うつくしきものは…


 冬の朝の水は切れるようで、顔を洗いに井戸端に出てきた忍たまたちも、すぐに部屋にもどりたがる。
 だが今日はどういうわけか、みんなそろってぼーっと立って、空を眺めていた。
 晴れているのか曇っているのか分からない空から雨粒が落ちてきている中、西の空には大きな虹がかかっていた。
「変な天気」
「でもきれいだね〜」
「不思議だよね、虹って。何遍見てもきれいだなと思うもの」
「そうだね。だけど、そばまで行ってみたいと思っても、絶対行き着けないよね」
「あ、僕もそれやったことあるよ。でも全然近づかなくて」
「その前に消えちゃうんだよね」
「そうそう」
「でも僕、すぐ近くで見たことならあるよ。触れなかったけど」
そう言ったのは三治郎だった。
「えーっ! どうやって!?」
1年は組全員が驚いて三治郎を見た。
「山の中の滝だよ。大きな滝の真ん中あたりとかによく出てるんだよ。でも滝の真ん中だから手は届かないんだ」
さすが山伏の子、三治郎。
「触れなくてもいいよ。そんなすぐ近くで見られるなんていいな〜」
 いつもは震えながら部屋に駆け戻るのに、今日はいつになくにぎやかな井戸端だった。

 その日、午前の授業は教科だった。
 みんな教室に入ると、そのまま窓から顔を出した。
「ほら、まだ見えるよ」
「でもだいぶ薄くなってきちゃったね」
「授業終わるまであると思う?」
「無理だろ〜」
窓際でわいわいやっているところに半助が入ってきた。
「あ! みんな、席に着けよ!」
あわてて庄左ヱ門が号令をかけた。
「どうした。何をみんなして熱心に見てたんだ?」
半助は特に怒ることもなく、興味深そうに聞いた。
「朝から虹が出てたでしょう?」
「まだ見えるんですよ」
「でももうすぐ消えそうで」
子供たちが口々に報告する。
「それはしょうがないだろう。さ、授業始めるぞ」
半助は笑ってそう言った。
 生徒たちは一応皆席に着いたが、なんとなく落ち着かなさそうにチラチラと窓のほうに目をやる。
「みんなそんなに虹が好きだったか?」
半助がおかしそうに聞いた。
「こんな季節の、しかも朝に見ることってあんまりないような気がして」
乱太郎が答えた。
「そうだなあ。なくはないけどね。少ないかもしれないな」
さ、授業を、と言おうとした半助より先に、珍しく三治郎が口を開いた。
「先生、きれいなものってすぐ消えちゃうのかな。それともすぐ消えちゃうからきれいだと思うだけなのかな」
 半助は諦めたように教科書を下ろした。
「どうした。禅問答みたいなこと言うんだな」
「先生、虹って雨が降らなくてもできるんですね。滝のところで見たって三治郎が」
今度は兵太夫だ。
「なんだ、おまえら知らなかったのか?」 そう言うと半助はちょっと考え込んだ。それからにっこり笑って生徒たちにこう言った。
「よし、今日の授業は変更! 全員外へ出ろ!」
「ええ〜!?」
驚きながらも嬉しそうな顔を隠せない1年は組の忍たまたちは
「今日は虹を作る!」
という半助の言葉にさらに驚いた。

 朝方の小雨はすっかり上がり、虹も消えてしまっていた。
 グラウンドで、は組の面々は竹を切り、穴を空ける。
「どうしました。教科の授業は?」
半助と生徒たちの姿を見つけて伝蔵がやってきた。
実は、と半助が成り行きを説明する。
「それで理科の実験ですか。あんたもまったく……」
伝蔵があきれたように、おかしそうに半助を見た。
半助はばつが悪そうに頭をかいたが、伝蔵もやはり、
「こら、しんべヱ、そんなに穴を大きくするんじゃない」
などと楽しそうに指導を始めた。
 やがてみんな竹製の霧吹きを作り上げると、桶に何杯も水を汲んできて、それぞれいろんな角度や向きで実験を始めた。
「あ、見えた! ほら、こっち向きだよ!」
一番に成功したのはやはり庄左ヱ門だった。
「え? こう? あれ、できないぞ」
「もっと上に向けなきゃ」
「あ、僕もできた! ほら!」
「あ、ほんとだ!」
子供たちの声が一層にぎやかになる。
 と、その中に
「雪」
「朝露」
「桜花」
三治郎と兵太夫だ。
「ずいぶんと風流な話だな」
半助と伝蔵が聞き留めて二人のところへ来た。
「さっき三治郎の言ってたこと考えてて」
兵太夫が答えた。
「ほら、きれいなものってすぐ消えちゃうものなのか、消えちゃうからきれいだと思うのかって」
「ほお」
伝蔵が面白そうな顔をした。
「虹のほかにもあるよねって」
「なるほどな」
「何々?」
ほかの子供たちも集まってきた。
「夕焼け」
「霜」
「花火」
「流れ星」
伝蔵と半助が顔を見合わせた。
「でもさ、すぐ消えなくてもきれいなもんもいっぱいあるぜ」
きり丸だ。
「金(きん)とかさ」
やっぱり、という顔でみんなおかしそうにしていたが、
「刀も! ほら、影龍とか」
金吾だ。
「ほんとだ。よく磨き上げた鏡もきれいだよね」
と、これはしんべエ。さすが金持ち。
「染め物」
「馬の毛並み」
たちまちみんなノリ始める。
「新式銃のプロポーションのきれいだったこと…」
虎若がうっとりした顔で言うのには、「それはちょっと違うって」と突っ込みが入る。
「ナメちゃんたちが這った跡。きらきらしててぇ……」
「「「やめろ〜! 気持ち悪い!」」」
「要するに何をきれいだと思うかは、それが一瞬のものでも永続的なものでも関係ないし、何をきれいだと思うか人それぞれってことだ。法則性はなさそうだな」
伝蔵がまとめた。
「というところで、1年は組は夕食後再びここに集合!」
半助の言葉に、「え〜っ!?」という抗議の声が上がった。


「あ! また!」
「見えた見えた!」
寒い中集合させられてぶつぶつ文句を言っていた1年は組の子供たちも、集合させられたわけがすぐに分かると大興奮だった。
流星群だ。
次々と光っては消える流れ星に、みんな首が痛くなるのも忘れて夜空を見上げていた。
そんな子供たちの後ろで、伝蔵と半助は星よりも、星を見て騒ぐその子供たちを見て幸せそうな笑みを浮かべていた。
「法則性はないが、やはり刹那で消えゆくものには格別の思いがあるようじゃな」
「そうですね。そういえば、子供時代もそうですよね。あっという間に過ぎ去るからこそ、こんなにきらきらしてるんでしょうかね」
生徒一人一人を包むように見ながら、半助が懐かしむように言った。
「それを言うなら人生六十年、いや、七十年八十年生きようと、悠久の時の流れとくらべればほんの刹那に過ぎん」
伝蔵が言葉を継いだ。
「だからこそ尊い。子供たちも、このわしらの命も同じように尊い。その人生の尊く美しかるべきことに変わりはない」
「わたしたちも、ですか?」
また一つ流れ落ちた星を見つめて、半助がおうむ返しに聞いた。
「うむ。あんたもじゃよ」
それから伝蔵は口調を変えて付け加えた。
「人間生きている限りは。そう、だからあの学園長も、ということだな」
子供たちと学園長を両天秤に乗せた図を思い描いて、思わず半助は噴き出した。
「ねえ、山田先生、虹は作れますけど、流れ星ってのは作れないんですかね」
子供のように目を輝かせて尋ねた半助の笑顔と、
「無理だと思うが……自分で調べなさいよ」
突き放したようにそう言いながら、どこか安心したような伝蔵の笑顔と、
そして背中の担任たちの会話も耳に入らないほど興奮した子供たちのざわめきと。
そんな刹那の幸せなど知らぬげに、また一つ、二つと星が降っていった。
 



タイトル:「傾城屋」やえやえ様




40000を踏んでくださった春待様のリクエスト。山田先生と土井先生と1年は組のほのぼの、ということで、寒い冬に読んであったかくなるようなお話にしようと思っていたのに、なんだかむしろ寒々しいですよね。
ほのぼのしてるのかどうかもちょっと疑問?みたいになっちゃいましたが、 あれこれ考えた末、結局考えたものというより湧き上がってきたものを書かせていただきました。
お気に召すかどうかわかりませんが、春待様にお捧げ致します。