Script1さん 三題噺企画 参加作品 お題「ふとんの中」「会話」「年上の彼」


小説



『流れゆく時の中で』



                                     とっと







「陛下、ようこそおいでくださいました」

 わたしはまるで自分の部屋のごとくソファーにくつろぐ殿方が差し出すグラスにお酒を注ぎながら慇懃にご挨拶申し上げる。彼はエルヴィン帝国第四代皇帝フェルディナンド様。お年を召してすでに総白髪になったその頭から白髪鬼と呼ばれ、時にはその嗜好から好色王の名で広く世間に知れ渡るその人だ。そしてここは彼の後宮にある一室。わたしは彼にお仕えする女官で数多いる愛妾のうちの一人なのだ。
 彼の後宮は好色王の名に恥じぬくらいに規模が大きい。ここで彼のお手つきとなった女性は両の手足ではきかない。自分の娘を使って帝国内での権力を延ばそうとする貴族達が送り込んだ妃がすでに十人のよういる。そのうえ各地で陛下ご自身が見つけてきた娘たちが女官という名の妾として数十人彼にお仕えしている。しかしそのなかで普段から彼のご寵愛を受けられるものは限られる。好むと好まざるとに関わらず、彼のお気に入りだけが毎夜順番に愛されるのだ。
 わたしは幸か不幸か、陛下の愛妾の一人に含まれてしまった。そのためわたしのところにも夜な夜な陛下がお渡りになる。一晩わたしのところでお過ごしになることもあれば、わたしを先頭に幾人か回られることもある。どちらにしても毎夜、わたしのところへ一番にお渡りになられるのだ。これにはちゃんとした理由がある。

 お酒を召されている陛下の傍らでわたしは薬草を煎じて丸薬を作る。このときちょっとした呪文を唱えるのだ。私の一族は今では希少となった魔法使いの一族。少数ながら皆、強力な魔力を秘めており、戦ともなれば陛下の親衛となったり、敵を攪乱する遊軍となったりと、欠かせない存在だ。そんな一族の中でわたしは例外的に魔力が弱く、ある特殊なものを除いてほとんどろくな魔法を使えない。その代わりに、薬草の扱いとそれらに付随する呪文については精通している。そのためこうして毎夜、陛下のために強力な精力剤をお作りすることとなったのだ。好色王の異名を取るほど色好みであらせられる陛下ではあるけれど、御歳五十を数えられたいま、これなしではご自分の体も思うに任せられないため、まずわたしのところへお渡りになるのだ。

「できたか?」
 わたしの手が止まっているのを見て、陛下がお尋ねになられた。お年のせいか、どうもせっかちなところがおありになる。自分で作った精力剤を使われて、これから陛下に抱かれるのかと思うと思わずため息がこぼれる。毎夜のこととはいえなんとなく割り切れない。陛下ご自身を疎ましく思う気持ちはないのだけれども、取り分けて敬愛申し上げる気持ちも、恐れ多いことながら沸いては来ない。わたしの心にあるのは……

「いましばらく……」
 お急かしになる陛下をなだめながら、薬の調合に戻るわたし。口の中で静かに呪文を唱えながら薬をこねる。今回は薬草の配合を変えて即効性と効果を少しだけ強めてみた。せっかちな陛下からはいつも効き目が遅いとお小言を食らっていたのだ。
「其方の作る薬はよう効く。よう効くが後で反動が大きいのが難点じゃ。その辺もそっと何とかならぬか」
「申し訳ございませぬ。私の知識がたらぬばかりに……」
 また、ご要望がでた。でも愁傷に謝って見せるわたしに陛下は相好を崩して見せる。
「よい、よい、其方の作る薬がやはりいちばん効くのじゃ。また時間を見て研究しておくがよい」
「かしこまりました…… 陛下、お薬でございます」
 陛下のやさしいお言葉に恐縮しながら出来上がったばかりの薬を差し出す。この薬、たしかに精力剤ではあるのだけれど、その効力が切れた途端、その反動がどっと出る。そして長く服用されると持久力がなくなり、全体的な体力の低下につながってしまうのだ。これは訳あってわざとそうしているのだけれども。そのため最近の陛下は一晩中後宮の女性のところを巡り歩き、その反動で翌日はお昼迄お休みになられる。

「さて、そろそろ參ろうかのう。其方の調合した薬の効果、たっぷりと味わせてくれようぞ」
 その言葉と共にそれまでの好々爺と言った感じだった陛下のお顔が厭らしく歪む。ゆっくり立ち上がり下卑た笑いを浮かべながら、わたしの方へと歩み寄られる。そしてすっと目の前に手をお出しになられた。わたしは心の中でため息を付きながらもその手をお受けし、共にベッドへと移動する。
 この部屋にあるものは、ベッドをはじめ皆すばらしいものばかりだ。ベッドは陛下もお休みになられるため天蓋付きの豪華なもので、三人は並んで寝られそうなほど広い。そのうえ薄く編み込まれたカーテンのようなものまでついている。絨毯もどこか西域の方で織られた様な不思議な柄の入った立派なものだし、調度品もすべて見事な彫刻が施された見たこともない様な代物ばかり。普段テント村で生活していたわたしには夢にも見たことがないようなものばかり。ナイトテーブルの上におかれた菓子器にも甘さとほろ苦さの混じった様な不思議な味のするお菓子がいつも盛られている。帝国を支配する王侯貴族と、辺境の民の差というものをまじまじと見せつけられるような感じだ。

「また薬の調合を変えたか? 今宵の薬はことのほかよく効きよる」
 わたしは陛下の手によってベッドに横たえられ、ゆっくりと衣類をはぎ取られてゆく。普段せっかちな陛下ではあるけれど、こういうときだけは別だ。獲物をいたぶる肉食中のように狡猾で、じわりじわりと真綿で首を締めるかのようにお責めになられる。
「今宵はどの様にしてほしい? 薬の礼じゃ、其方の望む様にしてくれようぞ」
 それならば、今宵はこのまま静かに寝かせてください。そう思うものの、そのようなことは口が裂けてもいえるものではない。わたしは静かに目を閉じ、「陛下のお心のままに……」とのみ答えた。本当は陛下におまかせしたくはないのだけれど、他に答えようもないわたしにはどうしようもないことだ。
 陛下はもともとそういう性格なのか、それとも日中の激務? によるストレスからなのかちょっとサディスティックなところがある。あまり酷いことはされないが、彼との行為は愛されるというよりは嬲られると言った方がしっくりくる。陛下は肉体よりも精神(こころ)を嬲ることのほうがお好みで、精神的に娘たちを屈伏させることに生きがいを感じていらっしゃるようだった。それが一晩続くかもしれないと思うと、ため息が漏れるのを禁じ得ない。

「はてさて、わしの思うままにと申すか? ならばわしは何もせぬ。其方の思うようにしてみせよ」
そう仰る陛下のお顔は、憎らしい笑みを浮かべ、豊かな口髭の下からは黄色い歯が覗いている。どうやら新しいお遊びを陛下は思いつかれてしまったようだ。わたしに主導権を握らせることで、羞恥心を煽るおつもりに違いない。最後まで陛下が何もしないなどということはあり得ないけれども、それでもわたし自らがそのような行為をするというのにはかなり抵抗がある。しかし、お顔こそ締まりなく緩んでおられるものの、今の陛下のお言葉は、有無をいわさない厳しい口調であられた。こういうときはご命令と思わなければならない。
「御意……」
 多分、陛下にそうお答えしたときのわたしの顔は真っ赤だったと思う。それは羞恥と共に屈辱の現れ。わたしの心の奥底には敬愛してやまない別の方がみえる。それなのに、抗いきれない力によって他の男のものにならなければならないというだけでも屈辱なのに、それを自らの手で行えというのは耐えがたい物があった。それでもわたしにはそれを拒むことは許されない。自分のためにも、愛おしいあの方のためにも。陛下のご寵愛を失うわけにはいかないのだ。

 結局一通りのご奉仕のあとはやっぱり攻守が逆転し、わたしは陛下に良いように女として支配されてしまった。そして行為のあとの余韻に熱く火照った体を、陛下の胸に預けてわたしは、しばしの休息を得ていた。もっともその間も陛下の手は休まることはないのだけれども。
「どうだ。いかがであった?」
「……」
「悪いはずはなかろうの。あれだけ良い声で泣いたのだから」
 そんな質問に答えられるわけがない。本当に愛している殿方以外から受ける行為など、かならずどこか冷めてしまうものだ。陛下は自信家でおられるから、わたしがすでに陛下の虜にでもなったようにお感じになっておられるが、わたしにしてみれば義務を果たしているにすぎない。答えようのない問いかけに、わたしは陛下の胸に顔を埋めることで返答をごまかした。
「これも其方の調合した薬のおかげぞ。いかがなものじゃ。自分の調合した薬の力を己が身で試される気分は」
「全ては陛下のお力強さの賜物にございます。陛下のご威光に掛かれば隣国ムーアとて一蹴にされましょう」
 これ以上不毛な会話を続けるのはさすがにためらわれる。わたしは話題を変えるよう陛下に仕向けた。
「はは、ムーアに今、兵を動かす余力などない。あそこは今、リシュリュー王国と緊張状態にあるからの」
「でも、帝国西方の部族がムーアに与した場合、こちらへ活路を求めては參りませんでしょうか? 父が以前よく申しておりました。西方部族は油断がならぬと」
「案ずることはない。そのときには余が直々にまいって皆蹴散らしてくれるわ。もっとも西域の者共もそこまで愚かではない。たしかに反復常ならざる地域ではあるが、その分どちらか一方に肩入れするということはまずないのじゃ」
 わたしは陛下の言葉を一語一句違わぬよう記憶にとどめる。それらはどれも有益な情報なのだった。


 いつのまにか寝てしまったらしい。わたしは夢を見ていた。
 夢はわたしがまだ、村にいたころのものだった。緑に囲まれ、みんなテントに住んで、狩りをして…… この帝都での暮らしを思えばはなはだ原始的ではあるけれど、素朴で穏やかな生活だった。父母に愛され、そしてわたしの隣には……
「…… ヤクシ様…… 」
 寝言を発してしまったらしい。自分の声に驚いて目が覚めた。目の前では陛下がものすごく怖いお顔をされてわたしを睨んでみえる。
「ヤクシとは何者だ」
 強い怒気を含んだ声。太い指がわたしの顎をとらえる。
「申せ、ヤクシとは何者だ!」
「夢を見ておりました……」
 陛下の強い問いかけにわたしは静かに答える。
「村にいたころの…… まだ子供の頃の夢です」
 そう言ってわたしは微笑んで見せたが、陛下のお怒りは納まりはしない。
「村にいたころの恋人か?」
「大国を治める皇帝陛下ともあろう御方が、しがない女官の小娘の過去に目の色を変えられていかがします」
 わたしはそう言ってコロコロと笑って見せた。実際これまで数多の女人を泣かせてきた、女にかけては百戦錬磨の好色王が、自分の孫と言っても良いような小娘の過去に嫉妬する姿というのは滑稽なものだ。でもすぐに真顔になって言葉を継ぐ。
「ヤクシ様は村の長のご長男で、私の許嫁でございました。」
 そう、本来ならわたしは一族の長の長子であるヤクシ様の元へ嫁ぐはずだったのだ。
 許嫁の言葉に陛下はひどく反応される。私の両の手を交差させると、そのまま頭の上で一つにまとめて押さえつける。そして空いた方の手でまた、わたしの体を弄る。
「その男にいまだ思いを残しておるのか? その男にもこうして組み敷かれて、抱かれたのではないか?」
「…… 子…… 供の頃のことに…… ございます…… そ…… れ…… にヤクシ様とそのような…… 関係であったかどうかは、陛下が…… 陛下がいちばんよく…… ご存じのはずではありませんか……」
 激しく責めたてられ、わたしは息も絶え絶えに答える。実際わたしは後宮(ここ)に入るまで男の人を知らなかった。族長を継ぐものと幼少の頃から定められたヤクシ様と、その妻になることがやはり生まれた時から決められていたわたし。どちらも厳格に育てられた。とても結婚前にそのような行為に及ぼうとは考えもしなかった。それにどのみちわたしが十六になった暁にはヤクシ様の寝所へ伺い、妻となるはずだったのだからわざわざ、人の目を盗んでそのようなことをする必要も感じなかったのだ。
 そんな疑いもしなかった自分の将来を変える出来事が起きたのは、わたしが後三日で十六になると言う日だった。その日、たまたま近くへ狩りにお越しになられていた皇帝陛下が村をお訪ねになられ、長のテントでご休息になられた。そのときたまたまヤクシ様の元を訪れていたわたしを見初められて、後宮へ差し出すようお求めになられたのだ。これには村の長老たちも困惑の色を隠せなかった。そのときわたしはすでにヤクシ様の元へ嫁ぐお支度を済ませていたのだから。

 ヤクシ様とわたしは親同士が決めた許嫁ではあったけれど、わたしは彼のことを敬愛申し上げていた。いつも涼しげな眼差しで皆を見つめられ、感情を表に表すことなく、冷静に物事を判断されるそのお姿は次期族長にふさわしく、また近親婚が多いためか美男美女の多い一族の中にあってもそのお姿は一際一目を引くほどの御方だった。わたしは十になったときに初めて自分がヤクシ様に引き合わされ、許嫁であることを教えられたが、一目見たときから至上の方としてお慕いするようになったのだった。
 厳しい規律に縛られた我が一族の中にあっては、例え許嫁とは言ってもそうそうヤクシ様とお会いすることは叶わなかったのだけれども(わたしたちの一族では女性が人前に姿を現すことを極度に嫌うのだ)、それでもわたしはヤクシ様のお姿をいつも影からお窺いしていた。お祭りなど女性も参加できる行事のときなどは、一族の他の女の子がうらやむ中、ヤクシ様をよく一人占めしたものだったのだ。
 わたしは両親にこのままヤクシ様の元へ嫁ぎたいと泣いてお頼みしたし、あまりの陛下の申し出にヤクシ様も珍しくお怒りになられたが、如何に魔法使いとはいえ、辺境に住む小さな部族が帝国の御威光に逆らえるはずもなかった。長老たちも一応の説明をし、すでに決まった相手のいることだからとやんわりとお断りしたりしたけれど、陛下のわたしに対するご執心はなみなみならぬ物があり、聞き入れてはいただけなかった。そのようなわけで、わたしも泣く泣く心を決めなければならなかった。十六になったその日にわたしは一族と別れを告げ、陛下と共に住み慣れた村を後にし、帝都への道すがら、後宮へ入るのを待たずしてわたしは陛下のものとなった。

 激しい行為の後、ご満足されたのか陛下は高いびきをかいて眠ってしまわれた。わたしは先程陛下からお聞きした話を自分の中で整理する。そして頭の中で要点だけを分かりやすくまとめるのだ。
 陛下はわたしを嬲りながらもご機嫌でお話を続けた。時々そっと誘導すると大概どんな内容でもお話しくださる。そうやってわたしは陛下から帝国の情報を引き出すのだ。

「ヤクシ様…… ヤクシ様……」

 わたしは心の中で敬愛してやまない我等が長の名を呼び続ける。風の噂ではあったが、先年、長が病に倒れられ、ヤクシ様がお若いながらにその職を継がれたと聞いている。しばらく呼び続けると、私の中に小さな変化が訪れた。それまで誰もいなかった真っ暗な空間に穩な光が浮かび上がる。ヤクシ様だ。ヤクシ様の心のゲートが開かれたのだ。
「ヤクシ様…… 皇帝フェルディナンドは反乱の兆しには全く気付いておりません……。さらには我が一族はいまだ帝国に忠誠を誓っていると思っております。」
 わたしは意識の中でヤクシ様に話しかける。これが特別な魔力を持たぬわたしに与えられた力。精神感応。人の心の中に入り込み、それに作用する力。国によってはテレパスとか呼ばれることもあるものだ。この力でわたしは毎夜ヤクシ様の夢枕に立ち、帝国の情報をお伝えしているのだ。それもこれも来るべき帝国への一斉蜂起のため。辺境部族を中心に多くのものが帝国の支配から逃れるために立ち上がったのだ。
「皇帝陛下は万が一反乱が起こった際には、我が一族を万が一の場合に備え後ぞなえに置くおつもりのようです。ひょっとしたら陛下の背後を狙えるやもしれません」
 この会話は一方通行。テレパスの力を持たないヤクシ様はその思考をわたしに送ることは出来ない。いつも一方的にわたしが情報を送り、ゲートは閉じられる。わたしにもっと力があれば、ヤクシ様のお声も聞くことが出来るようになるのかもしれないが、今のわたしにはこれが精一杯なのだ。ヤクシ様とコンタクトをとるのも、あの方が浅い眠りに入ったときだけ。心の鍵が緩んだ隙を狙ってそっと入るのだ。魔法使いの一族に生まれながら魔力の弱いわたしには、そうやってやっと彼の心に入り込んでも、コンタクトを取れる時間は限られてしまう。必要最低限の情報を彼の元に送り込んだ後は、自分の想いなど伝える暇もなくゲートは閉じられてしまう。でもヤクシ様たちの蜂起が成功した暁にはきっとお顔を拝見できる日が来るに違いない。その日のためにわたしはできうる限りのことをしなくては。

 わたしは毎夜、陛下の腕に抱かれながら、彼とお話をする。それは陛下ご自身のことであったり、だれか帝国の将軍のことであったり、はたまた帝国全体に関わることと内容はいろいろなのだけれど。陛下と一つの褥に同衾して、わたしは毎夜陛下から役に立ちそうなお話をきく。
 陛下が寝てしまわれたあと、今度はわたしはヤクシ様とお話をする。一方的にわたしがお話しするだけだけれども、この帝都の後宮に設えられた豪華なベッドの上から、遠い辺境の村にあるテントに眠るヤクシ様に陛下からいただいた情報をのこらずお話し申し上げる。陛下が安らかにお休みになられているその隣で。
 わたしは毎夜、二人の殿方とお話しをする。それはわたしが敬愛してやまない我等が長にして永遠の心の恋人であるヤクシ様のため。傍若無人な帝国の振る舞いから一族を救うために立ち上がろうとしているあの方のお役に少しでもたちたいから。そしてそれは私自身のため。権力に弄ばれるこの運命から私自身が開放されるためなのだ。
 蜂起の日は近い。お隣で安らかな寝息を立てられている陛下のお顔を覗き込みながら、私はその口元に笑みがこぼれるのを止めることができなかった。


                              End