手向けの花


 ハリーはロンとわざわざその町の花屋の前で待ち合わせをした。
   直接墓地に姿現ししてしまってもいいのに。なぜか歩いて、そこへ行きたかった。
「こういうのって、マグルっぽい感覚なのかな」
 ハリーが花束に入れる花の種類をさんざん迷って、結局お店の人にお任せにしたころやってきたロンに、そう聞いてみた。
「そんなことないんじゃない? ママもいつも歩いて行くよ」
さらりと、買い物にでも行くかのようにロンが言ったのが、かえって悲しくてハリーは黙った。
 でも、そうなんだ。きっと、そこに至るまでに何かに思いを馳せたいというのは、魔法使いでもマグルでも、人間として自然な感情なのかもしれない。
「付き合わせちゃって悪いね」
 ロンにそう言われてハリーはびっくりした。付き合わせたのはハリーのほうだったからだ。一緒に行ってほしいと。
「え?」
「だって、わざわざ今日にしてくれたんだろ? 明日じゃなくて」
「いや、べつに……」
「正直明日両方はきついかなって。精神的にさ」
「うん……」
 ハリーはそこまで考えたわけではなかったのだが。ただ、やはり1日に両方はきついだろうと。きっと明日は家族で1日過ごしたいだろうと、それだけだったのだが。
「W.W.W.が再開したって聞いたけど」
 このタイミングで聞くのもなんだかはばかられるようにも思えたが、気になっていたので歩きながらハリーは尋ねてみた。
「うん。僕が無理矢理再開させたんだ」
「君が?」
「そう。最初はそんな意図じゃなかったんだけどね」
そう言ってロンはちょっと肩をすくめて笑った。
「大変だったんだ、しばらくは。ジョージがもう心身共にぼろぼろって感じでさ。パパなんか一時期は本気でジョージを聖マンゴに入院させようかと考えたほどさ」
 ジョージが片耳を失ったときの、フレッドの血の気の失せた顔を思い出す。ましてやフレッドを失ったことがジョージにとってどれほどの衝撃であったのか、ハリーには想像もできない。
「考えてもみろよ、20年間1日も離れ離れになったことがない人間なんて、普通いるかい? それだけでも僕、想像できないよ。弟として見てても不思議だったもん。あいつらよく飽きないなって」
 ロンがあきれたように言った。そんな言い方ができるだけ、ロンの悲しみは少しは癒えたのだろうか。
「それでそんな人間が突然いなくなって永久に帰ってこないって、どんな気持ちがするもんだか、分かるわけないだろ? 家族だってみんなどうしていいか……」
 同じようなことをジニーも手紙に書いて寄越していた。どれほどジョージがつらいか、本当には分かってあげられないまま見ているしかない家族もまた、どれほど苦しいか……。
「でもとにかくいつまでもそのままでいいわけはないし、せっかくフレッドとジョージで作ったのにって、W.W.W.の在庫、僕が勝手に売るからねって宣言したんだ」
 ロンが双子に対してそんな強気に出るなんて、意外な気がしてハリーはロンを見た。
「なんにも考えがあったわけじゃないんだ。ただ、何かしなきゃってたまたま思いついたのがそれで。んで、とりあえず倉庫に行って、どうしようかと困ってたら、そこへジョージが来て……」
「それで?」
「めちゃくちゃ怒ってて、ぶっとばされた」
「……」
「勝手に触るなって。じゃあ自分でちゃんとしろよって僕も言い返したんだ。手伝うからって」
「そうだったんだ……」
「うん。それでそのまま成り行きで事業を手伝ってる」
「ふーん。じゃあ、少しは元気になったんだね、ジョージも」
「元気に……そうだね。最初の頃と比べればね。随分元気になった。とにかく……」
 そこで2人は足を止めた。 墓地のその場所に人影が見えた。ルーピンとトンクスの墓の前に、俯いて立っている。
「ジョージ……」
 ロンが驚いたようにつぶやいて、その言葉にハリーも驚いた。
 ジョージ? そう言われてその人物を見ても、ハリーにはそう見えなかった。
 そのまま2人は近づいていった。足音に気付いて振り向いたその人の顔を見て、やっとハリーにもそれがジョージだと分かった。以前よりだいぶん伸びた髪が風になびいて、それがジョージであるしるしがはっきり見えた。そして、なぜすぐにジョージだと分からなかったのかも分かって、息を呑んだ。
 痩せた肩、やつれた頬。そして、その髪の色。
 ロンが一歩前に出て視界の中に一緒に入ると、その違和感がはっきりする。ウィーズリー家の人たちは皆同じ髪の色をしていた。燃えるような赤。
 なのに、今、ジョージの髪は、その赤い色素がごっそり抜け落ちてしまったかのように、赤茶けた金色にしか見えなかった。
 顔色もやたらに白くて、そばかすが一段と目立つ。このままどんどんすべての色素が薄くなって、いつか消えてしまいそうな不安を覚えさせた。
「今日来るなんて聞いてないぞ」
ロンが不服そうに言った。
「なんでおまえに断らなきゃいけないんだ?」
 力関係はあまり変わったようには思えないロンとジョージの会話を、ハリーはぼんやり眺めていた。
 ハリーが頭部を見つめているのに気付いて、ジョージはわずかに笑ってみせた。
「やあ、ハリー、久しぶり。どうした。耳ならちゃんと聞こえてるけど?」
「え? いや、そういうわけじゃ……」
 きっとハリーが何を見ていたのか気付いているに違いない。それでも髪の色のことは触れられたくないのかと思い、ハリーは何も言えなかった。
 ジョージもそのままハリーの様子に構わず、視線を再び墓石に向けた。
「ずっと、フレッドのことで、自分のことだけで頭いっぱいで、周りのこと何にも見えてなかったから……」
 ハリーとロンに話しかけているのか、それともルーピンに向かって言っているのか、ジョージは静かに話し始めた。
「そんなのしょうがないよ。誰もそんなことでジョージに文句言える人間はいないよ」
 ロンが一生懸命かばうように言った。そう、誰も責めてなんかいない。そんなふうに思ってるのはジョージ本人だけだ。だからロンはそんなに一生懸命になるのだろう。
「でも……」
ジョージはロンの言葉を聞き流して続けた。
「俺は、ルーピンに救われた命だから。あの時、ルーピンが文字通り命がけで守ってくれなければ、あそこできっと死んでた」
 ハリーはロンと顔を見合わせた。あの時というのがいつのことか、よく分かっていた。
「そのほうが良かったと思ったときもあるけど……」
 聞きながら、ハリーは何年か前のことを思い出していた。
 初めてホグワーツへ行った日、9と3/4番線で、初めてハリーに声をかけてきてくれた相手が、思えばジョージだった。それからフレッドと二人で荷物を運んでくれた。ダーズリー家から空飛ぶフォードアングリアでハリーを助け出してくれた。忍びの地図をくれた。DAを支持してくれた。ハリーがアンブリッジ監視下の学校からグリモールドプレイスに連絡を取りたいと言ったときも、手助けしてくれた。そしてそのまま二人は学校を去り……。
 そして、ジョージは片耳を失い、フレッドは命を失い、フレッドとジョージは互いに片割れを失った。
 あの頃の、いつも快活だった双子を思い出し、今のジョージの姿と比べてしまう。自分たちは一体どれほど遠くまで来てしまったんだろう。
 それが自分のせいだとはハリーも思わない。だけど、ハリーのためであったことは確かだ。もし、自分と関わり合いにさえならなければ、こんなことにはならなかった。
 ずっと、無条件に自分に好意を示し、援助してきてくれた二人に、自分は何を返しただろうか。どぶに捨てても惜しくなかった千ガリオンを押しつけただけか。
「でも、逆の立場だったら、俺は自分がどう思うか分かる。せっかく助けたのに、無駄にするのかって。だから、それを忘れちゃいけないと……」
「うん。そうだね。そう思うよ」
 ロンが相槌を打つのも、ハリーは黙って聞いていた。ジョージには、生きてほしい。あの時死んでいたほうが良かったなんて考えてほしくない。だけど、ルーピンの気持ちを無駄にしちゃいけないなんて、そんなことを自分が言うのは筋違いに思えた。
 ハリーはただ、ジョージに死んでほしくなかった。これ以上、親しい人の死に耐えられなかった。それだけのことだ。ジョージに生きて幸せになってほしいと願うのは、自分のためだ。だから、何も言う資格はない。
「ここまで来るのに1年もかかっちまったけど、一応報告にね」
「うん」
 言うだけ言って気が済んだのか、ジョージはロンとハリーのほうに向き直った。
「それじゃ、俺は先に失礼するよ」
「あ、うん」
 そうしてジョージはロンとハリーの間を抜けて帰りかけてから、ふと足を止めた。
「ああ、そうだ。これ」
ローブのポケットから小さな瓶を取り出した。ウィスキーのミニボトルだった。
「花なんか抱えてく柄じゃないし、ルーピンにと思ったんだけど、こんなの死んだ人間が飲むわけじゃない。こっちの気休めにしかならないだろ? そう思ってやめたんだけど」
 そう言ってジョージはそのボトルをハリーに差し出して、またかすかに笑った。
「せっかくだから君に進呈するよ」
「え? ああ、ありがとう」
 ハリーとロンは、ジョージの後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
 それからハリーはさっき買った花束を墓に供え、ジョージに渡されたボトルを見た。ハリーに飲めということなのか、ハリーにその気があるならルーピンに手向けてやってくれということなのか。
 遺された者の気休めだとしても、それでもいいんじゃないんだろうか。そうしなければ、人は生きていけないのだろう。
「せっかくだから乾杯しようか。ルーピンとトンクスと4人で」
「いいね。1人一口ってとこだな」
 ロンが賛成したので、ハリーはボトルの栓を開けた。
 その瞬間、ボトルからシューッと白い煙が吹き出した。ハリーは咄嗟にボトルの口を自分の体と反対側に向けた。
 数秒で煙は収まり、ハリーの前には、白髪に長く白いあごひげをたくわえ、顔にしっかり皺まで刻まれた老人がロンの服を着て立っていた。
「えーと……」
おそらく確実にロンと思われる目の前の人間は、うらめしげにハリーを睨んでいた。
「これはもしかして、君たちの新製品なのかな?」
「僕は聞いてない……」
 怒りに震えた声は、間違いなくロンのものだった。
 ハリーはおかしくなってきて、笑いをかみ殺した。
「そのうち元に戻るんだろう? それかちゃんと解毒剤があるんだよね? ジョージのことだから」
「知らない。もし開発実験中だったらその保証はないな」
 ロンは憮然として答えた。
 ロンに煙がかかってしまったのは自分のミスだ。ジョージは自分を引っかけるつもりでこれを渡したんだろうか。そう思うと、ハリーはほんの少しだけ気が楽になった。
「悪かったよ。君に向けたわけじゃなかったんだ。まさかこんなことになるとは思わなかったし」
「謝る気があるなら笑うな」
「笑ってなんかいないよ」
「肩が震えてるぞ、ハリー」
 押し問答を続ける2人に、初夏の風が吹いた。供えられた花が、くすりと笑うように小さく揺れた。
 





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