道の途中





 学園長に呼ばれて、いきなり意味不明のことを言われるのは今に始まったことではないが、半助は今、本当に学園長の意図が分からなくて困っていた。 
「えー、つまり、わたしがそこへ潜入して?」
「潜入ではない。雇われていくのじゃ」
「で、そこで何を?」
「そこで仕えればいいだけのことじゃ」
「ですが、任務は…」
: 「だからっ! これは学園の任務ではない! お主を雇いたいという要望なのじゃ!」
「…よく意味が分かりません」
「なんで分からんのじゃ!」
 つまりいきさつを要約すると、ある城から土井半助を忍者隊に迎えたいと学園長のところに話があり、学園長がそれを半助に伝えたのだが、半助はそれが理解できないという。
「よいか。これは引き抜きじゃ。へっどはんちんぐなのじゃ。向こうは時間をかけてよいと言ってくださっているし、待遇も良い。よっく考えて返事せい」
そう言い置いて、学園長は部屋を出ていってしまった。
 半助はしばらく呆然としていた。



 その夜、半助が自室でぼんやりと学園長の言葉を反芻していると、伝蔵がすっと障子を開けて入ってきた。
「失礼するぞ、半助」
「あ、はい、どうぞ」
半助ははっと我に返った。
 伝蔵は遠慮なくどっかと座ると、穏やかな笑みを浮かべて、
「良い話があったそうではないか」
と言った。
「学園長からお聞きになられたのですか?」
「うむ」
「良い…話なのでしょか…?」
半助は困惑した表情を浮かべた。伝蔵は大げさに驚いた顔をしてみせた。
「良いに決まっておろうが。支度金まで出すと言っておるそうではないか。なぜ即答せんかったか不思議なぐらいじゃよ」
「そうですか?」
 半助の顔が少しこわばる。
「行く気はないのか」
「考えていますが…あまり…」
「乗り気ではないか」
「はい」
「なぜだ」
「なぜって…」
 半助のほうは、逆になぜ伝蔵がそんなことを聞くのか分からない。
「だって、わたしには生徒たちがいるんですよ? あいつらを置いて出ていけるわけないでしょう?」
「そりゃまあ子供たちはがっかりするかもしれんが、ま、代わりの先生が来ればそのうち慣れるじゃろう」
 半助は、その大きな目をさらに見開いた。
「代わりの先生?」
「当然じゃろう。わし一人では面倒みきれんじゃろうが」
「そう…ですけど…」
「だからあんたは子供たちのことは気にせんと、自分の将来のことを考えなさいよ」
「自分の将来?」
伝蔵は大きくうなづいた。
「そうじゃ。あんたまだ若いんだから、一生ここにいる必要もないじゃろう」
「で、でも! わたしはここにいるのが楽しいんです。満足してるんですから!」
「それもどうかと思うぞ」
 真剣に言い募る半助に対し、伝蔵はさらりとそう言った。
「若くて能力のある者が、現状で満足だなどと、あまり感心せんな」
「わたしにだって向上心はあります! 山田先生のような立派な教師になりたいと思ってるんですから!」
「そんな狭い世界にこだわらんでも、学園以外にもいくらでも活躍の場はあろうが」
 半助は、信じられない、という顔をした。
「それは、わたしはこの学園にいなくてもいいっていうことですか?」
伝蔵も少し声を荒げた。
「いいとか悪いとか言っておるのではない。あんたの可能性のことを言っとるんじゃ!」
「わたしの可能性なんて…わたしは自分の限界を知っています。山田先生だってご存じじゃないですか」
「あんたは勝手に自分でもうできないと思い込みすぎてるだけじゃよ」
 半助は上目遣いに軽く伝蔵をにらむように見た。
「山田先生はどうしてもわたしを辞めさせたいんですか?」
「辞めさせたいわけではない。まだ若いのに、こんなところでくすぶってることもあるまいと言っておるのだ」
この言葉に、半助はかっとなった。
「こんなところってなんですか! じゃあ山田先生もくすぶってらっしゃるとでも!?」
「わしはくすぶっとるつもりはない。家族のためにはたとえ単身赴任でもこのほうが良いと思っとる。あんたとは状況が違う。そんなことも分からんのか!」
「分かりたいとも思いません!」
「いいかげんにせえ!」
とうとう伝蔵は大きな声を上げて立ち上がった。
「目上の人間の言うことを素直に聞けないようなばか者は教師失格じゃ! 冷静になってもう一度考えてみろ!」
 そう言い捨てて半助の部屋を出ていこうとしながら、伝蔵は目の端で傷ついたような顔をした半助を捉えていた。言いすぎたか。ちらとそうは思ったが、あえてそのまま出ていった。




 夜半、木下が見まわりをしていると、半鐘台の上に人影が見えた。不審に思って登ってみると、伝蔵が一人で酒をちびりちびりとやっていた。
「何をやっとるんですか、山田先生」
伝蔵は苦笑いを浮かべた。
「いやなに、ちょっと半助とやりあいましてな。襖一枚の隣にいるかと思うとなんとなく気詰まりで、ここへ逃げてきたというわけですよ」
「ほおー。山田先生と土井先生がけんかとは、珍しいこともあるものですな。明日はどうやら大嵐になりますか」
木下がからかうように言ったが、伝蔵は笑わなかった。
「他人事だと思って…」
「まあまあ、そうすねなさんな。ちょっと付き合いますから、愚痴でもなんでも聞きますよ」
そう言うと、木下は勝手に伝蔵に向かい合って腰をおろし、杯を伝蔵の手から取って、徳利から自分で酒を注いだ。
「あんた見まわり中でしょう」
伝蔵があきれて言った。
「このわしが1杯や2杯で酔いますか。ばれなきゃいいんですよ」
伝蔵は、仕方ないなというように首を振ったが、この木下も人の言うことなど聞く性格ではない。伝蔵はことの成り行きを木下に語った。
 伝蔵が話終えるころには、1杯や2杯どころか、木下は4杯目を空けていた。
「あんた、今見まわり中でしょう!」
「まあまあ、固いこと言わすに」
「何言っとるんです!」
伝蔵は杯を木下の手からひったくった。そして自分が飲もうと徳利を傾けたが、すでにそれは空だった。伝蔵はあきれて徳利と杯を下に置いた。
「で、それでなんであんたがここでヤケ酒くらってることになるんです?」
 おかまいなしに木下が尋ねた。
「ヤケ酒なんかじゃありませんよ」
伝蔵は憮然として答える。
「月見酒には見えませんでしたが?」
笑いを含んだ声で木下に言われ、伝蔵は諦めた。
「全く、かないませんな」
伝蔵もふっと笑みをこぼした。
「ヤケじゃありませんが、なんともやりきれない気分でしてな。わしは半助が何を言ってほしかったか分かっとるんです。でも、言ってやらずに傷つけてしまったんですよ」
「なんで言ってやらなかったんです?」
 木下は面白そうな顔で聞いているが、彼なりに伝蔵を思いやっているのか、仕事に戻ろうとはせずにじっくり話を聞くつもりらしい。
「あいつの人生は、あいつの思うにまかせないことが多すぎた。そのために、普通の若者ならば、それもあれほどの能力のある者なら抱いて当然の野心というものがない。わしはそれが不憫でな。それに、おまえが必要だからここにいろなどというみっともないことはしたくない。ドーンと背中を押してやるのが親の務めってもんでしょうが」
「あんた、親なんですか」
伝蔵は思いきり嫌な顔をした。
「いつのまにかそんな気にならせられておったわい。なのにあいつは…親の心子知らずとはよく言ったもんじゃ」
 木下はからからと声を上げて笑った。
 それから急に、しんみりと言った。
「まあ、親だの教師だのってのはそういうもんですよ。ま、同僚としてさらりと付き合えばいいものを、そこまで肩入れしてしまった山田先生の負けですな」
「わしの負け…ですか」
「だって土井先生がいなくなったらなったで寂しいんでしょう? でも居残ったら居残ったで腹が立つ。どっちにしてもあんたはここでヤケ酒の運命ですよ」
「ふん。あんたはヤケ酒の必要がないんですから、こんなとこで油売ってないで仕事しなさいよ」
「そりゃ八つ当たりってもんですよ」
 木下は愉快そうに笑いながら、ようやっと見まわりに戻っていった。




 翌日、平日にもかかわらず、半助は休暇を取った。そんなわがままをあっさり学園長が認めたのは、一人になってじっくり考えたいからだと半助が言ったためだ。たしかに、は組の相手をしていたらそのままどたばたした日常に埋没して、人生について考えるどころではないだろう。
 だが、「一人で」と言ったはずの半助は、一人ではなく、なぜかここ、杭瀬村の大木雅之助のところにいた。
 お手伝いしますから相談に乗ってくださいと言った半助に、雅之助は野良仕事をさせずに家の掃除だの繕いものだの洗濯だの、挙句の果てには食事の支度まで半助にさせていた。
「わたしは客人ですよ」
 半助は飯を盛った椀を雅之助に差し出しながら文句を言った。
「突然押しかけてきて何が客人じゃ。秋の収穫で忙しいっちゅうのに」
雅之助は飯をかき込みながら遠慮なく言った。
「大木先生が、落ち込んだら来ていいっておっしゃったんですよ」
「何もしてやれんとも言ったはずだぞ。気分転換に来いと言ったんだ」
「気分転換なら外で体を動かしたかったですよ」
「今大事なときなんじゃ。素人に手を出されたくない」
 言われてみればそうかと、その点に関しては納得した半助だった。
「じゃあ、食べながらでいいから聞いてくださいよ」
 半助は、伝蔵に言われたことは隠したまま、誘いが来たことだけを打ち明けた。
「で、おまえさんはどうしたいんだ。わしに相談されても、そんなもん、おまえの好きなようにすりゃいいだろうが」
「大木先生はどうして教師をお辞めになったんですか?」
「なんだよ、そういうのは相談とは言わんぞ」
「参考にお聞きしたいだけですよ」
興味津々に見つめられて、雅之助は仕方ないというふうに、みそ汁をごくりと飲み込んでから答えた。
「そりゃあ、おまえ、教師よりこっちのほうが面白いと思ったからだな」
「こっちって、農業がですか?」
「うーん、難しいこときくな」
単純な質問だと思うが、と半助は思う。
「ま、こういう暮らし、だな。農業が漁業でもいいさ。のんびり暮らして、気が向いたら忍者して刺激をもらって、好きなときに野村と勝負する。そのほうが楽しいじゃねえか」
 本人は楽しいだろうが、周りは迷惑なのだが、と半助は思う。
「面白い。楽しい。それだけですか?」
「ああ。まあ突き詰めればそうだな」
「生徒たちのことは考えなかったんですか?」
「考えたさ。けど、わしの人生はわしのもんじゃ。生徒はいずれどっちにしても社会の荒波の中で生きていかなきゃならん。遅いか早いかの違いだ」
「それはそうですが……」
「半助、人生は楽しまにゃ損だぞ。自分が面白いか面白くないか。そのどっちかだ。おまえが面白いほうを選んだらいいさ」
「大木先生を必要としている人たちがいるとはお考えになりませんでしたか?」
「いたらどうだって言うんだ」
 雅之助は逆に探るように半助を見据えた。
「ならおまえは、必要とされればドクタケにでも就職できるのか」
半助はぐっと返事に詰まった。
「だろ? なら結局自分が楽しいかどうかじゃねえか。必要とされることが楽しいなら必要とするところいいればいい。そういうことさ」
 半助は、椀と箸を持った自分の手元をしばらくじっと見つめていた。
 それから顔を上げて雅之助の顔を見つめてまたしばらく考えた。そして、
「もう一つお聞きしてもいいですか?」
「なんだ」
「『世間のしがらみ』って言葉、ご存じですか?」
「いや」
一言答えて、雅之助はまた飯をかっこみ始めた。




 その夜遅く、今度は半助が伝蔵の部屋を訪れた。
 半助はきちんと正座して、伝蔵に向かい合うと、伝蔵もなんだか少し気まずさも残っており、正座してしまった。
「昨日は山田先生がせっかくお気遣いくださいましたのに、子供っぽいことを言ってすみませんでした」
伝蔵は髭を2、3度指先でなでた。
「いや、わしもちょっと言葉が過ぎた。悪かったな」
それを聞くと、半助は本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
「で、結論は出たのか?」
「はい。あれからずっと考えて、わたしは少し考え違いとしていたことに気づきました」
「ほう。というと、話を受けることにしたのか?」
伝蔵はあれほど自分で勧めておきながら、意外だという顔をした。
「いえ。わたしは自分が必要とされるところではなく、自分が必要とする人たちのそばにいたいのだということに気づきました。だからここに残らせていただきます」
 明るい顔できっぱりと言い切った半助に、伝蔵はやはり不憫と感じながら、その決断を喜んでいる自分に気がついていた。しかし、それを半助に見せてはいけないと思った。
「もし、いつかもっとほかにやりたいことができたなら、そのときはそちらへ行くでしょう。だからどうぞ、ご心配なさらないでください」
「べつに心配なんぞしとらんわい」
「そうですか。それは失礼しました」
半助は笑いながらそう言った。
 いつもの半助に安心して、伝蔵は立ち上がった。
「すっきりしたところで、どうだ、たまには一杯やるか?」
「いいですね」
 久しぶりに杯を交わしながら、半助は心の中で雅之助に感謝し、伝蔵は心の中で木下にあかんべーをしていた。









そらり様の13000hitリクでございます。「山田先生と土井先生のけんか。シリアス」ということでした。シリアスを書いてるつもりだったのですが、出来上がってみれば、これはどちらかというとほのぼのというのでしょうね。
この2人がけんかするときってどんなときだろうとまず考えました。子供の教育方針とかって、けんかしたとしてもシリアスにはなりそうにないですよね。それに、けんかしたとしてもそれを生徒達の前には出さないと思うんです。きっと2人の様子では組の子供達は気付くような気がして。
それでこんなふうになっちゃったのですが、えーと、よろしければお納めくださいませ。