そんなわけで





 僕はナメクジが好きだ。だけど、こう見えても、みんながみんなナメちゃんを好きでないことは分かっているんだ。僕のひいひいばあちゃんもそうだし、おとうさんもおかあさんも、学校の先生も友達も、僕といっしょにナメちゃんを「かわいいね」と言ってくれた人はいない。
 でも、それはそれでいいんだ。しかたないんだ。それは僕が漢字を嫌いなのと同じで、人には好き嫌いがあるんだから。ただ、僕がナメちゃんを好きなのが、なぜいけないのかが分からない。
 僕はずっとほんとはナメクジを飼いたかった。いつもそばにいられるように。だけど僕が家にナメちゃんたちを連れてくると、きまってみんなに反対され、ひいひいばあちゃんに怒られ、あきらめるしかなかった。学校の寮に連れて行ったこともあった。あ、これは風魔の学校ね。だけどやっぱり先生に見つかって怒られ、その上罰として漢字の書き取り五十ページもやらされたんだった。そりゃ、ナメちゃんたちが先生の大好きなイチゴを先に食べちゃったのは申しわけないと思うけどさ。でも、ナメちゃんたちはちょっと口をつけただけで、ほとんどは残してあったんだ。そんなに悪いことなのかな。
 だから僕は忍術学園に転校してきたとき、最初はナメクジが好きだってことは隠していたんだ。もちろんそれはまもなくみんなに知れてきたんだけど、は組のみんなは優しいから先生には内緒にしててくれた。僕も、ナメちゃんたちを寮に連れてくるのはちょっと懲りてたから、模型を作ってがまんしていたんだ。途中で一緒の部屋になった金吾はナメクジ嫌いだって言ったから、やっぱり飼うのは無理だろうと思った。
 だけど、だけど、ほんとは一緒にいたかった。僕の部屋でいっしょにすごしたかった。
 ナメちゃんは湿気の多い日陰が好きだから、食堂の裏はナメちゃんたちがよくくつろいでいて、僕はよくそこへ行ってそっとナメちゃんたちに会っていた。どれだけ見ていても飽きなくて、授業に遅刻したこともあった。幸い、は組は僕以外にもいろんな理由で遅刻する人たちがいて、(例えば歩くのが遅いとか、アルバイトしていたとか、広い学園内で迷ったとか)僕がたまに遅刻しても、そんなにひどくは怒られなかった。
 その日も僕は食堂の裏にしゃがみこんでいたんだ。夢中になっていたから、いきなり後ろから「喜三太」と声をかけられた時は、ほんとにびっくりした。振り返ったら、土井先生がいた。しまった。また遅刻だったんだ。漢字五十ページの悪夢がよみがえってきた。
「いつもここで何してるんだ?」
 驚いたのは、土井先生が全然怒ってなかったことだ。いつもみたいに笑って、そう僕にきいた。もう授業が始まってるはずなのに。僕はちょっとほっとした。
「ナメクジさんが……。」
僕が指差すと、先生もそこにしゃがんでのぞきこんだ。
「ほんとだ。ずいぶんいるな。」
土井先生はやっぱりちょっと眉をひそめたけど、怒ってはいなかった。
「これ見ていて遅刻したのか?」
僕は一応反省を見せなきゃと思って黙ってうつむいた。先生はちょっと首をかしげて、そんな僕の顔を見た。
「そんなに好きなのか? ナメクジが?」
僕は、今度は思いっきりうなずいた。分かってもらえなくたっていいんだ。気持ち悪いとか、変だとか、もう慣れたんだ。
 でも、どうしてだろう、土井先生はそんな僕を見てにっこり笑ったんだ。それを見て僕は、なんだかすごく安心してしまった。安心して、気がついたらいろんなことをしゃべっていた。うんと小さいころからずっとナメちゃんが好きだったこと。どんなにかわいいかってこと。いつもそばにいたいこと。それで……遅刻しちゃったこと。それから、ほんとは自分の部屋で飼いたいんだってことも。
 土井先生はうなずいたり、あいづちを打ったりしながらずっと聞いていてくれた。
「喜三太、でも授業に遅れるのはよくないぞ。」
「うん。それは分かってます。ごめんなさい。」
それから先生はちょっとの間、考えているようすだった。ああ、罰はなんなんだろう。漢字は嫌だなあ。と言っても計算も嫌だけど。土井先生は実技の先生じゃないから、校庭三十周なんてのはないだろう。そんなことを考えていた時、土井先生がこう言ったんだ。
「喜三太、そんなに好きなら飼ってもいいけど。」
え? 僕は一瞬耳を疑った。「飼ってもいい」?
 僕は声も出ずに先生を見た。土井先生は優しい顔してたけど、まじめな表情だった。
「こんなとこにばかりいるくらいなら、そうしなさい。」
「ほんとにいいの? 僕、ナメクジを飼いたいんだよ?」
「それくらい分かってる。」
先生はまた笑った。僕もぱーっと世界が明るくなった気がした。
「ほんとだね? ほんとにいいんだね? ありがとう! 先生!!」
「その代わり!」
土井先生は急に笑顔をひっこめた。
「約束しなさい。もうナメクジを見ていて遅刻なんかしないこと。それから教室には持ってきてはいけない。」
「えー、だめなの?」
「あたりまえだろ! 授業にならない。」
僕は、ナメクジがいなくてもしょっちゅう授業になっていないのを知っていたけど、ここは黙っていることにした。
「それから、ナメクジを逃がしたりしてみんなに迷惑をかけないこと。」
僕は、ナメクジには毒がないからどこかの上級生みたいに迷惑はかけないと思ったけど、またイチゴを食べてしまうかもしれないから黙っていた。
「約束を守るなら、飼ってもいいよ。」
「うん! 僕約束するよ! だからいいね? 飼っても、ナメちゃんたちと一緒にいても!」
土井先生はまた笑顔で「ああ、いいよ」と言ってくれた。
「ありがとう、土井先生! ありがとうございました!」
そしたら先生は、僕の頭に手を置いて言った。
「お礼なら金吾に言いなさい。」
「金吾?」
「そう、金吾が心配してたぞ。しょっちゅう薄暗いところへ行って何かしてるって。部屋ではナメクジの模型相手にひとりごと言ってるって。」
あれ? そうだったのかな? まあいいや。
 とにかくそんなわけで、僕は晴れて念願のナメクジさんたちと自分の部屋で過ごすという長年の夢がかなったのだった。
 土井先生はあの時、金吾に感謝しなさいと言ったけど、ほんとに僕は先生にも感謝してるんだ。先生だけが、僕の話をまじめに聞いてくれたから。今ではナメちゃんたちにちゃんと名前があることも分かってくれている。見分けはつかないみたいだけど。
 きっと、ナメちゃんたちも土井先生に感謝してるに違いない。だからいつか、ナメクジさんがきれいな女の人になって、先生のお嫁さんになってあげるように、僕は頼んでいるんだ。





「喜三太、やめてくれ」(by土井)