あしおと(仮)



 跫がする、と思っていただきたい。
 ドンドンドンドン、ダンダンダンダン!
 その跫は聴き慣れたリズムでクレシェンドしながらこの部屋に近付いてくるのだ。
 バンッ!!
 最後は襖が豪快に開けられた音であり、それと同時に「わははははは!」という禍々しい高笑いが私の鼓膜を叩く。
 私の定位置から斜め右に端座しているこの家の主である友人――いや、本人に云わせると知人なのだが――が鼻に皺を寄せ、嫌悪感を露わにした。
 しかし家主はこの騒音の源の来訪自体を拒んでいるわけではないのだ。
 以前私が、このうるさい男が格段用もなくここを訪れることを指摘したとき、あれは友人だからいいのだと答えたのだから。
 つまり家主にとって客がどんなに変人であろうと、いきなり来てそのまま寝ようと意味のない話をして帰ろうと、それ自体は全くどうでも善いことなのである。
 そして来訪者であるこの万年躁人間も、家主が客人に構わずひたすら読書に勤しもうと、話にろくな相槌を打たなかろうとどうでも善いことらしい。
 要は家主にとっては、歩くクラクションのようなこの男がしずしずと廊下を歩き、そうっと襖を開け、普通に挨拶の一つでもすれば善いのである。
 しかしそんな、小学校の1年生でも守れるような「廊下は静かに歩きましょう」という注意すら、この男には何十遍云っても頭以前に耳にも入っていないのだ。
 そんなことはもう解りきっているにもかかわらず、考えようによっては私以上に懲りないここの家主は、襖が壊れるじゃないか静かに開けてくださいよなどと小言を云い、云われたほうは返事もせずに定位置にどっかと座るのが常なのである。
 しかし不思議なことに、いや、不思議などと云うとまたこの家主が延々蘊蓄と詭弁を宣べ立てるから、奇妙なことにと云い直そう。奇妙なことに、今日の家主はちらと高笑いの発生源に目をやると、何も云わずに眉間に皺を寄せて怪訝そうにその背後を覗き込んだ。私も、やあ榎さんなどと太平楽な挨拶の言葉を発することなく、彼の背後を凝視してしまった。
 榎木津の後ろには少女がいた。少女といっても三つや四つの幼子ではない。かといって明らかに成人女性ではないのだからして、少女と云うよりほかない。
 正直云って榎木津の周囲に女の子がいる構図など、京極堂と私にとって珍しい光景ではない。ただしそれはもう10年以上も前の話である。もちろん今でもこの男がその気になれば幾らでも女学生をはべらすことなど造作はないのだろう。
 だが、この少女は明らかに、頬を染めて榎木津に寄り添っているのでもなければ見てくれに惑わされて付いてきてしまったというふうでもない。榎木津に手首を掴まれ、息を切らし、驚きに目を見開いて困惑して榎木津を見上げている。どう見たってこれは
「未成年者略取誘拐ですよ、榎さん」
 京極堂の云うとおりである。
「何を云うのだね、この石地蔵。女学生君がわざわざ神田詣でに来たのだぞ。羨ましがってもおまえには触らせてやらないから安心しろ」
「君はもっと分別のある女性だと思っていたのに、美由紀君、自分が大切だったらこんなものに拘わるのはやめなさい」
 京極堂は榎木津の戯言を無視して少女に話しかけた。
 美由紀だって? ということは、この少女が先日話を聞いた千葉の事件の渦中にいた呉美由紀さんということか。
 少女は部屋の中を覗き込んで、
「し……」
と、何か云いかけてから慌てて一度口を噤んでほんの僅か何かを考えた。それから
「拝み屋さん、たしか中禅寺さん……ですよね。その節はお世話になりました」
と、少しばかり大人びた挨拶をして、ぺこりと頭を下げた。
「わはははは、女学生君、遠慮することはない。面倒くさい名前などどうでもいいから死神でも祟り神でも好きに呼んだらいい。それからこっちは字を書く猿だ。どうだ、珍しいだろう」
 ここで「はい」などと素直に返事でもされたら私の立つ瀬がないのだが、京極堂が云ったとおり分別のある少女らしく、何とも云えないまま助けを求めるように京極堂に視線を向けた。この場合賢明な判断である。
 京極堂は見るからに仕方ないといったふうに、
「榎さんと同じく一高以来の腐れ縁の知人でね。関口巽という自称小説家だが、多分この男の作品など学校の図書室にも置いていないだろうから知らなくても構わないよ」
などと失礼極まりない紹介をした。
 少女はやはり、「そうですか」などと素直な返事はせず(礼節をわきまえた子だ)、今度は私に向けてぺこりと頭を下げた。
「落ち着かないなあ。いつまで美由紀君をそこに立たせておく気だい? さっさと座ったらいいじゃないか」
 京極堂に云われて榎木津はやっと少女から手を放し、定位置にどっかと腰を下ろした。
 呉さんはどうするのかと思って見ていたら、京極堂の正面が空いているにもかかわらず、彼女は榎木津の隣にそっと正座した。何やら奇妙な光景である。
 これぐらいの年頃の女の子というのは、年上の異性の隣に座って平気なものなのだろうか。もちろん私の世代とは感覚が随分と違うのではあろうが。しかも、事件の関係者であるなら、この探偵の奇矯具合は善く知っているはずだ。距離を置きたくなるのが普通の感覚というものではないのだろうか。
 などと思いながら少女の顔を見ていたら、京極堂に
「関口君、うら若き女性をそんなに嘗め回すように見るものじゃないよ。そんな暇があったら呉さんに座布団の一つも勧めたらどうなんだね、気の利かない」
と叱られてしまった。
 あーとかうーとか曖昧な返事をしながら部屋の隅にある座布団を取ってきたが、なぜ私なんだ。本来なら家主か、そうでなければ彼女を連れてきた榎木津がするべきことではないのか。
 云っても無駄なのだ。ここの家主が滅多なことで腰を上げるわけはないし、榎木津はどこであろうと誰に対してであろうと、他人に気を遣うなどということをするはずがない。
 少女は立ち上がって、すみませんと云って私から座布団を受け取って自分でそれを敷いた。
「それで? 美由紀君が自分からあんたのところを訪ねたのは何か事情があったのだろうが、それでなぜ2人してここへ来るんだ」
 京極堂はいつもの仏頂面をいささかも緩めることなく用件を促した。
 うら若き女性がいるのである。
 聞けば事件のときには随分酷い目に遭ったというし、もう少し穏やかに優しく柔らかい顔をしてあげる配慮というものはないのだろうか。
 京極堂は事あるごとに榎木津の対人処方を非常識だとか一緒にいるとこちらまで恥ずかしいとか罵るが、彼の態度もいいかげん非常識だと私などは思うのだが、この2人と付き合っていると自分の常識が間違っているような気がしてくるから不思、いやいや、困ったものである。
 榎木津も、自分が(明らかに)無理矢理引っ張ってきた少女に対して何の気遣いもなしである。
「それは説明するのがお前の仕事だからに決まっているじゃあないか」
 榎木津は朗らかにそう答えた。
  「何を云ってるんだい、榎さん。自分たちがここに来た理由を、ここの家主に説明させようってのかい? それは幾ら京極堂でも無理じゃないか?」
 私は思わずそう声を挙げてしまったが、当の京極堂は、少女のほうが何か答えるのを待っている様子だった。
 だがその呉さんも小首を傾げて傍らの榎木津を見上げている。
 呉さんが黙っているので、榎木津は少女のほうに顔を向けた。
「こいつに何か訊きたいことがあったのじゃないのか? 女学生君」
 云われて少女は、驚いたように目を見開き、それから京極堂のほうに視線を移した。
 さすがに京極堂も榎木津が来たときの眉間の皺を少し伸ばしたようだ。
 少女はもう一度榎木津を見上げた。
 榎木津もにこっと笑って少女を見ていた。
 その様子を2人の正面から見て、私はまたも奇妙な光景だと思った。
 榎木津がこんなに普通に優しげな笑顔を人に向けているのを、初めて見たような気がする。
 こんな傲岸不遜で傍若無人な男でも、こんな表情ができるのか。
 相手が女性だから、ではないだろう。学生時代、取り巻きに囲まれていたときも、京極堂の細君や私の妻に軽口を叩いているときも、こんな慈しむような眼差しを向けたことはない。ない、と私は思う。
 少女は榎木津の顔を見て何事か確認したように小さく頷き、京極堂に向かってはきはきとした、しかし礼儀正しい口調で答えた。
「いえ、訊きたいことがあったのかどうか自分でも善くわからなかったのですけど、もういいんです」
「いいのかい?」
「はい。お騒がせしてすみませんでした」
「君が謝ることはない。騒いだのはこの馬鹿探偵だからね」
 云われて榎木津はちょっと不満げに頬をぷくりと膨らませ、呉さんは可笑しそうにくすくすと笑った。
 それを見て榎木津はまたご機嫌な顔になり、少女の手首を掴んで立ち上がった。
「本当にいいのだな? よし、じゃあ次に行くぞ! さっさとしないと日が暮れてしまう」
「ええ!? 今度は何処なんですか?」
「青山だ。ボウリングだ!」
「何ですか、それ」
 そして少女は引きずられるように出ていきながら、一度私たちを振り返ってぺこりと頭を下げた。
 ドンドンドンという騒々しい跫の後ろにトタトタという音が続き、それがデクレシェンドしていく。
 家主は何事もなかったかのように手元の本に目を落としている。
「京極堂、お茶、お代わりくれないかな」
「自分で淹れたまえよ」


   この世には不思議なことなど何もないのかもしれないが、理不尽で奇妙なことならば、この狭い空間の中にさえ山ほど起こり得るのである。







最初の一文を書きたいがためにだけ後の展開も何も考えずに書き始めてしまい、えらい苦労しました。京極先生の「どすこい(仮)」を未読の方はぜひどうぞ。
当時の東京名所(しかも若い子が喜びそうな)ってどんなのがあったのかと調べてみたら、昭和27年末、青山に初のボーリング場ができたという記事を見つけ、榎さんなら興味あったかなと思って入れてみました。
ところで、私はタイトルを付けるのがものすごく苦手な人間です。これも苦し紛れです。すいません。  


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