1、のーんびりすごして何が悪いの?

 そりゃあ、夏休みをほんの少しだけ早めに切り上げてしまったのは両親には悪かったと思うけれど。
 もうすぐ秋の寮祭もあれば学園祭もあるのだから、その時でいいではないかと思う。
 両親にとっては幸か不幸か、この学校は娘を預けっぱなしにしてそれで済む学校ではないのだ。さすがにあの柴田さんの紹介と云うべきか、一学期中に二、三回は保護者が学校に足を運ぶ羽目になることになっているのだ。
 もちろんわたしはそんな機会が厭なわけでは決してない。
 厭ではないが、それだけ会う機会はあるわけだし、夏休みも冬休みも春休みもずっと実家に居るのだから、絶対的に一緒にいる時間はまだまだ両親のほうが長いのだ。
 探偵さんと居るよりも──。
 だから、たまたま父親が仕事で東京に来るからと云って、母親まで付いてこなくてもいいと思うし、そもそも忙しい仕事の合間を縫って会いに来なくたっていいじゃないかと思う。
 わたしだって離れて暮らしている両親を、偶には喜ばせてあげなければとは思う。
 でも、今度の日曜は、探偵さんが、栗拾いに行こうって。
 たくさん拾ってきたら、和寅さんが栗ご飯と焼き栗を作ってくれるって。
 栗が食べたいわけじゃなくて、茸狩りでも芋掘りでもいいんだけれど。
 とにかくわたしは楽しみにしていたんだから。
 とは母親にはまだ云えない。
 疚しいことがあるわけではないし、わたしがあのときお世話になった方々と親しくさせていただいていることは親も知っている。
 だけれど、やはり好い顔はしないだろうと思う。よく考えればわたしだってまだ少し早いかなと思う。男性と二人だけであちこち出歩くなんて。
 普段は探偵さんがとても年上だし、あの性格だから、親戚のお兄さんといるようなつもりになっているけれど、何も知らない人が見たら、中途半端な年齢差だけに余計に怪しく見えるだろうと思う。
 親子には見えないだろう。親子ほど歳は離れているのだけれど、あの人がああだから絶対見えないと思う。かといって普通に男女交際している仲にも見えないだろうと思う。わたしぐらいの年齢なら、同じ十代の人と付き合うのが普通だ。実際学校の級友たちなどの中で、ボーイフレンドがいる人はみんな同じ年頃の男の子と付き合っている。年上だってせいぜい大学生ぐらいだ。
 三十過ぎの男性と一緒に遊び歩いているなんて、普通に考えたらつまりはその……。つまり普通の関係とは見られないだろう。
 説明しても解ってもらえないだろうし、却って誤解されてもかなわないから、探偵さんにあちこちに連れていってもらったことなどはあまり話したことがない。
「だから、その日は約束が……」
「お友達と遊びに行くぐらい何時でも出来るでしょう?」
 お友達、とは云っていない。人と約束があるとしか云っていない。
「栗拾いなのよ。今しかできないじゃない」
「来週でもいいでしょう、そんなの」
 そんなのって。そうだけど。
「でもわたしの都合だけで勝手に変更できないわ。相談してみるからちょっと待ってよ。後でこっちから電話するから」
 それもそうねと漸く母親は引き下がった。
 さて、こっちのほうが問題だ。
 わたしは軽く気合いを入れて受話器を取った。

「なんでだ!」
 案の定、受話器の向こうからは駄々っ子のような声。
「両親が、というより母親がどうしてもって聞かないんです」
「じゃあご両親も一緒に行こう。それならいいだろう」
「な、そ、どこがいいんですか!!」
 わたしは思わず人目も憚らず大きな声を挙げてしまった。
「いいじゃないか。君の親は君に会えるし、僕は君と栗拾いに行けるし、君は親に会いながら僕と栗拾いに行ける。何も問題ないだろう」
 そんな三方一両損みたいな話。気まずいことこの上ないじゃないか。
「駄目です、そんなこと!」
「なんでだ」
 ああ、口を尖らせて拗ねたような顔が目に浮かぶ。浮かんでしまう。
「来週、来週じゃ駄目なんですか?」
「今が一番美味しいのに。来週までに狐が全部食べてしまうぞ」
 そんなわけはない。
 それでもさすがに親子水入らずを邪魔しては悪いと思ったのだろう。親と一緒は厭ですと云うと、案外あっさり引き下がってくれて、予定は一週間延ばすことになった。
 ほっとして実家に電話しようとした時に、同じ階の上級生に後ろから呼びかけられた。
「善かった、探してたのよ。今度の寮祭の打ち合わせ、日曜日に変更になったからよろしくね」
「え! 日曜ですか?!」
「そう。ほかの階もみんな土曜日に申し込んだものだから、会議室のくじ引きに外れちゃったの。じゃあね」
 云い捨ててさっさと行ってしまった。そんな……。
 しかしこれこそわたしの一存ではどうにもならない。
 まあいいか。
 栗拾いに行けないのなら、親の御機嫌を取るより会議のほうがましかもしれない。
 気を取り直して実家に電話を入れると、母は酷くがっかりした声を出した。
 すぐ寮祭も学園祭もあるんだからと宥めると、八重洲の大丸に行ってみたかったのにとぼそりと漏らした。
 なんだ。わたしはダシか。
 お父さんと行けばいいじゃないと云って電話を切って、部屋に戻ろうとしたとき、今度は同じ階の同学年の子たちに声を掛けられた。
「美由紀さん、会議のことは聞いて?」
「ええ、さっき先輩から」
「わたしたち今度大丸に行こうって話してたんだけど、今度の日曜日が駄目になっちゃったから、来週にしようかって。美由紀さんも一緒に行こうよ」
「来週……」
 大丸か。何だか皮肉な話た。
「それ、もう一週ずらせない?」
「何云ってるの。再来週はもう寮祭よ?」
「ああ、そうか。じゃあ、その次は?」
「さすがにいい度胸してるわね。中間試験の直前じゃなくって?」
 うわあ、そうだった。
「誘ってくれてありがとう。でも来週は予定が入ってるの。残念だけど」
「ああ、何かお母様からお電話があったのですって? それじゃあ、お母様とお出掛けかしら」
 そうなの、とさらっと嘘が云えない自分が恨めしい。
「そうじゃないんだけど……」
 口籠もっていると、さらに食い下がられた。
「どうしても来週が都合が悪いなら、そうね、中間試験が終わった後でもどう?」
 そこまで先の話になるともうどうでもいい。
「そんな、構わないでみんなで来週行ってらっしゃいよ」
 そう云うと、みんな何やら意味深に顔を見合わせた。
 どうも何かわたしに云いたいことがあるようだ。
 何? と窺うように、最初に声を掛けてきた子を見ると、肩を竦めて話し始めた。
「実はね、わたしのボーイフレンドの友達が、以前に美由紀さんを見かけて気になってるとかで、紹介してほしいって頼まれたの」
「はあ?」
 思わずかなり間抜けな声を出してしまった。
「でもほら、美由紀さんて何かそういうとこ堅そうだから、みんなで一緒に買い物のついでだったら来てくれるかなって。ごめんね」
「べつに……」
 謝ってもらう程の事ではないけど。
「一度会ってみるぐらい、いいじゃない?」
 別の子が助け船を出すように口を挟んだ。
「この子のボーイフレンドって蛍王高校の生徒なのよ。美由紀さんに会いたがってるのも同じ高校の人なんでしょう?」
「そうなの! だから身元は確かなのよ」
 援軍に勢い付いて、強烈な売り込みが始まった。
「もちろん頭はいいし、結構ハンサムボーイだし、背だって高いわ」
 人の頭を見ながら背が高いと云わなくてもいいのに。確かに、多少背の高い人でないと、わたしと並んだら釣り合わないかもしれない。
 周りの子たちが、美由紀さんでなけりゃ駄目なの? わたしに紹介してほしいわ、などと黄色い声を挙げる。申し分ないじゃないの、美由紀さん、とけしかける。
 そんなこと云われても。
 身元が確かで、頭が良くて、背の高いハンサムな人なら……。あれヽヽに勝る人はいないだろうと思う。
 それ以前にわたしはそうまでしてボーイフレンドが欲しいと思ったことはない。
「ごめんなさい。会ってから断るのは余計気が重いから、やっぱり失礼するわ」
 一斉に、落胆と、さも意外だと云わんばかりの反応が返ってきた。
「もしかして、もうどなたかお付き合いされてる方がいらっしゃるんじゃなくて?」
 今度はいきなり色めき立った歓声。
 まだいるとも何とも答えてないじゃないか。
 しかしこれは返答に困る。お付き合い……。
 しているともしていないとも答えようのない、探偵さんとわたしとの関係。
 もちろん、もしあの人がいなかったのなら、わたしだって、少なくとも友達の面子のためにという理由であっても、一度くらい男の子に会ってみたっていいと思ったかもしれない。
 だけどそんなこと、ここで釈明する気にはなれない。探偵さんとどこで出会ったかなんて聞かれたりしたら、本気で落ち込んでしまうだろう。
 すぐに否定しなかったのだから、肯定しにくいための沈黙と取られてしまってもしょうがない。
 相手はどんな人だとか、どこの学校だとか矢継ぎ早に質問が浴びせられた。
 そのどれにも答えられずに窮していると、都合良く電話のベルが鳴った。
 わたしはすぐさま受話器を取った。
 基本的に電話の置いてある寮の窓口には舎監がいるし、いないときには生徒が順番で当番を務める。しかしその時はわたしが電話の目の前にいたので、思わず天の助けとばかり取ってしまったのだ。
 電話当番の時のように学校名と寮名を告げると、
「やあ、女学生君じゃないか!」
 な、何なの、このタイミングは!
「美由紀ですけど。どうしてわたしだって判ったんです?」
「馬鹿だなあ。君の声を聞き間違える筈がないじゃないか。女学生君こそ、よく僕からの電話だと判ったねえ」
 馬鹿は貴方です。判るわけないじゃないか。
「それより、何か用ですか? さっき電話したばかりなのに」
 ついつい小声になる。そして少し尖った声になる。
 さっきの子達がまだそこに居て、聞き耳を立てているのが背中からじんじん伝わってくるからだ。
 こういう時の女の勘は案外侮れないものだ。天の助けどころか、これ以上ないバッドタイミングだった。
 しかし、探偵はわたしの声音に気付いているのかいないのか、いつもの能天気な様子で話し始めた。
「マスカマオロカが煩いのだ。女の子は栗拾いなんかじゃなくて、もっとお洒落な所が好きなんだそうだなっ」
 どうだろう。お洒落な所って、どんな所だろう。
「わたしは栗は好きですよ」
「だから、今度はそういう所へ行こう」
 人の話なんか聞いちゃいない。
「そういう所ってどこなんですか?」
「この前千鶴さんと雪ちゃんが行ったところだ」
 知りませんてば。
「二人とも大層楽しかったらしいぞ。えーと、花丸だか二重丸だか云う所だ」
 大丸ですよ、と云う益山さんの声が遠くに聞こえた。
 ちょっと待て。
「そう、その丸だ!」
「でもわたし、栗拾い楽しみにしていたのに」
 母も友人も袖にして、探偵と大丸に行くのはさすがに気が引ける。
「だからその次だ。栗の次の日曜日!」
「駄目です、その日は寮祭なんです」
「じゃあその次」
「駄目です。試験の直前ですから、遊び歩いてる場合じゃありません」
「何を云ってるんだ、試験なんて当日答を書けばいいだけだろう」
 お願いですから貴方の基準で物を云わないでください。
「厭です、わたしは勉強するんです」
 駄目、ではなくて厭、と云わないとこの人は聞き入れてくれない。
「それならその次だっ!」
 ついさっき同じ会話を別の人としたばかりのような気がする。
 わたしはちらと、背後を振り返った。
 話の流れが解っているのかいないのか、妙にわくわくした目でわたしを見ている。
「わたし……」
「うん?」
「わたしは、休みたいです」
「どうして?」
「だって、ずっと日曜日の予定が詰まってるんですもの。たまにはゆっくり休みたいです」
「それじゃあ僕が面白くないじゃないか」
 ああ、わたしは探偵さんが好きです。探偵さんと一緒に居ると楽しいです。でも。
 何かがぶちっと音を立てて切れた。
「わたしは退屈しのぎのおもちゃじゃありません! 日曜日にのんびり過ごして何が悪いんですかっ!」
 わたしの剣幕に恐れをなしたのか、探偵が慌てて解った解ったと云ったので、わたしは電話を切った。
 きっ! と振り向くと、さっきの女の子たちも怯えた顔をして、寄り添って固まっていた。

 わたしは鼻息を荒くして部屋に戻ったが、三十分後、またも電話だと呼び出された。
 探偵からの謝罪の電話だった。
 そして、本当に栗拾いで善いのかと優しく訊かれたので、わたしは周囲に誰もいないことを確かめてから、探偵さんが連れていってくれるなら何処でもいいんです、と答えた。     







美由紀のキャラが若干違ってるような気がしないでもない。
若干じゃないとか、それは気のせいではないとかいう突っ込みもあろうかと思いますがご容赦あれ。
美由紀にだって反抗期があっていいかと……。  






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