色褪せぬ





 忍術学園に向かって歩きながら、利吉はその手の中の球状の物体を見つめた。 
もう何度目か分からない。それを見つめながら、この度の任務で出会った男のことを思い出していた。


 利吉はフリーだが、その男はある城のお抱え忍者だった。その男のサポートが、今回の利吉の仕事だった。
 年齢は、もう中年と言ってよいあたり。しかし、利吉の父伝蔵よりは若干年下といった感じであった。
何日間か行動を共にするうちに、その忍者が夜、いくつもの火器の手入れをしているのを利吉は見た。
いろいろお持ちなのですね。
そう声をかけたのは、べつだん興味があったというより、2人きりの間がもてなくて、いわば社交辞令的に言っただけだった。
 が、彼は嬉しそうに笑って、利吉に説明を始めた。これは煙玉。これは火矢。これはその爆発力が違うなどと。それだけ使い分けるというのは、それはそれでなかなかのものと利吉が少々感心していたところ、気を良くしたのか、そういう性格なのか、彼は利吉に思いもかけない思い出話を始めた。
『実はな、これは昔俺が一緒に仕事をした、あんたみたいなフリーの忍者に教えてもらったものなんだ』
へえ、と、利吉は適当にあいづちを打つ。
『そう、ちょうどあんたぐらいの年だったと思うよ。いや、もう少し若かったかな。あれ、だけどあんたもまだ18だよな。それより下じゃあ、まだ子供だよな。多分、あいつも18かそこらだったろう。きっと幼く見えたんだな』
 そんなことを言いながら、彼はなぜか楽しそうだった。
『妙に気のいいやつでな。俺にいろいろ教えてくれて、作り方も全部見せてくれたんだ。忍者のくせに、やけにお人好しだったんだ』
 こいつも相当なお人好しだけど、と利吉は思う。
『だけど、若いくせにやけに火器や火薬には詳しくてな。それに、そんな子供みたいな顔してるのにえらい度胸がすわってて』
  利吉はなんとなく、自分の知っているだれかを思い出す。火薬に詳しく、童顔で、お人好しで、だけど度胸がすわってる忍者。
 『そいつはほんとに気のいいやつだったんだがな、いざ実戦に出ると恐ろしく冷静で、めったに本気は見せないが相当な腕だったんだ。だから忍びの間では、当然だんだん名が上がってきてた』
 それはさぞ一流の忍者になられたのでしょうね。
だれかを思い出して少し興味を持った利吉が、そんなふうに尋ねてみる。
『それがな、ある時期に忽然と姿を消しちまったんだよ。だれもその名を聞かなくなったし、一緒に仕事をしたという者もいなくなった。そう、あいつが多分20歳かそこらのころだな』
20歳? 利吉は身を乗り出した。そんなに若くして? 死んだのでは?
『しかし、名のある忍者が死んだら、それはそれで何かしら噂が出るもんだろ。それもなかった。引退したって噂はあったけどな』
若干20歳で姿を消した、火器に詳しくお人好しで、腕の立つ優秀な忍者。
あの人が父に連れられて、自分の前に姿を現したのはたしか、20を少し過ぎたころではなかったろうか。そのときあの人は、父は、なんと言ったか。
『惜しい奴だったよ。一度3人の敵の忍者に追っ手をかけられたことがあったんだが、そいつが刀であっというまにその3人の……』
利吉は、胸の鼓動が早まるのを押し隠し、何気ない様子を装って尋ねた。
『それは、なんという忍者だったのです?』
『ああ、あんたもフリーなら、どこかで噂を聞いたら教えてくれよ。そいつの名は……』


 学園の門が見えて、利吉はその男からもらってきた火器を懐にしまう。男がかの忍者から教えてもらったままだという、その火器を。
 
 利吉がいつものように職員寮を尋ねると、珍しく土井半助が一人廊下に腰掛けて本を読んでいた。
今は実技の授業中なのだろう。趣味なのか、研究なのか、授業の準備なのか。
 一人でゆっくりできる時間はわずかしかないはずだ。その時を惜しむように熱心に読書にふけっていた半助だが、それでも音もなく近づいた利吉の気配に目を上げ、にっこりと微笑んだ。
「やあ、利吉くん、仕事の帰りかい?」

 利吉はここに来るまでに何度も何度も自問してきたことがあった。答えの出ないまま来てしまったが、この笑顔を見ると再度自分に問うてみなければならない。

 自分はなぜ、何を、知りたいのだろうか。
この人が優秀な忍者であることは他人に聞くまでもない。自分がよく知っている。なぜ教師になったのか。現場に戻る気はないのか。
 そんなことを聞いてどうする。自分に何ができる。いい思い出であるはずもないのに。それを問い詰めることによってこの笑顔が曇ってしまうかもしれないのに。それに対して自分はこの人に何をしてあげられるのか。それでも聞くのか。
 聞いてどうするのだろう。
この人に少しでも近づきたいと思う。だが、おそらくこの人と自分の行く道は違うのだ。
しかし自分が目標とする父も、心から尊敬しているこの人も教職という道を選んだ。だからだろうか。自分には何かが欠けているのだろうか。一流の忍びとして。あるいは人間として。
その答えが分かるのだろうか。なぜ第一線を退いたのかを聞けば。

 迷い迷ったまま、利吉は半助に近づく。
「ええ。先生、お元気そうですね」
「おかげさまでね。山田先生は今授業中なんだ。上がって待つといいよ」
 そう言うと半助は本を閉じてさっさと立って部屋の襖を開ける。
「すみません。読書のお邪魔をしてしまいましたね」
「いいんだよ。わたしもちょうどお茶でも飲んで一息入れたかったところだから」
 いつもと変わらぬ優しさに、利吉は胸がいたむ。
出会ったころからそうだった。この人は。いつもいつも人を傷つけないように。気を使わせないように自分が気を使ってばかりいて。それもそんなこまやかさを感じさせない大らかさのせいで、その優しさも温かさも当たり前のように思っていた。なぜそうなのか、何を考えているのか知ろうともせずに。

 決心のつかぬままに、ではお言葉に甘えて、と利吉は上がらせてもらう。
「疲れたろう。荷物下ろしてゆっくりしていきなさい」
 勧められるままに茶をすすり、茶菓子を一口飲み込んでから、利吉はおもむろに懐から例の物を取り出して、どうか平静に見えるようにと念じながら半助の前に差し出す。
「実は今度の仕事で組んだ者から、こんな物をもらってきたんです。独特の火薬の配合だそうです。かなり威力があるようです。同じものを先生なら作れるかなと思って。お忙しいのにすみません」
 利吉がそう言うと、半助は目を輝かせた。
「そんなの全然構わないよ。面白そうじゃないか。ちょっと分解してもいい?」
「はい」
利吉は、うまくいったと安堵する気持ちと、後ろめたいような気持ちとないまぜになった。
 半助は床に紙を広げると、その上で利吉の持ってきた火矢を注意深く分解し、中を分析しはじめた。利吉はそんな半助の表情を注意深く見つめる。
 半助は真剣だが、わずかに唇の端が上がって微笑んでいるように見える。本当に好きなのだ、この人は。こういうことが。
 そしてその表情は変わらなかった。
「ああ、これなら確かに威力はあるかもしれないね」
 半助は初めて見たようなことを平然と言った。
だが利吉は聞いたのだ。この配合を教えた忍者の名を。

『そいつの名は半助っていった。土井半助。忘れたことはない』

あなたが作ったものではないのですか。そう言いたい衝動を利吉は抑えた。答えが見つからなかったから。聞いて自分はどうしたいのか。
 「特徴のあるものじゃないんですか?」
半助が何も言わないので、利吉は痺れを切らせて尋ねてみた。
「うーん、そうだね……」
ちょっと何か考えているようだが、動揺した様子はない。
「たしかに特徴はあるかもしれないね。今時これはね……」
「は? どういうことです?」
思いがけない答えを言われて、利吉はまた別の興味を抱いてしまった。
「これはね、ちょっともう古いやり方だと思うよ。確かに威力はあるだろうね。だけどほら、ちょっと大きさがね、かさばるだろう? だからあんまり今こんなのを持ち歩く忍者はいないと思うよ」
「そ、そうなんですか?」
「これと同じ威力のものが欲しいなら、作りなおしてあげるよ。もっと小型にできるから」
いつもと変わらぬ笑顔でこともなげに言う。
「そ、そんな、お忙しいのに」
「構わないよ。わたしが試してみたいだけなんだ。迷惑でなかったらやらせてよ」
「迷惑なんかじゃありません! ぜひお願いします」
当初の目的はどこへやら、利吉はそう言わざるをえない。
 半助はしばらく黙って作業しながら、利吉の視線に顔を上げた。
「どうかした?」
「いえ、べつに。先生、楽しそうだなと思って……」
「うん。楽しいよ」
本当に覚えていないとしか見えない。相手はあんなに強烈な印象を持っているのに、半助にとってはどうでもいいことだったのだろうか。それとも、昔のことは一切語りたくなくて見事にしらばっくれているだけなのだろうか。それすら利吉には読めない。
「それより利吉くん、これ、くれた人はなんて言って君に渡したの?」
「え!?」
 逆にいきなり核心を突くような質問をされて利吉は答えに窮した。言えばいいのだろうけれど。昔、土井半助という忍者に教わったそのままだと。その忍者は名を上げ、これからという時に忽然と姿を消したのだと。
 だが、それを聞いて、この笑顔が消えてしまったら自分はどうしたらいいのだろう。
利吉の返事を待たずに、半助が言った。
「まさか、これが最新型だなんて言ったんじゃないだろうね」
「い、いえ。なんか昔一緒に仕事した忍者に教わったんだそうです」
思いきり勇気を振り絞ってそれだけを答えた。
「昔、ね。そうだろうね」
半助はくすくすと笑った。
「はあ……」
一瞬まさかと思ったが、やはり半助はそれ以上何も言わなかった。


 それからは黙って作業を続け、やがて利吉が持ってきたものを二つの小さな火矢に作り替え、それを利吉に手渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございました。あの……」
「利吉くん」
利吉が何か言いかけたのをさえぎるように、半助が口を開いた。
「きみはこんなふうになってはいけないよ」
「こんなふうって……」
それが何を指すのか。この火矢のことなのか、あの忍者のことなのか、それとも……。
「きみの道は一直線にまっすぐ伸びている。それはとても幸せなことなんだよ」
「は、はい」
「これからもずっとその道を歩んでほしいと思う。これはわたしのわがままなのかもしれないけれど」
「はい」
「だから、昔のことにいつまでも拘泥しているようではいけない」
「……」
半助の言うことの意味が何のことなのか。利吉は確認することすらできない。
「いいね?」
その笑顔で、その瞳で念を押されて、利吉はうなづくしかなかった。
 終業の鐘が鳴った。
「ああ、山田先生が戻ってこられるよ」
その後はいつものとおり。父伝蔵にあいさつをして、ひとしきり話をして、たまには家に帰れだとか、父上こそだとか、そんないつものやり取りをして、利吉は学園を辞した。

 やはり聞けなかった。聞けなかったのは自分の勇気がなかったからなのか、うまくごまかされのか。それ以前に自分で答えを見つけてからでなければならないのだろう。知ってどうするのかを。
 たとえあの春の日の木漏れ日のような笑顔が曇ってしまうとしても、それを受けとめられるだけ自分が大きくならなければいけないのだ。
おそらく、父にはあるのだ、その度量が。だからすべてを知って半助を連れてきたのだろう。自分は何も知らない。自分にはまだそんな資格はないのだ。
 ただ忍者としての腕を磨くだけならばいくらでもできる。だが、自分はあの人とは何かが決定的に違うのだ。
あの人が今の自分と同じ年頃だったという、あの男の話を利吉は思い出す。
『3人の忍者に追っ手をかけられたことがあったんだが、そいつが刀であっというまにその3人の袴の帯を切っちまったんだ。それで追っ手はずり落ちた袴につまずいてみんな転んじまってな。その間にまんまと逃走できたんだ』
 血を流すことを好まないあの人らしいやり方だと、利吉はおかしくなると同時に空恐ろしさを覚える。
教師となった今の話ではない。まだ十代だったころだ。そんなにも優しくなれるためには、自分は強くなければならない。忍びとしての技量も、人間としての度量も。
 自分にもそれがあると思えるようになったなら、そのときこそあの人に聞いてみようと利吉は決心した。  









キリ番9000を踏んでくださった水城るう様のリクにお答えするはずだったもの。利吉は半助に近づけない。半助はわかっているのかいないのか、はぐらかす。微妙にダーク…ダーク!? あれ? 平身低頭いたします!
なんかこのところやけに土井先生の過去にこだわってるみたいですね。今回そんなつもりではなかったのですけども。どうしても土井先生から利吉に言わせたいセリフがあって、それを言うためにはやっぱり過去がらみだったりしたものですから。ちなみにこの辺の話は「あのころ」の土井先生と山田先生とはまったく別です。