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鶴ケ城の歴史は
至徳元年(1384)葦名直盛が東黒川館を
築いたのが始まりと言われています。
その後会津領主だった葦名盛氏が改築し
現在の城郭の原型を築きました。

文禄2年(1593)には蒲生氏郷が7層の本格的な
天守閣を築き、名前も「鶴ケ城」と改められました。
慶長16年(1611)会津地方を大地震が襲い
天守閣は大きく傾きました。
この天守閣を改修しほぼ現在の姿のような
5層の天守閣に造り上げたのが加藤明成です。

 

幕末、鳥羽伏見の戦いに端を発した戊辰戦争は
戦いの場が会津へと移り、約1ヶ月の籠城戦を戦いぬいた
鶴ケ城も明治7年には明治政府の命令で取り壊されました。

城跡は旧会津藩士遠藤敬止らの尽力により
陸軍省から払い下げられ、昭和9年に国から史跡として
指定を受けました。現在の天守閣は昭和40年に昔の姿
そのままに再建されたもの郷土博物館となっています。

会津酒造歴史館 宮森家「宮泉」
豊臣秀吉の命によって会津に入った大名
蒲生氏郷が灘から当時の先端技術者を招き
領内の酒造技術を一気に向上させました。
江戸時代に入り酒造業はますます盛んになり
326件もの造り酒屋があったとの記録があります。



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