モリーは居間のソファに腰掛けて、何枚かの写真に見入っていた。涙が止まらず、アーサーが帰宅したのにも気付かなかった。
「モリー……」
 アーサーがそっとモリーの肩に手を置いた。
「ごめんなさい……いつまでも……めそめそと……」
 モリーはティッシュに手を伸ばして鼻をかんでから謝った。
「構うことはない。いつでも泣きたいだけ泣いたほうがいいと思うよ、わたしは」
 モリーはうなずいて、見ていた写真を広げてアーサーに見せた。
「フレッドだけの写真が、な、ないの……ほかの子たちは……1人だけで撮った写真があるのに」
アーサーも1枚1枚手に取って眺めた。家族の写真か、そうでなければどれも、ジョージと二人で写っているものしかない。
「お、おじいさまやおばあさまたちの写真と一緒に並べられるのがないのよ。だって、ジョージはまだ生きてるんですもの」
「そうだね。だが……」
アーサーは自分の両親の写真が並べられた棚を見やって言った。そこにはフレッドの写真の代わりに、一本の杖が飾ってあった。
「まだ、必要あるまい」
「そうだけど……なんだか今更、わたし、あの子たちに悪いことをしてきたような気がしてるの」
「どうしてだね?」
「うまく言えない……つまりこうやって二人の写真を見て泣いてたら、まるでジョージまで死んでしまったみたいじゃない。そんなふうにしてしまったということに」
 アーサーはモリーの肩に腕を回した。
「いや、悪くはないさ。きっとね」
「でも、どうしてるのかしら、今頃……あの子たち……」



 そのころ、ジョージは自分たちのアパートで、腰に手を当てて部屋を見回して、
「普通このような場合、そろそろ遺品の整理というものを行うのが世の常らしい」
と宣言した。
「普通、だろ? それは」
フレッドのゴーストが、自分が使っていたベッドの上に陣取って異を唱える。
「今の状況がすでに普通じゃないわけだから、そんな世間一般の常識にとらわれる必要はない。いや、むしろ常識にとらわれることは俺たちの美学に反するはずだ」
 フレッドの反論に、ジョージは全く動じない。
「しかし俺は三つの理由により、それはなかなか合理的な行動だと考えた」
「三つの理由とは何だ?」
「まず一つはおそらく遺族が踏ん切りをつけるためだと思われる。いつまでも過去を振り返って泣き暮らしているわけにはいかない」
「まあ、生きてる以上はな。それと故人を忘れることとは別だろうし」
 フレッドは少しばかり複雑な顔をしつつもこれには同意した。
「二つ目は?」
「形見分けをしなければならない」
「残念ながら俺たちは……すまん、俺は形見分けして喜ばれるような高価な品は持っていない、いや、いなかった」
「形見分けと遺産分与は違うぞ。まあ、幸か不幸か将来を約束した彼女がいたわけでもなし、リーはいらないと言ったし、パパとママのためにはおまえの杖をあっちに置いてある」
「そうか」
「と見せかけて実はあれは俺のだ」
「なんだと?」
「これがおまえのだ」
 ジョージは杖を上げてフレッドに見せた。
「おまえの杖を形見として持つのにふさわしい人間が俺以外にいるか? おまえも自分の目の届くところにあったほうがいいだろ?」
「ま、まあ、そうだけど……して三つめの理由とは?」
「無駄なものがなくなれば部屋が広くなる」
「無……」
 フレッドが目をむいた。
「まずはそれだ」
 ジョージはその杖でフレッドのベッドをぴしっと指した。
「思えば俺は生まれてこの方、ベッドを一つしか置いていない寝室で寝たことがない。せっかくだからちょっとばかり贅沢な気分を味わってみようかと思う」
「却下」
「なんでだよっ」
「俺はこれを必要としているんだ!」
「眠らないなら必要ないじゃないか!」
「いいや、これは精神的な問題だ!」
「精神的?」
「そうさ。確かにおまえの言うとおり、俺たちは自分1人の寝室というものを持ったことがない。したがってベッドの上が唯一のパーソナルスペースだったわけだ。それがなくなると、俺の居場所がなくなるような気がする」
 フレッドの声はいたって真面目だった。
 ジョージはフレッドに反対されて、少しだけほっとした。
 毎朝目が覚めて、以前と同じようにフレッドのベッドが隣にあって、でもそこにフレッドは寝ていない。ゴーストは眠らない。だから以前と同じ光景が、ジョージにはかえってつらかった。いっそなくなってしまえば、嫌でも現実を認めなきゃいけない。
 でも、なくしてしまったら部屋がどんなに寂しい風景になるだろうかと、少し怖くもあった。だからフレッドの反対は、都合のいい言い訳になった。それで、わざと、しょうがないな、というように溜め息を一つついてみせた。
「わかった。じゃ、当面ベッドは保留」
「ちょっとひっかかる言い方だがよしとしよう」
「それじゃ……」
 ジョージは杖を一振りしてタンスとクローゼットを開けた。
「次はこれだ。これは確実に半分でいい」
「けど、余分に服があれば楽だぞ。忙しくて洗濯物がたまっても着替えに困らない」
「それは確かに……」
 思わず本音で同調してしまうジョージだった。家事の大変さは身にしみているし、今や二人交代というわけにもいかず、毎日すべて1人でやっている。量が半分になったところで手間はたいして変わらない。それだったら二人で分担したり交代でやれたほうが楽だった。着るものが2倍になれば洗濯の回数は半分にしても生活できるような気がする。
「けどやっぱりおまえのを着るのは気持ち悪い。とりあえずこれだけは絶対捨ててやる!」
そう言ってジョージは大きなダンボール箱を一つ召喚し、フレッドの靴下と下着を杖を振って放り込んだ。
「ああ、それについては逆の立場なら俺も確実にそうしたさ」
 それでも納得いかなげにフレッドはダンボールの中を覗き込んだ。
 それからジョージは今度は杖は使わず、1枚1枚服をチェックしながら分類し始めた。
「パジャマもいらない」
「はいはい」
「このジャケットも」
「それは捨てるな!」
「2枚もいらないよ。洗濯なんかしないじゃないか、これは」
「だけど俺たちが初めて自分たちで稼いだ金で、自分たちへのご褒美で勝ったんだぞ! その思い出を捨てるのか!?」
「思い出に同じのが2枚もいらないだろ!」
「そっちのはおまえのじゃないか! 俺の思い出はどうしてくれる!」
「遺品整理は死んだ本人の思い出のためにするもんじゃない!」
「ゴーストにだって記憶も感情もあるんだ〜〜!」
「あー、もううるさい! わかった!」
 結局ジョージはフレッドの要望どおり、ホグワーツの制服だの、やはり仕事が軌道に乗ってから二人で買いなおしたドレスローブだのを残すことにした。そして、
「これは……」
「俺はどうでもいいけど……」
「そう言うなよ」
「けど、おまえだってこれこそ絶対着ないだろ?」
「絶対着ない」
「だったら捨てていいぞ」
「俺もいらないけど……でも……これは実家に置いておこう」
 迷った挙げ句、ジョージは「F」の刺繍の入った手編みのセーターをタンスの引き出しから出し、ダンボールには入れずに脇へ置いた。
 そうして整理したタンスとクローゼットの中身は、半分には全然ならなかった。フレッドもジョージも双方それぞれの理由で、まあこんなもんか、しょうがないというところで妥協した。
 次は、と、ジョージは寝室を出て居間へ行った。
「本と雑誌だな」
「それは共通の財産だ。処分の必要性を感じない」
「おまえがほしがって買ったものがあるだろ?」
「おまえだって読んだじゃないか」
「読んだ。けどべつにとっておかなくてもいいものもある。それに、服なんぞこれからそうたくさん買うことはないだろうけど、本は確実に増えるわけだ。いい機会だから全部見直して整理しておくといいと思って」
「じゃあ、俺のだけ捨てられるってわけじゃないんだな?」
「……かもしれない」
「え?」
 不公平だのなんのとぶーぶー言うフレッドを無視して、ジョージは本棚をチェックし始めた。仕事で使いそうな本は問題ない。
「このグラビアはいらない。俺好みの女の子がいなかった」
「俺はその表紙の子が気に入ってたのに」
「どうだっていいじゃないか。こんなもの、思い出も精神の安定もないだろ?」
「目の保養」
「ゴーストが贅沢を言うな!」
 結局、退屈しがちなフレッドを可哀想に思って希望を聞き入れてしまうので、ほとんど本も雑誌も減らないばかりか、いちいちこんな言い合いをしているので2時間たっても遅々として進まない。だんだんジョージも、遺品の整理なのか1人で大掃除させられた上、その邪魔をされているのか分からなくなって、腹が立ってきた。
「なんだよ、ホグワーツの教科書なんかとっておいたのかよ」
 ジョージは表紙が少しばかり変色した本を数冊、床に放り出した。
「とっておいたのはおまえだ。後で役に立つかもとか言って。俺に八つ当たりするな」
「そうだった。結局使わなかったけどな。いや、待てよ……」
 ジョージはかがみ込んで、再度確認してみる。
「呪文学はなあ……」
などと言いながらページをぱらぱらめくってみると、
「「あ」」
 二人同時に声を上げた。1枚の写真がはさまっていた。
 ジョージが写真をつまみ上げた。クィディッチのユニフォームを着たフレッドが1人、棍棒をくるくる回しながら得意そうに笑っていた。
「あー、これ、実験のためにオリバーのカメラ借りて交代で撮ったやつだ」
「結局うまくいかなかったんだよな、このとき。おまえを撮ったやつもあったろ?」
「えーと、あ、あった」
 別のページからジョージの写真も出てきた。
 二人は2枚の写真を、額をくっつけるようにしてかなり長いこと見入っていた。時折触れてしまうひんやりとした感触には、ジョージはもう慣れた。
 2枚の写真から、学生時代の山ほどの思い出が次々と浮かぶ。思い出は懐かしさと共にに、刺すような痛みを同時に引き起こす。
 それは二人にとっては、単に過ぎ去った日々ではなく、永遠に失われた時間でもあったから。
 やっと、ジョージが口を開いた。
「これ、ママにあげてもいいか?」
「ああ」
 ジョージは写真をポケットにしまい、教科書はダンボールに放り込んだ。
「よーし、次は食器ー!」
 ジョージが立ち上がってことさらに元気な声を上げ、そのまま食器棚に向かった。
「それだけはやめろ!」
 フレッドが慌てて追いかけた。
「来客があったとき便利だし!」
「おまえの使い古しなんか出せるか。客用は客用で用意しなきゃ。そのスペース確保のためにもだな」
「十分あるじゃないか! ていうかおまえ、絶対嫌がらせだろう、それ」
 ジョージの“大掃除”はその後1時間ほど、騒々しく続いたらしい。









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