勝手に連動企画 喫茶「吾眠」の日常



第二話 『瓶』 20歳 夏



                                     とっと







「きれいな瓶ね」
 カウンターにあるいつもの指定席に座っていた榛名が、一つの瓶を手にとりながらそう呟いた。
 それは大して背も高くなく、広く空いた口を大きめのコルクでふさいだ後、留め具でさらに上から押さえつけるようになっている、どこにでも転がっていそうな瓶だった。先日知り合いの古道具屋を訊ねた時に見つけ、何故かどうしても欲しくなって、買ってしまった物だ。買ったはいいけれど、特に目的をもって買ったわけでもなく、使い道に困って結局カウンターの上に放置してあったのが彼女の目に留まったのだろう。

 えっ? なんでそんなものが彼女の目に留まったのかって? それは僕がその瓶を以前、彼女の指定席に座ってずっと眺めていたからだ。そしてどうしても使い道を思いつかずに、そのままそこへ放置したと言うわけだ。
 僕は店内に誰もいない時にたまに、そうやって彼女の指定席に座る。普段、ここと東京に別れた暮らしている僕らは、こんな夏休みのような長期休暇の時でもない限り、滅多に会う事が出来ない。だからふと、彼女の事が恋しくなった時、僕はその席に座り、なんとなく一体感を味わう事にしているんだ。

「ほしい?」
 いつまでも瓶を手に持ったまましげしげと眺め続ける彼女を見て、僕はそう聞いた。すごく気に入って買ったはずのものなのに、何故か彼女に上げるのは惜しいとは思わなかった。
 僕の問いかけに彼女は瓶を陽の光に翳しながら、なにか考え込むようにじっとそれを見つめる。窓から入ってくる日差しに反射して、その瓶がキラキラと光る。その余波で、瓶を見つめる彼女の顔もハレーションをおこした感じに見えて、なんかすごく幻想的だった。僕が写真家だったら間違いなく、一枚取っている事だろう。そんな景色をみられただけでも、この瓶を買った価値があったなと僕は思った。それほど高いものではなかったし、僕はそれだけでなんか充分元を取った様な気になっていた。
 僕はそんな彼女の姿に見とれながら、その瓶を買った時の事を思い出した。

 最初、古道具屋の親父さんは、瓶を買おうとした僕の申し出を、「それは売り物ではないから」と拒んだ。そういわれると余計に手に入れたくなるのが人の性。どうしてもと食い下がる僕に親父さんはとうとう折れて、その瓶について話してくれた。それを聞いた上で、それでも欲しければ譲ってくれると言うのだ。
「それはなぁ。仕入れたもんじゃないんだよ」
 そう切り出した親父さんの話は、突拍子もなくてにわかには信じられなかった。
「それは拾ったんだよ。偶然にな」
 親父さんの話によると、たまたま海岸を散歩している時に波打ち際に打ち捨てられていたそれを発見したのだと言う。こんな所に『ごみを捨てるなんて』そう思って拾ったそれには手紙みたいなものが詰められていたという。
「それがこれだ」
 そう言って差し出された紙はすでに変色して、何事か書かれた文字も滲んでしまっている。
「何これ?」
「俺が思うにこれは誓紙見たいなものだな」
「誓紙?」
 言われてその紙を見直すと、確かに一番下に名前らしきものが連盟で書かれている。でも一体なんの? 紙に書かれている文字は少なくとも日本語ではない。英語ともちょっと違う気がする。だから滲んでいなくてもきっと中身を読む事は出来ない。
「誓紙っていやぁ普通結婚だろ」
 いや、他にもいろいろとあると思うけど…… 結構親父さん、ロマンチストなのかもしれない。結婚の誓紙を瓶詰めにして海に流す事にどんな意味があるのかと思うけれど、なんとなくわかる気がした。
 結局僕はその拾い物の瓶を譲り受けたわけだけれども、今の今まで、すっかりその話を忘れていたんだ。これは結構使えるかのしれない。たまには思いっきりロマンチックに二人の仲を演出してみるのも案外楽しいんじゃないだろうか?

「……じゃないの?」
「えっ?」
 しばらく自分の世界に浸っていた僕は、彼女が何を言ったのか聞き逃してしまった。そんな僕に彼女は苦笑する。
「だから、那智が必要だから買ったものじゃないの? って言ったのよ」
「あゞ、別に必要だからってわけじゃなくてね、なんとなく気に入っちゃって、気がついたらお金払っていたんだ」
 僕の答えに彼女は「なによそれ」っていいながらコロコロと笑った。こんな彼女を一日中眺めていられたらどんなにか幸せだろう。なんとなく僕の中に、彼女との結婚願望が沸き上がってくる。今はまだ、彼女は学生だし、地元を離れて東京にいるわけだから、そんな事考えられないだろうけど、卒業してこちらに帰って来たらそのときには。

「ねえ、榛名。一つ提案なんだけど……」
 僕はふと思いついた考えを彼女に打ち明ける。面白そうに僕の話を聞いていた彼女だけれども、聞き終わった途端に一言。
「今からわたしを縛りつける気なの?」
 でもその顔は笑っていた。
「そうだよ。そうしないと榛名はどこまでもふわふわ飛んで行っちゃいそうだからね」
「ひっど〜い。わたし、そんなに軽くはないわよ」
 それでも彼女は僕の考えに賛成してくれた。

 次の定休日、僕は彼女と連れ立って海へ行った。
 僕らの行き先は、県内最南端の岬。昔ここに異国から流れ着いた椰子の実で有名になった所だ。岬の先端から少し戻った所に小さな砂浜がある。都を落ち延びてきた男女がここで貝になったという伝説の砂浜。その謂われからか恋路ヶ浜と呼ばれるこの浜が、僕たちがこれから行う儀式にぴったりの気がしたんだ。

 僕らは浜に降り立つと鞄の中から瓶を取り出す。しっかりと栓をし、目張りまで貼られたその瓶の中には一枚の紙切れ。これは僕と榛名の婚約誓約書。別に結納を交わしたわけでもなんでもない、二人だけの口約束にすぎないけれど、僕らが将来、一緒になって共に人生を歩んでいく事を誓い合ったことがその紙には書かれている。
 僕らはその瓶を沖へと放り投げた。椰子の実がたどり着いた浜から旅立ったそれは、一体どこにたどり着くだろう。

 しばらく瓶の行く先を見守っていた僕に榛名が徐に話しかけてくる。
「ねぇ、那智。これって海に投げ入れる必要があったの?」
「さあ? でもね、手紙の入った瓶って言うものは波間を漂うものなんじゃないかな」
「どこにたどり着くのかしら」
「未来の僕たちに」
 そんな僕の答えに彼女も微笑む。そんな彼女を見つめる僕。やがて夕日に染まりながら僕らの唇がゆっくりと重なった。