったのに、それが出来なくなってしまった。まあ、それなりに楽しかったから、それはそれで良いのだけれども、この時僕は、榛名の変化に一つ気付いてしまったのだ。
 これまでにも何回か、今回のような集まりはあった。会場も毎回うちの店だから(よそだと僕が、参加できないことを考慮してくれているらしい)当然僕と榛名も同席している。この時、いつもなら彼女は僕の側を決して離れない。女の子同士の話もあるだろうから、そっちに行っていてもいいと思うのだが、彼女はいつも僕の隣にいて、みんなの方が寄ってくるのが常だった。ところが昨日に限って言えば、僕の隣は常に空席だった。まあ、突然のことで僕も、厨房に籠もっている時間が長かったせいかもしれないけれど、そんなときでもいつもなら、彼女はカウンター席に座って、僕が来るのを待っていたものだった。なのに僕が厨房から戻ってみると、彼女は指定席におらず、みんなの輪の中に入って僕のことなど忘れてしまったかのようだった。

 その夜、僕はパソコンの前に座りながら、夕方の榛名の様子についてぼんやりと考えていた。今はパソコンの前に座っていても、特にすることがないし、榛名の様子もずっと気になっていた。ICQの相手のSpringさんも、榛名と同じ日程で帰郷している。彼女も帰郷してからは、ずっとオフライン状態だ。その間は、毎晩のように榛名と電話で話していたから、まるで彼女とSpringさんが入れ替わったようだった。そう思ったとき、そう言えば電話ではちゃんと、話をしていたなと思い出した。もっとも今夜は、それすらもできないのだけれども。
 夕方からのミニ同窓会は、いつの間にか誰かが持ち込んだアルコールで、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ、無法地帯のコンパと化した。普段、ほとんど呑まない(最近のことは良く分からないから、呑まなかったと言った方が正しいのかも知れないが)榛名も、僕の側を離れて、みんなの中に混じっていたせいか、かなり呑んでいた。アルコールに弱いのは今も変わらなかったみたいで、彼女はアッという間につぶれてしまった。奥の自宅スペースにある座敷に寝かされた彼女は、結局お開きになるまで眠り続けたんだ。そして、起きた後もアルコールは抜けきらず、今夜は那珂の所へお泊まりすることになった。
「榛名がそこまで酔っぱらうなんて珍しいね」
 と言ったら
「今日は、呑みたい気分だったの! 文句あるか〜、那智黒!」
 と言って人の頭をペシペシたたき始めるし、挙げ句の果てには
「こら〜! 可愛い彼女が、酔いつぶれたんだぞ〜。何で、よそに泊めるのよ〜。ふつ〜こんな時は、酔っぱらっているのを良いことに、あ〜んなことや、こ〜んなことをするんじゃないのか〜」
 と騒ぎ出した。あゞ、泣く子と酔っぱらいには勝てません。みんなの爆笑をかい、ひとしきり冷やかされた後、彼女にもご退場願った。そのおかげで、僕は今、こうしてすることもなく、パソコンの前に座っている訳なのだけれども、そうやって思い返せば返すほど、今日の榛名は変だった。彼女に何かあったのだろうか?
 榛名がおかしいのには、那珂も気が付いていた。彼女の目から見ても、帰省初日以外の彼女は、僕を避けているように見えたという。まるで、僕と二人っきりになるのをおそれているようだったと。だから今日、榛名が那珂の所に泊まることは、僕らの中ではかなり早いうちの決定事項となっていた。
「多分なっちゃんには、絶対に言わないだろうから、何があったのか私が聞いてみる」
 と、那珂が言い出したのだ。
 ふと、顔を上げると向かいの窓に明かりが灯るのが見えた。二階建ての隣同士。僕の部屋の向かい側は、那珂の部屋になる。まるで絵に描いたような幼なじみの構図だ。昔はよく、窓越しに彼女と話をしたりしたもんだ。さすがにちょっと距離があるので、窓越しの行き来は無かったけれど。これで、二人の恋愛関係が続けば、べたな幼なじみ小説の出来上がりだ。そして僕は、彼女から破局を告げられるまで、そうなるものと信じて疑わなかったのだけれども。
 もちろん今は、僕にとって大事なのは榛名であり、那珂とはもう恋愛感情はない。彼女への想いは、高校の修学旅行の時に、鎌倉へ納めてきた。そして僕らは元の幼なじみという鞘に収まり、今では性別を越えた親友関係にある。榛名との恋愛に関して、陰に日向に僕を支えてくれたのも彼女だった。
 向かいの窓に人影が映った。向かい合うような形で窓際に腰を下ろしている。多分、一人は椅子に座り、もう一人がベッドに腰掛けているのだろう。どちらかが榛名で、もう一方が那珂なのだろうが、カーテン越しのぼんやりとしたシルエットではどちらがどちらだか、区別は付かなかった。ただ、向かって左側、ベッドに腰掛けていると思われる人物のシルエットが俯いているところをみると、こちらが榛名なのだろう。暫く二人の様子を眺めていたが、特に目立った変化は起こらなかった。僕は頭の中で那珂に、「あんまりきつく問いつめるなよ」と願いながら、適当なところで床についた。

 翌朝、僕は那珂に揺り起こされた。まったく、生まれたときからの付き合いで、勝手知ったるとはいえ、不法侵入だ。こんな所を榛名に見つかったら、大変なことになるじゃないか。そう思ってから、夕べ榛名が彼女の所に泊まったのを思い出した。
「那珂、榛名は?」
「夕べ遅かったのと、二日酔いでまだ寝てる」
 思わず、こっちまで頭痛がしてきた。
「そんなんで大丈夫なのか? 今日帰るって言うのに」
「ん、ダメそうなら私が送っていくよ。二、三日なら学校休めるし」
 榛名の奴、そんなに具合悪いのだろうか? 僕自身はアルコールに対して強いのか、まだ二日酔いと言うものを経験したことがない。だから二日酔いの辛さというものが、良く分からないのだが、送って貰わなければならないほどと言うのなら、僕も何か考えた方がいいのかも知れない。この際だから、今日は店を休もうか?
「それより、夕べ榛名と話していて感じたんだけど……」
 僕の思考は、そんな那珂の一言で遮られた。彼女はやや俯き加減で、僕と目を合わせようとしない。話しかけておいて、固まってしまった。おいおい、那珂までおかしくなっちゃったんじゃないだろうな。
「ん? 何かわかった?」
 とりあえず先を促すと、彼女は小さく、首を横に振った。
「榛名、詳しいことは何も話そうとしないから、確信がある訳じゃないの。ただ、何となく感じただけなんだけど……」
 彼女はそこで一度言葉を区切ると、また俯いてしまった。本来活発な彼女には珍しいことだ。かなり深刻な話になるのを覚悟し、僕もやや緊張する。
「何を聞いても驚かないから」
 とりあえず覚悟を決めて、再度彼女を促す。
「言いづらいんだけど……、榛名にあの小説投稿するのやめさせた方がいいと思うの」
 そう言いながらも、彼女は頭を振る。
「ううん、それ以前にそのサイトとは手を切らせた方がいいと思う。もう二度と見に行かないように、そこの人と二度と関わらないように」
 どういうことかは良く分からないが、彼女は榛名とかなり突っ込んだ話をしたのだろう。その上でそのサイトに何らかの不審を抱いたという事だろうか?
「榛名ね、例の小説をずいぶん強引にそこのサイトに投稿することを承諾させたでしょ。あれね、多分、そこのサイトマスターの人と約束しちゃったからなんだと思う。榛名ね、なっちゃんの気持ちより、その人との約束の方を重視したんだよ」
 それは、結構衝撃的な発言だった。それが本当なら、意識しているにせよ、無意識なのにせよ、彼女の気持ちが僕から、そのサイトマスターの人に傾いている可能性があると言う事じゃないか。
「榛名が……、そう言ったの?」
 多分、そう聞いた僕の声は震えていたと思う。顔も青ざめていたかも知れない。
「榛名は否定したわ。思いっきり突っ込んで、その人の事もいろいろ聞いたし、どう思っているかも聞いた。でも榛名は、その人のことは何とも思っていないって言ったわ。ただ、素人作家として尊敬しているし、自分の目標としているだけだって」
「榛名がそう言うなら、本当にそうなんじゃないかな。彼女はそう言うことでは嘘をつかない娘だよ」
 彼女が二股かけるような女じゃ無いことはわかっていたが、僕の言い分は、半分は希望みたいなものだった。
「榛名は信じたくないんだと思うの。なっちゃん以外の誰かに惹かれ始めているって事に。あの娘、これまでになっちゃんをいっぱい傷つけてきたことに、負い目を感じているから。なっちゃんのこと、もう二度と傷つけたくないってホントに思っていると思うの。それにひょっとしたら、今はまだ、本当に自分の気持ちの変化に気付いていないかも知れないし」
 那珂の奴は、かなり確定的に彼女の気持ちを話す。まるで真実を知っているかのような口振りに、僕は少しだけ違和感を感じた。一つわかったのは、今彼女が言った言葉は、きっと以前に、彼女が感じた気持ちそのままなのだろうと言うこと。僕と別れて、高雄の奴と付き合い出した時の、彼女の中でおこった葛藤そのものなんだと思う。そう思ったら、ひょっとして僕を傷つけたというトラウマを感じているのは、榛名じゃなくって、彼女の方なのかも知れない。
「わかった。機会を見て一度、榛名とは話し合ってみるよ」
 とりあえずそう答えておいたが、僕はまだそんな気にはなれなかった。下手に彼女に干渉することで、気分を害するのもいやだったし、すごく嫉妬深い男に思われそうだったからだ。そんな僕の気持ちを見抜いたのか、那珂は諦めたような顔をして最後にこう言った。
「榛名は私が送って行くわ。でもその前に、小説を投稿するサイトだけは榛名からきいて一度見てみて。そこのBBSに彼女とその人とのやり取りが残っているから」
 初耳だった。彼女がBBSにまで顔を出しているなんて。那珂はそこで何かを見たのだろうか?
「那珂はそのBBSを見たの?」
 僕の問いかけに彼女は静かに、でもしっかりと頷いた後、懇願するような目でじっと僕を見つめた。


五.

No.1364 【Re:プロットの作り方?】
投稿者/ 榛名 [返信]
投稿日/ 2001年5月12日(土)21:32:33

Re:1358 TERUさん、(^o^)ノ

TERUさん、ありがとうございます。m(_ _)m
大変参考になります。φ(..)メモメモ
イヤハヤ、TERUさん初め、此処のオンライン作家の方々は私の師匠です。
もはや足を向けて寝られません。(−人−)
と、言うわけで今日から私の足は大切な彼の方を向けて寝ることとします。
(;゚-゚)ノ ヾ(^-^;;)オイオイ

P.S.
 初の二次創作、現在見直し中です。
近日中に送信しますので、その時はよろしくお願いします。

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No.1372 【Re:プロットの作り方?】
投稿者/ TERU [返信]
投稿日/ 2001年5月13日(日)01:02:05

> 榛名さん

> と、言うわけで今日から私の足は大切な彼の方を向けて寝ることとします。

それじゃあ、彼に申し訳ないです。
わたくしは一向にかまいませんので、じゃんじゃん足を向けてお休み下さい。(笑)

小説の方は了解しました。
どんな話を頂けるか、楽しみにしております。

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 榛名が東京に帰ったあの日、僕は駅まで彼女を見送りに行った。電車に乗る前に、小説を投稿するサイトのURLを教えて貰うことを約束したのち、当初の予定通りに那珂に送られて彼女は東京へと帰っていった。

Date: Mon, 7 May 2001 21:52:16 +0900
From: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
To: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
Subject: じゃじゃ〜ん

那智、元気? (^o^)ノ 榛名です。

一昨日はゴメンね。m(_ _)m
酔っぱらっちゃって、何やったか全然覚えていないの。(;_;)
なんかいっぱい迷惑かけちゃったね。
那珂から聞いたんだけど、私、なんかすごいこと言っちゃったんだて?
(*/o\*)キャ〜、はずかしい。

 そうそう、例の小説、投稿するの決めたのはいいんだけど……
へっへっへ
これって読み返してみたら、わかる人にはわかっちゃうよね。(^-^;
でも、そう言う人は読まなくても全部知っているわけだし、
読まれても平気だよね。 |_・;)チロ

と、言うわけで今日はこれまで〜
                 ((( ヽ(;^-^)ノ スタコラサ
あっ……
      \(・・;)))))) ドドド

言い忘れていた。
小説投稿するの下記のサイトね。
一応、見に行ってね。 (^_-)

http://www.momiji.ne.jp/~script1/

那珂がなんか心配していたけど、全然問題ないからね。
私は那智だけだから (^ε^)チュッ
あゞ、もうはずかしいから逃げちゃお
じゃぁね ((( ヽ(;^-^)ノ スタコラサ (((・_・;)ナゼニゲル?

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
Haruna Kirishima
haruna@tokyo-net.ne.jp
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


 那珂にもいろいろ言われていたため、早速そのサイトを覗きに行くことにした。那珂の奴は送っていきがてら、僕に話したように、榛名に投稿も、そこのサイトへの出入りもやめるように説得を試みたといっていた。その結果は一笑に付されたらしい。那珂にいわれてそのようなことをすれば、自らやましいことをしていると認めているようなものだと言うのが理由だった。その理由に那珂は納得できなかったらしく、帰ってくるなり僕に、やめさせないのなら、せめてしっかり監視するように何度も言ってきたんだ。でも、榛名からのメールを見る限り、そう心配することもなさそうなんだけど。
 小説系のサイトを訪問した場合、本来ならメインである小説をまず、読みに行くところなんだろうけれども、僕の目的はそのホームページを訪問する人と、榛名の関係だった。とりあえず、那珂が何を見て、僕に忠告をしてきたのかを確認しなくてはいけない。だからまず、作者のプロフィールを見に行き、その後BBSのログを片っ端から読みあさった。そして最後に小説を何作か読んでみることとした。
 僕が、収集した情報の中から得た、サイトマスターTERUさんの印象を言えば、結構いい人だった。公開されているホームページ自体のセンスもいいし、そこのBBSに集う人達も、彼の人柄のせいか、変な人はいないようだった。それに彼の書いた小説自体は、榛名が心酔するのもわかるほど読みやすく、面白い。常連さん達からは、まるで遊び人のように言われたりしてからかわれているけど、その実、結構誠実そうだ。BBSなんかでも、他人の発言にこまめにレスを返しているし、真剣な相談などがあれば、実に親身になって答えている。プロフィールを見てわかったが、彼は僕らよりも十以上年上なのだ。包容力もあるし、彼のような男に言い寄られたら榛名の気持ちも本当に傾くかも知れない。
 欠点? をしいてあげるなら、彼の書く小説に出てくる主人公の性格にやや問題があるかも知れない事ぐらいだろう。ネット上では、本当にその人の姿を捕まえることは難しい。小説の中に出てくる主人公達の姿が、あるいはBBSでみんなからささやかれている姿がそのまま、彼の本当の姿でないことを祈るばかりだった。

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アップ 投稿者:TERU 投稿日:2001/05/17(Thu) 01:15 No.361

榛名さんの「花嫁の事情」アップしました。

純粋な恋愛ものですね。ひょっとして榛名さんの体験談が元になってる?
あ、す、すみません。
深くは突っ込まないから許して


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Re:アップ 投稿者:榛名 投稿日:2001/05/18(Fri) 07:12 No.364

> TERUさん

そう言うこと書くかぁσ(-_-メ)
UPするの渋られたいきさつは、話したでしょうに(ノヘ;)
これで、彼と破局を迎えたりしたらTERUさんに責任とってもらうから
で、読んで下さる皆さん、このお話はフィクションであり、実在の人物、
団体等とは一切関係ありません。あってもそう言うことにしておいて下さい。
って墓穴掘ってるじゃないσ(^^;;;

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アップ 投稿者:TERU 投稿日:2001/05/18(Fri) 17:03 No.366

> 榛名さん

わ、ごめんなさい。つい筆がすべったんです。
でも、もしもの時はしっかり責任とって、ベットの上で慰めてあげますから
って、な、なんか榛名さんの殺気を感じる。
冗談はさておき、これで榛名さんにすてきな彼氏がいることも、二人の間に余人が入り込む隙間もないくらいラブラブなのも判りますから、悪い虫が付く事もなくなって、かえって彼は、安心するんじゃないでしょうか?
ダメ?
じゃあ、これを読んでいる皆さん、
榛名さんは既に売約済みですから、手を出しちゃダメですよ(笑)

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 その後も僕は、彼女とTERUさんのやり取りを、ずっと見守り続けた。端から見ていると、二人の仲はかなり親密に見える。僕から見れば、会話の中にも結構きついものがあったりするし、はじめのうちは結構ドギマギしたもんだった。でも彼は誰と接するときも、そんな感じだった。なかなかフレンドリー(と、表現してよいのかはわからないが)な性格なのだろう。榛名以外の女性客にも一見、ナンパかと見まごうような発言が飛び出している。そのため僕は未だに判断できないでいた。彼がただ軽い男を演じているだけなのか、それとも本当に遊び人なのか。
 そして二人のやり取りを見ていて、もうひとつ気になったことがある。
> UPするの渋られたいきさつは、話したでしょうに(ノヘ;)
 榛名の発言にあるこの行、過去ログをさかのぼって見たけれども、彼女がその話をBBSでした形跡は全くない。僕が小説を投稿するのを渋ったとすれば、それはゴールデンウィークに彼女が帰省したときだ。でも、彼女が帰ってから、この発言が飛び出す迄の間、彼女の書き込みは一切BBSに無かったのだ。それは彼女たちが、BBS意外でもコミュニケーションをとっていると言うことになる。何となく、その事が胸に引っかかった。

Date: Fri, 18 May 2001 23:12:07 +0900
From: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
To: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
Subject: 小説、改めて読みました

那智です。

ホームページに投稿された小説、改めて読みました。
感想は、もう好きにして下さいです。
確かに、これを読んでなんのことかわかる奴は、全てを知っているんだけどね。
それでも、そいつらが読んだりして、改めて思い出されたりするかと思うと、やっぱり恥ずかしいよ。
榛名が投稿したサイト、ゆっくり見せて貰ったけど、和気藹々としてすごく、雰囲気のいいところだね。
TERUさんって言ったけ?
彼の書く小説を読んだら、榛名が心酔するのもわかる気がしたよ。
彼は大人だね。
ときどき、自分でも言っているみたいだけれど、まさにナイスガイだよ。
なんか、いろいろ見ていて、かなわないなって思わされた。
なんか、何が言いたいのかわからなくなってきたので、今日はこれまで。
また、メール待ってます。

P.S.

この前のことは気にしないでね。
僕も、酔っぱらい榛名を初体験出来て面白かったから。
でも、これからはみんなのいるところでは勘弁。
じゃあ。

******** 喫茶「吾眠」 *********
nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp
******** Nachi Haguro *********

 とりあえず、榛名にメールを送ったものの、後から読み返して、自分が嫌になった。なんか、すごく嫌なメールだ。まるで奥歯に物がはさがっているような、言いたいことがあるのに、はっきり言わずに遠回しに匂わせるだけのメール。那珂からいろいろ言われて、敏感になっている彼女には、きっと僕のもやもやが伝わってしまうだろう。そう思ったら、彼女からの返信メールを受け取るのが、なにか怖くなってしまった。


六.

「Spring   01 5 19 23:42 ふ〜ん、大体の事情は飲み込めたけど……」
「Spring   01 5 19 23:44 (;´o`)=3 はぁ、どこもみんな同じなのかな」
「Pianoman  01 5 19 23:45 ??? Springさんもなんかあったの?」
 僕は、胸に抱えているもやもやを消化できずに、Springさんに相談してみた。きっと彼女なら明るく、僕の不安を吹き飛ばしてくれると思ったのだ。根拠はなかったけれど。同じような境遇のものどうし、これまで一方がへこめば、もう一方が持ち上げるとかして、お互いの遠距離恋愛を支え合ってきたのだから。でも、今回はちょっと雲行きが怪しい。
「Spring   01 5 19 23:48 女ってだめだよね。……(;_;)」
 なんか意味深な発言だ。いつもの彼女と様子が違う。
 いつもの彼女なら、決して話を深刻にしないで、笑い飛ばすか、僕をおちょくる方向へと、話を持っていく。そうやって明るい雰囲気を保ちつつ、ちゃんと相談にのってくれるのだ。ところが、今の彼女は、僕以上にへこんでいるように見える。
「Pianoman  01 5 19 23:50 なんかSpringさんの方がへこんでいるみたいだね」
 今日の彼女はレスポンスも悪い。いつもなら、彼女の方からポンポンメッセージが飛び込んで来るぐらいなのに。まだ、キーボード操作のおぼつかない、僕の方がついていくのがやっとなくらいに。
「Spring   01 5 19 23:53 私の方、危ないかも知れない……」
「Pianoman  01 5 19 23:54 それって、彼が浮気していたとか?」
「Spring   01 5 19 23:56 (;_; )( ;_;)(;_; )( ;_;)、私が悪いの……」
 何となく、その返事は想像がついていた。最初に彼女は、自分を責めるような発言をしていたし、それに、榛名のことも頭にあったから。彼女と榛名とは違うと、頭では判断しているつもりでも、どこかで混同しているのかも知れない。
「Pianoman  01 5 19 23:57 彼のことを嫌いになっちゃった?」
「Spring   01 5 19 23:59 彼のことは、今でも好き。だけど……」
「Spring   01 5 20 00:00 だけど、前みたいにときめかなくなっちゃったの」
 何となくこの間、帰省してきたときの、榛名のことを思いだした。いつになくよそよそしく、二人っきりになるのを避けていた節のある彼女。ひょとしたら彼女も今、Springさんと同じような状態なのだろうか?
 僕が、東京にいる彼女に不安を抱き、まるでそれが彼女とは別人のように感じるのと同様に、彼女も今の僕に、昔とは違う別の何かを感じているのかも知れない。別々に過ごしていればどうしてもお互いに知らない部分が増えてくる。それは、いくら情報を集めようとも埋まる物ではなく、このまま二人の仲が続いたとしても、ずっと同じ関係でいることは出来ないのかも知れない。彼女が帰ってきたとき、新しいお互いを認め合って、また新たな関係を築いていかなければならないのかも知れない。果たしてそれが出来るのだろうか? そんな不安が胸をよぎる。でもSpringさんの状況はもっと深刻だった。
「Spring   01 5 20 00:03 彼のことは好きだけど、他にも好きな人が出来たかも知れない……」
 この発言を見たとき、僕はそれがSpringさんから送られてきた物とは、にわかに信じ難かった。少なくとも、これまでの感じからでは、彼女にそんな様子は見られなかった。いつも彼の事をのろけていたし、僕が、榛名に対して不安を感じていたときには、きつく叱ってくれたりもしたんだ。遠距離恋愛って長続きしないことが多いっていうけれど、自分は絶対にそうはならないって、胸を張って(実際に胸張ってるのを見た訳じゃないけれど)言っていたのに。そんな彼女が、彼氏以外の人を好きになるなんてちょっと信じられない気持ちだった。
「Pianoman  01 5 20 00:05 その人のこと、彼よりも好きなの?」
「Spring   01 5 20 00:06 まだ、好きって言えるようなレベルじゃないの」
「Spring   01 5 20 00:07 ほんのチョット、気になるっていう程度なんだけど……」
「Pianoman  01 5 20 00:08 なら、大丈夫だよ」
「Pianoman  01 5 20 00:08 彼と会うなり、電話するなりしてさ、じっくり話でもすれば、きっと気持ちも彼のところに戻るよ」
 僕は、慰めのと言うより説得のメッセージを彼女に送り続けた。後から思うとそれは、まるで浮気された自分の彼女を、何とかしてもう一度自分の元に取り戻そうとしているみたいだった。彼女たちがだめになると、僕と榛名の間にも破局が訪れるように感じていたのかも知れない。それぞれは別のカップルであるはずなのに、僕の中で、いつの間にか運命共同体みたいになっていたんだ。
 結局、その日はいつもより遅くまで話し合っていたが、結論は出ずに彼女はがんばってみるとだけ言い残して、Qを落ちた。彼女が落ちた後、Qのログを見返していて、なんか僕は自分勝手にSpringさん達にこうあって欲しいっていう理想像を押しつけていたように思えた。お互いずっと支え合ってはきたけれど、今回のことも基本的には彼女たちの問題で、必要以上に踏みいってはいけないはずだ。うまくいくも、だめになるもそれは、彼女たちが決めることであって、僕に出来るのはせいぜい、彼女の気持ちを聞いてあげて、彼女が願っている方向を一緒に模索してあげる程度でしか無いはずだった。それが気が付けば、僕は彼女に彼と別れることが罪悪のように言い、彼との関係修復を強要するかのような発言をしていた。僕は何となく、後味が悪くなって、彼女に謝罪のメールを打った後、床についた。
 その夜床に付きはしたものの、目がさえてなかなか寝付くことが出来なかった。Qの中でSpringさんが言っていた言葉が、目に焼き付いて離れない。
「Spring   01 5 20 01:27 やっぱり、人のぬくもりって大事なんだと思うの」
「Spring   01 5 20 00:35 側にいて、自分のことを見てくれる人がいた時に、その人に気持ちが傾いてしまうことがあっても、仕方ないことなんだって思うようになったの」
「Spring   01 5 20 01:44 今はまだ、彼のことが好き。でもこれから先のことを考えると判らないの」
「Spring   01 5 20 01:44 このままだと、いずれそばで暖めてくれる人の方へ本当に気持ちが動いちゃうかも知れない」
 それは、自分の彼氏にも言えない、彼女の偽りのない気持ち。不安定な状況に対する脅え、そして自分の内面の変化への戸惑い。多分いつも側にいて、笑いあっていれば感じることのない悩み。全ては遠距離恋愛というお互いの姿が見えない状況がもたらしたことだ。そしてそれは彼女だけでなく、榛名にもあり得ること。彼女も、今は僕を一番に想っていてくれるかも知れない。でも、具体的な相手が側に現れたら……。那珂はその事に気付いて、僕や榛名に警告してくれたのかも知れない。僕はこの時初めて、以前誰かから聞いた「体温の感じられる距離」と言う物の重要性が理解できる気がした。結局とても寝ていられなくなり、僕は一度落としたパソコンに再度火を入れた。

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No.996 【はじめまして】
投稿者/ 榛名
投稿日/ 2001年2月10日(土)23:16:33

はじめまして、(^o^)ノ 榛名って言います。
某私立大の文学部一回生で文芸サークルに所属してます。
このサイトはサークルの先輩に教えて貰いました。

「花嫁の理由」を読んで、TERUさんの書く小説にすっかり魅入られてしまいました。
私も小説書いてるんですよ。(^^)
これからちょくちょく顔を出したいと思いますので、いろいろ教えて下さい。m(_ _)m
とりあえず、ご挨拶まで。

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No.998【Re:はじめまして】
投稿者/ TERU
投稿日/ 2001年2月11日(日)00:27:05

榛名さん、はじめまして!
「花嫁の理由」読んでいただいたんですね。ありがとうございます。
すっかり魅入られちゃったなんて、まいったな。
平凡なはずなのに女性が僕をほっておいてくれない。
えっ? 僕じゃなくて小説の方?
残念。いえいえ、それもとっても嬉しいですよ。何をお教えできるかわかりませんが、これから何でも書き込んで下さいね。
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No.1088【師匠と呼ばせて下さい。】
投稿者/ 榛名
投稿日/ 2001年2月24日(土)23:08:48

TERUさん、こんばんは!
この二週間でTERUさんの作品全て読破しました。(^_^)V
もう、感動の嵐です。よくもこんなにいろんなジャンルが書ける物だと
感心しました。ラブコメなんて本当に面白くって途中で何度もお腹抱え
ちゃうくらいなのに、ホラーは本当に怖くってそのままふとんかぶって
寝ちゃいました。(;_;)
私もこんな風にいろんなお話が書けるようになりたいなぁ。
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No.1090【Re:師匠と呼ばせて下さい。】
投稿者/ TERU
投稿日/ 2001年2月25日(日)01:38:29

うはは。師匠でも、先生でも、ご主人様でもお好きなように及び下さい。
えっ? 最後のはなんか違う?
まあ、細かいところは気にせずにって、気になりますよね(笑)。
ホラーそんなに怖かったですか。嬉しいですね。
あの作品は……
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No.1095【Re:師匠と呼ばせて下さい。】
投稿者/ 榛名
投稿日/ 2001年2月25日(日)23:22:14

TERUさん、こんばんは!
> うはは。師匠でも、先生でも、ご主人様でもお好きなように及び下さい。
はい、ご主人様♪
 って、誰が呼ぶか〜! o(・_・θ"" キック"
残念ながら私にはそう言う趣味はありません。
よってこれからも師匠でいかせていただきます。(^^)

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No.1101【Re:師匠と呼ばせて下さい。】
投稿者/ TERU
投稿日/ 2001年2月25日(日)23:58:57

""θ゚o。)アウ
ってやればいいんでしたっけ?
でもいいなあ。榛名さんにご主人様なんて呼ばれたら何でもしちゃうって感じ。
やっぱりご主人様にしません? あっ冗談です。また蹴らないで(笑)。

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No.1185【やったぁ! \(^o^)/】
投稿者/ 榛名
投稿日/ 2001年4月10日(火)23:39:08

TERUさん、こんばんは!
(^ー^)フフフ (・_・;)ナゼワラウ?
50000番踏みました。さぁ、これでリクエスト権は私の物。(^_^)V
どんなのリクエスト仕様かなぁ|_・)チロ
甘々の少女漫画みたいな奴とか、男性同士の恋愛話とか(^ー^)
覚悟しておいて下さいね。ご・しゅ・じ・ん・さ・ま♪

以前何でも言うことを訊いてくれるというのを覚えていたらしい↑

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No.1189【Re:やったぁ! \(^o^)/】
投稿者/ TERU
投稿日/ 2001年4月11日(火)01:17:26

榛名さん、50000番おめでとうございます。
しょ、少女漫画ですか? 男同士の恋愛ですか?
いいでしょう。何でも書きますよ。
とはいえ本音は勘弁して下さい。
ご主人様じゃなくてTERUって呼び捨てでいいですから(笑)。

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No.1193【Re:やったぁ! \(^o^)/】
投稿者/ 榛名
投稿日/ 2001年4月11日(火)01:23:55

TERUさん、こんばんは!
> とはいえ本音は勘弁して下さい。
冗談です。
どちらも私の趣味じゃありませんから。(^^)
お得意のラブコメでいいですよ。
ただ、舞台を喫茶店にして下さい。それだけで後はお任せします。
でも、完成はいつになるんだろう?
がんばってね。ご主人様< くどい

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「なっちゃん、なんかすごく眠たそうだね」
 翌日、那珂にそう言われるほど僕の目は澱んでいた。夕べは結局、一睡もしていない。気になって榛名が出入りしているサイトのBBSのログを見返したり、彼女から来たメールを読み返したりしているうちに、気が付いたら夜が明けてしまった。そして、それだけの労力と時間を使って得たものは、何もなかった。限られた情報では、いくら探しても、虫食いだらけのジグソーパズルのように全体をつかみ得なかった。見方によっては、白とも黒とも取れる。疑い出せば、際限ない。でも、だからといって、それが隠された彼女の心を裏付ける材料とは決してなり得ないのだ。
「なっちゃん、夕べ夜更かししていたでしょ?」
 気を抜くと、直ぐ横で話している那珂の声も遠くに聞こえる。
「ん、ちょっとやりたいことがあって……」
 やっとの事で、そう答える僕に、那珂はニヤニヤと笑みを浮かべる。
「ふ〜ん。随分と急ぎの用事だったんだね。明け方まで電気ついていたでしょ。窓にずっと影が映っていたからわかるんだ。パソコンの前に居たこともね」
 これだから僕は隠し事が出来ない。僕のすることは全部監視されていて、榛名の奴に筒抜けなんだ。このことも、今日当たりにはメールか何かで、榛名の元に届くのだろう。ひょっとすると、もう届いているかも知れない。
「別に帳簿の整理とかしていただけだよ」
「別にだれもそんなこと聞いていないでしょ。安心して、榛名には言っていないから。微妙な時期の恋人達に、必要以上のスパイスなんて与えないわよ」
 那珂の奴はそう言うと悪魔のような笑みを浮かべた。こいつ、何か隠しているな。
 那珂は単純な娘だ。思っていることが直ぐに顔に出る。不思議なことに、本人はその自覚が全くないのだけれど。そして、彼女は僕のことを一から十まで全て知っていると思いこんでいる。生まれたときからの付き合いなのだから、あながちそれも間違いでは無いのだけれど、それは僕にとっても言えると言うことを彼女は忘れている。僕だって那珂のことは十分知り尽くしているつもりだ。だから、彼女は榛名と違って、僕をはめる事など出来ないのだ。
「まあ、なっちゃんは榛名のことだけ考えていなさい。せいぜい浮気されないように」
そう言ってポンポンと肩を叩く。
 深刻なはずの台詞を、やけに軽く話すじゃないか。榛名が東京に帰る時とは偉い違いだぞ。それだけで、大凡の事情がわかってしまう。榛名の奴が、何かの計画に(それは、おそらく僕をおちょくる計画に違いないのだが)那珂を引き込んだのだろうけれど、こいつを計画に引き入れた瞬間に、その計画が破綻したと言っても良い。
 大凡の事情をつかんだ僕としては、後は那珂の口から、確信を得るだけのことだ。ただ、そのまま問いつめたんじゃあ、さすがに答えてはくれない。答えを導き出すためには、彼女が単純なことを利用して、ちょっとひねってやるんだ。

「そうだな……、僕と榛名は本当にもう、ダメになるかも知れない」
 目線をそらし、わざと声のトーンを落として呟く。
「この間でもきっちり避けられていたし。榛名の奴、本当は別れ話がしたかったけど、きっかけが掴めずにいたんじゃないのかな?」
 そして此処で、遠い目、遠い目。なんかこう、思い詰めたように見せる。そうしたら案の定、那珂の奴慌てだした。
「そ、そんなことないよ。榛名はなっちゃんのことちゃんと想っているよ」
 はい、見事魚は網に引っかかりました。
「でも、榛名の奴、なんか変わっちゃったもんな。向こうに新しい男でも出来たのかも知れない」
「絶対にそんなことない! 私がちゃんと確認してきたもん!」
「確認してきたって、一日や二日泊まっただけで、どう確認するの?」
「そ、それは……」
 ほら詰まった。確認なんてなんにもしてないから。多分榛名に計画を打ち明けられて、彼女のシナリオ通りに動いていただけなんだろう。だからアドリブが利かない。
「は、歯ブラシだって、一本しかなかったし、ひげ剃りとかも無かったし、椅子とかに男物のシャツが、掛かってるなんて事も無かったから」
 おいおい、君の中では既に、榛名は他の男と同棲しちゃってるんですか? それに、万一、ホントに男がいても、それくらいの隠蔽工作はするでしょ? そんなだったら、ホントに絵に描いたような同棲生活のある風景じゃないですか。
「まだ、そこまでの関係じゃないだけかもしれ無いじゃないか」
 ため息混じりに一言。もう後一押しだ。
「と、とにかく男っ気なんてこれっぽっちも無かったんだから」
 大げさな身振りを交えて僕を説き伏せようとする那珂。でも彼女は、本来の役目をもう忘れている。榛名が僕をおちょくる事の片棒を担ぐのなら、僕の不安を全て取り除いてはだめだ。不安を適度に煽りながら、僕が極端な行動に出ないように抑制しなくてはいけない。そんな複雑な役目は彼女に無理なのだ。
「それじゃあ、榛名が東京に帰るときに、那珂が言っていた不安は、完全な思い過ごしだったんだね」
 はい、トドメ。
「あっ!」
 あからさまにしまったという顔をする那珂。それでなくても暴走気味の彼女の頭は、これで完全にハングアップした。
「いや、それは心配したほうがいいけれども……、で、でも浮気はしないと思うし……」
 口を開けば開くほど、ドツボにはまっていく。
「那珂に、榛名の演技力の半分でもあればねぇ」
 大げさに嘆いてみせる僕を、那珂は恨めしそうな顔で見上げた。
「いつ、気付いたの?」
 くやしそうに、そう呟く。
「しまりのない顔をして、近づいてきたときから」

 結局、那珂の口から聞き出した榛名の計画は、実に他愛のないものだった。那珂から僕が夜遅くまでパソコンでなにかやっていることを聞いた榛名は、自分には週に一、二通しかメールを寄こさないくせに、僕が夜更かししている事が気に入らなかったらしい。それでわざと僕を不安に陥れて、もっと自分の方を見るようにさせようと思ったのがそもそもの今回の計画だったそうだ。はじめは榛名一人でやるつもりでいたらしい。だが榛名の奴、自分で立てた計画ながら、滅多に会えない僕と思うように会話もできないことにいらだち、東京へ帰る前日に、飲めないアルコールを摂取し、酔いつぶれてしまった。この辺が榛名もドジなんだけど、それで那珂に目を付けられてしまうこととなる。夜通し、何があったのかしつこく聞かれ、その上東京までついてこられてしまった榛名は、仕方なく那珂を仲間に引き入れたのだそうだ。
「酔いつぶれなきゃならないほど、ストレスが溜まるのなら、最初っからそんなことしなければいいのに……」
僕は、小さく一つため息をついた。
「遠距離恋愛に不安を抱えているのは榛名だって一緒なんだよ。それなのになっちゃんが、浮気しているかも知れないってなったら……」
 僕は、もうひとつ小さくため息をつく。
「あのね、那珂さん、今度から、榛名に何か言う前に、僕に確認してくれるかな」
「聞いたら正直に話すの?」
「話すよ。これまでも、榛名と那珂には隠し事なんてしたことないのに、信用無いんだね」
 そう言いつつも、SpringさんとのQとのことも榛名には話しておいた方が、いいのだろうかと僕は悩んでいた。


七.

Date: Sat, 26 May 2001 22:48:24 +0900
From: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
To: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
Subject: ごめん

那智です。

那珂から全部聞きました。
確かにもっと頻繁に連絡取れるはずなのに、ここのところさぼっていたと言われても仕方ないと思い反省しています。
でも、メールってどうしても堅くなっちゃって、なんか雑談しにくいんだよね。
チャットとかみたいにリアルタイムだといろいろ無駄話も出来るんだけど。
ちなみに、今僕は、ICQ(以後Qと略します。)ってやつにはまっています。
Qはインターネットの電報って言われるけど、特定の人とチャットみたいにリアルタイムに会話できるんです。
榛名も一度やってみない?
ソフトウェアとかはフリーだから電話代だけで後はお金もかからないし。
僕が最近夜更かしなのも、このQで色々とおしゃべりしているからなんだ。
Q仲間の一人に僕たちと同じような境遇(遠距離恋愛中)の人がいて、よくお互いに励まし合っています。
一応、僕のICQアドレス教えておくから、もし入手したらメッセージ下さい。
ICQアドレス 1120163xx

******** 喫茶「吾眠」 *********
nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp
******** Nachi Haguro *********

 暫く悩んだ末に、僕は榛名にSpringさんとのことを打ち明けておくことにした。ただしSpringさんが女性だと言うことは伏せておいて。それは彼女には隠し事はしたくないけれど、よけいな心配をさせたくなかったからだ。とりあえずQで毎晩お話していると言うことだけは伝えたと言うことで、隠し事もしていないと自分に納得させた。とりあえずQの事だけ話したのも、毎晩遅くまで何やっているのか、変な疑いをもたれないようにするためもあった。何も話さないでいて変に勘ぐられるのはゴメンだった。そんなことで榛名にへそを曲げられて、次の帰省もフイにしたくはない。

Date: Sun, 27 May 2001 23:02:33 +0900
From: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
To: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
Subject: (ー_ー;

那智へ

ふ〜ん、私のことほっておいて、Qとやらで浮気してたんだ。
そのQの相手って実は女の子なんじゃないの?
Qの相手の事を人って言ってるもんね。
男の人ならいつも奴って書くもんね。>那智
そうやってさりげなく私が不安を抱かないようにしてくれてたのわかってるんだから。
だから今回のことはちょっとショックです。
相手が女の子だって言うことを隠そうとしたこと、私のほうよりもその娘とよくおしゃべりしていること。

私、那智のこと信じていていいのかな。
那智の言葉を信じて、勧められるままにこっちに来ちゃったけど、四年経ってそっちに帰ったときに、私ちゃんと迎えて貰えるのかな。
なんか、何信じていいのかわからなくなっちゃいそう。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
Haruna Kirishima
haruna@tokyo-net.ne.jp
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


 女の勘が鋭いのか、それとも彼女の洞察力が鋭いのか。僕は自分にそんな癖があるなんてこれまで全く気付いていなかった。男の場合、奴って言っていたとしたら、榛名の言うように、彼女に気を使ったわけでなく、無意識のうちにしていたんだと思う。変に心配かけないようにと思ったことが、かえって裏目に出てしまった。
 確かに、彼女に東京の大学への進学を勧めたのは僕だ。彼女にはそれだけの力があったし、彼女の夢のことを考えれば、それが一番良いと思ったからだ。趣味で書き始めたという小説だったが、本を読む習慣のない僕にとって、彼女は唯一の作家であり、それが彼女の夢であるなら、可能な限り支えてやりたいと思った。
 しかし、今の彼女を見ていると、僕のとった決断が本当に正しかったのかわからなくなってきた。彼女の夢は、プロの小説家になること。でも彼女が望んだのは、僕の側にいること。今にして思えば、決して両立出来ないことではなかったのかも知れない。才能があるのであれば、どこにいても芽を出したであろうし、ダメならば、どこに行ってもダメなものだ。でも、僕は彼女に後悔して欲しくなかった。東京の大学で学ぶことで夢が実現する可能性が僅かでも高まるのであれば、そうして欲しかった。やれるだけのことをして欲しかった。
 彼女が東京へ行けば、最低四年は離ればなれとなる。その間に彼女が認められてデビューする事にでもなれば、もっと長引くかも知れない。それは覚悟の上だった。それを乗り切れば、後はいつでも一緒にいられるはずなのだから。でも、それは甘い考えだったのかも知れない。現に今、彼女は不安を感じている。それは全て僕のいたらなさのせいであり、例のメールが彼女の不安をかき立てたことは確かだ。僕はどうしたらいいんだろうか?
 件のメールの返信を最後に僕は榛名と連絡が取れなくなってしまった。メールはもちろんだけれども電話も通じない。彼女の返事を貰ってからメールは毎日送ったし、三日経っても返信がなかったので、それからは電話もかけてみた。しかしいくらかけてもむなしくコールするだけで、一向にでる気配はなかった。そして彼女と連絡が取れなくなって一週間が過ぎる頃、それまでコールし続けた電話が突然留守電に変わってしまった。それはつまり、少なくともそれまでは榛名が居留守を使っていたと言うことに他ならない。僕はそこまで彼女の信用を失ってしまったのだろうか?
 ひょっとしてと思って覗いた例のサイトのBBSにも榛名の姿はなかった。最後に書き込みがあったのは五月二十七日。最後通牒のようなメールがあった日だ。それ以降、榛名は完全に外界と、いや考えようによっては僕をシャットダウンした形になっている。ひょっとしたら他の人とはメールのやり取りくらいはしているのかも知れない。でも、僕の前からは完全に姿を消してしまったんだ。残る手段は直接彼女に会いに行くしかない。僕は途方に暮れた。

 榛名の電話が留守電になってから二日たった。メールも送ったし留守電にもメッセージを入れておいた。Qの相手が女性であることをかくしたことを詫び、Springさんとのことを正直に話すと共に、かくしたのは後ろめたさからではなく、変に心配をかけないようにするためだったことを強調した。それだけ話すのにすごく手間取り、録音時間を大幅に超えたため、七回も電話をかけ直す羽目になった。果たして居留守を使った彼女がそれを部屋で聞いていたのか、それとも本当に外出していて後から聞くことになるのかはわからない。ただ言えることは未だにその返事が来ないと言うことだ。
 BBSも毎日覗いてみるけれども、彼女が書き込みをすることはなかった。そのかわりひとつ気になることを発見した。あのサイトマスターのTERUさんと言う人もここ二日ばかり書き込みがない。これは偶然なのだろうか……。僕の胸を不安がよぎった。

「かっこー」
 榛名の電話が留守電になってから三日目、突然Qの着信音が鳴った。ひょっとして榛名が? そう思い慌ててメッセージを開いたが、送り主はSpringさんだった。そう言えばSpringさんとも長いことお話をしていなかったように思える。一体いつから話していないのだろう? ここのところ榛名の方にかかりっきりですっかり彼女の存在を忘れていた。

「Spring   01 6 6 23:05 お久! 起きているかな〜! (^o^)ノ」
 前に話したときとはうって変わって陽気なメッセージ。いつもなら落ち込んでいる僕をも元気づけてくれるはずのそれが今はとても忌々しく感じる。とてもパワーあふれる彼女の相手をするだけの精神的余裕は、今の僕にはなかった。
「Pianoman  01 6 6 23:07 起きてはいるけど……」
「Spring   01 6 6 23:08 なんか落ち込んでるみたいだね。(^-^;」
「Pianoman  01 6 6 23:09 うん、ちょっと。だから今日はヘビーな話は無理みたい」
「Spring   01 6 6 23:09 そりゃ重傷だね。ま、わたしもこの間までそうだったんだけどね」
「Spring   01 6 6 23:10 ようやく吹っ切れたかなって感じ。(^_^)V」
 メッセージを見る限りSpringさんは完全に立ち直ったようだった。彼と巧くいくようになったんだろうか?
「Spring   01 6 6 23:11 ふふふ、うちの馬鹿浮気していたみたいだからお返ししちゃった。\(^o^)/」
 !?
 お返しって? まさかSpringさんも浮気しちゃったと言うことなのだろうか?
 Springさんの彼は、彼女の話からではすごく実直な彼で、とても浮気するような人には思えなかったのだけれども、その彼が浮気ねぇ。そう考えたとき、自分も榛名に浮気と勘違いされていることを思い出した。
「Spring   01 6 6 23:12 Net恋愛って言うの? あいつってば毎晩わたしを差し置いて他の女の子とnet上でデートしていたみたいなの」(ノヘ・)
「Spring   01 6 6 23:12 それを無理に隠そうとしたからぼろが出てね」
「Spring   01 6 6 23:13 それならわたしも浮気してやる〜! って(゚ー゚)フフフ」
 なんかどこかできいたことのあるような話だ。でもそれってNet上での事なのだろう? それを言うならSpringさんも彼のこと責められないんじゃないだろうか? 彼にしてみれば僕とのことも浮気に見えるかも知れない。
「Spring   01 6 6 23:14 ここのところ彼のことが信じられなくなっちゃって、ある人にいろいろ相談していたのだけれど」
「Spring   01 6 6 23:15 ついにね、先日一線越えちゃった ヾ(・_・;;)オイオイ」
「Pianoman  01 6 6 23:17 それって……」
 何か言おうと思ったけど、何を言って良いのかわからなかった。もし彼の浮気が本当だったとしてもそれはNet上のことだ。それはバーチャルの世界でしかない。もちろん放っておけばそれが現実になることもあるわけだけれども。しかしそれをとがめるのでなく、自分も浮気をするなんて。それも彼みたいなバーチャルではなく、オフラインでの浮気を。
「Spring   01 6 6 23:18 此処二日ばかりある人と旅行に行っていたの」
「Spring   01 6 6 23:18 一応わたしの傷心旅行に付き合うって事だったんだけど」
「Spring   01 6 6 23:19 男の人の慰め方ってやっぱりああなっちゃうんだよね  (*^o^*)」
 僕は彼女に対して激しい怒りを覚えていた。何でそんなにあっけらかんとそう言うことを言えるんだ! 君は事の真相をちゃんと彼に確かめたのか? もし、彼の浮気が間違いだったら、榛名が僕のことを浮気と思ったように単なる思いこみでしかなかったらどうするつもりなんだ。
 しかしそれだけならば所詮他人事。今の僕にはそれどころではない。しかし此処に来て僕はひとつの疑問を感じざるを得なかった。Springさん、君は一体誰なんだ?
「Spring   01 6 6 23:20 わたしが悩んでいる間、メールやら電話やらでいろいろあいつコンタクト取ろうとしたみたいだし」
「Spring   01 6 6 23:21 わたしがいない間に留守電にいいわけをいっぱい入れていたけど、もう遅いよね」
「Spring   01 6 6 23:22 まだ、彼にはわたしのこと話してはいないけど、元には戻れないもん」
「Spring   01 6 6 23:23 彼がこのことを知って許せないって言うならもうしょうがないかな」
「Spring   01 6 6 23:24 彼のことは今でも一番好きだけど、こうなっちゃった以上どうしようもないもの」
「Spring   01 6 6 23:25 そう思ってみんな吹っ切ることにしたの」
 彼女は一方的にメッセージを送り続けてくる。それを読みながらも僕はあることを確認するために例のサイトを検索かけていた。そう、此処数日のTERUという人の動向を探る。それでSpringさんが誰なのかきっとはっきりするだろう。
 そしてその結果、僕の推理が間違いであって欲しいと言う期待は見事に裏切られた。
 僕は無言のうちに、此処数日ですっかり覚えたしまった電話番号を押す。数回のコールのうち聞こえてきたのは
「はい? 霧島です」
 久しぶりに聞く僕の彼女、霧島榛名の声だった。


八.

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No.1422 【留守にします。】
投稿者/ TERU [返信]
投稿日/ 2001年6月3日(金)19:12:45

えっと、今夜から仕事をかねて旅行に行くため留守にします。
ゴールデンウィークはハニーが実家帰っちゃって遊べなかったため、仕事メインながらの振り替え旅行です。昼間は仕事なので別行動ですが、夜は当然同じ宿ですから。ムフ。
え? 誤解ですよ。そんな皆さんが考えているような事じゃありませんてば。
じゃあ、ハニーそろそろ行こうか

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 やはりTERUさんと言う人は、旅行に行っていた。Springさんが告白した日程と寸分違わぬ日に。これまでSpringさんとTERUさんの接点は全く見つかっていない。あるのは榛名とTERUさんのものだけだ。接点の見つからない二人が同じ時期に旅行? 偶然と言えばそれまでだけれども、両方とも男女での旅行をほのめかしている。そこまで偶然があり得るだろうか? しかもこの平日に。
 僕はとことんおめでたい奴だった。僕はこれまでずっとQで榛名を感じさせる人と話をしてきた。でもそれは榛名を感じさせる人じゃない。榛名自身とずっと話していたんだ。こんな風になるまでそれに気付かなかったなんて本当に僕は大馬鹿者だった。
 今回のことに限らず榛名とSpringを結びつける要素はいくらでもあった。ゴールデンウィークの日程に始まり、その後のトラブル。ネット上から姿を消した期間。現象だけでもこれらがぴったり一致する。その上、Springさんと榛名は文章から受けるイメージ。そして榛名が東京に戻ってから送ってきたメールに書かれたとある一行
> じゃぁね ((( ヽ(;^-^)ノ スタコラサ (((・_・;)ナゼニゲル?
文字流何故派なのはSpringさんであって、榛名ではないはずだ。

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No.1430 【ただいま】
投稿者/ TERU [返信]
投稿日/ 2001年6月5日(日)22:38:05

今、帰ってきました。
気分も身体もリフレッシュ。久しぶりに遊んだ、遊んだ。遊びすぎて腰が痛い。え? 何して遊んだんだって? いやだなあ。
とりあえず、これからはまた、作家として執筆活動に勤しみます。

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 旅行の顛末を明確に語る書き込みだった。これで二人の供述は完全に一致を見たことになる。もっともSpringさん、もとい榛名は慰めて貰ったと言ってはいるが、彼の方は単なる遊びのように見て取れるのは僕のもつ嫉妬心故なのだろうか。
 後はSpringではなく、霧島榛名本人から直接事の真相を聞き、今後どうするのかを話し合うだけだ。ひょっとしたらそれで僕は大切なものを失うかも知れない。彼女は僕が彼女のことを許せなければ仕方がないとまで言っているのだから。

「はい? 霧島です」
 彼女の第一声は落ち着いたものだった。まさかたった今、Qで浮気を告白していた人間から電話がかかってくるとは夢にも思っていないであろう。もっとも彼女がPianomanを僕と認識しているかどうかは不明だが。おそらくまだ気付いていないのであろう。
「Spring   01 6 6 23:33 あ、ちょっと待っててね。電話みたい」
 そんなメッセージを送ってくるだけの余裕がある。しかし次の瞬間には彼女はきっと凍り付いたことだろう。
「那智です。やっと捕まったね」
 受話器の向こうで息を呑むのがわかった。
「な、那智? どうしたの急に……」
 彼女のしどろもどろの対応を聞きながらも、僕はまだ自分の態度を決めかねていた。怒りにまかせて勢いで電話をかけてしまったが、僕の方も何と言っていいのかわからない。僕は一体、彼女をどうしたいのだろう。
 榛名がPianoman=那智と認識していないと仮定するならば、僕には今現在二つの道が用意されている。ひとつは事実を告げて彼女を糾弾し、その上で別れるか寄りを戻すかの道を探る方法。もうひとつは何も気付かない振りをして現状を維持しながら関係の修復を図る方法だ。どちらにしても僕にとっては苦しい選択だ。
 前者を取ればとりあえずはすっきりするだろう。その上で関係が修復されたならば、今後付き合っていく上で僕の方が優位に立てるかも知れないとの打算も働く。しかしそれ以上に彼女を失う公算が高い。僕が彼女を糾弾した時点で、彼女の気持ちは側にいて慰めてくれる男の所へいってしまうんじゃないだろうか。
 逆に後者となると僕の気持ちのもって行き場がなくなってしまう。理由はどうあれ彼女のとった行動は僕に対する裏切り行為だ。それだけでもどうにかなりそうなのに、僕はまだ、彼女からそう言った行為を許されたことがないのだ。彼女は過去のトラウマから性的な行為に極度の拒否反応を示す。最初は手を握ることさえだめだった。最近になってようやくキスになれてきたところだと言うのに、彼には全てを許すことが出来たのだ。これは僕にとって最大の屈辱だった。一体これまでの僕の存在とは何だったのだろう。新しい男が出来るまでの間つなぎでしかなかったのだろうか。確かにそう言う意味では僕は都合のいい男だっただろう。どんなに彼女のことを望もうとも、少しでも脅えた様子を見せられれば、常に自分を押し殺して引いて見せた聞き分けの良い男だったのだから。こうなってみるとそれがもの凄くばからしいことのように思えた。ひょっとしたら彼女にトラウマなどなく、脅えて見せたのも全て演技だったのではないだろうか? そうでなければキスさえやっとの彼女が簡単に他の男に体を許せるとはとても思えないんだ。
 考えれば考えるほど自分の馬鹿さ加減にあきれ果ててしまった。もし僕の考えがあたっているならば、どんなにもがいても彼女が僕の元へ戻ってくる可能性はない。全てを精算して、すっぱり彼女との仲を絶つべきなのだろう。でも、僕の口から出た言葉はそれとはほど遠いものだった。

「電話に出てくれたと言うことは、もう誤解は解けたって考えても良いのかな?」
 くやしいけれども、僕は彼女をどうあっても失いたくなかった。全く未練たらたらでみっともないことこの上ない。受話器の向こうで彼女が嘲笑しているところまで想像してしまい、手も額も脂汗でべっとりとなる。堪らず側にあったタオルで手と受話器だけは拭う。
 でも、さっきQで彼女が言った言葉『彼のことは今でも一番好き』を信じたかったんだ。僕にはもうそれだけしか心の拠り所はない。
「う、うん。あんな長い留守電初めて聞いたわよ」
「ちゃんと説明したかったんだ。変に誤解されたまま、もしおかしな事にでもなったら悔やんでも悔やみきれないから」
「な、なによ! おかしな事って!」
 突然彼女の口調がいつものシニカルな感じから、えらく怒気を含んだものへと変わった。
「榛名ってさぁ、結構頭に血が上ると後先考えずに突っ走っちゃうだろ? それに切れるようでいてどこか抜けているっていうか無防備なところあるから」
 なんで僕の方が責められなくちゃいけないんだろう。弱みを握られているのは彼女のはずだ。でもきっと僕はそれ以上に大きな弱みを握られているのだろう。なぜなら彼女には僕のかわりとなる男がいるけれども、僕には彼女に取って代わるものは何もないのだから。
「ふ、ふん。わたしはそんなに安くはないわよ。いくら傷心していても男を見る目くらいちゃんとあるわよ」
 出来れば男を見る目があるじゃなくて、他の男には目もくれないっていって欲しいところだ。いつもなら此処で皮肉のひとつでもいってやるところだけれども、さすがに今はそんな勇気は湧いてこなかった。何とかして彼女の心を僕の方に取り戻すのが目的なのだから、極力刺激しないように言葉を選ぶ。
「判ってはいるけど、やっぱり離れているといろいろ心配になるんだよ。だから榛名だって僕のメールを見て怒ったんだろう?」
「う、……そ、それはそうだけど。それは那智黒が悪いんでしょ! 人を不安がらせるようなメール送ってくるから。それでわたしがどうなろうと全部那智の責任じゃない!」
 ひどい言われ様だけれども、今の僕には反論できなかった。確かに彼女の引き金を引いてしまったのは僕なのだろう。先ほどまでの怒りは何処へやら、彼女と話しているうちに僕はまたこれ以上ないというくらいにへこんでしまった。だから暗に浮気を肯定するような彼女の台詞にも強くは出ることが出来ないでいた。
「だからそれに対してはメールや留守電でも誠心誠意謝罪したつもりなんだけれども、まだ許して貰えないのかな」
「そんなに許して欲しいんだったら、今直ぐこっちにとんできて土下座くらいしてみたらどう? そしたら許してあげても良いよ。それとも今度わたしの書いた小説を那智持ちで自費出版でもしてくれる?」
 榛名の口の端が、僕をあざ笑うかのように歪むのが見えた気がする。そんな感じがするくらい彼女の口振りは傲慢で不快感を与えるものだった。こんなのは僕の知っている彼女じゃない。新しい彼にそこまで性格を歪められてしまったのだろうか? それともすっかり気持ちが彼の方に傾いてしまい、ただ単に僕と別れたいがためにこんな言い方をしているのだろうか?
 そのどちらも僕としてはしっくりこなかった。そんな簡単に性格なんて変わるものではないし、何らかの影響を受けたとしても極端すぎる。それにあのTERUという人の側にいてこうも変わるとは思えない。もっともネット上の彼しか知らないわけだから、実際あって見たらとんでもない人物だったってこともあり得ないわけでは無いけれど、それなら彼女がああも崇拝するわけがない。
 じゃあ、僕と別れたがっているというのはどうか? 気持ちが彼の方に完全に向いてしまい、僕との関係を清算したいと彼女が望んでいたとする。それで僕を罵倒し、呆れさせようと? 僕の方から彼女のことを嫌いになるようにし向けようとしているとか? 理由はいくつか考えつくが、どれも彼女らしくない。心変わりというものは誰にでもあり得ることだと思うけれど、彼女はそれならそうとはっきり言う娘だ。だからこれもあり得ない。
 一体彼女が何を思って、そんなことを言うのかはさっぱり見当がつかなかったが、何か理由があるのだろうことは判った。
「そのどちらかをすれば許してくれるの?」
 もう、僕は怒っていなければ、落ち込んでもいなかった。彼女のはなった雑言が僕をいつもの僕に引き戻してくれた。今僕は、彼女に不可解な行動をとらせるその原因を探るための観察者になっている。
「それならば、自費出版の費用を是非出させて貰いたいね。今直ぐに君の元へいこうにも新幹線はもう無いし、その方が君の夢をかなえる力になれるような気がする」
 受話器の向こうで深いため息が漏れるのが聞こえた。
「那智、判ってると思うけど、今のは那智が怒って良いところだよ。わたしのいっていることは単なる言いがかりにしか過ぎないんだから」
「なんだ、ちゃんと判っているんじゃない。じゃあ、何でそんな言いがかりをつけるようなことをしたのか説明して欲しいね」
 受話器の向こうで再びため息が漏れる。彼女は僕の問いかけには答えずに、しばらくの間無言だった。
「――ごめん、那智のこともそうだけど、いろいろあってちょっとむしゃくしゃしていたみたい」
「何かあったの? 相談ならいつでものるけど」
「……」
 僕の言葉に彼女はやはり無言で応えた。今度は僕がため息をつく番だった。何も答えないということが彼女がかなり大きな悩みを抱えていることを物語っている。そして僕にはそれがなにか判っている。こうして僕らが電話で話すことになった元凶である彼女の旅行の件だ。おそらく彼女は全てを僕にうちあけようかどうかと思い悩んでいるのであろう。
 かなり長い沈黙の後、その答えは出た。
「――大丈夫。大したことじゃないから」
「そう。何かあったらメールでも電話でもいいから相談してよ。今こうして話が出来ているんだ。電話でもきっとまた話せるよ」
「うん……」
 それでまた、長い沈黙がある。これ以上は何を話しても無駄なようだ。そう思った僕が電話を切ろうとしたその時、再び彼女の口が開かれた。
「ねぇ、那智……。わたし……大丈夫だから……。あなたを裏切るようなことは何もしていないから……それだけは信じて欲しいの」
「うん……、いつでも君のことは信じているよ」
 それを最後に僕らは電話での会話をやめた。

 彼女の口から真実を告げて貰いたいと思う僕がいる。そして永遠に真実を隠し通して欲しいと願う僕もいる。どちらも正真正銘の僕自身だ。
 僕は彼女の全てを知っていたい。喩えそれが僕にとって面白くない事実でもだ。彼女には全てを包み隠さずに話して貰いたいと思っているのは事実だ。隠し事をされれば、彼女を信じ切れなくなる。たった一回の過ちじゃないか。全てを話してその上で許しを請えばいい。それを何回も繰り返されたのであれば、さすがに信じることも出来なくなるだろうけれども、今回のことは僕らがつきあいだしてから初めてのことで、そうなった原因が僕にもある。きっと素直に彼女がそうすれば許してしまうだろう。
 でももう一人の僕はそれを否定する。彼女が僕に全てを話してしまえば、それは二人の間でひとつの事実として認識されてしまう。そうすればたとえ彼女を許すことが出来ても、二人の間にそれは、しこりのように残ってしまう。よく聞く話だが、浮気というのは決して認めてはいけないのだ。どんなにバレバレでも否定しているうちは浮気をされた側もそれを完全な事実として受けとめないで済むのだ。今回の彼女のことにしても、僕自身が目をつぶり、自分の気持ちさえ消化できれば昔のように元通りになるに違いない。
 今でも僕自身の中で二つの気持ちは葛藤し続けている。でも敢えて僕は事実を追求しなかった。彼女自身が今回のことを無かったことにして、僕と元通りやり直そうと思っていると判断したからだ。わざわざことを荒立てたくないし、僕の元へ戻ってきてくれるのであれば、きっと許せる。それで良いとしようと思ったんだ。

「Spring   01 6 7 00:08 ごめん (−人−)お待たせ。もう寝ちゃったかな?」
 電話を切るのと同時に彼女がQに復帰してきた。
「Pianoman  01 6 7 00:09 起きてるよ。結構長かったね」
「Spring   01 6 7 00:09 ごめんね。彼からだったの」
 いま君が話しているのも同じ人なんだよ。そう考えるとおかしくてしょうがなかった。
「Pianoman  01 6 7 00:10 それなら落ちても良かったのに」
「Spring   01 6 7 00:11 うん……でも話していたらなんか苦しくなっちゃて(..;)」
「Spring   01 6 7 00:12 彼、相変わらずやさしいって言うか、甘いって言うか……」
「Pianoman  01 6 7 00:13 それって悪いことなのかな?」
「Spring   01 6 7 00:13 悪い訳じゃないけれど……」
「Spring   01 6 7 00:14 まるで私のこと疑っていないみたいなんだもの……」
 彼女は僕と会話したことで、罪悪感に苛まれているようだった。そんな彼女を見ているうちに僕も心をはっきりと決めることが出来た。彼女の浮気は無かったことにしようと。だから彼女に浮気のことは絶対に彼に内緒にしておくように言い含め(その彼と言うのが僕なのだけれども)、今後は何事も慎重に行動するように諭した。どのみち今の彼女を見る限り、そんなことを言わなくても、もう同じ過ちを繰り返すことはないだろうけれども。
 Springである彼女は僕の提案を全面的に受け入れ、その通りにする事を誓ってQを落ちていった。最後に「私って嘘つきだな……」の一言を残して。


九.

Date: Thu, 12 Jun 2001 23:18:30 +0900
From: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
To: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
Subject: ごめんね

那智、ご機嫌いかが|_・;)チロ
この間はごめんね。(・人・)
変な言いがかりつけて、イヤな思いさせちゃったね。
後から思い返して今、もの凄く反省しています。
あ〜ぁ、自己嫌悪 ρ(..;)
ねぇ、近いうちにこっちに遊びに来ない?
鎌倉行こうよ、鎌倉。
今なら、お詫びに宿泊費タダだよ。
何たってうちに泊めてあげるんだから (*/o\*)キャ〜
そんときは那智の理性を信じます。(゚ー゚)フフフ
夏休み入るまで時間的には苦しいのかも知れないけれど、
まぁ、一度考えてみてね。
それじゃあ、"(^-^)/"""

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
Haruna Kirishima
haruna@tokyo-net.ne.jp
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 このメールを受け取ったとき、僕は彼女の真意を測りかねた。彼女はただ単に、仲直りのためだけに僕を呼びたいのだろうか? ひょっとしたら、他の男に躰を許してしまったことに対する罪の意識から、僕にもそうするつもりで呼んでいるんじゃないだろうか?
 これが、ただ単に遊びにおいでよ、だったら、あるいは、こっちに帰ってくると言う内容だったならば、僕は手放しで喜んだことだろう。しかし、彼女の部屋に泊まる。そのことが僕の心のなかに何か引っかかっていた。
 僕と榛名は付き合いだしてもう、そこそこになる。そして彼女はまだ学生だが、僕自身は社会人でそれなりに責任? も取ることが出来る立場なのだから、そうなっても特に問題はないし、僕としてもそうなりたい気持ちはあるのだけれども、これまでは彼女のメンタルの部分に問題があり、そうなることはなかった。皮肉なことに、彼女の浮気が発覚したことで、その問題は無くなったことが判明したわけだけれども、そうなると今度は、僕の中で解決しなければならない問題が発生してくるわけだ。
 僕は、彼女に罪悪感なんかで抱かれて欲しくはない。もちろん僕にも欲望はあるわけだから、それでも彼女を欲してしまうだろうけれども、それが理由であるのならば、理性の限界までは拒み続けるだろう。それは僕の男としてのプライドでもあるわけだ。


Date: Wed, 13 Jun 2001 00:08:02 +0900
From: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
To: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
Subject: Re:ごめんね

那智です。

電話でのことは気にしていません。
榛名が情緒不安定になった原因は僕にもあるわけだし。
それに、僕は榛名のそう言うものを全て受けとめられるようになりたいのだから。
榛名は夢という海を渡り歩く船で、僕はそんな君の港でありたいって思っているんだからね。

で、鎌倉の件ですが、実現させたいと思っています。
ちょっとスケジュール調整してみるね。
榛名の方も都合のいい日があったら、連絡下さい。
但し、泊まるのはホテルにでもするよ。
僕は君が思っているほど理性的な人間じゃないいんでね(笑)。

また、連絡します。

******** 喫茶「吾眠」 *********
nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp
******** Nachi Haguro *********


Date: Wed, 13 Jun 2001 23:18:30 +0900
From: Haruna <haruna@tokyo-net.ne.jp>
To: Nachi<nachi@toyohashi-tcpip.ne.jp>
Subject: Re^2:ごめんね

那智、元気 (^o^)ノ

え〜、ホテル泊まるの? お金もったいないよ。
理性に自信が無くても布団にくるんで、ぐるぐる巻きに縛っておいてあげるから大丈夫だよ。(゚ー゚)フフフ

> 榛名は夢という海を渡り歩く船で、僕はそんな君の港でありたいって思っているんだからね。
あのねぇ、これって普通逆だよ。(^^;;;
一般的に男が船で、女が港なんだから。
まるで私がすごい浮気者みたいじゃない。\(`0´;)/ブーーーー
ひどい、ひどい (ノヘ・)
とはいうもののそうかもね。私って何か思うと直ぐフラフラどっかいっちゃうから、
那智って言う港がないと人生で難破しちゃいそうだし。ゞ(^▽^)ノ

で、コロっと変わるけど日程のほうはいつでも大丈夫です。
普段がまじめだから、平日でも何とかなるよ。
ただ、七月半ばの試験期間はご勘弁を。>留年しちゃうよ〜
と言うことで、スケジュール調整ついたら連絡下さい。

んじゃ、"(^-^)/"""

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
Haruna Kirishima
haruna@tokyo-net.ne.jp
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/


 彼女からの返信を読んだとき、僕は思わず吹き出してしまった。実際に浮気したくせに、ひどいもないもんだ。本当ならば、此処も怒るべき所なのかもしれない。でも、そんな風にケロっとその事を話題に出来ると言うことが、充分に彼女が立ち直った事を表している。それが僕には嬉しかったんだ。もう、心配はいらなさそうだ。文面を見る限り、いつもの彼女だった。

「普通と逆か……」
 彼女の言葉を、口に出していって見る。
 それは真実だった。端から見たときの僕らの関係は正にそうだっただろう。クラスをまとめる委員長にして、学年でもトップクラスの容姿と成績を誇る彼女と、一見地味で、常に自分の本質をベールで覆い隠してきた僕。誰が見ても力関係は彼女のほうが上だった。芸能人によくある、奥さんのほうが売れていて、旦那のほうは今ひとつぱっとしない。それでいつも旦那は名前じゃなく、○○の旦那とか呼ばれちゃうカップル。僕たちの関係はそれと同じだった。太陽は彼女であり、僕はその光を受けていてこそ輝ける月なんだ。そして彼女が輝いていられるのは……。
 彼女が輝いていられるのは、いつでもその根本にどっしりと僕が構えているから。彼女が風であり、林であり、火。その時々で様々に姿を変える。でも僕は山。不動の山なんだ。常にかわらぬ僕がいるから、彼女は自由に動くことが出来るって言ったら、それは僕のうぬぼれだろうか。
 僕は彼女自身が思い出したくない過去も知っており、克つそれを受けとめているつもりだ。その意味で彼女は僕の前では一切の虚飾を取り払っていると言ってもいいと思うし、そうであって欲しいと思う。どんなときでも彼女が本来の自分でいられる場所に僕はなりたいんだ。
 そうやって、僕と彼女の関係を考えていたら、胸につかえていたものがすっきりしたような気がした。彼女はかわらない。周囲からどういう影響を受けようとも、僕の元に返ってくれば、そこでは何一つかわることのない昔のままの彼女に戻ることが出来る。そして船は港に戻ってくるものなんだ。



「なっちゃん、なんか今日は久々にいい顔してるね」
「そっかぁ? いつもと同じ能面顔だろ?」
 翌朝、開店準備をしていると、いつもの見慣れた顔が沸いて出た。
「高ちゃんにはわからないかもね、でもここんとこの抑圧されたような感じが取れたよ」
 そう言って那珂の奴は高雄に挑戦的な笑みを浮かべる。怒ったと言うか拗ねたような顔で彼は那珂の奴に食ってかかるが、端から見ればただの痴話喧嘩だ。彼は親友として、自分よりも那珂のほうが僕のことを理解していることが面白くないんじゃない。奴にとって見れば那珂以外はその他大勢みたいなものだ。那珂が人よりも僕のことをわかっている、強いては彼よりも僕のことの方を理解しているような口振りが気に入らないんだ。
 そんな二人のやり取りを見ていて、ふと気が付いた。嫉妬心って言うのは恋愛に欠かせないスパイスなんだな。今回のことは別としても、普段榛名が僕をおちょくるのもそう言うことなんだ。別に榛名が特別というわけではなく、誰でもやっていることなんだ。ただ、彼女の場合はそれがちょっと度が過ぎているっていう感じはあるが、それもきっと那珂達に言わせれば、それぐらいでないと僕には効果がないと言うことなのだろう。
「なんか良いことあった? やけにうれしそうにしてるけど」
 気が付くと那珂が僕の顔をのぞき込んでいた。それを見て高雄の奴がまた面白くなさそうに口をとがらせる。そんな二人が異様にほほえましくも、好ましく思えた。那珂がそんなことを出来るのも、高雄のことを信頼していればこそだ。榛名にしても、そんなことで壊れる関係じゃないと思っていたからこそ、いつも僕にちょっかいを出していたんだろう。
「別になにもないよ。それよりも二人とも朝飯まだだろ? モーニングだけど奢るよ」
 那珂達にも榛名の浮気のことは話していない。僕は今回のことを誰にも話すつもりはない。僕の中でも、二人の間でも既に決着の付いたことだ。今更蒸し返したところでどうなる物でもないし。この一、二ヶ月の間にいろいろあったけれど、もう全て元通りになるんだから。適当に誤魔化して厨房へと逃げた僕の背中に高雄の驚愕したような声がぶつけられた。
「な、那智が笑ってる!」
 笑ってる? 僕が?
 そう思ってのぞき込む鏡には、これ以上ないというくらい緩みきった僕の顔が映っていた。

 例の電話での会話以降、僕たちのコミュニケーションはメールと電話の併用になった。お互い、いい加減に忙しい生活にも慣れ、少しくらい電話で話す時間がとれるようになったのだろう。実際、今はちょっとと思うような時間にかかってきた電話でも何とかなるようになった。それ以前にずっとQで会話していたんだ。その時間はお互いに直接話し合える時間と言うことになる。
 実際夕べも電話で榛名と話をした。その時、鎌倉行きのだいたいの日程が決まった。紫陽花の時期を逃したくないので、今月末頃には行くことにし、結局彼女の言うとおり、ホテルは取らずに彼女の所で一晩厄介になることになった。、考えないようにはしているものの、それなりにちょっとよこしまな期待もやっぱり抱いてしまう。この間迄の地獄を思うと今はまるで天国の様だ。それでもこんな風に顔に出るとは僕も予想していなかった。

 天災は忘れた頃にやって来る。
 僕が、それを見つけたのは来週末には榛名と鎌倉へ行くと言う週の月曜日だった。

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No.1487 【デート三昧】
投稿者/ TERU [返信]
投稿日/ 2001年6月16日(土)23:58:14

今日もハニーとデーとしてきました。
ついさっき帰ってきたところです。
旅行にも行ったし、なんか遊んでばかりな気もしますが(笑)
ご安心下さい。ちゃんと執筆もしています。
新作ですが、80%位の進行状況です。
今月中にはアップできるようにがんばってますから。

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 えっ? この人の言うハニーって……。
 僕は自分の目に写ったものが信じられなかった。
 今榛名に電話をかけたら、彼女は果たして出るだろうか? TERUという人が、今帰ってきたところだと言うのであれば、榛名にしてもそうに違いない。なぜなら彼がハニーと呼ぶのは……。
 僕は受話器を取りかけて、それをやめた。榛名には何を言ってもダメだ。彼女は浮気したことを隠しているのだ。いくら問いつめても彼女は首を縦には振らないだろう。そうするように説得したのは他ならぬ僕なのだから。
 僕は電話から離れると直ぐにパソコンの電源を入れた。霧島榛名では無い彼女、Springと連絡を取るために。


十.

 豊橋から新幹線に乗り小田原で下車、東海道本線にて藤沢まで出る。豊橋から小田原までがおよそ一時間四十分、途中乗り換え時間を含めても二時間半ほどで第一の目的地、藤沢へ到着するはずだ。
 榛名があのTERUというオンライン作家の人と切れていないことが判明した日、僕はQを使ってSpringと連絡を取ろうとした。しかし、当然彼女はオフラインで、僕は仕方なく今週末に彼女の元を訪れること、藤沢駅で待ち合わせたいので十時に江ノ電藤沢駅の改札前で待ち合わせること、そして彼女が来るまで待ち続けるつもりなことをメッセージで送信しておいた。
 彼女から返事があったのが、金曜日の夜。かなりあわてふためいていたが、強引に説得し約束を取り付けた。普段の僕からでは想像もできないことだった。自分の記憶を辿ってみても、僕が我を通すなんてことは今までに一度もなかった。相手が誰であれ、人をたてる様にしてきたのだから。
 小田原へ向かう新幹線の中で、此処数日の自分の行動を省みるといかに自分を見失っていたかがわかる。那珂辺りがこのことを聞いたら、ビックリして腰を抜かすかも知れない。榛名にしてもかなり驚いていることだろう。いや、彼女はまだPianomanイコール羽黒那智と認識していないかも知れない。そして突然、理不尽にただのネット友達でしかない男から呼び出されて、戦々恐々として藤沢駅に姿を現すのかも知れない。
 榛名ではなく、Springを呼び出した理由。それはただ一つだ。榛名は浮気に関して黙秘(と言うのも変だが)しているのに対し、Springは明らかにそれを肯定した。肯定すると言うよりは自分から告白してきたのだけれども。これでSpringを呼び出したのに榛名が僕の前に姿を現せば、彼女はもう、何も隠し立ては出来ない。僕は、全てを白日の下にさらしだし、彼女との関係に白黒決着をつけるつもりだった。その先にどのような結末が待ち受けていようとも、今よりはましだろう。このわずか数ヶ月の間に、僕の心は幾度と無く天国と地獄を行ったり来たりして、すっかり疲れ果ててしまっていた。

 小田原駅で新幹線を降り、東海道本線に乗り換える。小田原から藤沢まで乗り換え時間を含めて約一時間。その間僕はまた思索の海に浸る。
 榛名とつきあい始めて三年近くたつ。しかしその間、僕は彼女から必要とされていたのだろうか? 以前にも考えたことだが、僕は単に彼女の心の隙間を埋める道具でしか無かったんじゃないだろうか。そんな彼女が僕に対して抱いている感情。それは愛情じゃなくて愛着なのではないだろうか。
 僕は自分で自分のことを彼女の心の港だと思っていたけれどもそうじゃない。僕は女の子ならひとつくらいは持っている「ぬいぐるみ」なんだ。長年、枕元におかれたクマのぬいぐるみのように、側にいるととても落ち着けるけれども、ただそれだけ。同じそのベッドの上で愛を語る存在にはなり得ない。恋人が現れるまではその寂しさを埋め、はれて恋人が出来た暁には、役目を終えてその傍らで二人の愛の語らいを見つめ続ける存在なんだ。
 そんな僕の考えを今の現実がはっきりと証明しているように思えた。彼女の抱えるトラウマのため、僕と榛名はキス止まり。でもTERUさんと言う人には全てを許すことが出来たんだ。クマのぬいぐるみは、抱きしめられたり、時にはキスくらいならされるかもしれない。でもそれ以上のことはあり得ない。その先は恋人たるものの役目なのだ。

 藤沢駅で東海道線を降り、江ノ電藤沢駅へと向かう。小田急の中を抜け、影から駅の改札を覗くと、そこには既に霧島榛名の姿があった。彼女は普段のTシャツにジーンズと言ったラフな格好ではなく、水色のワンピースに身を包み、ヒールを履いて、セミロングの髪を後ろでまとめていた。そんな彼女の見慣れない姿に違和感を抱きつつも、これが今の彼女の本当の姿なのだろうと僕は思わされた。その昔、Tシャツとジーンズにスニーカーが彼女のスタイルであったように。僕が初めてみる彼女のそんな姿は、くやしいけれどとても似合っていた。それは、本来僕が決して目にすることは無かったであろう姿で、普段僕が目にしていた彼女よりも数段魅力的に見えた。しかし、自分の好きな女性が他の男の手によって、より魅力的に変化していくというのも、あまり気分のいいものではない。
 ため息混じりに僕は、ポケットから目印となる江ノ電のマスコットを取り出すと指に引っかけた。そう、ゴールデンウィークに彼女から貰った奴だ。予め、彼女と待ち合わせの目印として打ち合わせておいた。そのマスコットを指先でプラプラとゆらしながら、僕は彼女のほうへと歩き出した。
 榛名は改札前に立ったまま微動だにしなかたが、その視線は周囲を見渡すようにさまよっていた。目印の江ノ電マスコットを探しているみたいだった。僕は一歩一歩確かめるように、ゆっくりとした足取りで彼女に近づいていったが、週末の人混みに紛れてしまったため、直ぐ近くに行くまで彼女に気付かれることはなかった。ひょっとしたら彼女は人の手元ばかり見ていて、顔なんかなんにも見ていなかったのかも知れない。だから僕の指にぶら下がるマスコットを見つけたとき、ホッとしたような顔をし、顔を上げてちょっと気まずい感じになり、次いで深いため息をついたまま俯いてしまった。

「オフでは初めまして、Springさん。Pianomanです」
 僕の皮肉たっぷりの挨拶に、彼女は顔をしかめた。しかし次の瞬間にはホッとひとつため息をつくと、いかにも作りましたって感じの笑みを浮かべる。
「Springとしてははじめまして。Pianomanさん」
 今度はこっちがため息をつく番だった。
「榛名、性格かわったんじゃない?」
「誰かさんの嫌味に対抗するにはこれぐらい必要なのよ。それに私は榛名じゃなくてSpringです」
 相変わらず、作られた笑みを浮かべられ、僕には彼女が何を考えているのかさっぱりわからなかった。どうしてそうもあっけらかんとしていられるのだろう。僕が今日、彼女をここに呼びだした目的が、全くわかっていないとでも言うのだろうか?
「さあ、こんな所まで呼び出してPianomanさんは、私を何処へ連れていってくれるのかしら?」
 先ほどまで若干の不安に揺らいでいた彼女の瞳は、今はもういたずらっ子のそれに取って代わっている。あくまでもSpringを名乗る彼女は、自分が霧島榛名とは無関係だと言いたげだった。
 いつの間にか主導権は榛名の手の中にあった。僕は彼女に促されるまま江ノ電に乗り込み、鎌倉へと向かう。
 彼女に主導権を握られるのはいつものことではあったけれど、今日はそうとばかりも言っていられなかった。僕が三時間近くかけてこんな所までやって来たのは、僕たち二人の関係にけじめを付けるためなのだから。
 江ノ電はじれったくなるほどゆっくりとした速度で鎌倉へと向かう。十キロ強の道のりを約三十分。これが彼女との単なるデートとかならば、それもまた楽しかったかもしれない。彼女とつもる話をしながら初めてみる車窓に心を躍らせたことだろう。
 遅々として進まない電車の歩み、別れを告げなくてはならない彼女と二人っきりの時間に僕がじりじりしている間も、彼女の様子は普段と全く変わらなかった。よくもまあ、それだけ話すことがあるものだと思うくらい、とりとめのない話題を話し詰め話している。相変わらず僕のことを「Pianoman」さんと呼ぶ彼女にいい加減うんざりし、生返事を繰り返しながら、僕は車窓に見入っている振りをした。
 休日の江ノ電は満員というわけでは無いけれども、それなりに人は乗っており、周囲の人から見れば、僕は随分と冷たい男に写ったことだろう。中には僕のことを悪者扱いする人もいたかもしれない。でも、今の僕にはそんなことはどうでも良かった。奇異の目で僕らを見つめる乗客も、隣でマシンガントークを続ける彼女も、明日になればもう二度と会うことのない存在なのだから。
 相変わらず、じれったくなるくらいゆったりとした速度で電車は終焉に向かって進み続けていた。

 三十四分の長くもあり、短くもあった電車の旅は終わった。鎌倉駅に着くと、榛名は僕の先に立ち軽くステップを踏むように電車を降りた。そしてホームで振り返ると、笑いながら手をさしのべる。それは一瞬、僕に現実を忘れさせるような出来事だった。僕たちの間は何も変わりがなく、今日も二人でただ遊びに来ただけのような錯覚に囚われそうになる。
 多分、僕はホームに突っ立ったまま呆然としていたのだろう。そんな僕に榛名は笑いながら「どうしたの?」と聞いてきた。以前は眩しく感じたその笑顔も、今は感傷にも似た気持ちしか呼び起こさない。それは結構僕にとってショッキングな発見だった。いや、彼女の笑顔を眩しく感じられないことがではなく、感傷的になってしまったことにだ。こんな時むしろ僕は何も感じないと思っていたんだ。彼女との別れが決まった以上、もう何があっても気持ちが揺り動かされることはない。何も感じず、何も動ぜずにいられると、なんの疑いもなく思っていた。感傷にひたってしまうと言うことはつまり、僕はまだ彼女に未練があるらしい。
「Pianomanさん。なんて顔してるの。せっかく鎌倉まできたんだから楽しみましょ」
 僕は、彼女の言葉にハッとした。確かにそうだ。たとえ今日を限りに別れるとしても、今はまだ恋人同士なんだ。楽しんだっていいよね。僕らはお互いに嫌いになって別れる訳じゃない。ただ、彼女の方にもっと好きな人が出来ただけ。僕が一番じゃなくなっただけ。それなのにまるで憎しみあっているかのように別れる必要はないんだ。ギスギスした別れは僕たちには似合わない。
 彼女は僕の手を取ると改札へ向かって歩き出した。しかし彼女は改札を抜けず、その手前にある小さな店舗へと足を踏み入れた。こいこいと手を振る彼女に従って入った先は江ノ電グッズのショップ。僕は背負っているリュックについている江ノ電のマスコットを見た。そうか榛名の奴、此処でこれを買ったのか。榛名の奴は僕がマスコットを見ているのを見て、嬉しそうに二,三度頷くと、つんつんと窓の方を指さす。そこにはデモ? 用に置かれたマスコットやその他の商品が並んでいた。
 一通り店内を見た後、僕らはそろって改札を抜ける。此処で僕は当初考えていた予定の変更を余儀なくされた。本当は此処から源氏山公園を抜けて、北鎌倉まで歩いていく予定だった。しかし今日の榛名の出で立ちを見る限りそれは無理な相談だった。ヒールで険しい山道を登るなんて無謀の極みだ。だから、駅前の土産物屋を物色しながら、鶴ヶ丘八幡宮を見て、その後バスで北鎌倉へ出ることにした。
 土産物屋の建ち並ぶ、細い通りを歩く間、彼女は異様なほどにはしゃいでいた。あっちの店を冷やかし、こっちの店でアイスクリームを買い、と言った具合にまったく落ち着きがない。決して物静かなタイプではなかったけれど、でも浮かれて走り回るようなキャラでもなかったはずだ。こんな風に浮かれまくって、人を振り回すのはどちらかと言えば那珂のキャラクターなのに……。
「ねぇ、Pianomanさん。そう言えばはんぺん買ってないわよ」
 通りを中程まで来たときに、不意に彼女はそんなことを言いだした。
「別にいいよ、買おうと思ったらまた駅前まで戻らなくちゃいけなくなるし」
 と言う僕の言葉は思いっきり無視された。
「鎌倉来たら、あれは買わなくちゃね」
 榛名はどんどんと今来た道を戻っていく。今日何度目かのUターンだ。かれこれ一時間以上こんな事を繰り返している。そう言えば、店が忙しくて榛名の買い物に付き合った事ってなかったけれど、女の子の買い物ってこんなもんなのか? 効率悪いな。
 結局、今まで歩いて来た道を振り出しまでさかのぼり、僕らは駅前の蒲鉾屋で梅の花をかたどったはんぺんを買った所で、若宮大路に出た。確かに榛名と二人、こうして過ごす時間は楽しい。いくら振り回されても飽きることはない。出来うるならば、ずっとこうしていたいとさえ思うが、今は本来の目的を忘れてはいけなかった。しかし、彼女の暴走はこの後も留まることを知らなかった。
 鶴ヶ丘八幡宮に入ると、旗揚げ弁財天も見ると言い、大銀杏の所ではリスがいたと騒いで暫くその場を離れようとしなかった。そして何を考えているのか、八幡宮の前で記念写真を撮るとまで言い出した。此処に来て僕は彼女が何を考えているのかさっぱりわからなくなった。
 これまで彼女がはしゃいでいたのは最後のときを少しでも楽しくすごそうと思ってのことだと思っていた。最後には別れるにしても、その最後の一瞬までの時間を思い出作りに当てようと思っているのだと。確かに写真も思い出作りの一環と言えなくもない。しかし、それは将来のある恋人達にとってのことだ。終焉へと一歩ずつ歩んでいる僕たちには、写真は無用の長物。最後に受けるであろう哀しみを、より深くするための道具にしかならない。ぼくは彼女の提案をやんわりと拒否すると、昼食をとるためにまた、土産物屋の建ち並ぶ路地へと向かった。
 昼食の間中、彼女は言葉少なで、ちろちろと僕の顔色ばかりをうかがっていた。さっきまでの元気はどこへやら、一転して鬱とは言わないまでも、おどおどしてまるで捨てられた小犬だ。ひょっとして此処で別れ話をするとでも思っているのだろうか? 確かに喫茶店とかでというのは良くある話だ。それがこじれて水かけられたりとか……。それはドラマの見過ぎか?
 食堂を出ると僕らは並んでバス停まで歩いた。次の目的地(それが最終目的地な訳だが)まで歩けない距離でもないが、やはり山道の多い鎌倉はきつい。それにどうも僕らの心の内を察したのか、雲行きまで怪しくなってきた。とろとろ歩いているうちに雨に降られるのはかなわない。僕らは八幡宮の前からバスに乗り、北鎌倉へと向かった。
 バスの中、やはり彼女は落ち着かない様子だった。おそらく彼女には次の目的地がどこなのか察しがついているのだろう。

「ねえ、榛名」
 僕はそろそろ頃合いだと思った。もう、最後の思い出作りとしては充分に楽しんだ。後は結果を出すだけだ。榛名は突然話しかけた僕を、脅えるような目つきで見た。僕はわざと彼女とは視線を合わせずに話を続ける。
「僕はいつも君が帰ってくる度、昔と変わらない姿を見て安堵していたんだ。二人離れていても何も変わらないって思っていたけれど、でも東京と言う僕から見れば特殊な街で過ごすうちに、ひょっとしたら君は少しずつ変わっていくかも知れないとも思っていたんだ」
 僕の話を聞く榛名の表情は、今にも泣き出しそうだった。
「だからいつも変わらない榛名の姿を見る事が出来てとても嬉しかった。でもね、全く何も変わらないなんて事はないんだよ」
 バスを降りて、少し戻るような形でバス通りを歩く。彼女は黙って俯いたまま後をついてきた。彼女に背を向けているため、その表情を伺い知ることは出来なかった。彼女は一切言葉を発しようとしない。僕のリュックの端を握りしめて、トボトボと後をついてくるだけだ。
「榛名は気付いているのかな。元々君の話す言葉は標準語に近かったのだけれども、今は君の話す言葉から、完全にお国言葉が抜けてしまっている事に」
 バス通りからすぐ右に折れると直に小さな山門が目に入る。そこは、北鎌倉東慶寺。歌にまでなった有名な縁切り寺。馬鹿げたことかもしれないけれど、こういったことにけじめをつけるにはいい舞台だ。
 でも、山門に至る階段の手前で、僕のリュックが急に引っ張られて、立ち止まるのを余儀なくされた。
「ねぇ、帰ろう……」
 今にも消え入りそうな小さな声だった。
「お寺を見るなら円覚寺でもいいじゃない。此処は嫌。戻りましょう」
 振り向いてみた榛名は、少し青ざめた顔をし、目に涙をいっぱい浮かべていた。
僕はとまどいと一緒に、頭の中が熱くなるのを感じた。今更何をいっているんだ。今日の最終目的地が此処だと言うことは、とうにわかっていたはずなのに。榛名だって、覚悟を決めていたんじゃないのか? 僕の呼び出しに答えて此処までついてきたのは、全てを精算する為じゃなかったのか?
 思わず、大きな声が出そうになるのを、すんでの所で僕は抑えた。この数ヶ月というのも感情の浮き沈みが激しくて、自制するのにすごく苦労するようになってしまった。先日、那珂や高雄の前で笑ってしまったのにもビックリしたが、今日もこの調子だと榛名のことを怒鳴りつけそうな気がする。僕は彼女から視線を外し、静かに呼吸を整える。
「だめだよ。此処からは観光じゃなくて、儀式なんだ」
 僕は彼女に言い聞かせるように、なるべく静かにそう言った。
「いい加減、決着を付けようよ。ずるずると中途半端に関係を続けるのは良くないと思うんだ」
 すっかり泣き顔になっている彼女を落ち着けるために、極力穏やかに、ゆっくりと僕は話した。痴話喧嘩には何とも言えない場所ではあったけど、僕はそんなことをするつもりはない。恋愛という物は最初と最後に特にエネルギーがいる。どうせ別れるのであれば、余分な労力を使わずにすんなりとスマートに別れたほうがいい。それにしても何で彼女の方が泣くんだ。別れ話は確かに僕の方から切り出す格好になったけど、捨てられるのは僕の方なんだよ。これじゃあまるで、僕の方が悪者みたいじゃないか。
 彼女は僕の再三の説得にも応じず、ただ首を横に振るだけだった。何故彼女はそこまで拒むのだろう。だだっ子のようにその場にしゃがみ込み、ただ涙を流す彼女を見て、僕は途方に暮れた。そしてそんな僕らに追い打ちをかけるように雷鳴と共に雨が降り出した。


一一.

 突然の雨で、目的も果たせないまま僕らは投宿することになった。僕らと言うのも僕も榛名もずぶぬれになってしまい、彼女だけそのまま返すことは出来なかったのと、一人で帰りたくないと、彼女にだだをこねられたためだった。部屋に通された後も濡れた服を乾かそうともせずに、ただ座り込む彼女を見て僕は深いため息を付いた。濡れて肌に張り付いた服は彼女のボディーラインを浮かび上がらせ、こんな時なのに、僕は自分の理性が何処まで持つか心配しなければならなかった。今日一日で僕ははっきりと再認識させられてしまった。彼女に裏切られ、自ら別れを決意した今でも僕は彼女を愛している。どんなに細い絆でも、残せるものならば、それにすがりつきたいと思う自分がいることを否定できなかった。
 一度愛されたぬいぐるみは、その役目を終えた今でも自分の意志では持ち主の前から姿を消すことなど出来ないのだ。持ち主の手で捨てられない限り、その側でずっと彼女の幸せを見続けることを運命づけられているように、僕もこの先もずっと彼女を見守り続けなくてはいけないのかもしれない。

 いつまでも濡れたままでいるわけにも行かず、僕らはそれぞれ風呂に入りに行った。僕が今回この宿を選んだ訳が此処の風呂にある。この宿の売り物でもある洞窟鉱泉風呂に浸かりながら、僕は榛名のことを考えた。
 何度考えても彼女の真意は測りかねた。最初の浮気は彼女も混乱していたときだし、僕に対し強い不信感を抱いていた事もあり、通常の精神状態ではなかっただろうから、仕方ない(それでも仕方ないと片づけていい物かは頭を悩ませるが)としても、その後もTERUさんと言う人物と会っているのはどういうことなのか? その直前には、僕と完全に和解し、一緒にこの鎌倉を回る約束までしていた。だから僕は彼とのことは一度きりの過ちとして彼女も忘れるつもりなのだろうと解釈していたのだ。
 それなのに彼女はまた彼とデートしている。彼の帰宅した時間を考えても、その時何もなかったとは考えられない。僕を今日のこの行動に駆り立てたのも、それが原因だ。その時点で彼女の気持ちは僕よりも彼の方に移っているように思える。いろんな意味で彼は僕の知らない榛名を知っているのだから。それは単なる寝取られ男のひがみでしかないのかも知れないけれど。そこまで考えて僕は「寝取られ男」と言う言葉に軽いショックを受けていた。思わずその言葉の意味を反芻したとき、薄暗い洞窟の中に僕のため息がこだました。
 でも今日、彼女は僕の真意をくみ取り、それを拒否するような行動に出た。それが僕を当惑させているのだ。僕の知っている彼女は何度も言ったとおり、二股をかけるようなことの出来る娘じゃない。でも現に今、彼女のやっていることはその二股そのものなのだ。彼女は一体何を考えているのか? どちらの男にその想いをより傾けているのか? 僕にはさっぱり見当がつかなかった。
 もうひとつ僕を惑わせるのは、今日の彼女の態度だった。彼女は今日一日、僕に「榛名」と呼ばれることを拒んだ。何を言っても「Spring」と呼びかけなければ応じなかった。それは「Spring」の正体を知りながらも「Spring」として彼女を呼びだした僕への意地だったのかも知れない。でもそんな子供じみた行動に何の意味があるのだろう。「Spring」は「榛名」なのだから。
 薄暗い洞窟鉱泉風呂の中では何度となく僕の吐くため息がこだまし、そのたびにその狭い空間の中がよどんでいくように思えた。

 僕が風呂を上がり部屋に戻ると既に彼女は戻ってきて濡れた髪を乾かしていた。
「随分と長風呂なのね」
 考えつかれてげんなりしながら帰ってきた僕を彼女は笑顔で迎えた。
「那智がそんなにお風呂好きだとは知らなかったわ」
 髪を拭く手を休めそう言って笑う彼女を見たとき、ふと僕は気が付いた。
「Pianomanって呼ばないのかい?」
 いぶかしがる僕を見て彼女は置かしそうに笑いながら立ち上がる。
「ねえ、那智見て。私、「Spring」に見える?」
 僕は最初、彼女が何を言いたいのかさっぱりわからなかった。「Spring」に見えるも何も、彼女は彼女で、「榛名」であり、「Spring」じゃないか。
 怪訝な顔で見つめる僕を後目に、彼女はその場でくるっと一回転して見せた。
「鈍感で唐変木の那智じゃあ、わからないかもね。那智には判らないかも知れないけど、今日貴方と鎌倉を回ったのはSpring。でも今此処にこうしているのは霧島榛名なの」
 そう言うと彼女は「しわになっちゃう」といって傍らに畳んであった青いワンピースをハンガーに掛け洗濯物を干すときのようにパンパンと広げて見せた。
 此処に来てようやく僕も気付いた。今の彼女はTシャツにジーパンで特に化粧もしない、いつもの彼女の姿であることに。つまりめかし込んでよそ行きの顔をしたのは「Spring」で普段着の顔が「榛名」と言うことなのだろうか? それはそれで面白くないことではあるのだが。僕は元々化粧品の人工的な匂いというものが嫌いだったし、ありのままの彼女が好きなわけで、彼女がどんな格好をしようと、それでどうのと言うわけではない。だけど、僕以外の男の前ではめかし込んで、より魅力的ないい女の部分を見せていたとすればやっぱり少々妬けるというものだ。

「それじゃあ、霧島榛名に戻ったところで君が今、何を考えてどうしたいと思っているのか話してもらえるかな?」
 僕は少々浮かれているような彼女を敢えて無視して、ゆっくりと言葉を吐いた。そんな僕に彼女は一瞬表情を堅くしたが、直ぐにまた笑顔に戻ると
「もうじきご飯の時間なのに、部屋の中で言い争ったりしてたら仲居さんが困っちゃうわ」
 と言って僕をからかうかのように笑った。
「ふざけないで。思うに今、僕らはとても危険な状態にあると思うよ」
 いつもよりきつい僕の言い方に彼女も真顔になる。
「一応私もまじめよ。ちゃんとはっきりさせるから焦らないで。話はご飯の後でもいいじゃない。それこそ時間はたっぷりあるんだから。ちゃんと話し合いましょ」
 そう言うと彼女は、この話はもうお終いと言わんばかりにそっぽを向き、また髪を拭き始めた。

 会話もほとんど無いような、気詰まりな食事を終えた後、彼女はまた温泉に浸かりに行ってしまった。まるで結論を先延ばしにするかのように。彼女のそんな行為が僕をいらだたせる。
 食事の最中にも、このまま別れるって決まったら、今夜どんな風に過ごせばいいのだろうかとちょっと悩んだりもしたけれど、二人でこの部屋に泊まることは既に決定事項であり、今更彼女一人を帰すわけにも行かない。僕はそう考えて腹をくくった。おかげで結構ボーリュームのある精進料理もどんな物だったかさっぱりおぼえていなかった。しかし、僕が何かを決断すると、それは常に彼女の手で出鼻をくじかれる。その全ては僕の不甲斐なさから来るのだろうか?

「相変わらずやさしいって言うか、甘いって言うか……」
 彼女がQで言った言葉が記憶の中に蘇る。確かに僕は甘いのかも知れない。これから行われるであろう話し合いでも、彼女に泣きつかれたら僕は言いなりになってしまうかも知れない。もし、彼女がTERUさんとは東京にいる間だけ、今だけだから目をつぶってくれと言ったりしたら、僕はどうするだろうか? ひょっとしたらそんな我が儘でさえも許してしまうかも知れない。考えれば考えるほど自分が情けなくなって、落ち込んで行く。もっとも実際に彼女がそんなことを言い出すとも思えないが、最近の榛名は僕の理解の範囲を超えてしまったため、この先どうなるかはまったく予想がつかなかった。
 並べてしかれた二組の布団。もし僕らが、お互いを信じ切ってつき合っていた頃ならば、どんなに嬉しいシチュエーションだろうか? でも、今の僕にはそんなささやかな幸福さえも感じ取るだけの余裕はなかった。今はほとんど寄り添うように敷かれているそれも、これからの展開次第では、部屋の隅と隅に別れる事になるかも知れないのだから。僕は隣に敷かれた、今は主のいないその布団を眺めながらそんなことを考えていた。

「わぁ、もう布団敷いてあるんだ」
 僕が布団を眺めながら、ぼんやりしていると、背後から彼女の声がした。このパターンって多いよなぁ。それだけ僕がいつもぼんやりしているって事か。この数ヶ月は特に考えなければいけないことが多すぎたのだから、仕方ないことなのだけれども、部屋の戸が開いたのにも気付かなかったなんて……
「布団、ぴったりくっつけてあるんだ。那智のスケベ」
 これは仲居さんが敷いていったそのままだよ。そう言おうと思って、僕は口を開きかけたが、すんでの所でそれをやめた。そんなことは些末で、僕たちにはもっと大切な事があったはずだ。でも、彼女の態度をみていると、これから修羅場を迎えようとしている人のそれとは、とても思えなかった。
 でも、僕が冗談にも反応しないのを見て取ると、彼女はシュンとなって俯き、僕の隣の布団の上へぺたんと座り込んだ。そんな彼女の様子は見ていて可哀相なくらいだったけれども、僕だって十分、人から同情されてもいい境遇にあるはずだ。
 いまさらどちらに責任があるかとか、なんでこうなっちゃったのかとか、追求するつもりはない。僕には彼女を一方的に責めることはできないし、そんな権利もない。でも、これからお互いにどうしたいのか? それだけははっきりさせなくてはいけないんだ。このままずるずると泥沼に引き込まれることだけは避けなくてはいけない。
 今、僕の目の前にいる女性は、昼間僕を振り回したわがままなお嬢様でもなければ、いつも悪戯っ子の様に僕をからかいながらも、甘えた様子を見せる気まぐれな猫の様な少女でもない。何かに怯え、打ち震えるか弱い一人の女性でしかない。こんな彼女を見るのは初めてだった。
 今日、二度目の風呂から上がった彼女は、僕同様に旅館備え付けの浴衣に袖を通し、丹前を羽織っている。普段はその豊かな黒髪に隠された白いうなじも、まとめられた髪のわきからのぞいており、何とも言えない色香を放っている。科を作るように横座りをしながらもうなだれたように首を垂れるその様は、とてもはかなげで、見ている男全てを魅了し、保護意識をかきたてそうだ。
 僕はそんな彼女を見ていてふと思った。例のTERUさんという人と行った旅行でも彼女はこんなふうだったのではないだろうか? そうであれば、彼女自身が意識していたかどうかに関わらず、彼女はTERUさんという一人の男を結果的に自ら誘ってしまったんじゃないだろうか? もちろん、最初っから同じ部屋に泊まろうとした人だ。下心がなかったわけじゃあないだろうけど、こんな姿を見たら、そうでなくてもきっと理性が飛ぶだろう。
「ねえ、榛名。TERUさんと旅行に行ったときもそんなふうだったんじゃないのかい?」
 僕がそういった瞬間、ビクンと彼女の体が震えるのがわかった。滑稽なくらいぎこちない動作で、彼女の真っ青に強張った顔が僕の方を向く。
「な、なんのこと?」
「榛名が姿を消した一週間の間にTERUさんと、旅行に行ったことはわかっているんだよ」
「私はTERUさんと直接あったことは一度もないし、ゴールデンウィーク以降旅行に言ったこともないわ」
 自信満々に否定する彼女を見て、僕は自分の推測(既に僕の中では確信だったのだけれども)に自信がなくなった。
「いや、正確に相手の名前とかまでは言わなかったけれども、君は旅行に行ったことと、そこで何があったかを漠然とだけど僕、Pianomanに告白しているよ」
「Pianomanに? それってQでの話じゃない。それは私じゃなくてSpringのことでしょ?」
 あくまでもシラを切る彼女に、僕はこの日何度目になるか判らない深いため息をついた。確かに彼女(Spring)には浮気を絶対に隠し通せとは言ったけど、もはやその時期を過ぎていると思う。いまさら隠し立てしても一度浮気を告白している相手には通じない。
「Springは榛名じゃない。どちらでも一緒だと思うけど? 確かに僕はSpringに浮気を隠し通せとは言ったけれども、その本人を前に否定しても無駄だと思うよ」
「那智って単純なのね。こういう推測は立たないの? 私とは別にSpringと言う人がいて、今日私がSpringとして現れたのは、代理だっていうパターン」
 ここまでとぼけられるのはたいしたもんだと、僕は妙なところに感心してしまった。
「君のいう通りだとして、それじゃあなぜSpringさんは君に代理を頼んだの? 都合がつかないのであれば、日を改めればいいことじゃない」
「知らないわよ。そんなこと。それに断りきれないくらいに強引に約束取り付けたの那智でしょ。まったく、こんなときだけ強引なんだから」
 語るに落ちたとはこのことだ。なんで、彼女が僕とSpringのやりとりを知っているんだ。それに……
「今の発言で君がSpringだって認めた様なものじゃないのかな? Springは君に僕とのやりとりを事細かに説明したの? それにSpringと君は偶然とは言えないくらいに似ているんだよ。僕には別人とは思えないね」
 僕の台詞に、彼女はしばらく考え込んでいる様だった。でも不思議と動揺を見せたり、悔しそうな素振りを見せたりすることはなかった。なんかこうして彼女を問い詰めていることが既に彼女の計算の中に組み込まれているかの様な感じだ。僕はなにかひどく居心地の悪い感じがした。まるで自分がお釈迦様の手のひらから逃れられない孫悟空のようだ。
 しばらく何事か考え込んでいた彼女だったけれども、徐に顔を上げると僕の方を見た。その顔には例の口の端をゆがめた様な嫌な笑みが張りついている。どうもこの顔をされると馬鹿にされている様な気がして仕方がない。
「百歩譲って、那智のいうことが本当だとするわよ」
 そう切り出した彼女を制する様に僕が返す。
「本当だとしてじゃなくて、僕は事実と確信しているんだけど」
 話の腰を折られたのがよほど嫌だったのか、僕をみる彼女の目には憎悪の色が浮かんでいる。僕はとりあえず、おとなしく話を聞けばよかったと後悔した。きっと破局を迎える恋人たちというのは感情に任せて、こういったいらぬ諍いを重ねてつぶれていくんだろうな。
「私はまだ認めていないから仮定なの!」
 僕らはお互いに感情に任せてしばらく睨みあうかたちとなった。もっとも僕の方は、本当に怒っているというよりは、彼女への対抗上ひっこみがつかなくてなんだけれども。ここで引いたらなんかなめられて彼女の言いなりになっちゃいそうな気がした。
 そんな意味のない状態に疲れたのか、先に彼女の方がため息をつき、一度目線を外した。
「で、那智の言っていることが本当だとして、それでどうするの?」
 そういう彼女の瞳に浮かぶ憎悪の色は消えていない。このままだと、開き直った上に、逆ギレまで起こしそうだ。そう考えた瞬間、また立場が逆転ことに気がついた。なんで僕の方が彼女に気をつかわないといけないのだろう? 既に何度も考えたことを、また考えてしまう。
 いつでもそうだ。知り合ってからずっと彼女は我が道を歩み続け、僕はいつもそれを傍から心配したり、手助けしたり。彼女は惑星であり、僕はその衛星。それ自体に不満があるわけではない。彼女は自分の夢を追って、一生懸命羽ばたこうとしていた。僕としてはそれを手助けできるだけでも十分に幸せだったんだ。
 でも、こんなのはあんまりだ。僕は彼女の下僕じゃないんだ。いくらなんでも自分の上に胡座をかかれて、いいように利用されっぱなしじゃたまらない。別に見返りを求めるつもりはないけど、一応は恋人でいたつもりだ。でも、彼女の最近の行動をみる限り、そんな僕をかなりないがしろにしているように思えた。
「僕は、榛名が何を考えているのか教えてもらいたい。まだ、僕と付き合っていく気があるのか、それとも僕と別れて、この先はTERUさんって言う人と同じ道を歩んでいくつもりなのか」
 僕は、一言一句かみしめるように言った。この時、まだ僕は正気を保っていた。何とか話し合いを続けようとする理性はまだ、残っていたんだ。
「僕にはさっぱり榛名の考えていることがわからないよ。もっと君は聡明で、クリアーだった。常に自身に満ちて、何事にもはっきりものを言う娘だったはずだ。こんなの榛名じゃないよ」
 絞り出すような僕の声に、彼女は少し、驚いたようだった。大きな目をさらに大きく見開き、暫しの間呆然としていたが、それもほんのわずかな間で、次第に自分を取り戻すと、既に癖にでもなったかのようなシニカルな笑みを浮かべる。
「私のことは何でも知っているって口ぶりね。そのくせ、何を考えてるかわからないですって? 結局、那智の知っている私なんてそんなものなのよ」
 彼女は横座りしたまま、ずっと僕の方へとすり寄ってきた。そしてその顔が僕にくっつくかと思うくらいにまで接近させると、耳元でわざと作ったような甘い声で囁く。
「私が他の男に抱かれちゃったのが悔しいんでしょ。いいのよ、なんなら今夜しても」
 普段からはとても考えられない彼女の言葉に、僕は驚いて振り向く。そのとたん、視界は彼女の大きな瞳でふさがれる。すぐ目の前に彼女の顔があった。
 くっつかんばかりに接近している彼女の顔には、これまで見たこともないような妖艶な笑みが浮かんでいた。不意に彼女は身を乗り出すと、僕の唇を彼女自身のそれでふさいだ。そして両手を僕の首に回す。
「久しぶりのセックスに溺れちゃったのは事実よ。でもね、那智のことも今でも大好きなの。今夜一晩で、私の中から他の男を追い出すことができる?」
 唇が離れた瞬間に、彼女の口からまた囁きが漏れる。彼女の豹変した姿に僕は戸惑うばかりだった。そんな僕に彼女はクスリと失笑する。
「そっか、無理だよね。那智ってば全然経験ないんだもん」
 そんな彼女の一言が僕の中にあるマグマを煮えたぎらせる。突き放して彼女を殴り倒しそうになるのをすんでのところで堪えた。
 でも、彼女の暴走もとどまることを知らなかった。
「そうね、一晩じゃ無理として、とりあえず今夜は、二年以上付き合っているのに恋人になんにも手出しできない、情けない童貞男の筆下ろしに付き合ってあげようか。貴方の足の間にあるものがちゃんと役立つならね」
 彼女の妖艶な笑みの中に蔑みの色を見たとき、僕の中でなにかが壊れた。気がつくと僕は、彼女を布団の上に押し倒していたのだ。


一二.

 隣の布団で安らかな寝息をたてている彼女を見ながら僕は思わず苦笑した。今でこそ、その寝顔は満ち足りて実に安らかな表情をしているものの、その頬にはまだ、涙の跡が残っている。それのみが、先程までの僕らが迎えた修羅場の存在を示している。
 結論からいえば、きわどい所ではあったけれども、僕らは仲直りをした。怒りに任せて彼女を押し倒してしまった僕ではあったが、途中で気づいてしまったんだ。彼女の真実の姿に。
 彼女は、僕に押し倒された瞬間から、一切の抵抗をせずに、されるがままになっていた。その様子はまるで殉教者のようであり、それがまた馬鹿にされているようで、僕の怒りを誘った。しかし、彼女は抵抗しなかったのではなく、できなかったのだ。
 前にも話した通り、彼女は過去のトラウマにより、性的な行為に強い嫌悪感と恐怖心を抱くようになった。そしてそれはこの時にも直っていたわけではなく、彼女はその恐怖心ゆえに自ら動くことが叶わなくなっていたのだ。よく見れば、その表情は殉教者のように穏やかなものでなく、ギュッと閉じられた瞼や、中央に寄せられてつりあがったような眉、青ざめた顔がそのことを物語っている。そして、彼女の華奢な体は細かく震えていたのだ。
 ここにきて僕はひとつの疑問にぶちあたった。今、こんな状態の彼女が、本当に他の男に抱かれるなんてことがあり得るのだろうか? 今でも僕のことを大好きだといった彼女の言葉を信じるのであれば、他の男に抱かれることができる以上、僕にだってこんなに極端な拒否反応を示すことはないはずだ。何せ、今の彼女の状態は、直ぐにも引きつけでも起こしそうなほどひどいのだ。
 僕はため息と共に、責める手を休め、彼女から離れた。彼女はそうしたあともしばらくフリーズしたかのように固まったままだったが、やがて落ち着いたのか、おずおずと薄目を開けて僕の方を見やった。そして僕が何もせずに彼女を見下ろしていることに気づくと、気丈にも睨み付けてきた。
「何やってるのよ! さっさと抱いたらどうなの? それとも他の男に抱かれたような女は汚らわしくて抱くに値しないって言うの!」
 勇ましい台詞ではあったけれど、僕は気づいてしまった。それは彼女の中にある恐怖に対する自分自身への鼓舞に他ならないということに。彼女はまだ、自身のもつトラウマを克服したわけではないのだ。
「無理はよくないよ。これ以上したら、榛名が壊れちゃうよ」
 自分で言うのもなんだが、それは信じられないくらい穏やかで慈愛に満ちた声だった。さっきまでと自分の中でなにかが切り替わっていることに、僕はこの時初めて気がついた。
「本当のことを話してくれるね」
 おそらくはこの時点で彼女の計画は破綻、または終結していたのだろう。彼女は可哀相なくらいシュンとなり、目元まで布団をかぶると暫し思案していたが、やがて小さく頷いた。
「今更こんな事言っても信じてもらえるかどうかわからないけど……」
 躊躇いがちに彼女はようようといった感じで話しだした。少し口を開いてみては、また噤む。それは真実を知られることを恐れているようでもあり、またなにから話すべきか悩んでいるようでもあった。
「何を聞いても、もう怒らないから、判るように順序立てて、全部話して」
 僕の先を促す言葉に彼女は今一度目をつむるとひとつため息をつき、覚悟を決めたように話しだした。
「まず最初に言っておくけど、私とTERUさんとはなんでもないの。彼とはオンライン上でしか会ったことないし、もちろん特別な感情を持ってもいないわ」
 そう言いきると、それでも不安なのか、そこで一度僕の顔色を伺う。僕は静かに頷き、また先を促す。
「あの人、ああいう感じで誤解受けやすいのと、都合のいい発言が多いから、ちょっと利用させてもらったの。あの人はそうとは知らずに、私の仮想浮気に協力していただけ。だからもちろんあの人の言うハニーは私じゃなくて、他の誰かたちなの」
「じゃあ、旅行の話とか、そのほかのことも……」
「そう、TERUさんのプライベート発言を利用して、Springがいかにも一緒に行ったように振る舞っていただけ」
 にわかには彼女の発言は信じられなかった。あれが全て架空のものだったなんて。確かにSpringの発言はTERUさんの書き込みを後追いする形ばかりだったけれども、榛名自身、彼が旅行に行っている間留守にしていたじゃないか。
「それはそういう風に偽装していただけ。大体今はほとんど携帯で連絡とっているから、下宿の電話にかけて来るのは那智だけなの。そしてあの旅行の話が私の計画の一か八かの大勝負だったのよ」
 携帯電話を持っているだって? そんなことは初めて聞いた。しかも彼女の口ぶりだと、それを知らないのは僕だけ見たいじゃないか。それに大勝負ってなんなんだ? 一体何を企んでいたんだ?
 僕はよほど不機嫌な顔をしていたのだろう。彼女はちょっと怯えたように引きながらも、クスッと小さく笑った。
「何聞いても怒らないって言ったくせに」
 確かにそう言ったかもしれないけど……。僕にも反論の余地があるような気はしたが、とりあえず約束にしたがって、僕は何とか怒りを納め、再度先を促す。一体彼女の目的はなんだったのかを話してもらう為。
 彼女の話によると、彼女自身と、彼女の演じるSpringという人物はそれぞれにある役割を持ってネット上で僕に接していたのだという。まず、Springの役目は僕の不安を掻き立て、緊張状態を作ること。そして榛名自身の役目はSpringの作った緊張状態を解き、さらには僕が切れて極端な行動にでないよう抑制するというもの。これまで小さないたずらを仕掛けるときに(今回のことと比べれば、いつも僕がおちょくられていた程度のものは小さないたずらと呼べると思う)一人でやっていた役割を明確に切り分けて二役で分担したわけだ。
「で、わざわざそんなことをしてなにかメリットがあったの? いつもの様ないたずらにしては今回のは度が過ぎていると思うけど」
 僕の問いかけに彼女は再びため息をつく。
「わからないかなぁ」
 そう言う彼女の目はけっしてふざけてはいなかった。
「那智って全ての感情を自分の中にしまい込んじゃうでしょ? 怒りとか悲しみって言う様な負の感情は特に。それってね、気付いていないかもしれないけれど、自分に凄く負担かけているのよ。その証拠に私が東京へ行ってからの那智っていつも疲れている様な感じだったんだから」
 僕は……気付いていなかった。僕が疲れていたって?
「多分それに気付いていたのは私と……付き合いの長い那珂くらいなものだと思うけど、それくらい小さな変化でしかないんだけれど、それでも確実に那智の心は疲れていたと思うの」
 それが今回の動機? 僕の心を癒すことが目的だったのか? それなら逆効果だ。僕の心はこの数カ月というもの揺さぶられ続け、逆にすっかり疲弊してしまった。今じゃあ、感情のコントロールがものすごいエネルギーを使わないと出来ないようになってしまったのだから。
 ため息まじりにそう伝えると、彼女は静かに首を横に振った。
「那智の心は癒すんじゃなくってもっと根本的な治療が必要だと思ったの。もし何らかの方法で今は癒されたとしても、また日がたてば疲労してくるし、そんなことを繰り返していれば、那智だけでなく、私も疲れちゃって、いずれ私たちも破局を迎えることになると思うの」
 私たちも? 僕がそう聞こうと思った瞬間、彼女は寝返りを打つようにうつ伏せになると、枕の上で腕を組み、その上に頭を載せた。そして顔だけ僕の方を向けるとクスクスと笑いだす。
「他に誰かいたのかって顔ね」
 驚きながらも僕が頷くと、彼女は「那珂よ」とつぶやいた。
「彼女も那智のそんなところに疲れ果てて離れて行った一人なんだから」
 それも衝撃的な事実であった。確かにそう言う側面は持ち合わせていたであろうとは思っていたが、那珂が僕から離れて行ったのは高雄の存在が大きいと思っていたのだ。
「まぁ、気になるならそれは今度本人に直接聞いてね。とにかく、そんなわけでどうするのが一番いいか考えた末、出来たのが今回の計画だったわけ」
 僕にはいまだ彼女の狙いがなんだったのかさっぱりわからなかった。那珂のことも気にならないといえば嘘だが、今の僕は彼女のことで頭が一杯なのだ。
「那珂のことはとりあえず置いておくとして、今回のことがなにか役に立ったのかな?」
 僕の問いかけに彼女は信じられないというようにあんぐりと口を開け、しばらく言葉に詰まっていた。そして次の瞬間にはクスクスを通り越して、ケタケタとうつ伏せたまま笑い転げたのだ。
「那智がこんなにニブチンだとは思わなかったわ……わ、わからなければいいのよ。全然Springの正体に気付かない那智をちょっとした出来心で遊んであげただけだから」
 ますます笑いを深める彼女になんか馬鹿にされているようで、しかも実は遊んだだけといわれて僕の感情はまた怒りに満ちてしまった。そんな僕を見てさすがに笑いは収まったものの、彼女は臆することなく、穏やかな笑みを浮かべている。
「那智、今真剣に怒っているでしょ?」
 そんなこと見ればわかるだろうと言おうとして僕は気がついた。見ればわかる?
「一度感情の箍がはずれたら素直に感情表現出来るようになったみたいね」
 そう言う彼女の顔はとても嬉しそうに輝いていた。そして半身を起こすと顔を近づけまじまじと僕の表情を伺う。そのため僕はあわてて彼女から目をそらす羽目になった。何でかって? だってほら……
「は、榛名。その……見えてる」
 彼女は僕に組み伏せられたときのまんまだったのだから。
 そんな僕の声に我に返った彼女の方が今度はパニックに陥る。そして次の瞬間には僕の顔面に枕が食い込んでいた。「スケベ」の怒声と共に。
 結局、榛名のとった手段というのは、遠距離恋愛というお互いの情報が制限された環境で、僕の感情を刺激し、天国と地獄をさまよわせることで異常に発達した制御回路をオーバーヒートさせることだったんだ。そうすることで人並みな感情表現が出来るように僕の心を改善させたんだ。
「今回のことで、私の最大の誤算は那智が予想以上に鈍かったことね」
 枕が僕の顔から離れたあと、彼女は溜息混じりに言った。
「私の計画では、例の旅行の話の段階で那智はSpringの正体に気付いているはずだったの。そこで那智が怒ってくれれば、私の計画も完璧だったんだけど……」
「それなら最初っから名乗ればよかったじゃない」
 僕のそんな台詞はすぐさま彼女に否定されてしまった。
「そんな事したら、那智のことだものすぐさま私を切り捨てちゃったわよ」
 そんな事はないと否定しようとしたが、僕自身思い当たる節もありできなかった。
「現にさっきまで私と別れるつもりだったんでしょ? あきらめよすぎるのよね」
 そう言って頬を膨らませる彼女がなんともかわいい。
「だからね、今回のことは旅行の話の段階であきらめて、また別の方法を考えるつもりだったの」
「なんでそうしなかったの?」
 そんな僕の問いかけに思わず彼女はジト目になる。
「そうしたわよ。現にそのあとはSpringとしては那智と連絡とらなかったし……。でもタイミングよね。あそこでまたTERUさんのプライベート発言が出たから……」
 納得。最後は僕の方が呼び出したんだった。
「だから焦ったわよ。那智が考えている事はだいたい分かったし。今日一日、致命的な発言が飛び出さないように必死だったんだから。もっとも、最後は半分ヤケだったけど」
 なるほどそう言うことだったのか。それで今日までの彼女の不可解な行動にも納得がいった。
 でも僕にはまだ聞かなければならないことがあった。
「ところで榛名は、いつからPianomanが僕だと気付いていたの?」
 この僕の質問は又しても彼女の失笑を買った。
「最初っから」
「はい?」
 彼女の答えに僕はなんとも間抜けな声を出してしまった。最初っから? いくらなんでも最初から僕だとわかるような情報は与えていないはずだ。初対面のわけもわからない人にいきなり個人を特定できるような情報を与えるほど僕は間抜けじゃないはずだ。
「その顔は訳がわからないって感じね」
 相も変わらず彼女は嬉しそうだ。何度も首をうんうんと縦に振っている。
「なんでわかったの? 僕はSpringが榛名って気付いたのはつい最近なのに」
「那智は鈍すぎるの。それにもう一つ付け加えるなら無防備過ぎるわよ」
 さっきの榛名の方がよっぽど無防備だったよ。今は布団にくるまっている彼女へ投げかけた僕の言葉はこの日二度目となる枕直撃を以て黙殺された。
「那智、Qのプロフィールに全部書き込んであるでしょ」
 そう言われて、そんなものがあったことを思い出した。確かに僕は、Q導入時に良く分からないまま、個人情報欄を全て埋めなくてはいけないかと思い、まじめに全部書き込んだ。なるほど、彼女にしてみれば、話してみるまでもなく、住所、電話番号、職業、本名等からそれが僕個人と特定できたわけだ。
「ああ言うのは必要最低限にとどめておかないと、どんなふうに悪用されるかわからないわよ」
 との彼女のありがたいご指導に従い、帰ったら早速情報を削除することを心に決めた。
「那智がQのアドレスを持っていることが、今回の計画を思いつかせたの。ついでにこの間までパソコン自体に触ったこともなかった那智が、いつのまにかICQなんてものにまで手を出しているなんてかなり生意気だったし、それで誰か知らない人とおしゃべりなんてしだしたらって思ったら腹がたったから、ちょっといじめてあげたの」
 そう言う彼女はもう、いつもの霧島榛名だった。しかし、そのあと彼女は自分の格好も省みずに僕に抱きついてくると大粒の涙を流し、謝罪した。
「でも、ごめんね。凄くいやな思いさせちゃったよね。理由はどうあれ、きっといっぱい那智のこと傷つけちゃったと思う。本当にごめんなさい」
 僕の胸に顔を埋め、子どものように泣きじゃくる彼女をそっと抱きしめ、僕は彼女が泣き止むまでゆっくりとその頭をなぜ続けた。どのくらいの時間そうしていたかわからないけれども、その後我に返った彼女の手によって三度僕の顔に枕がめり込んだことを追記しておく。

 蓋を開けてみれば又しても僕が彼女の手のひらの上で散々踊らされただけの、実に他愛もない事柄だったけれども、その過程は実に真剣で、彼女は僕との全てを賭けて行動にでたのは確かだ。だって一歩間違えれば、その過程で僕らは確実に破局を迎えたことが容易に想像付くのだから。そして僕は彼女の計画通り、見事にだまされた訳だ。ゴールデンウィークに帰省したときの酔っぱらった姿や、そのあと那珂を通して発覚したいたずらも全て彼女の仕組んだ計画の一環だったのだと思うとちょっと悔しい気もするけれど、それは彼女の覚悟に免じて不問に処することにしよう。
 彼女のトラウマが直っていなかったのはちょっとだけ、本当にちょっとだけ残念だったけれども、そうでなかったらきっと彼女のことを信じきれなかったかもしれない。今回のことで、僕らの絆は以前よりも深まったと思う。今回の彼女の説明を裏付けるものは何もない。ひょっとしたら彼女はTERUさんと本当はなにかあって、僕に嘘をついているのかもしれない。でも、僕は彼女を信じられると思うし、信じようと思った。だって、今夜最後に見せた彼女の姿こそが、僕の知っている霧島榛名そのものなのだから。
 今回のことを限りに僕が彼女からおちょくられることもなくなるだろう。それは彼女が僕をからかうのは、僕に怒って欲しかったから。素直な感情を表に出して欲しかったからなのだから。素直に感情表現できるようになった今、それはもう必要ないはずだ。
 満面の笑みを浮かべながら眠る彼女を見ていると、何とも言えない愛おしさ見たいなものが沸き上がってくるのがわかる。僕はそっと彼女の頬に残る涙の跡を拭うと、静かに眠りに就いた。

 僕の淡い期待が見事に打ち砕かれたのは、その翌朝のこと。僕が目を覚ますと彼女は既に起きていて、ノートパソコンに向かっていた。
「朝から何しているの?」
 そう問いかける僕に彼女は振り向き、にこやかに挨拶をするとこう言った。
「今回のことをプロットだけでもまとめておこうと思って」
 まぶしい笑顔と共に彼女の口から漏れる台詞は僕をとことん打ちのめした。
「ねえ、これってミステリーになるのかな?」
 嗚呼、僕の彼女は一体……



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No.1508 【昨日は】
投稿者/ TERU [返信]
投稿日/ 2001年6月24日(日)09:12:26

昨日、と言うか夕べはハニーと一緒に螢狩りに行って来ました。
いや、まだいるもんですね蛍って。
おかげでいい写真も撮れました。

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終わり