学園長の部屋で、その二人の子供が正座させられていた。
 一人は12か13の男の子、もう一人はさらに幼い、妹らしい女の子だった。四人の忍者に囲まれ、どうしようもなく泣き出した女の子を半助がどうにかこうにかなだめながら、忍術学園まで連れてきたのだった。
 最初、すっかり気の抜けた半助はうっかり地声でしゃべってしまい、妹のほうはひきつった顔をした。それでもとりあえず見かけだけは優しそうな半助に「悪いようにはしないから」と説得されて少し安心したようだった。兄のほうは歩きながらぶつぶつと「詐欺だ」とか「変態」とか小さな声で悪態をついていたが……。
 連れてこられたところは、正面に威厳があるのかないのかよく分からない老人。背後には3人の怖そうなおじさん。横には、きれいな女のふりをした男。そしてなぜか、自分たちの同じ年頃の子供が1人。
 恐怖感も忘れて目を丸くしている二人に、半助が簡単にここは忍者の学校なのだと説明をする。そしてようやく、兄のほうが事情を釈明しはじめた。


 僕の父はいわゆる落ちぶれ貴族でした。元々身分も高くなくいし、たいした官職もない家柄でした。それでも代々楽に秀でた家系らしく、昔は政治力がなくてもそれでどうにか暮らしていけたらしいです。小さいとはいえ荘園もあったらしいし。
 でも、朝廷が力を失ってからはそれでは食べていけなかったんです。祖父や父の時代にはわずかばかりの荘園もだまし取られたり切り売りしたりですっかりなくなっていました。
 父は琵琶だの琴だの笛だのを教えて細々とくらしていましたが、貧しい中で母が病に倒れ、十分な看護もしてあげられないまま亡くなりました。3年前のことです。父はふがいない自分を責め、失意の中で昨年母の後を追うように亡くなりました。
 母方の祖父母は健在ですが、やはり日々の生活がやっとのわびしい生活。僕は、なんとか自活できるようになりたいと、ある薬師に弟子入りしました。父も母も、ろくな薬もないままに亡くなりましたから…。
 僕は貴族の身分だの生活だのはどうでもいいんです。ただ一つだけ、どうしても取り戻したいものがありました。そうです。笛なんです。我が家に代々伝わるもので、父も愛用していました。それを僕は売ってしまいました。だって父が伏せったとき、僕らにはほかに医者に診せる手段がなかったんです。
 家宝とか伝統とか誇りとか、そんなんじゃありません。ただ父に申し訳なくて。いえ、僕が父の形見にほしいだけかもしれません。
 それに妹が……父の笛を聞きたいと言って泣いたんです。もちろん、寂しいんだってことは分かってます。だけど、僕も父に多少手ほどきを受けていましたから、僕が父のあの笛を吹けば、多少気がまぎれるかと……。
 だけど、僕らには買い戻すなんてとても無理なんです。それで、僕は薬師に教わったことを生かして眠り薬を作り、もしかしてと思った笛を持ってる人を眠らせて確認を…。だれかを傷つけるわけではなし、これならいいやと思ったんです。
 もちろん、それで父の笛が見つかればそのまま……。すみません……。


 少年は一応小さくなって反省している様子だった。
 妹のほうは、何かとがめを受けるのではないかと不安そうに兄の袖を握りしめていた。 教師陣は意外な事の成り行きにどうしたものかと学園長を伺った。
「ふむ。事情は分かった」
 やや間があって学園長が口を開いた。
「わしらは役人ではないからのう。そなたたちをどうこうするつもりもない。幸いけが人も出ておらんし、笛を盗まれる被害もなくて済んでおる。このまま無事に帰りたくば、二度とこのようなことはせぬとここで約束しなさい。われらは忍者じゃからの。約束を破ったらすぐに分かるぞ」
 学園長が温かく、しかし重みをきかせた声で説いた。
 だが、少年は唇をかんでうつむいたまま、答えない。妹のほうは約束をすれば帰れるのならと、兄を促すように袖をくいくいと引っ張った。
 それでも頑なな様子を崩さない少年に、伝蔵が声をかけた。
「ぼうず、名はなんと言う?」
少年はきっと伝蔵をにらんだ。
「ぼうずではない!」
「わしから見りゃぼうずじゃ。ぼうずと言われるのが嫌なら名を教えなさい」
「……穂波」
「ほなみ、か。良い名じゃ。お父上が付けた名か?」
「はい」
 少年の表情が少し緩んだ。
「お父上がそなたをどれだけ慈しんでおられたか伺えるというものじゃ。わしにも息子がいるんでな、そなたのお父上の気持ちも分かるつもりじゃよ。その父の立場として言わせてもらうならば、いくら父のことを思ってくれてのことであっても、息子に泥棒の真似はしてほしくないぞ。しかも、人を助けるための薬の知識を悪用するなど、本末転倒だとは思わんか?」
 父親としての伝蔵の言葉に、穂波と名乗った少年の目が、かすかに赤くなった。それでも少年は唇をぎゅっとかみしめたままだ。
「兄様、このおじさまのおっしゃるとおりです。とと様やかか様が知ったら、きっとお叱りになられるに違いありません。舞(この少女の名らしい)も、とと様の笛はなつかしゅうございますが、このうえ兄様までが捕まっておられなくなったら、舞は独りぼっちになってしまいます。笛はいつか、一所懸命働いてきっといつか……」
 必死に訴える妹に、それまで黙っていたしんべヱが、気の毒そうにおずおずと声をかけた。
「あ、あのねえ、舞ちゃん?」
「は、はい」
「もしかしたらその笛、もう日本にないかもしれない……」
しんべヱの言葉に、兄妹のみならず教師陣もしんべヱに注目した。
「あのね、最近南蛮から来る人が、おみやげに楽器や絵を買っていくことが多いんだ。自分の分だけじゃなくて、家族やお友達の分もって、いっぱい買っていくの。でね、新品がいいって言う人もいるし、もっと由来のある名品がほしいっていう人もいて……。そういうのはやっぱり、その、貴族さんが持ってるから、つまり……」
 しんべヱは気の毒そうに言い淀んだ。
 舞と名乗った少女は、しばし目を見張って、申し訳なさそうに眉を下げているしんべヱを見つめていた。
 それから涙をぬぐって、しんべヱに笑いかけた。
「そうなの……。でも、お兄さんが悪いんじゃないもの。そんな顔なさらないで。舞はもう、笛などに執着するのはやめますから。ね、だから兄様……」
 必死に兄の袖を引く舞の手を、しかし穂波は振り払った。
「うるさい! おまえは何も分かっていない!」
「おい、少年、素人の子供だと思ってこちらが優しくしてやっているのにその態度はなんだ。素直に反省して、もう二度としないと約束せんのなら、役人に引き渡すぞ! そうなれはおまえの師匠殿にも類が及ぶかもしれんぞ!」
あくまでも頑なな態度にたまりかね、厚着が脅しをかけた。しかし、穂波は負けずに厚着をきっと見返した。
「役人がなんだってんだ。僕は泥棒なんかしちゃいない。そうだろ?」
「開き直るか、こいつ」
やれやれというように、厚着がため息をつく。
 しかし、事情が事情であるし、妹もいる。手荒なことをしたくないのが厚着も含めた教師陣の本音でもあるのだ。 
 お手上げ状態の中、穂波の利発そうな、しかし暗さをたたえたその瞳を見ていた半助は、ふと胸に去来するものがあった。
(ああ、そうか、この少年はもしかしたら……)
 穂波はふと、頭に人の手の温もりを感じて顔を上げた。男だか女だかよく分からない人間が、しかし優しい微笑みを浮かべて見つめていた。
「穂波くん? 父上の形見とか、舞ちゃんのためとか、それは君のくっつけた言い訳だろう?」
穂波は一瞬うろたえたが、明らかに不快感をその表情に表した。
「君のお父上は素晴らしい方だった。なのに、世渡りの才覚がないだけで大変な苦労をされた。君たちまでも辛い目にあった。いい目を見ているのは、必ずしもいい人とは限らないよね。ずるかったり、能力もないのに世渡りがうまいだけだったり。そんな世の中に腹を立ててるんだろう? 理不尽だと思ってる。どうして自分たちがこんな目に遭わなければならないのか、納得がいかないんだよね? だから笛を取り返して見返してやりたかったんじゃないか?」
 穂波は目を見開いて半助を見た。何も言い返せないそのことが、それが図星だと言っているようなものだった。
「その上その形見まで、成り上がりの豪商やらわけのわからない南蛮人やらに買われていったかもしれないと思ったらたまらないよね。ああ、そうですかって諦められるものじゃないよね」
 穂波の目から涙があふれた。
 半助の手が、そのまま穂波の頭をなでた。
「分かるよ。君の気持ち、少しは分かるつもりだよ」
「分かる? 本当に?」
半助はうなづいた。
「ああ。きっとご両親を亡くされてから今まで、その意地だけをバネに頑張ってきたんだね。妹さんを抱えて。偉かったね」
穂波はこっくりとうなづいた。
「でもね、そんな手段で運良く形見の笛を取り戻したとして、君はそれを父上の墓の前で堂々と吹けるの?」
穂波は首を横に振った。半助は嬉しそうににっこり笑った。
「分かってるんだよね。自分でも。だからもうやめよう。そんなことしても世の中は変わらない。それより、君が薬師としてたくさんの人を助けたら、その人たちは君に感謝して優しい気持ちになれるだろう。そういう人たちを1人でも増やしたほうが、本当に君が世の中に勝ったことになるだろう。違うかな?」
「そんなこと、どうせ僕にできるかどうか……」
「いや、君は才能あると思うよ。あの眠り火、匂いが少なくて早く効くようにできていたね。すごいよ」
ほめられて、ようやく穂波の顔に照れ笑いが浮かんだ。
「きっとご両親も頭の良い方だったのだろうね。その才能をどういうふうに使ったらいいか、よく考えなさい」
 再びこくりとうなづいた穂波の姿に、学園長も教師陣も、そして妹も、ほっと胸をなでおろした。


 1か月ほど後のこと、穂波からの手紙を嬉しそうに半助が読んでいた。
 迷惑をかけたことへの謝罪。自分の気持ちを分かってくれたことに対する感謝。そしてそれによってようやく吹っ切れて、勉学と修行に励んでいる様子などが書かれていた。
「でもこれ、宛名がないんですけど、よく届きましたね」
「ああ、あのぼうずが直接届けに来て小松田くんに渡していったらしいぞ」
伝蔵ものぞきこんで、安心した顔をした。
「それでわたしにと?」
「うむ。名前が分からず、笛の上手な男女(おとこおんな)に渡してくれと言ったらしい。小松田くんが途方に暮れていたところにたまたま行き会ってな」
半助はいや〜な顔をしながら手紙を伝蔵にも渡した。
「あの子、きっとわたしのことを誤解してるでしょうねえ……」
「それは自業自得でしょう」
伝蔵はどことなく嬉しそうだ。
「男女などと言われるようでは修行不足ですぞ。ちゃんと『娘さん』と言われるようでなければの。ほう。手紙の文章もしっかりしているし、なかなか賢い子のようですなあ」
 妙にご満悦な伝蔵を横目に、もう二度と、余興でも笛など吹くまいと思った半助だった。






以前「月の森」の氷輪様に、楽を奏でる土井先生という絵をいただきました。
衣装については特にお願いしなかったにもかかわらず、イメージどおりの絵を描いてくださいまして、それに僭越にも話を付けたいなと思いまして、やっちゃいました。
本当はもっとすっきり短くまとめるつもりだったのに、こんなに長くなってしまって。
しかもかえってイメージぶちこわしてねーかって感じで。
絵のほうは女装というわけではなくてもうちょっと中性的と申しましょうか。素敵なんですわ、とにかく。
なので、本当はもっと妖艶とか幽玄とか、そういう言葉のあてはまる話にしたかったのですが、なぜか途中で路線変更?

夢に向かって頑張って進んでいる氷輪様。もっともっともっと素敵なお話にできたらよかったのですが、今の私の精一杯です。お目に触れる機会がまたあればなあと念じております。