「このページに来られた方々に、薔薇と十字の祝福のあらんことを──」

榎木津礼二郎を語る

どうにもこうにも榎さんに捕らわれてしまってしょうがない。
これまでもサイト作っちゃったの以外にも結構はまったキャラはいたけど、ここまでってのはなかった。
しかし周りに同志はいないし、多分一度文章にしちゃえば満足するようなところがあるので、ここで語っちゃいます。
すでにシリーズを読んでいる方を念頭に置いて書いてますが、未読の方で、万一これを見て興味覚えた人がいらっしゃったら作品を読んでみてください。

榎さんのどこに惹かれたかって、まず『姑獲鳥の夏』での初登場シーンからインパクト絶大ですよね(笑)。女物の緋色の襦袢!!
このころはまだ比較的まともな榎さん。
次の『魍魎の匣』で、もう少し榎さんの人となりがはっきりしてきます。これですっかりはまりこんだのかな、私は。
特に「御亀様」のくだりや、最後のほう、甲田という爺さまが分電盤や何かを壊し、首をつろうとするのを黙って見ていたという辺りがお気に入り場面(笑)。
そして分電盤直せるのもすごいんですけど、見てないで止めろや(笑)。この作品から変人ぶりが加速していったような気がします。

その奇人変人の何が魅力ってね、まず、私は常識にとらわれがちな人間であるのを自覚しているので、敦ちゃん言うところの超常識な人間に憧れるんですよ。
人目を気にしないのもね。
多分、「瓶長」の最初辺りの本島くんの心情が近いのかもしれない。登場人物で少しでも自分に近いところを持っているのは本島くんぐらいですよ(笑)。
それから、自分が運動神経鈍いので、運動能力のある人には無条件で憧れますね。喧嘩も最強な辺りが、取り澄ましていなくてまた良い。
でもマッチョは好みではないので、一見華奢、これポイント(笑)。
頭が良い人も好きです。これは今で言う学歴とか偏差値ではなく、いわゆる回転が速いという頭の良さ。
ま、榎さんはめっちゃ高学歴でもあるわけですが、それと関係ない生き方してるとこがまたいいんですね。
すべて持っているのに持たざる者のような生き方してる人間て、魅力です。元々何もない人だったら、それは単なる凡人かダメ人間じゃないですか(笑)。これも敦ちゃん曰く、恵まれた才能と境遇を湯水のように無駄遣いしてるタイプがいいんです。自分が何もないから、これも憧れなんですね。

顔はもちろんいいに越したことはないです、正直(笑)。榎さんの場合、単なるハンサムじゃなくて、色素が薄いってとこがポイントなんですが。
『邪魅の雫』を読むと、母親の顔はどうやら普通の日本人的な顔らしい。榎さんはパパ似なようですが、『百器徒然袋−風』の「面霊気」によると、御前様の髪は黒。榎さんの祖父母の代になると、多分生まれは江戸末期でしょ? そんなころのお公家さんに、白人の血が混じるとは考えられないし、じゃあ、榎さんの髪や瞳や肌の色はどこから来たんだろう。総一郎さんはどうなんだ? と妄想をかき立てられるわけですよ。
まあ、いわば突然変異と考えるのが妥当なんだろうけど。それが彼の「視える」体質と関係してるんだろうなと思うので。

元華族であるとか財閥の次男坊とかいう辺りはわりとどうでもいいかな。あくまでもわりとね(笑)。
ただ、そういう育ちをしたということが、榎さんの言動に与えている影響というのはありますよね。司くん言うところの、根はまじめなところとか。『陰摩羅鬼の瑕』で、「面白くねえ」という言い方を関くんが「珍しい」と評して初めて気づいたんですが(遅い?)言ってる内容はともかく(笑)言葉遣いだけはそこそこ丁寧なとことか。
また由良伯爵のお屋敷で全く臆することがなかったのも、状況が見えてないとか元々傍若無人な性格なんだとかいう理由もあるだろうけど、当然慣れもあると思うんだよね。そりゃあ、ああいう場所でおどおどしてしまう小市民よりは泰然としてるほうがかっこいいさ。
本編では特に、親は自分と関係ないと常々言ってる榎さんですが、『百器徒然』では結構本家を利用していますよね。でもそれはそれで痛快なんですよね。紳士な榎さんが見られるのもいいものです。
フェミニストなところも好きです。これも育ちが関係あるのかなあ。フェミニストにどういう漢字を当てるかというのが問題なんだけど、この作品の場合(笑)。榎さんなら、女性尊重実践者ってとこかな。うまい表現が思いつきません。
彼がどういう「論」を持っているかは伺い知れませんが、「鳴釜」事件を見ても、『絡新婦の理』での美由紀に対する態度を見ても、女性に対しては紳士的だなと思います。
ちなみに、『絡新婦』で美由紀の腰に回していた海棠の手をはずさせるとこ、とっても好きなシーンです。
同じく『絡新婦』で、杉浦女史を軽く論破しておきながら、一生懸命なところを「可愛い」と評するとこも好きです。顔貌じゃなくて、中身を評価するところが。
ついでに(鳴釜と美由紀で思い出した)、榎さんが赤ちゃん好きなのは、やっぱり記憶がほとんどないからだろうな〜と思ってます。あ、でももしかして、授乳のときのお母さんの胸が視えるとかいう理由だったらどうしよう(笑)。
女学生が好きなのも、若い女の子って綺麗なものや可愛いものが好きで、そういうものをよく見ているから、比較的殺伐としたものが視えなくて楽なのかなって思っています。

他人の考えや感情なんかは人一倍わからない、興味がないと益田くんにも言われちゃってる榎さんですが、実は友達思いなとこも魅力。
『姑獲鳥』では関くんのこと心配してたし、『魍魎』の終わりのほうでは、関くん初の単行本を「僕にも寄越せ」なんて言ってるし。『鉄鼠の檻』では関くん抱えて山降りてるし。あれ、関くん絡みが多いな(笑)。そういえば『陰摩羅鬼』でも、なんだか危うい関くんに、先に帰るかとか言ってたな。
どうやら名場面らしい『塗仏の宴−宴の始末』で中禅寺を唆す場面なんか顕著ですよね。ほかの誰にもできないことですよね。神と下僕の違いはこういうとこか、などと思ってしまった。
下僕に対しても、『百器徒然』なんか特に酷いけども、でもあれも結局益田くんは逮捕も勾留もされてませんしね。あれ多分、いよいよ裁判でも冤罪が晴れそうにないとなったら助けてあげるんだろうなと勝手に思ってます。
益田を採用しても和寅のクビはつながってるしね(笑)。

それに、多分彼は視えるだけじゃなくて、その人間の本質みたいのを見抜いてるような感じがします。
だからこそ美由紀が、よく解らないけどなんとなく励まされたり、江藤の世界が崩壊してしまったり(『邪魅』)するんだろうな。
作中でよく「推理もしない」と書かれてますが、一般に考える論理的思考での推理をしているかどうかわからないけど、してないことはないんじゃないかとも思ってます。だって下僕たちにはわけのわからない状態で、中禅寺とツーカーで話してますからね。
『絡新婦』では、「あれも盤に上れば駒になるか」って言ってますしね。読めてるんですよ、ちゃんと。中禅寺も、あれと意見が違うということは間違っているということだ、とか言ってましたし。このセリフにはちょっと私びっくりしました。なんだ、信用してるんだって(笑)。

榎さんのアクションシーンも好きです。暴れ始めたのは(笑)『絡新婦』からでしょうか。なんかこの作品、好きなシーンが多いな。絞殺魔との格闘シーンなんかかっこ良くて、何度も繰り返して読んじゃってます(笑)。
『塗仏』では、敦ちゃんを助けるとこより、山での鬼神のごとき活躍が好きです。
でも、「面霊気」で警官を怪我させたのはいただけないな。相手がヤクザかちんぴらならともかく、真面目に職務を遂行しようとした警官が全治1か月って、そりゃ酷いよ、京極先生。

これだけ派手な人であるにもかかわらず、母性本能くすぐるところがあるのも人気なのかも。
水分のない菓子が嫌いだとか、それ以上に竈馬が嫌いだとか、食べ方が下手だとか(笑)。
そして何より、やっぱり視えちゃうとこがね。想像したら嫌ですよね、ものすごく。里村医師の記憶なんてきっと最悪ですよね(笑)。
のべつまくなしに視えるようになったのは戦争でさらに目を悪くしてからだそうだけど、戦争直後の人々の記憶なんてね……。しかも東京で。視たくないよね……。
『魍魎』では、船酔いしたようで気分が悪くなるとか言ってましたが、そういう、思わず同情したくなっちゃう部分が女心をそそるわけですな。

ところでこの榎さんの体質っていうのは、読者にヒントを与えたり、逆にミスリードするためにあるようなものなので、最も有効な使い方というのはされてないですよね。
『塗仏』では、関くんは伊豆に行く前に、光保さんを榎さんに会わせればもっと簡単に確認できたはずなのに。『狂骨の夢』でも、宇多川朱美が早い段階で榎さんに会えていれば展開は大きく変わったわけだし。『陰魔羅鬼』に至っては……。もっともそれじゃ話変わっちゃうけど(笑)。ちょっと残念ではある。
だからたまに有効活用されてると嬉しくなっちゃいます。またまた『絡新婦』ですが、碧の憑物落としの場面で、榎さんが中禅寺に何か言っているとこなんかとても好きです。

これだけ好きでも、自分だったら榎さんとお付き合いはやっぱりできないだろうなと思ってしまう。
まず会話が成立しないし(笑)やはり視られることに耐えられそうにない。でも榎さんには幸せになってほしい。
美由紀ちゃんなら付き合っていけそうだけど、年の差がありすぎるか? 「鳴釜」の美弥子さんなんかどうだろう。何しろ榎さんもあきれるぐらいの女性だからね(笑)。彼女とでもかなり年齢差はあるけど、美由紀ちゃんよりはまだいいものね。榎さんと美弥子さんが結婚したら薬師寺涼子が生まれそうだとか思ってしまった(笑)。

ところで榎さんの年齢ですが、『姑獲鳥』昭和27年、関くんが「雪絵は私より二歳ばかり年下だから、もう二八九になるのだろうか」と述べています。満年齢として考えて、いくら関くんでも自分の歳ぐらいは覚えているだろうから(笑)二八九というのは、雪ちゃんの誕生日をきちんと覚えていないためではなかろうかと考えました。
つまり雪ちゃんがこの年29歳を迎えたのだとします。そうすると関くんはこの年31歳。榎さんは1期上だからこの時点で32歳と考えるのが妥当。
ただし、旧制高校へは旧制中学4年を終えた時点での入学も可だったはず。なのでもしかしたら実は榎さんと関口・中禅寺は同い年という可能性もある。この場合、木場修は榎さんの本当の年齢を知らない可能性もある。学校は違ったのだし、榎さんはあの態度だし(笑)
逆に、関くんが4年修了時点で一高に入り、榎さんは5年卒業後に入ったのだとすれば、年齢は榎さんが2歳上ということもあり得、『姑獲鳥』の年に榎さんは33歳。翌『邪魅』の年に34歳。それだと30代半ばとどこかに出ていたのと合致はするかな。
でもなんとなく、榎さんが1年早く入ることはあっても、関くんがということはないような気がしてしまうのですが(笑)。
しかし『魍魎の匣』にはっきり、「木場は今年で三十五歳になる」と書いてあるではありませんか。
そして同じ『魍魎の匣』で、やはり関口くんは「陽子の年齢は三十一歳。私と変わらない」と言っている。
『絡新婦』では榎木津について木場がお潤さんに「ありゃあ俺と同じ齢だぜ」と言っている。
2人とも言っていることが正しければ、榎さんは関口くんの1期上で年齢は四つ上になってしまい、どこで何年ダブってたんだっていうね(笑)。
辻褄合わせに考えられることはただ一つ。関くんは自分の歳すらちゃんと覚えてなかったんだ(笑)

最後に疑問。『小説こち亀』内の「ぬらりひょんの褌」に、名前は出ていないもののこれは榎さんに違いないという人物について、“中野の古本屋”の老人が語ります。好きな人物が死んでしまうととても悲しいので、榎さんが平成の御代まで長生きしてくれてるらしいのは喜ばしいことです。
「私のもうひとりの古い友人が…(略)…そいつも財閥の長なのですが」とあるんですね。
なんで?? 御前様は世襲制を嫌ったんじゃなかったですか? 何より榎さん自身が嫌がりそうな気がしますし、総一郎さんは?
しかしながら、『絡新婦』で海棠が榎さんのことを「榎木津グループの次期総帥」と言っています。一応財界の人間なら、榎木津家の事情ぐらい知っていそうなものだし、しかも長男は自分で事業起こして成功してるわけだから、普通なら榎さんを次期総帥とは考えないと思うのだが……。グループ内で何か陰謀があったんでしょうか(笑)。
私の妄想については「100の質問」をご覧ください

さて、うわー、長! 
読んでくれた方、ありがとうございました。






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