その温もりを…


 どうして見てしまったんだろう。
 どうして今日此処へ来てしまったんだろう。
 通りの向こう側に見つけた探偵に、声を掛けることができなかった。
 大声を出すのが恥ずかしかったからじゃない。
 車が間を遮っていたからじゃない。
 探偵の隣に、綺麗な女性がいたから。
 まるで映画に出てくるような二人が反対側の歩道を歩いていくのを、馬鹿みたいにただ見送るしかなかった。

 探偵さんは
 真面目な顔をしていた。
 女性の歩幅に合わせてゆっくり歩いていた。
 上着のポケットに両手を突っ込んで。

 その人は大人の女性で。
 とても綺麗で、品があって。
 セーラー服なんか着ていない。白いソックスなんか穿いていない。
 お化粧して、艶やかな黒髪をかけた耳に、イヤリングが光って見えた。

 だから探偵さんは
 赤ちゃんを抱くときのようにその人と手をつないだり
 猫を見つけたときのように笑いかけたり
 勝手にどんどん早足で歩いたりしない。
 いつもわたしと歩くときのように──。

 違う。違う。全然違う。何もかも違う。わたしにそうするのとは。
 あの人は女の人で
 わたしは女の子だから。

 二人の姿が見えなくなって、やっと足が動いた。
 走って、走って、寮に逃げ帰った。
 でも手が震えるのは、動悸が止まらないのは、息が苦しいのは、走ったせいじゃなくて。

 もっと、もっと、早く生まれてきたかった。
 あとほんの数年でいいから。
 そうしたら今わたしは大人だったのに。
 探偵さんと並んでも釣り合えるような女の人だったのに。

 馬鹿みたい。
 解ってる。
 もしそうだったらわたしは彼とは出会っていない。
 もしそうだったとしても、あんな綺麗で上品な女性になんかなれない。

 馬鹿みたい。
 何を期待していて、何に傷付いているのだろう。
 どうして逃げてきてしまったりしたのだろう。
 今度、どんな顔をして彼に会えばいいのだろう。
 だって、きっと探偵さんなら判ってしまう。
 わたしが今日二人をいつまでも見続けて、その挙げ句にこうして寮まで逃げ帰ったことが。
 どうして? どうしたの?
 そう、訊くだろうか。いつものように。いつものように無邪気な顔をして。
 友人の妹を心配するのと同じように。
 そして大きな手でわたしの頭を撫でるのだろうか。あの女性ひとには触れない、その手で。

 そしてわたしは何と答えるのだろうか。
 笑って答えるのだろうか。
 どうもしません。お邪魔したら悪いかなと思って……。
 そんなふうに。
 出来ない。いや、そうじゃなくて、したくない、そんなこと。

 本当は、訊きたい。訊きたいのはわたし。
 あの女性は誰なんですか?
 探偵さんとお付き合いされているんですか?

 訊けるわけがない……。

 どんな顔をして会えばいいのか解らない。
 何を云えばいいのか解らない。
 知りたいことは口に出せない。
 こんなんじゃあ、もう、会いに行けない。

 もう、探偵さんに会えない?

 厭、厭だ厭だ。そんなの厭だ。
 涙が溢れた。
 あの二人の姿を見たときよりも
 夢中で走って帰ってきたときよりも
 今、今が一番胸が痛い。
 彼の隣に知らない女性がいることよりも
 彼にとって自分が子供なのだと思い知ることよりも
 探偵さんに会えないことが一番厭だ。

 ベッドのシーツにぼたぼたと涙が落ちた。
 会いたいよ。
 やっぱり触れてほしいよ、その手で。
 あなたの声を聴きたいよ。
 呼んでほしいよ、美由紀って。
 美由紀、って……。  










美由紀ちゃん自覚するの段。
ごめんなさい、こんなのは美由紀と認められないという人もいらっしゃるかと思います。
でも、私は恋愛感情に独占欲は不可欠だと思っています。それがないなら浮気も不倫もOKですから。
そして「独占欲≠嫉妬心」だし「嫉妬心≠悪い感情」だとも思っているのです。  


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