花園神社は、徳川幕府以前に、大和吉野山より勧請され、新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。寛政年代に移転となった時、幕府に訴え、現在の場所を拝領することになりました。

その場所は、徳川御三家筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、美しい花園の跡に移転したことから花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。

安永9年と文化8年には、大火で焼失した社殿を再建するため境内に劇場を設けて、見世物や演劇、踊りなどを興行して好評を博しました。花園神社と芸能の縁は、この頃から始まったものです。

東京銘菓「花園万頭」
創始者石川弥一郎は、加賀銘菓の老舗に生まれました。明治39年東京へ進出し東京青山に店を構えました。大正に入り製造小売りから製造卸売業へと事業も軌道に乗りました。昭和5年、加賀百万石前田家の御用の地であった現在地に店を移し、近隣にある新宿の鎮守花園神社の名にちなみ、古来の饅頭に種々の改良を加えて新しい菓子「花園万頭」を作りました。それと共に店名も「花園万頭本舗」と改めました。