学園長からいいつかった用事を済ませ、半助はのんびりと歩いていた。
さほど難しい仕事でもなかったし、久しぶりに一人で少々遠出をした。 子供たちは可愛いし、ほとんどプライベートな時間のない生活も、苦にもならない性格ではあったが、やはりこうしてたまに一人になってみると正直清々する。山田先生には申し訳ないが、少しのんびりと時間をかけて帰ろう。 そんなことを思いながら通りを歩いていた半助は、一人の男とすれ違った後、ふと足を止めた。 その男は荷車を引いていた。荷車には米俵が幾つか積んであった。珍しくもない光景だ。が……。 その男、どうも農民には見えない。見えないというより、半助にはそう感じられない。米を買いつけた商人にも見えない。それにしては米俵の数が少ないからだ。何やら目つきも油断なくあたりの様子をうかがっているようだ。 何よりも、米俵からかすかに例の匂いが漂ってきた。忍者には、とりわけ半助にはなじみの火薬の匂い。 もちろん火薬の壷を堂々と見せて運ぶバカもいない。が、普通はちゃんとした身なりの商人や侍が運ぶものだ。しかしその男の風体は、髪は(半助以上に)ぼさぼさだし、身なりも整っているとは言いがたい。 また余計なことにかかわってしまうのも、子供たちに対して面目が立たない。が、思い過ごしならばいいが、これは少々危険なことがかかわっているような気がする。放っておいてもいいものか。 半助は思いきって、体の向きを180度変えて、くだんの男をこっそりつけていった。 男はがらがらと荷車を引いていった。半助がたっぷり半日も尾行した後、男はとある町の裏通りにある屋敷に入った。表は何かの店のようでもあったが、何の看板もなければ、普通の人間がすっと入って行きやすい雰囲気もない。何かは分からないが「裏」稼業の人間が利用する類の店であろう。そんなことに今さらとやかく言おうとは思わないのだが……。 男は裏口へ回った。すぐに戸口が開けられ荷車が引き入れられた。 すでにあたりは暗くなっている。半助は物陰に隠れて衣を裏返してから、軽々と塀を乗り越えて忍びこんだ。 男のいる場所はすぐに知れた。頑丈な作りの蔵から、明かりが漏れていた。 半助は屋根に乗り、高い位置にある窓からそっと中をのぞき込む。 中では先ほどの男と、この家の主(あるじ)とおぼしき男が二人きり。やせて、口ひげを生やした主は、趣味の悪い高そうな着物を着ていて、いかにも胡散臭い。 二人は米俵を開けている。すでに開いたものもある。案の定、中からは小さな壷。そして、そのふたを開けて、主が中身を確かめているふうだ。小さな明かりの下でも、それと分かる独特の黒。そしてあの匂い。 「なかなかいいものじゃないかね。ん? 今回の出所は?」 「堺の十文字屋だ。あそこは上物しか入れないからね。ブツは確かだよ」 十文字屋? 半助に緊張が走る。十文字屋は、忍術学園と取引がある。火薬も納めているから、半助自身も何度かそこに出向いたことがある。出所、ということは、そこから買って、いや、恐らくは盗んできたのではないか? 店の主はにやりと笑って、その壷の中身を、蔵の中にあったもっと大きな壷へと移した。 それから、さらに別の壷をあけると、そこからまた火薬のようなものを出して、男が運んできた壷の中へ入れて渡した。 「今度はどっちのほうへ行くね?」 「ちょっと遠出をして岩出の荘のほうへ行ってみる。あんまり近くで続けて、感づかれるといけねえからな」 男はぶっきらぼうに答えた。 岩出ということは、紀州の根来ということか。火薬も手に入るというものだ。 「そうだな。それじゃ路銀をいつもより多目にやろう。それから、これが今回の報酬だ」 主は布でくるんだものを男の前に置いた。ジャリ、と銭の音がした。 男は、なぜか再び火薬を詰めた壷を米俵に隠し、荷車に積んで出ていった。 もう夜だというのに、そんなに急ぐのか、はたまたここにいることが知られると困るのか。 半助は、男を見送った主が蔵に鍵をかけ、母屋に戻るのを見届けると、屋根から下りて鍵を開けた。いくつもの鍵がかかっていたが、半助は冷静に一つずつ開けていく。壁を切ってしまってもいいが、今回は侵入の形跡を残したくない。めんどうでも鍵を開けて、逃げる前にまたかけていかなければならない。 かすかに差し込む星の光を頼りに、例の二つの壷を見つける。そっとふたを開けてみる。 一つは、たしかに上物の黒色火薬。そしてもう一つ。こちらはだいぶ質が落ちる。匂いをかいで半助は、ふと妙な感じがして手にとってみた。 (これは……) 質の落ちる火薬だけではない。そもそも火薬以外のものが混じっている。黒色の石を粉砕してすりつぶしたかのようなもの。煤も混ざっている。 (小松田くんなら見分けがつかないかもな……) 思わず思い出し笑い、いや、苦笑いを浮かべる。 (笑ってる場合ではないな。十文字屋、と言っていた。もし、さっきのをあそこから盗んできたのだとしたら……しかし……) 半助は、それこそ分身の術でも使えたらいいのにと思った。この店ももっと探る必要がありそうだ。あの男のあとも追わなければ、またどこからか盗みを働いてくるに違いない。だが、早く十文字屋にこのことを連絡しなければ、学園のみならず、どこに被害が及ぶか分からない。 (ええい!) 半助は腹を決めると、堺の十文字屋へ向かうことにした。あの男は荷車を引いている。そう早くは動けまい。それにおそらく夜はどこかに泊まるなり野宿するなりするのだろう。後から追いつくことはできる。 そう決めて半助は、夜の中を全速力で走り始めた。 ほとんど休まず、食事も睡眠もとらずに走りぬいて、翌日の昼過ぎには堺の十文字屋に着いた。 店といっても、品が店先に陳列してあるわけではない。武器だの火薬だのを扱うのだ。店は立派な門の奥にある。 半助がどんどんと門をたたき、忍術学園の者だと告げるとすぐ、十文字屋の主人が出てきた。 「おや、土井先生、突然どうしたことです?」 半助は答えるのももどかしく、どんどんと中に入っていった。 「あ、あの……。」 主人はおろおろしながら半助の後についていくような格好になった。 「最近、何か盗まれた気配はありませんでしたか?」 半助は堅い表情で歩きながら言った。 これには主人はあからさまに不快な顔をした。 「私どもの警備の固さはご存じのはずではありませんか? 万が一侵入されたとしても、それに気づかないわけがありません」 しかし半助はそれを無視して、どんどん蔵のほうへと歩いていく。気分を害した主人はそれを押しとどめようとしたが、軽く払われてしまった。 「火薬が盗まれていると思われる情報を得たのです」 「そんなはずはありません。毎日きちんと確認しております! 失礼ではありませんか!?」 「中身は?」 二人は蔵の前まで来て、止まった。 「は?」 「壷が丸ごと一つなくなっていればすぐ気づくでしょう。しかし中身の確認もされましたか?」 「か、開封してあるものはもちろん確認しますが……」 ようやく青ざめた主人に、半助が静かに言った。 「開けてください」 蔵の中に入ると、半助はさっさと火薬を入れてある大きな壷が幾つも並んでいるところまで行った。 「たしか明日、忍術学園に出荷していただく分があるはずですね」 「は、はい。そこに、ちゃんと封をしてございます」 盗まれているわけがない。ちゃんとそこにあるではないか。しかし、まさかという思いに十文字屋主人は緊張した表情だった。 半助が蓋を開けた。主人が横からのぞきこむ。 あった……。主人はほっと安堵し、ほらみろとばかり半助の顔を見た。 半助は厳しい表情のまま、ぐいと手を壷の中のほうに入れて、ひとつかみ火薬を取り出した。 薄明かりの中で、じっと見つめ、手で感触を確かめると、その手を主人のほうに突き出した。 「お改めを」 主人もそれを手にとって、匂いをかいでみた。 「こ、これは! そんなバカな!」 それは純粋な火薬ではなかった。あの怪しげな家で半助が見た、黒っぽい粉が大量に混ざっていたのだ。 主人の顔から血の気が引いた。 「このようなもの、うっかり使ってしまったらどういうことになるか、お分かりですよね」 「いや、その、そんなはずは……。ちゃんと質の良い物を入れたはずなのですが……」 「ですから、盗まれたのです。そしてその代わりにこのようなものを足して封をしておけば、たいがい気づかれません」 「うう……しかしちゃんと警備を……」 「そんなもの、こう言ってはなんですが、わたしだって簡単に破れます。つまりはそのような者が侵入したということです。あなた方のせいではありません。が、追って学園から連絡があるでしょう。それまで納入はしないでいただきたい」 そう言うなり、半助は早くも蔵を出て、門のほうへ向かった。 「わたしは犯人に心当たりがありますので、このまますぐ追います。そのように連絡してはありますが、学園の者が来ましたら、一応ご主人からもそうお伝えください」 「は、はい!」 門のところで、うってかわってぺこぺこと頭を下げる十文字屋を振りかえりもせず、再び半助は走り始めた。 2日間、ほとんど不眠不休で山道を越え、半助は根来に入った。これであの男の先回りができたはずだ。あそこから荷車を引いてくるならおそらくは、と、半助は海側から上ってくる街道を逆走する。 そのころ、半助は左足に違和感を感じていた。何か思うように動かないような、重い感じ。左足の腱の、身に覚えのある場所。しかし、半助はあえてそれを無視した。 ほどなくして日が沈んだ。すると、それを待っていたかのように、聞き覚えのある車の音がした。半助は木の陰に身を隠した。 間違いない。あのぼさぼさ頭の男だ。やはり米俵を荷車に積んでいる。 半助は、荷車が行き過ぎてから、後ろから飛びかかった。 全く不意を衝かれて男が防御できずにいるところを、思いっきり殴り倒した。 半助は肩で息をつきながら、荷車の男を捕縛しようとした。ところが、男はふらふらと立ち上がると、必死の反撃に出た。殴りかかってくるのを、半助はひらりとかわした。その間に男は、荷車の舵の部分をぐっと握って回した。するとその棒の片方がはずれ、そこから細身の刀のようなものをすらりと抜き出した。仕込杖になっていたのだ。 「くそっ!」 男は仕込杖を振り回してくるが、ここは相手を殺してしまうわけにはいかない。生け捕りにしなければ。 半助は刀を抜かず、鞘のままそれを受けた。重力のかかった足に、今度ははっきりとした痛みが走った。しかし、敵に弱みを見せるわけにはいかない。半助は眉ひとつ動かさずにその痛みをやり過ごした。 剣術の心得があるわけではないのか、それとも最初の一撃がきいてのことか、やたら力任せに打ち込んでくる。半助のほうはそれを受けるのもかわすのもできるのだが、左足の痛みのために反撃が思うにまかせない。生け捕りにしようと思うとかえって難しい。 ようやくうまくかわして後ろに回り込み、男がふらついているところに鞘を首すじめがけて打ち下ろした。 ところが、男のほうもさすがにただものではなく、紙一重のところで半助の一撃をかわした。 勢いづいていた半助は逆に体勢を崩し、それを戻そうとした瞬間、左足に力が入らずよろめいてしまった。 すかさず男が再び仕込杖を振りかざして迫ってきた。半助は両手で刀の鞘を水平に構えてそれを受けた。 男がそのまま力任せにぎりぎりと押し込んでくる。刃が鞘に食い込む。 そのバカ力に腕だけではもつはずもなく、しかし片足の痛みはひどくなるばかり。 (いつまでもつか……さっさとなんとかしなければ、こっちが危うい……) そんな心もとない思いが浮かんだ、まさにその時だった。 半助は一瞬目を見開いた。 男は「うっ」とうなってしばし固まったかと思うと、前のめりに倒れてきた。 半助は下敷きにならないように乱暴に男を押しのけた。男はどさりと倒れた。 男の背中には、ど真ん中に八方手裏剣が刺さっていた。 (口封じか?) 半助は緊張して、手裏剣の飛んできたほうを、目を眇めて見つめた。 ふわりと、人影が現れた。 その人物を見て、一瞬にして半助を包んでいた緊迫した空気が弛緩した。 「利吉くん!」 「先生、ご無事でしたか」 山田利吉がさわやかな笑みを浮かべて立っていた。 「ああ、助かったよ。だけどなんでこんなところに君が?」 「学園から連絡を受けました。仕事と、あと趣味も兼ねて実は雑賀まで来ていたんです。学園の先生方も多分すでにこちらに向かっていると思いますが、わたしのほうが先に到着できると父が判断したようです」 半助も、ようやくにっこりといつもの笑顔を見せた。 「いつも申し訳ないね。いいように君を使ってしまって」 「かまいませんよ。わたしでお役に立てるのなら、いつでも喜んで。それより……」 利吉の視線が心配そうに半助に注がれた。 「先生にしては苦戦されていたようですが、どこかおけがでもされたのではありませんか?」 半助は苦笑いを浮かべた。 「さすがに鋭いね。けがというわけではないんだけどね。ちょっと走ってる間に足をくじいてしまったようなんだ。急いでいたし、たいしたこともなかったからそのまま来てしまったら、今になって痛んできてね。駄目だね、自己管理ができないようでは」 冗談に紛らそうとする半助に、なおも利吉は何か言いたそうだったが、それを許さないかのように半助は利吉に背を向けて、荷車の男のそばにかがみ込んだ。 「ところで利吉くん、こいつはできたら殺しちゃわないほうがよかったんだけどね」 「ああ」 利吉はようやくその男が目に入ったかのようだった。 「大丈夫です。八方だし、手加減しましたからそんなに傷は深くないはずです。ただ、眠り薬を仕込んでおきましたから」 こともなげに言ってのける利吉に、半助はまた苦笑をもらした。 二人して男を縛り上げ、人目につかないところにころがして、学園からの応援を待った。そのころになると、利吉はやはり半助の様子がおかしいと感じた。 「先生、足を見せてください。手当てしておきましょう」 半助はそれでも笑顔でそれを拒否した。 「いや、いいよ。自分で湿布でもしておくから。利吉くんはもう用事はいいのかい? 雑賀には戻らなくても?」 「ですからわたしは構いませんから」 しかし半助は言葉のとおりさっさと自分の荷物の中から湿布を取り出すと、左足に当てた。 利吉が横からそっとのぞきこむと、特にはれている様子でもない。やはりたいしたことはないのか。 「ところで趣味もかねてって、雑賀ではどうだった? 火縄銃の修行でもしてきたの?」 まるで何事もなかったようにいつもどおりに話しかけてくる半助に、ようやく利吉も安心する。 「ええ、そんなところです」 それから学園の応援が到着した明け方まで、半助は利吉の土産話を聞いていた。 聞きながら、いつのまにか半助は寝入ってしまっていた。ここ数日ろくに休みもせずに走りどおしだったのだ。 軽い寝息をたてる半助の寝顔を見て、利吉はしまったと思った。こっちこそ、この件に関しての先生の活躍をちゃんと聞きたかったのに。この人は他人に話をさせるのがうまいから。こういうところが本当に教師だ。いや、それとも、こういうところこそ忍者なのかもしれないな。自分のことを隠したまま、相手に話させる。このところずっと、土井先生は「子供たちの先生」だと思っていたが、やはりこの人にはかなわないな。 利吉はそんなことを思いながら、荷車の男の見張りをして夜を明かしたのだった。 |
7000Hitを踏んでくださったあゆみ様にお捧げします。お題は「忍者の仕事してる土井先生」だった、はずなのですが、なんだか妙な話になってしまったような気もいたします。でも全力で取り組みました。いかがでしょうか?(おそるおそる) 人のリクエスト使って何か妙な含みを持たせたうえ、変な終わり方でほんとにすみません。よろしければお納めくださいませ。 |
土井先生の足→