「これは以前、僕がMPのジープに轢かれそうになったことがあっただろう。そのときのお詫びだとか何とかいって、犯人のヘイズとかいう兵隊がくれたんだ」(姑獲鳥の夏・本人)

 榎木津は元華族と云う大層な家柄の出で、学徒出陣組の予備仕官だったようだ。ようだ、と云うのは善く解らないからで、榎木津は当時どうも帝大の法学部か何かに在籍していたらしいのだが、伊佐間は未だ本人の口から出身校を聞いたことはないのである。それに就いては、今改めて本人に尋いたところで解りはしないのだ。彼自身自分の経歴を疾うの昔に忘れてしまったらしいのである。しかしその出自がどうであれ、榎木津が優秀な軍人であったことは事実である。榎木津少尉は柔軟な判断力と的確な指導力を誇り、奇抜な着想と電光石火の行動力を以て果敢に任務を遂行したから、上層部も一目置いていた。目鼻立ちの整った人形の如き風貌からは想像し難い、剃刀と渾名される程の切れ者だった。(狂骨の夢・伊佐間)

 それが善く判らない。近所に住む子供ではなかったのだと思う……兵隊組織では常に客分扱いの特別待遇を受けていたし、シュウさんとは仲良しだったようだ。人形のような綺麗な顔の子供で、身形もきちんとしていた。金持ちの子だったのかもしれぬ。縄張りテリトリーを越えた来訪者だったか。(狂骨の夢・降旗)

 答えてからああ殴られる、と思った。
 どんな罵言であろうが、上官の問いううんヽヽヽはない。
 ところが榎木津は殴るどころか、その答え方がまた爺ィなんだ、などと云って、五分も笑い続けた。(狂骨の夢)

 レイジロウはひと言、王様になる、と云った。(狂骨の夢)

「そうしたら榎木津の馬鹿が、そんなことはない本当だと云いやがった。そうしたらお前さんは、大層喜んだんだヽヽヽヽヽヽヽよ。信じてくれた人は初めてだと云ってな」(狂骨の夢・木場)

今川はある男を思い出していた。軍隊時代の上官である。切れ者だったが変わった男でもあった。その上官は軍人としても優秀だったが、勝負事の類も強かった。その癖すぐ飽きる質だったようで既成の将棋にもすぐ飽きた。そして彼は飽きる度、将棋のルールを勝手に創ってしまうのだった。その度部下は相手を命じられ、新ルールの有効性を試す実験台にされた。(鉄鼠の檻)

(中禅寺)「学生の頃は休みの度に貧乏旅行をしたものじゃないか。忘れたのか」
   (略)
(中禅寺)「……計画性はない、企画力はない、おまけに行動力もない、あるのは好き嫌いと取り留めのない欲求だけと云う君だの榎木津だのがまともに遊びに行けたのは誰のお蔭だと思っているんだ」
(関口)「……行き当たってバッタリと云う旅行ばかりだったじゃあないか。まあそこが愉快の元だったのだが」
(中禅寺)「それも演出のうちだったのだ」(鉄鼠の檻)

「榎木津が壁を蹴り破って警察も来たぞ。三人とも逃げ切ったがな」(絡新婦の理・木場)

「榎木津が雲隠れするのはいつものことじゃアないか。……あいつはいつだったか置屋の二階にひと月も泊まり込んで遊んでいたことだってあるんだ。渓流釣りに行ったまま戻らずに温泉旅館で将棋を指していたことだってある」(塗仏の宴 宴の始末・中禅寺)

「礼二郎君は色の白い、瞳の綺麗な、痩せた小さな人物ですよ」
 透き通るような肌理の細かい皮膚と、色素の薄い髪の毛を持った、端正な顔立ちの人物だった。鳶色の、虹彩の大きな瞳で凝乎と見詰められたことを瞭然と覚えている。(陰摩羅鬼の瑕・由良)

「学生時代から女学生の取り巻きが大勢居たし、見た目があれだから黙っていればモテる筈だが、虫か何かと思っていたのだろう。僕は榎木津の浮いた話など聞いたことがない」(邪魅の雫・関口)

「奥歯が虫歯で、伊豆で足止め喰ってるうちに痛くて死ぬとか云い出して、現地の歯医者で抜いたんですけどね」(鳴釜・益田)

 あの人はその昔、蔭間に迫られたことがあるんですぜ――と和寅が小声で云った。迫られそうな顔ではある。
「――その所為で嫌いになったんですぜ」(鳴釜)

 






戻る