悲しみの声なき声


 待ち合わせ場所に、まだ大木雅之助の姿はなかった。
 ちょっと早く来すぎたかな。いや、あの人のことだから、その辺はけっこういいかげんなんだろう。
 半助は、学園長に言われて大木雅之助の手伝いのために来ていた。
 いや、形式的には雅之助が半助の手伝いとして選ばれた、ということになる。これは学園が請け負った仕事だった。時折こうして外部の依頼を受けて忍者集団としての仕事をし、その報酬で学園の運営の一部をまかなっている。その仕事に今回は半助が指名され、雅之助を手伝いとしてつけるというのが表向きだが、実際はその逆だと言われてきた。なぜそうなのか、詳しいことは知らされていない。
 腰を下ろして待っていようかと思ったところへ、がさがさと音がして、道の脇の草むらの中から雅之助が現れた。
「待ったか?」
「そうでもありませんが、なんでちゃんと普通に道を歩いてこられないんですか、あなたは!」
「これもラビちゃんの散歩のためだ」
「ラビちゃんて、まさか任務に連れていくつもりじゃ…」
「もちろん、家においてきたぞ」
「だったら普通に歩いてくればいいじゃないですか」
「気にするな。単なる癖だ」
 半助は、任務の前に早くも疲れてきた。
「ところで」
と、雅之助はあたりをきょろきょろと見まわした。
「手伝いってのはおまえさん一人か?」
「ええ。そんなに人手のいる仕事なんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが…ってあんた、任務の内容聞いてないのか?」
「はい。大木先生の手伝いだから、大木先生に聞けと」
「ったくいいかげんなじじいだな、相変わらず」
悪態をつく雅之助に、半助は苦笑した。
「聞こえますよ」
「何言ってんだ、こんなとこまで」
「でも……」
言っている間に、枠線がめくれて学園長の杖が飛んできて、雅之助の頭に刺さった。
「だから言ったのに……」
「な、なんちゅう地獄耳……」
「で、どういう仕事なんです? わたし一人では心もとないと?」
 雅之助の後頭部にばんそうこうを貼りながら半助が尋ねた。
「いや、そういうわけじゃないんだが、こういうことはもうちっと場数を踏んだ奴とか、女を説得するのがうまいやつとか、要はこなれた奴がいいんだな」
「なんですか、それは。まさか……」
「ち、違う違う! 妙な目で見るな! 順を追って説明するから。おまえさんも、茜城と粟野城の戦は知っておろうが」
「はい、それはもちろん」
「で、茜城は落城寸前て状態だ」
「そのようですね」
「そこの奥方ってのは高見城の姫さんでな。実は輿入れのときに忍術学園にいたわしが護衛としてついていったといういわくつきなんだ」
「いわくって…」
「それで高見の殿さんが、落城前に娘と孫の若君を救出してくれと頼んで寄越したわけだ」
「そんなの、高見のほうから迎えに行けばいいじゃありませんか。茜の殿様が手放さないのですか?」
「いや、奥方が説得に応じないらしい。それで、まあわしが自分で言うのもなんだが、その輿入れのときに護衛したわしを、姫さんがけっこう信頼してくれたらしくてな。できたら説得して連れ出してくれ。それができなければ無理にでも、ってことになってな」
「そういうことですか。それで……」
 半助は話を聞くと、黙り込んだまま黙々と歩いた。
その沈黙をどうとったのか、雅之助は
「ああ、悪気はないんだ。気にするな。おまえさんが役不足というわけじゃないんだ。おそらく無理に連れ出すことになったときを考えて、イキのいいのを寄越してくれたんだろう。それに、ガキ扱いがうまいから、若君もすぐなつくだろうしな」
とフォローした。が、
「え? ああ、いえ、べつにそんなことどうでも…」
半助はろくに聞いてもいないようだった。
(なんじゃい)
雅之助は拍子抜けしたが、細かいことにはこだわらない性質なので、そのまま茜城に向い、夜になるのを待った。
 周囲はもう粟野の軍に囲まれていたが、二人は夜陰に紛れて城内に忍び込んだ。
 ところが、二人が館の中に入る前に、火の手が上がった。
「しまった! 早まりやがったか!」
城に火を放ち、城主が自害を図ろうとしているのだ。
「今ならまだ間に合うかもしれんが、まず水を…って、おい! 半助!」
半助はそのまま足も止めずに、館の中に飛び込んでいってしまったのだ。
 雅之助はあわてて井戸を探した。
 そして頭から水をかぶると、雅之助も半助の後を追って火の手の上がる館の中に飛び込んだ。

 あらかじめ城内の者には告げてあったらしく、皆整然と避難している。館の中にはもうほとんど人はいない。
 まださほど火は回っていないが、何か油でもまいたのか、ひどい煙だ
(たしか、こっち……)
雅之助は頭に入れておいた縄張り図を頼りに奥へと進んだ。
しばらく進むと、半助が子供を懐に抱え込むようにして、襖を蹴倒して中から出てきた。
「おお、無事だったか! それが若君か?」
「ええ」
まだ振り分け髪の男の子だ。半助は若君をおろすと、膝をついて若君の顔をのぞきこんで、いつもの笑顔を浮かべて言った。
「さ、若君、ここからはこのおじさんが外へ連れていってくれますからね。わたしは必ず母上をお連れしてまいりますから、このおじさんと離れないようにするのですよ」
若君はおとなしくこっくりとうなづいた。
 あわてたのは雅之助だ。
「お、おい! 何言ってんだ。もう今からは危なすぎる! 若君が助かっただけでもよしとし……おいったら!」
 半助は雅之助の言うことなど耳もかさずに、再び黒煙の中へと飛び込んで行ってしまった。
 雅之助も豪快な性格だが、無茶はしないつもりだ。それがプロだと思っている。
 心配そうに奥を見つめる雅之助を、若君が無垢な瞳で見上げていた。
 御年5歳だということだが、事情を理解しているのかいないのか、おびえた様子もなくおとなしくしている。雅之助がそれに気づいて見つめ返すと、若君はぺこりと頭を下げて「おねがいします」と言った。
「ええい! 仕方ない!」
 雅之助は若君をひょいと抱き上げると、一目散に外に走り出た。一度城から出て、道もない藪をかき分けていく。やがて大きなうろのある木を見つけると、そこに若君を押し込んだ。
「若君、あの者は、母上をお連れすると約束したのですね?」
若君はまたこっくりとうなづいた。
「ではきっと母上はお連れしてまいります。わたしも手伝いに行きますから、ここで母上が来られるのを待っていられますね?」
若君は「はい」ときっぱり返事をした。
「声を出してはいけませんよ。すぐに戻ってきますからね」
「はい」
 雅之助は立ち上がると、若君の視線を振りきるようにそこを走り去り、城へ戻った。

   館はもうかなり火が回り、先ほどよりもさらにひどい黒煙がもうもうと立ち込めている。あちこちが焼け落ち、メリメリと不気味な音を立てている。
 そんな中を、雅之助は手ぬぐいを鼻と口にあてて、必死で中へと進んだ。煙に火の粉が混じる。熱いよりも息苦しい。ひどく目が痛くて、どちらへ進んでいいのかもおぼつかない。
 こんな中、奥方のところまで半助が行きつけたとしても、戻ってくるのは容易ではない。容易ではないというより、これではほとんど絶望的だ。
 しかし、見捨てて逃げるわけにはいかない。死なせるわけにはいかない。あいつはまだ若い。生徒たちも待っている。わしだけ戻ったのでは、学園長や伝さんに会わせる顔がない。
「半助! 半助ー!!」
 すでにあたりをはばかる必要などない。雅之助は手ぬぐいをはずして、大声で叫んだ。
 煙がのどに入ってくる。うっと息が詰まる。それでもひるまずに一歩、また一歩と奥へ足を進める。
「半助!!」
必死で叫ぶ。しかしあと何回こんな声を出せるか。げほげほと咳き込む雅之助の耳に、
「大木…先生…!」
これも必死の叫び声が、黒煙の中から聞こえた。
 雅之助ははっとして、声のするほうを見た。
「こっちだ! こっちだ半助!」
視界のきかない中、誘導するように声をかける。
 何度か呼びかけると、煙の中から半助が姿を現した。
 両腕に、白い着物を着てぐったりとした女性を抱きかかえている。顔は煤で真っ黒で、頭巾をはずして女性の鼻と口を覆っていた。
 雅之助はその女性の顔をのぞきこんだ。
 あの姫君だ。気を失っているが、息は確かなようだ。
「早く! こっちへ!」
 雅之助は奥方を受けとって肩にかつぐと、もう目を開けているのもつらそうな半助の腕を片手で引っ張り、外へ連れ出した。
 城の周りでは粟野軍が気勢を上げていたが、搦め手のほうは館が焼け落ちて崩れてきそうなこともあり、人気はなかった。
 城外へ出た途端、雅之助は半助の動きが鈍くなったのに気づいた。雅之助がつかんでいた腕の力が抜ける。思わず足を止めて振り返ると、半助がぐらりとその場に倒れた。
「半助っ! おい! 半助!」
雅之助はとりあえず奥方をおろして、半助のほほをたたいた。が、半助はぴくりともしない。
「しっかりしろ! まだ任務は終わったわけじゃねえぞ! おい!」
雅之助は必死に半助を揺さぶり、呼びかけ続けた。


  額にひんやりしたものを感じ、半助は意識を取り戻した。
 雅之助がのぞきこんでいるのが、ぼんやりと見えた。
「大丈夫か?」
そう声をかけられて、はっとして飛び起きた。
 どこか小川の近くに運ばれていたらしい。
「おまえ、わしの手助けに来たのか、手間かけさせに来たのか、どっちだ」
雅之助がにやりとして言う。
「大木殿、そう意地悪をおっしゃいますな。この方のおかげでわたくしもこうして若君と再会できたのですから」
 涼やかな声に振りかえると、かの奥方が濡らした手ぬぐいを持ってこちらへ歩いてくるところだった。そのそばには若君が、しっかりと母の着物の端を握り締めている。
 奥方は半助に近づくと膝をついて、半助の腕に巻かれた手ぬぐいを取り替え始めた。
「わたくしが意地を張ったばかりに、あなたに火傷をさせてしまいました。申し訳ありませんでしたね」
奥方が涙声で半助に話しかけた。
「でも、あの時のあなたの言葉が胸にしみました」
雅之助が眉を上げて、何を言ったんだ、という目でこちらを見た。

 半助が最初に飛び込んだとき、まだ3人とも別れを惜しんでいるところだったのだ。
 しかし、半助が高見の使いで来たと告げると、城主と奥方は、それならせめて子供だけはと若君を半助に託した。そのとき半助は、まだ逃げ延びることはできるから早まってはいけない。必ずもう一度迎えにくるからと固く言ってきたのだった。
 だが、二度目に半助が飛び込んだときには、すでに城主はその刀を腹に突き立て、奥方もまさに今、懐剣でのどをかき切ろうとしているところだった。
 半助はその手から懐剣を叩き落すと、奥方の肩をつかんで言ったのだ。
 子供の命さえ助かればそれでいいと思うのですか。これから先ずっと、若君は今日の悪夢を一人で抱えて生きていくのですよ。一人生き残ってしまったわが身を呪って生きていくことになるかもしれないのですよ。武将としての体面などより、なぜ子供のために生きることを選んでくださらなかったのかと、孤独に生きていくのですよ。一生。あなたはそれでも本当によいのですか、と。
 それでも躊躇する奥方の鳩尾に半助は有無を言わさず当身を入れ、連れ出したのだった。

「若君を今一度この腕に抱いて、助けていただいて本当に良かったと思えました。今は、とりあえず実家に帰って、若君と二人、強く静かに生きていく道を探そうと思います。決して、子供一人にすべてを押しつけて逃げたりはいたしません」
涙を浮かべながらきっぱり言いきった奥方に、半助は笑顔でうなづいた。だが、その笑顔はいつも生徒たちに向けるものではなく、どことなく寂しそうだと雅之助は思った。

   茜城の奥方と若君は、夜が明ける前に一旦忍術学園に身を寄せた。ここで休息をとり、着物を着替え、髪型も変えて、いかにもその辺の町の親子に変装してから、また別の教師に護衛されて実家である高見城へと向かった。
 雅之助は門のところで母子を励まして見送ると、その足で保健室に行った。
 保健室に入るなり、雅之助は新野に「どうだ?」と一言聞いた。
 新野も、雅之助のこの態度には慣れたもので、奥の部屋に視線をやりながら
「大丈夫ですよ。すっかり手当ては済みましたし、火傷も軽いものですから。ただ、なんだかひどく落ち込んでおられて、部屋に帰ると子供たちが来るからというのでここに寝かせてるんです。まあ、頭痛がするというので一晩様子を見たほうがいいですから、ちょうどいいんですがね」
「落ち込んでる? なんで?」
「さあ。少し寝たほうがいいんですが、眠れないみたいです。大木先生、話し相手にでもなって上げたらいかがです?」
 そう言われなくても、半助が起きているなら雅之助は話をしていくつもりだったのだ。
 襖を開けて隣の部屋に入ると、半助はぼうっと天井を見つめて布団に横になっていた。雅之助に気づくと、けだるそうに首をそちらに回して、小さく会釈をした。
「よう。具合はどうだ」
雅之助は半助の横にどっかと腰をおろした。
「のどが痛いです」
かすれた、ささやくような声だった。
「自業自得じゃ、アホ」
雅之助の言葉はきついが、その目は心配そうに半助を見ていた。
「なんで送っていかなかったんですか?」
ささやき声のまま半助が言った。
「は?」
「あの奥方と若君ですよ。政略結婚を嫌がったお姫様を、あなたが護衛しながら道中説得して連れていったんでしょう? 最後まで責任持たなきゃいけませんよ」
思うように声も出ないくせにしっかり刺のある言い方に、雅之助はがりがりと頭をかいた。
「そう言うな。さっきの仕返しか?」
「なんです、それは」
「あの、な、さっきわしが言ったことなら気にすんなよ」
雅之助はまじめに言った。
「おまえさんはよくやったよ。なんか知らんが、あの姫さんの心を変えさせたのはおまえさんの言葉らしいからな。学園長が選んだのはやっぱり正解だったわけだ」
 雅之助は半助を元気付けようと思って言ったのに、半助はまたどうでもいいような顔で、寝返りを打ってしまった。
(またかよ!)
ふだん自分が人の話をちっとも聞いちゃいないくせに、人が自分の話を聞いていないと腹が立つものだ。
「結果オーライじゃねえか。姫さんも、おまえさんにくれぐれも礼を伝えてくれと言っていたぞ。これからいろいろつらいこともあるだろうけどな。とにかく親子一緒なんだ。なんとかなるさ。」
そう言って半助の様子をうかがうようにのぞき込んだ雅之助は、驚いて言葉を呑んだ。
 半助のほほを、一筋の涙が伝っていた。
 雅之助はしばらく困った挙句、雅之助らしく、単刀直入に尋ねた。
「おい、何落ち込んでんだよ」
「べつに落ち込んでなんかいませんよ」
 雅之助はため息をついた。
「おまえな、忍者だからってつかなくてもいい嘘ついてっと、そのうち自分で自分が分からなくなって、つらくなるのは自分だぞ」
答えは、ない。
「まあ、今は声出すのもつらいだろうからな。今度生徒にも会えんぐらい落ち込んだら、わしんとこでも来いや」
半助が、驚いた顔で雅之助のほうを向き直った。
「べつになんにもしてやれんが、気分転換ぐらいにはなるだろ」
 雅之助がふっと笑った。
 ようやく、半助も笑みを浮かべてうなづいた。
「やっと笑ったな。よし。もう大丈夫だな」
「だから最初から大丈夫だって言ってるじゃないですか」
「っとに可愛くない野郎だな」
雅之助は指で半助の額を軽く弾いた。
 本当に、落ち込んでいるわけではないのだけれど、と半助は思う。が、説明するのも面倒くさいし喉が痛い。
 火と煙の中から救い出したあの人。かつて助けられなかったあの人。オーバーラップする記憶の中で、少しばかり感情が混乱しただけなのだ。
 それでも、雅之助の言葉に甘えてたまに遊びに行かせてもらうのもいいかもしれない。生徒たちの前で自分を律しているものから解放されて楽になれるかもしれない。そんな予感があったが、それもまた半助は黙っていた。
   


茫然とするくらいきれいなイラストを下さった沖香さおり様に、お礼をと思って書いたものだったのですが、「大木先生と土井先生のシリアス」とのリクにははたして??
なんでもっと静かな叙情的なものが書けないんだろうと思ってしまいました。あんまりシリアスじゃないかもですが、感謝の気持ちだけ受け取ってくださいませ。