その夜の花火


 利吉は、不安げな顔をして保健室に戻ってきた。
学園から連絡を受け、半助の仕事を手伝いに向かったところ、半助が足をくじいたとかで苦戦していた。
 その後、難なく仕事は片付け、利吉の父伝蔵と木下が応援に駆けつけ、半助が捕らえた男を学園まで引きずっていった。今、厳しい詮議が行われている。強面の伝蔵と木下ににらまれて、すっかり大人しくなっていた男の様子を思い出すと、利吉は気の毒というか、なんだかおかしくなってくるのを禁じえなかった。
 それで利吉は捕らえた男のことは父と木下にすっかり任せ、半助のサポートをずっとしてきた。
 半助は、走っている間に足をちょっとくじいただけだと言った。たいしたことはないと言って、自分で湿布を当て、たしかに学園に帰り始めたときには普通に歩いていた。
 が、それでも利吉が不安をぬぐいきれなかったのは、自分が現場に到着したときの半助の動きの鈍さだった。自分は確かに学園の者と比べたら半助と一緒にいる時間は短い。だが、自分は忍者としての土井半助をよく知っているという自負はある。本当になんともないのなら、あんな動き……。
 案の定というべきか、徐々に半助の歩みが微妙に遅くなり、伝蔵と木下は、利吉に半助を頼んで先に学園に戻った。学園が近づいてきたころ、いよいよ足が痛み出した半助は、半分利吉の肩を借りて帰ってきたのだった。
 そんな状態なのに、半助は保健室へ連れていかれるとすぐに利吉に、詮議の様子と火薬庫のチェックの様子を見てきて報告してほしいと言って利吉を保健室から追い出した。
 そう、あれは追い出されたのだ、と利吉は思う。思いながら、土井先生がそうしてほしいならと言われるままに出てきたのではあった。足が、自分には見せたくないような状態になっているとでもいうのだろうか。しかし後で新野先生に聞けば分かるだろう。
「失礼します。先生、いかがです?」
 礼儀正しく保健室に入ると、思ったとおりすでに手当てはすっかり済んだ様子で、半助の左足には添え木が当てられた上、真っ白な包帯でぐるぐる巻きにされていた。
 利吉は驚いて新野に尋ねた。
「骨折されていたのですか?」
「いやいや、違うよ。こうしておかないと、土井先生はじっとしていないからね。しばらく左足に力を入れないようにこうしただけだよ。多分最初はちょっとくじいただけだね。それをすぐに手当てしないで無理を重ねたから、ずいぶん腫れていた。でもまあ、ゆっくり休めばすぐに治るよ」
 なんだか説明くさい新野のセリフに、利吉は嘘をつかれているようでかえって不安になった。だが、問いただしたところで百戦錬磨の先生方が口を割るわけはない。
「そうですか。よかった」
儀礼的にそう返しておく。
「それじゃ、もう部屋へ帰っていいですから、利吉君、土井先生を送っていってくれるかな?」
新野ににこにこと言われると、やはり自分の取り越し苦労であったかとも思えてくる。ほんとに学園の先生方は「食えない」と思う。
 半助は大人しく利吉に支えられて部屋に戻った。
「すまないね。面倒かけて」
いつもの笑顔で言う。
「何をおっしゃるんです。面倒でもなんでもありませんよ」
そう言って利吉は、半助が自力で着替えようとしているのを手伝った。
 ようやく人心地ついたころ、廊下をどすどすと足音がした。
 二人とも聞き覚えのある足音に、思わず顔を見合わせてにやりとする。
「入るぞ」
襖の前で一応そう声をかけると、返事も待たずに開けて入ってきたのは大木雅之助。
「なんじゃ。足をけがしたそうじゃないか」
豪快な笑顔でそう言われ、半助はなんとなくほっとして
「けがというほどのものではありませんよ。新野先生が心配性で。そんなわけで今自由がききませんから、今日は学園内で騒ぎを起こすのはやめてくださいね」
と、笑顔で応じつつ釘を刺す。
「分かっとる。さっき野村にもそう言われて、仕方なく見舞いに来たってわけだ」
 悪気はないと分かっているので、半助はそう言われて眉を下げる。
「いいですよ、見舞いなんて。本当はせっかく来たのに迷惑なやっちゃと思ってるんでしょう?」
「そういじけるな。わしにも常識はある」
「常識、ですか」
常識とはほど遠いような雅之助の言葉に、半助は思わず失笑する。
「なんじゃ。その反応は。それより、おぬしのほうがよほど忍者としての常識がないぞ」
「そ、そうですか?」
そのことは伝蔵にはよく叱られる半助だが、雅之助にそんなことを言われる覚えは最近はない。
 このやり取りを聞いていた利吉が、思わずむっとして口を開きかけると、それを無視するようにして雅之助が言った。
「後で任務に支障が出るようなら、先に手当てしておくべきだったな。利吉がもし間に合わなんだらどうするつもりだった? やたら突っ走るだけならそこらのひよっこと同じだ」
「大木先生! いくらなんでもそれは失礼でしょう! 土井先生は学園のためを思って…!」
たまりかねた利吉がついに声を大きくして反論した。
「学園のためったって、たかが2、3日走ってくじくようなやわな奴じゃ役に立たんだろうが」
「あなたにはもう少しいたわりってものがないんですか!」
「まあまあ。二人とも」
口論を始めた二人を、半助がなだめた。
「ここで騒ぎを起こさないでって言ったろ? 落ち着いて。お茶でも入れようか」
 半助はそう言って、自ら茶を入れようとする。
 利吉はあわてて
「先生、動かないでください。そんなのわたしがやりますから」
すると今度は半助は、
「それじゃ、わたしは食堂のおばちゃんに頼んで何か茶菓子でも…」
「だから先生は動かないでくださいってば! 茶菓子もわたしがもらってきますから!」
「そう? 悪いね。ではお願いするよ」
 利吉が出ていくと、半助はほうっとため息をついた。
 雅之助はおかしそうに含み笑いをしている。
「やめてくださいよ。そういうのは。利吉くんに気の毒ですよ」
「何言ってんだ。わしは見舞いに来たと言ったろう。だからあのお坊ちゃんをとりあえず出してやったんじゃねえか」
「お坊ちゃんて…」
「わしやおまえさんから見たらお坊ちゃんさ。結局は。そうだろ? だからおまえさんも保健室から利吉を追い出したんだろうが」
「追い出したって…わたしはべつに…」
「なら新野先生から利吉に話してもらってもいいんだな?」
 半助は伺うような目で雅之助を見た。
「あなたは何を聞いていらしたんですか?」
「心配すんな。おまえさんが利吉を追い出したってことだけだ」
「追い出したわけじゃありません。用事を頼んだだけです」
「なら新野先生から……」
本気で立ちあがろうとする雅之助を、半助はあわてて止めた。
「わたしに何を言わせたいんです」
「なんでそうやってわしを止めたいのかを知りたい」
 半助はげんなりした顔をした。
「今さら大木先生相手にへたにごまかすつもりはありませんけれどもね。はっきり申し上げてあなたには関係ありません」
それこそ失礼なのではないかというほどきっぱりと半助は言いきった。
「関係なかったら心配したらいかんのか?」
 半助は、目を見開いて雅之助を見た。
「ただくじいただけじゃあるまい。その態度は。だが、利吉やがきどもには知られたくないんだろう、どうせ」
 半助は、口元に笑みを浮かべた。
「鋭いですね。でも、本当にたいしたことはないのです。人に話したところで何が変わるわけでもないものですし」
「そうやってやせ我慢するんだったら、その期間を短くしてやろうってんだよ」
「は?」
「甲賀忍術ってのは医術が発達しててな。状態が分かれば多少痛みを早く引かせるぐらいのことはできるかもしれん。里のほうに問い合わせてもいい」
 半助は驚いて、一瞬息を呑んだ。
「そ、そんなこと、わたしなんかのためにわざわざ……」
雅之助は、何をつまらんことを、という顔をした。
「わざわざってほどのことでもない。ただ、けがした経緯とか今の状態が分からんとどうしようもないからな」
「でも…」
 うつむく半助に、雅之助はいらだってきた。
「たいしたことじゃなかろう。決めるのはおまえさんだ。大丈夫だっつって、そうやって我慢して元気なふりしてるか、たった一言お願いしますと言うだけか。どっちが楽なんだ」
「大木先生…」
「そ、そんな感動したような顔で見るな! たいしたことじゃねえって言ったろうが!」
 照れてわずかに顔を赤らめて横を向いてしまった雅之助に、半助はくすりと笑った。
「お願いします」
「そう、それだけのことだ」
雅之助はこほんと咳払いをしてうなづいた。

「ふーん。そらまあ気の毒ではあったな」
 半助から話を聞いた雅之助は、しかしたいした感情もなくそう言った。
 雅之助がそういう反応をするだろうと思ったからこそ、半助は思いきって話すことができたのだ。きっと雅之助ならこんな事例も、幾つも見聞きしているだろうから。
「で、なんで利吉には話せないんだ? 生徒に聞かせたくないってのは分かるが」
「利吉くんもわたしの生徒と同じですよ。いわばわたしの生徒なんです」
「だが、べつにあいつの肩持つわけじゃないけどな。何か勘付いてもいるようだし」
半助は、薄く笑って目を伏せた。
「利吉くんは優しい子です。きっとわたしに深く同情してくれるでしょう。わたしはそれが嫌なのです」
「哀れんでもらいたくねえってか?」
「そんなところです」
半助はにっこりと笑った。
 そこへ、利吉の気配が近づいてきて、二人は突然話題を変えた。
「それじゃその火薬は…」
「失礼します。よろしいですか?」
 さすがに利吉は礼儀正しく、中にいるのは目上の二人だからと許可を得てから中に入る。
そして二人の前に羊羹の皿を置いた。
「ずいぶん遅かったじゃないか。こんなに時間をかけてそれだけか?」
雅之助は自分が追い出すきっかけを作っておきながら、薄切りの羊羹を楊枝の先でつまみあげて文句を言った。
 利吉は雅之助に背を向けて
「べつに菓子がほしくてわたしを外に出したわけではないのでしょう?」
と平然と言った。
雅之助と半助はなんとなく目を合わせてしまった。
 利吉は半助の顔を見て、さっぱりとした笑顔で言った。
「わたしがかっかしてたから、頭を冷やすようにというお心遣いだったのでしょう? ご迷惑をかけてすみませんでした」
そう言ってぺこりと頭を下げられ、半助はなんだか申し訳なくなってきた。
「そ、そんなのかまわないんだよ。ほんとに、きみにはいろいろ用をさせてすまないね」
あわてて言う半助に、雅之助は「甘いな」という顔で小さなため息をついた。
「でも!」
と、利吉は声を大きくした。
「人を破らざる云々以前に、忍者も人間です。仲間をいたわる心を忘れては逆に忍者として道を誤る元かと思います」
「おまえ、それ、わしに言っとるんか?」
「たしかに! 大木先生の言われたことは正論だとは思いますよ」
「だったらこっち向けよ、利吉」
「だけど結局忍びは結果がすべてだと思うんですよね」
「どうしてもこっち向かねえ気だな」
「もし、先生が無茶してでも突っ切らなかったら間に合わなかったのかもしれないし。結果オーライでいいじゃないですか」
「てめえ、小さいころはもうちっと可愛かったのによ」
「わたしはだれが何と言おうと100%先生を支持しますから、安心してくださいね」
 雅之助は、こりゃだめだ、という表情で首を振り、半助は正面からそう言われて、安心て、べつに何も不安ではないけれど、と内心思っていたものの
「あ、ありがとう」
と言うしかなく、それでもその言葉に利吉は満足したように笑顔を見せた。
 すると、ポーンと小さな花火のような音がグラウンドのほうからした。
「用意ができたようですね」
利吉が外のほうを見やった。
「なんだい?」
「先生がしばらく歩けそうにないというのを聞いて、生徒たちが先生を励まそうと考えたんですよ。さっき食堂でその相談をしていて遅くなりました」
利吉がちょっと得意そうに言った。
「生徒って、は組の子達が?」
は組と聞くと、利吉は少々うんざりという顔をした。
「あの連中だけでは無理でしょう。上級生たちが、6年生までも有志で協力して準備したんですよ」
そう言うと利吉は部屋の襖を開け放った。
「ちょうどここから真正面に見えるように計算したのですよ」
何を、と半助が問う前に、ドーン、ドーンと花火が次々に上がったのだ。
 半助は、ぽかんと口を開けて、身を乗り出すようにして外を見た。
 それを見た雅之助が、半助の横へ行って抱え上げるようにして立たせ、外の廊下に連れて行った。
 色は単純だし、ときどき形がゆがんでいたりして。半助は口元が知らず知らずのうちにゆるむのを抑えられなかった。生徒たちが自分のためにこんなことをしてくれるなんて。
 花火の明かりの下で振り返った利吉が、少年のころに戻ったようにいたずらな笑顔を浮かべた。
 雅之助は利吉に「やりおったな」という視線を投げ、それから自分が支えている半助の横顔を見た。
 こいつの元気の素は本当に生徒たちなんだな。利吉はそれを分かっている。自分が妙な心配をしすぎるのかもしれない。
 そのうち、ボムッと鈍い爆発音がしたと思ったら、花火ではなく黒い煙のみがもくもくと上がるのが見えた。
 3人は一瞬沈黙して思わず顔を見合わせた。
「利吉くん、きみが指揮してくれたんじゃなかったのかい?」
「一から十まで見ていられませんよ。中心になったのは6年生ですよ」
「おまえのふだんの教え方が悪いんじゃないのか、半助」
「わたしは花火職人じゃありませんよ」
 何人かの先生が怒鳴り声を上げながらグラウンドに駆けつける物音がした。
やがてまた、打ち上げ花火が再開された。教師たちが手直しをしたのか、少々ましになったようだ。
「疲れるだろう。座れや」
雅之助が半助に声をかけた。
 半助は、べつに、と言いかけたが、自分を支えてくれている雅之助のほうが疲れるだろうと思って素直に腰をおろした。利吉がさっと部屋の中から円団を持ってきた。
ずいぶんあれこれと気を回すようになったものだな、と、ふっと半助はおかしくなった。
 風流な花火見物とはいかないが、半助は雅之助の気持ちも利吉の気持ちも、そして子供たちの気持ちも嬉しくて、ただありがたくて、疲れも足の痛みもすべて忘れてしまえそうだった。    
         







キリ番8000を踏んでくださったルルエ様のリクエスト。利吉と大木先生がらみで愛されてる土井先生とのこと。管理人、そういうの読むのは大好きなのですが、書くのはなかなか大変というか、色気がなくてすみません。しかも人様への捧げ物で続き物にしちゃってます。重ね重ねすみません。こんなものでよろしければどうぞお受け取りくださいませ。